風花フラグ 3-1(otherview)
「それでは、他に意見がなければこれでいきたいと思うんスけど……」
言いつつもユメちゃんがアタシに申し訳なさそうな視線を向ける。
それに「大丈夫」という意思表示を込めて小さく頷き返すと彼女は嘆息混じりに瞳を逸らした。
ふふ。アタシの友達は優しいな。
「風……文野さんにあまり負担を掛けないようにするから、宜しく頼むよ」
もう一人のクラス委員である阿久野君がその甘いマスクに人懐こい笑みを浮かべる。
彼のフルネームは阿久野 健次。善良な好青年という雰囲気で、頼りがいもあるから男子達だけでなく女子からも人気があり、ユメちゃんが我の道を貫くタイプなのもあって、クラスの纏め役を一身に担う優等生。担任も何かと彼を重宝していた。
だから、こんな気持ちを抱くのは我ながら失礼だとは思う。思うんだけど、普通にキナ臭いんだよねえ、この人。勿論、確証なんてないし、あくまでもアタシがそう感じるだけ。けれど、こう言った時の女の勘って結構当たるし、現にアタシは何度もこの直感に助けられている。
「ううん。運動じゃ皆の役に立てないだろうし、適材適所だよ。アタシの応援で元気が出るならやり甲斐もあるし」
「そう言ってくれると提案した身としては嬉しい限りだ。皆のやる気も上がるってものだろう」
ただ、この場で露骨な態度を取っても何の意味もないので、アタシは首を横に振ると白い文字が踊っている黒板に顔を向ける。
そこには『体育祭。競技出場メンバー』と書かれていて、多種多様な競技種目のそれぞれに立候補と他者推薦されたクラスメイトの名前が連ねられていた。
そう。体育祭。正式に言えば聖まあち学園体育祭。五月の中旬に行われる学園一つ目の目玉行事。
何故この時期なのかと言われると諸説あるらしいけど、新学期になって一月経ったので、馴染んだであろうクラスメイト達と体育祭で団結する事で更なる絆を深めようだとか、この時期を逃すと三年生が受験や就活で忙しくなるからとかそんな感じらしい。
丁度、五月下旬の中間テストまで間が空いているのも都合が良いみたい。中弛みを避ける為にイベントを続けるというのはメリハリという点では頷ける。……まあ、学園の思惑なんてよく知らないけど。
(チアリーダーかあ……)
自分の名前が書かれた場所を眺めて小さく息を吐く。
体育祭と言えど、運動が苦手や嫌いな子に強制させるのは本意じゃないのか、競技への参加が全員義務付けられている訳じゃない。
だから、当日はクラスメイトを適当に応援するだけでも許される。アタシに振られた役職はそんな彼らを纏める物で。要するに居ても居なくても変わらない閑職。
けれど、阿久野君や一部のクラスメイトは明らかにそれ以上を求めている。
「はあ。決まった物に口を挟む気はないんスけど、あまり無茶振りするのはやめてくださいよ」
「なに。先も述べた様に負担はかけないさ。あくまでも頼むのは応援だからね」
「……どうだか」
「言いたいことがあるなら拝聴するが?」
「はいはい、そこまでそこまで。ほんとお前らはいつまで経っても仲良くならないな」
教壇の上、一瞬で険悪になった二人を教師が手を叩きながら止める。
空席となっていた阿久野君の席に座っていた担任だが、決める物も決めたので傍観する必要もないと考えて出てきたのだろう。
共に過ごした時間はまだ少ないが、その立ち回りの上手さは感心しきりである。この人、芸能界でもやっていけると思うよ。
「僕は歩み寄ってるんですけどね。どうも、無花果さんはこちらがいけ好かないみたいで」
「…………そういう所が本当に嫌いなんスよ」
自分たちの席に戻されながら、小さく悪態をつくユメちゃん。
その声が聞こえたのか、阿久野君がほんの一瞬だけ表情を変える。
「中々にいい感じになったな。それじゃ、詳しいことはまた次の時間に詰めるとして、残った時間で他の連絡事項を伝えるぞー」
話し始めた担任に皆が気を取られ、誰もが阿久野君から意識を外した中で。
唯一彼を注視していたアタシだけが、その顔に場違いな程の喜色が浮かぶのを見ていた。
◆
「文野さーん、衣装の丈を合わせる為に採寸したいからちょっと良い?」
「はーい」
クラスメイトに呼ばれ、そちらへ向かう。そこにはメジャーを持った女の子とそれを記録する為の紙を挟んだクリップボードを持った子が立っていた。
確か時雨 蘭さんと村雨 叶さんだったかな? 苗字に雨という共通点があるから仲良くなったのだとか、誰かが言っていた気がする。
「宜しくお願いします」
「いやいやこちらこそ。私めの様な者が風花ちゃんの身体に触れるなんて恐れ多すぎて。ああ、手が震える……!」
「いいから早くやりなさいよ。特別扱いするなって本人も言ってたでしょ」
「ファンだから仕方ないじゃない!」
「うるさっ! じゃあ、アンタ記録つける方やりなさい。その様子だといつまで掛かるか分かんないから」
「風花ちゃんを合法的に触るチャンスだよ!? それを逃すなんてとんでもない!」
「め、めんどくさ……」
「あはは……」
二人のやり取りに思わず苦笑いが浮かぶ。これは長丁場になりそうだ。
どうしてこんな事になっているのかと言えば、話は単純で。
聖まあち学園はLHRを利用したメンバー選出の翌日から体育祭までの間、体育の時間全てが準備期間となっている。
競技に出る人達は勿論本番に向けた練習をこなし、それ以外の人達は雑務や選手のフォローを担当する。
本来なら名目上でしかない応援係は後者の存在であるのだが、クラスメイトは本腰を入れたチアリーディングを望んでいるらしく、アタシ達も衣装を纏って練習しなければならなくなった。
そこで、学園側に衣装の申請をした所、何故か演劇部から古今東西様々なチア衣装が比喩抜きに投げ渡された。
だが、そこで問題が一つ。
そう。アタシが可愛いと思った衣装の中に、背丈に合った物が一つもなかったのである。
うぅ。泣いてない。泣いてないもん。背も胸もまだ成長する筈だもん。
水夏さんくらいとまではいかないとしても、ルミお兄ちゃんをもっと誘惑出来るくらいには……。
「し、失礼しまっす!!!」
「ひゃっ」
そんな事を考えていたからか、急に胸元に当てられたメジャーの感触に変な声が出た。
アタシの勘違いでなければ、周囲の時の流れが一瞬止まったと思う。
直後、時雨さんが弾けた様にアタシから離れて、額を床に擦り付ける。
あまりにも綺麗なお手本のような土下座だった。
「うわ、わわわわわっ!? ごめんなさいごめんなさいっっっ!」
「ほんともうアンタは……」
「だ、大丈夫だから続けて?」
「は、ハイッ!」
可哀想なくらいに声を裏返した時雨さんが再び恐る恐るメジャーを宛がってくる。
そこまで慎重になられると逆に緊張するんだけどな。
まあ、自業自得な所もあるから我慢するしかないか。
「うわあ、風花ちゃんほそぉ……小さぁ……」
「鼻息荒いよ。気持ち悪いぞ」
今、アタシを採寸してくれている二人は裁縫の心得があるらしく。チア衣装をアタシのサイズに縫い直すから自分の好きを諦めなくて良いと言ってくれた。
でも、どうしてだろう。その時はとてもカッコよかったし、確かに恩義も感じたのに、今となっては素直に感謝が出来ないのは。
……ううん。ダメだよ、風花。善意に対して礼を欠くのは人としてやっちゃダメなんだから。
「ぐふ、ぐふふ。このメジャーは家宝にしよう」
「学園の物を勝手に持ち帰ろうとするな」
「代わりにもっと性能が良い物を買って置いとくから」
「ダメに決まってんだろ。諦めろ」
採寸を終えてスカートのポケットにメジャーを仕舞おうと時雨さんを村雨さんが止める。
中々どうして、この二人いいコンビだね。ルミお兄ちゃんと秀秋さんみたい。
「でも、あの風花ちゃんに触れたメジャーだよ? 人によっては価値があるし、盗まれる可能性もあるじゃん」
「じゃあ、GPSでもつけときなよ」
「……一理ある」
「えっ。冗談のつもりだったんだけど」
「そうと決まれば善は急げだ。あ、風花ちゃん! 衣装はすぐ仕上げるから、楽しみにしててねっ!」
にこやかに笑いながら、村雨さんの手首を掴む時雨さん。
それに彼女が顔を引き攣らせたのも束の間、
「は? ちょ、私も行くなんて言ってなあぁぁぁぁっ!?」
凄まじい力強さを発揮したのか、時雨さんによって勢いよく村雨さんが引きずられていく。
まるで嵐のように立ち去っていく二人をアタシは呆然と見送るしかなかった。