火燐フラグ 3-4
女→男なら規制されずに手〇きくらいなら許されそう。え?手招きですよ、やだなあ
「はい、あーんして」
「あぃ」
連休二日目。相変わらず元気一杯な朱音ちゃんに叩き起された後、既に起きていて今まさにランニングへ向かおうとする先輩と挨拶を交わし、紅ちゃんの手を引いて洗面所へ。
シャキッとする為に顔を洗ってから自分の歯ブラシを咥えつつ、覚束無い手取りで紅ちゃんの歯磨きを手伝う。
……ううむ。思ってたより難しいな、これ。前回泊まった時にやり方自体は見せて貰ったけれど、いざ自分でやってみると勝手が違う。
「痛くない?」
「うん」
生え揃いかけた乳歯を手前から奥へと丹念に。それでいて歯茎を傷つけない程度の優しさで隅々磨く。
いやあ、紅ちゃんが大人しくて本当に助かるなあ。俺の言うことも素直に聞いてくれるし。このまま心優しい大人になってくれたまえ。
「よし。もうペッしていいぞ」
「うぃ」
磨き残しの有無を確認してから紅ちゃんに洗面器を差し出し、彼女が水で口の中を濯いでいる間に自分の歯磨きを進める。
これが平日とかであれば俺もゆっくりしている暇はないのだろうが、連休中故に時間に追われている訳でもなし、紅ちゃんも紅ちゃんで律儀に俺の事を待ってくれているので、いつも通り──なんなら普段より丁寧──に歯磨きを終えると後片付けを済ませて居間へ移動した。
「おはようございます、後輩君。今日も愛らしい眼光ですね」
そこに卓袱台の前で優雅にお掛けになっている矢車想生徒会長が居た。
なんで、この人は然も当然かの様にいらっしゃるんですかね?
え? いつ来たの? 俺が起きた時には居なかったよね?
「つい先程ですよ、ここに着いたのは。丁度、走っていた火燐と鉢合わせたので、朱音ちゃん達のついでに後輩君の顔も見に来ました」
疑問が顔に浮かんだからか、いつも通り心を読まれる。容赦がないですね、本当に。
逆に考えるんだ。口に出す必要がなくて楽だと。
「やえはなにしにきたのー?」
「うふふ。可愛い貴女達と一緒に朝ごはんを食べようかなって」
「ほんとっ!? わーいっ!」
笑みを浮かべた会長が無邪気に喜ぶ朱音ちゃんの頭を撫でる。
ここだけ切り取るとイイハナシダナーってなるんだけどなあ。この人と会うとろくな目に遭わないので、何か打算があるのではと勘繰ってしまう。
「海鷹、悪いが運ぶのを手伝ってくれないか?」
「紅ちゃんもこちらにおいで。お姉さんが本を読んであげる」
台所から顔を出した先輩に請われ、そちらへ向かう。
……あれ? ランニングしてたんですよね? 会長と同じタイミングで戻ってきてから料理までこなすってどんなスペックしてんだ。
「しかも、なんだこの豪勢な朝飯は!」
業務用のステンレス食器なんてバイキングでしか見た事ないんだけど!
それがなんか知らないけど沢山ある! 一体どういう事なんだ。誰か説明して欲しい。
「ああ、海鷹は家から出てないからまだ知らないか」
「……?」
「外に……いやまあ、見に行った方が早いぞ」
どうせ居間を通るのだから、そのついでとばかりに俺の両手に食器を乗せていく先輩。
ふっ。思い出すな、ファミレスでバイトをしていた頃を。
ラッシュ時に、ちまちまバッシング(食事の済んだ食器を下げる業務)をしている暇がなくて、持てる以上の物を手に取っては洗浄機に放り込んでいたなあ。
うん。乗せすぎだよ、先輩。俺じゃなきゃバランス崩して大惨事だからね?
「邪重が来るといつもこんな感じの食事になるんだよな」
そら朱音ちゃんのテンションがあそこまでアゲアゲになりますわ。
もう見た目からして豪華だからね。
「会長は本当に先輩の事が好きなんですね」
「……そうだな」
おや? なんかニュアンスが思っていた感じと違うような……。俺の気のせいかな。
「お姉ちゃん、はやくはやくー!」
「ほら、海鷹。うちの可愛い可愛いお姫様がお待ちかねだぞ。すぐに冷えはしないだろうが、手早く頼む」
その違和感を口に出すより早く、居間で待つ朱音ちゃんに急かされて。
若干の後ろ髪を引かれながらも、朝とは思えない程に贅沢な料理を卓袱台の上に所狭しと並べていく。待って。幾つか乗せられないのウケるんだけど。何種類あんだよ。
「わあ! わあっ!!!」
「……まあ、良いか」
けれど、皿を置く度に上がる朱音ちゃんの歓喜で満たされた声を前に、些細な疑問なんて即座に掻き消えていった。
◆
「ごちそーさまっ!」
「ふふっ。沢山食べましたね」
「うん! おいしかった!」
お行儀よく手を合わせる朱音ちゃんとそれを微笑ましく見守る会長。
「大丈夫か、海鷹」
「は、はい……ぅぷ……」
その隣で死にかけている俺。
安西先生、胃袋が……破裂しそうです。いやね、別に無理して全部食べなくて良いとは言われてたんだよ。
そもそも、この料理は俺と先輩の二人だけだと、朱音ちゃん達の面倒を見ながら炊事をするのは大変だろうと会長が気を遣って用意してくれたものらしく。だから、食べきれずに残した所で、今日の昼や夜に回るだけなのも理解はしていたのだが。
「るみな、すごいすごい! お残ししなくてえらい!」
「は、はは……ありがとう……」
なんというかですね。
正直、個人宅でのバイキングというミスマッチさに俺もアガってしまいましてね。
食欲旺盛な若い身体を活かして食べまくっていたら、気づけば朱音ちゃんにめちゃくちゃ応援されてて後に退けなくなったんだよな。
いやでも、ほんと美味しかったです。
「ほら、胃薬だ。手遅れ感もあるが、ないよりはマシだろう」
居間備え付けの棚を漁っていた先輩が戻ってきて、手に持った物を渡してくる。
気持ちは嬉しいけど、実は水を飲むのも辛い。それに、身体自体は若いから胃薬に頼る必要性もあまり感じないんよなあ。
「あら、甲斐甲斐しい。火燐にしては珍しいですわね」
「ふ、普通だろ、これくらい」
それを見ていた会長の揶揄に先輩が過剰に反応する。うーん、頬がほんのりと紅い。聡い会長相手にこれは致命的だ。
いつもの調子なら軽くあしらって終わりだったろうに、昨日の今日だからね。俺も意識しないように頑張っているんですよ。
「おやおや? これは何かありましたね? ねえ、後輩君?」
案の定、目を細めた会長が矛先をこちらに向ける。
よし。逃げよう。俺は先輩よりも分かりやすいという自覚があるし、心を読まれて丸裸にされる前に自己防衛しないとね。自分なんか当てにしちゃダメだよ。
「そういえば、外に何があるんでしたっけ」
それに、有耶無耶になっていた理由もあるしな。
俺はあまりにも重たい身体を気合いで持ち上げると止められるよりも早く玄関から外に出ていく。
果たして、そこにあったのは見たことの無い造形をした車で。
「なにこの……なに?」
「あ、先輩やん。どしたん? おかわり?」
その様相に圧倒されているとトラックの前面部分みたいな所──キャブと呼ぶ──の窓から曽根崎が顔を出した。
「無免許運転?」
「犯罪やで?」
まあ、普通に考えて付き添いよな。周りではシェフらしき人々が思い思いに休憩してるし。お、爺やさんも居るじゃん。目が合ったので会釈をしたら深々とした返礼をされた。仰々しい。
「いや、こんな車を見たことがなくて」
「あー……気持ちは分かるわぁ。これは炊事車ってやつで自衛隊で使われている代物やね」
「……わざわざ借りてきたのか?」
「矢車想財閥の物に決まってはるやん?」
ですよねえ。知ってた知ってた。自衛隊とのコネがあっても驚きはしないけど、個人所有の方が納得感も大きい。
道理で料理の全部が全部出来たてみたいな湯気をたてていた訳だよ。
あまりのスケールの違いに、最早乾いた笑いしか漏れないわ。
「んで、おかわりじゃないとしたら先輩は……ああ、会長から逃げてきたんやな」
「せやな」
「でも、うちが居たのは誤算やったねえ。知り合いが居ると先輩の気が休まらんのとちゃう?」
「ん? いや、曽根崎なら寧ろ安心するけどな」
なんだかんだと話していて楽しいし。
どうやって時間を潰そうかなと悩んでいたのもあったから、炊事車について気軽に聞ける相手が居るのは嬉しい。
やっぱ男だから未知の車って好きなんだよなあ。
「…………」
「曽根崎?」
「はあ。そういうとこやで、先輩」
「なにが?」
炊事車に向けていた視線を曽根崎に向けると彼女は呆れた様に俺を見ていた。
え、本当に分からない。
俺、また何かやっちゃいました?
「そんな無自覚な先輩のリップサービスに乗せられて、うちからも一つアドバイスを送るわ」
「アドバイス?」
「最近、何かとキナ臭いから先輩も気をつけなはれや」
淡々と。まるで明日の天気でも告げるかの様な曽根崎の言葉。
だが、こんな物騒な発言の割に連休二日目と三日目は何事もなく平和に過ぎ去って。俺はなんとかGWを乗り切ったのであった。
ちなみに二日目のお風呂は朱音ちゃんと三日目は紅ちゃんと入ったし、会長もお泊まりしたので先輩と二人きりになる機会は全然なかった。




