火燐フラグ 3-3
「う、ううん……」
暑い。
身体の左右にじんわりとした熱が篭っている。
その影響で朧気だった意識がはっきりと輪郭を得ていく。
「……目が覚めたか?」
「え」
ゆっくりと持ち上げた瞼。
広がる視界に映ったのは俺を見下ろす先輩の顔。
……どういう状況だ、これ?
「何があったか覚えているか?」
「えっと……」
確か先輩に風呂場でぶっ飛ばされたんだっけ。
思い出しながら打ち抜かれた顎に触れようと腕を動かそうとして、やたらと両腕が重い事に気づく。
というか、頭の裏もなんか柔らかいし、暖かいな? 分かってはいたけど、そういう事だろうな。視線を右に動かしたら先輩のお腹が見えるし。あ、勿論服越しにですよ。
「服はどうやって着せてくれたんですか?」
とりあえず、疑問の一つを解消しておこう。
二回目なのに俺の息子を見てあれだけの悲鳴をあげる先輩の事だ。俺に下着を履かせて且つ、ジャージを着せるなんて事は不可能だろう。
「上は私がやって下は朱音が」
五歳児に介護される男が居るらしい。俺だけど。
「で、その朱音ちゃんと紅ちゃんが俺の両腕に巻きついて寝てるんですね」
「海鷹の事が心配だから、目覚めるまで待つと言っていたんだがな。暑苦しいのであれば引き剥がすが?」
「いえ、大丈夫です」
まあ、暑くないと言えば嘘になるが、二人の真っ直ぐな気持ちが愛らしいじゃないか。
彼女達が自分から離すまで、俺からは何もしないでおこう。
「ところで、先輩」
「なんだ」
「今、何時ですか?」
「丁度日付けが変わったくらいだな」
先輩が傍に置いていたスマホを手に取り、時間を確認する。
ええと、風呂に入ったのが22時くらいで、かなりのんびりと過ごしていたとして……。
「もしかして、最低でも一時間は俺を膝枕してます?」
「そうだが。……やはり、私みたいな筋肉質な足では寝心地が良くないか?」
恐れ多すぎておずおずと問うと先輩の眉が落ちる。
どうやら、あらぬ方へ勘違いさせてしまったらしい。
「そんな事は! 柔らかくて気持ちいいです!」
「そ、そうか……。そこまで明瞭に言われると悪い気はしないな」
「でも、足は大丈夫なんですか? ずっと同じ姿勢でしょうし」
俺なら10分くらいで根を上げちゃうね。痺れるし。
そもそも、正座苦手なんだよな。堅苦しい感じがするから。
「ふっ。剣道部主将を舐めるなよ。他の部員はともかく、私は一日中出来るぞ」
やだ、カッコいい。
心意気や在り方まで完全に剣客じゃん。
「それに、これは詫びのつもりでもあるんだ」
「詫び……?」
「その、な? 私から啖呵を切っておいて、またもや無様な姿を見せただろう? その上、何一つ悪くないお前を張り倒してしまった」
いやまあ、どうだろう。
確かに、殴られた拍子で身体が宙に浮くなんて、それどこのファンタジーだよみたいな経験をしたけど、そもそもがゲームの世界だしな。
傍から見てギャグ漫画みたいなぶっ飛ばされ方をしても、骨が砕けたとか意識不明の重体になったとかは一切ない。世界線が世界線だから、身体の頑丈さは現実より向上しているっぽい。
だから、先輩がそこに罪悪感を覚える必要は全くないのだが。
「それなのに、海鷹は恨み言の一つも言いやしない。その気位の高さは尊敬するが、私とて息苦しい時もあるんだぞ」
「あ、あはは……」
やべえ。なんか無駄に俺への評価が高い。
というか、言えない。意識が飛ぶまで先輩の身体を丹念に見てたなんて、絶対に言えない。この感じだと俺がお礼を言った事にも気づいてなさそうだ。
一度目はすぐに先輩が浴槽内に身を隠したし、俺もテンパってたからすぐに記憶からなくなったんだけど、今回は時間があったせいで今も網膜の裏に焼き付いている。
困ったな。前世ならこれを使って自家発電に励むのだが、射精が死に直結する今だとフラストレーションにしかならない。このきかん坊、どうにか大人しくならんかね?
「……なるほど。そういう事か?」
「ん? っ、くぅっ、ちょ、せんぱ……っ!?」
だからだろう。
頬を朱に染めた先輩が徐に手を伸ばした事に、すぐには気づけなかった。
ジャージ越しに股間へ走った柔らかな刺激。驚きと共に俺の身体が小さく跳ねた。
「察しが良い方が男は好きなんだろう? 邪重と一緒に動画で見た」
会長。黙らせる方法。検索。
いや、好きですけどね。こちらが何か言う前に先手打ってくる感じのシチュエーション。
たじたじになっている間に主導権握られたい。握られたくない? 握られたいよな!
「凄く硬いんだな……。直接見るのは恥ずかしいが、海鷹が良いならこのまま続けるが?」
言いつつも手を止めない先輩。ただ、腫れ物を扱う様な怖々とした手付きな為、言うほどの快感は流れ込んでこない。
んんん。他人の手って凄くもどかしい……じゃなくてだな!
「だ、ダメですって、先輩……!」
抵抗したいのに両腕が塞がってるから何も出来ない。
無理矢理解こうにも、切羽詰まっている俺と違って二人とも安らかな寝顔を浮かべているから心理的にやりづらい。
もしかして詰んでるのでは、これは……。
「はぁはぁ……なんだこの気持ちは……。海鷹、こんな感じで良いのか?」
おいい? 良いって言ってないのに続けてるんですけどぉ!?
そういえば、この世界のヒロインは俺の話を聞かないことに定評があったっけなあ!?
このままじゃ不味い。幾ら技術が拙くても女性に触られているってだけで、無限に興奮してくる。童貞だから。
いや、まだだ! まだ終わらんよ!
「そ、そんな無理をしなくても……!」
「むむむ無理じゃない。さ、させて欲しいんだ」
「でも──」
「そっ、それとも! 海鷹は私にこうされるのが……嫌なのか?」
「それ、は……」
思わず言い淀む。
本音を言うならば、嫌じゃない。当たり前だろ。
先輩みたいな綺麗な人と懇ろな関係になるとか前世では考えられなかった話だし、正に天にも登る気持ちである。
そんな逡巡が伝わったのか、先輩は愛撫を止めようとせず、それどころか掌をぐっと押し付けてくる。
「んんっ……せん、ぱい……っ!」
「これが良いのか? なあ、どうすればいい。もっと教えてくれ」
先輩から漏れる吐息が熱を帯びる。無造作に動いていた手が、探るような物に変わる。
露骨に俺を快楽へ導こうと妖しく蠢く。
これはたまらない。身体が勝手にビクついてしまう。
「るぃな……?」
「「……っ!」」
故に。
その振動で朱音ちゃんが起きたのも必然で。
咄嗟に手を引く先輩を朱音ちゃんの寝ぼけ眼が追う。
恐らく、何が起きていたのかを彼女が知る事はない。それでも、幼気な子の前で致しかけたという事実が俺たちを苛む。
先輩は先輩で見たことないくらいに目が泳ぎまくってるし、俺も背中を伝う嫌な汗が止まらない。風呂入ったばかりなのに。
「ねない、の……?」
そんな俺の腕を緩く引っ張りながら朱音ちゃんが言う。
そのふにゃふにゃな顔があまりにも毒気がなくて。欲望に塗れていた心が落ち着いていく。
「俺達も寝ましょうか、先輩」
すんなりと出た言葉。
自分でも驚くくらいに穏やかな声色だった。
出してないのに賢者タイムってなれるもんなんだな。
小さく笑み浮かべて、先輩に視線を向けると頷きが返ってきた。
「そうだな。……この続きは二人きりになったらな」
いい感じだったのに、最後に爆弾仕掛けてくるのやめてくれませんかねえ。