風花フラグ 2-3
すみません。書いてる物を誤って消去してしまい復旧させるのに時間が掛かりました
「ん、ちゅる……んちゅ……れろっ……」
突然だが『ASMR』というのをご存じだろうか。呼び方はそのまま『えーえすえむあーる』で、人によっては『あすまー』だったり、『あずまー』と呼んだりしている。
正式名称は『Autonomous Sensory Meridian Response』となり、直訳すると“自律感覚絶頂反応”。その名の通り、人の自律神経に刺激を与える事で快楽やカタルシスを呼び起こす反応の事で、一般的にはそういう物を収録した動画や音声を指す。
いや、その内容は一般的ではないけどね。でも、なんだかんだ転生前の世界では探せば簡単に見つかったし、激しく規制される様なものでもなかった。
「ふーっ……ん? んふふ、ビクってしてどうしたのかな? ふーっ、ふぅぅぅぅっ」
例えば、焚き火や川のせせらぎはなんとなく気持ちを落ち着かせる様な気がするし、包丁がリズム良く具材を裁断する音や刃物を砥ぐ音は独特の雰囲気がある。
他にも雨音が地面を叩く音や水が滴る音みたいに、この世には多種多様な音があって、その独特で唯一性がある音色は時に人々を魅了する。俺も前世だと仕事が休みの日の雨音は好きだったんよな。仕事の日の雨? ははっ。
閑話休題。
もっとも、こう言った音をどう感じるかなんて千差万別で。俺は気に入った音声なら結構ずっと聞いていられるタイプなのだが、何とも思わない人も一定数居ることは確かだし、それについては仕方ない所もある。そこらは人によりけりだ。
人にされる耳掻きが気持ちいいかどうかと言えば分かりやすいかな?
「んっふ、お兄、ちゃん……気持ちいい? どう、ちゅぷ、ちゅっ、かな……?」
つまるところ、これもまた一種の音フェチなんだろう。
俺もよく前世ではお世話になった。リラックスするのか、就寝時に聞くとなんかよく眠れる気がしたんだよなあ。ただの思い込みかもしれないけど、人の想像力って結構バカには出来ないんだよね。
「そう? えへへ、良かった。じゃあ、ちょっと深めにやってみるね」
でまあ、どうしてASMRについて長々と語ったのかというと。
俺の視界に専用のマイクに舌を這わせている女の子が居るからなんですよね。
……これなんてエロゲ? あ、エロゲでしたね。ちょっと衝撃的な光景過ぎてトンでたよ。
「れろれろ、んんー、ちゅるっ、ちゅく……んっれ、ちゅぷく……れるっ……」
風花ちゃんかさっきから舐めているのはダミーヘッドマイクと呼ばれるモアイ像みたいな物に人の耳を貼り付けた物。略称はダミヘ。明日使えない無駄知識である。
鼓膜の部分に高性能な集音マイクが取り付けられていて、これに向けて喋ると聞いている側はまるで本当にその場に居る様な臨場感を得られる。……得られるのだが、俺の記憶が正しければ、これクッソ高かった気が……。
当然、お値段以上の性能をしているダミヘの耳を舐めると実際に舐められている感じがするらしい。
これが所謂耳舐めASMR。ニッチすぎるとは思うが前世でも普通に年齢制限なく聞けたりする。日本終わってるよ。ほんと。めっちゃお世話になりました。ありがとうございます。
(まあ、でも)
呼吸音くらいは許されても喋るとマイクが拾うかもしれないので、胸中で想いを吐露しつつダミヘとバーチャルモデルが表示されたモニターに視線を移す。
ぴちゃぴちゃと唾液たっぷりな水音をたてながら楽しげに耳を舐めるフローラが、まさか芸能人の文野風花であるなんて視聴者達は夢にも思うまい、と。
初回の配信が終わった後で反響について軽く調べたのだが、堂に入ったメスガキムーブと声が酷似している事からフローラ=文野風花説が各所で散見された。
まあ、酷似も何も本人だし、そう言った意見も少しは──全然少しじゃなかったけど──出るだろうと風花ちゃんも思っていたらしく、放送後に「声は敢えて寄せているから似てると言われて嬉しい。自分は風花ちゃんのメスガキを参考にしていて役者としても尊敬している」と言った旨の発言をSNSでやっていた。
これを受けて騒いでいた人達も、本人が別人と明記するならこれ以上突くのも野暮だろうと、大半の人は静観する方へ舵を切った。
という流れで、フローラ=文野風花説は一旦は下火になったのだが、だからと言って疑いが完全になくなった訳ではない。
ネットの一部では未だに声高に指摘してる人間も居るし、俺も“七つの性技”として『ダメ絶対音感』という声優の声を聞き分けるスキルを身につけているから、フローラの中の人が風花ちゃんという前知識がなくとも聞き分ける事が出来るしな。
「わ、わわっ、じゅる……っ、えへ、ちょっと垂れちゃった。夢中になって舐めすぎたかも。でも、そのお陰で耳がホカホカのふにゃふにゃになったね」
だが、そんな特殊なスキルを持っている人間はごく一部。
風花ちゃんは風評について全く気にする事なく、次の日からも楽しく配信している。
デビューした日に逃げ出す様な失態を見せたものの、それ以降は極めて平穏で。寧ろ、配信を無理矢理切ったのも投げ銭に慌てすぎた結果なのは見て取れて、その不慣れ感や心根の優しさに心打たれて視聴者は更に増えたらしい。
そんな彼らにとって、フローラの中の人が誰であろうと然程関係ないのだろう。
「え? なでなでして欲しい? よしよし。いつも頑張ってて偉いねーっ。今日はたっぷり癒されていってね?」
ただ、完全に無視も出来なかったのか、風花ちゃんのメスガキムーブは初回以外では基本的に封印していて、投げ銭して頼まれたら演じるくらいに留められていた。
まあ、火のない所に煙は立たないしな。わざわざ、火種を投下する意味もないし。
「じゃあ、逆を向いて? そっちの耳もたくさん愛してあげる」
俺が傍に居たのも最初の一回だけであり、なんだかんだと風花ちゃんは自分で配信内容やスケジュールを考えている。
だから、時たま配信を見ては「風花ちゃん、頑張ってるなあ」と後方腕組み彼氏面みたいな事をしていたのだが、その平穏はあっさりと打ち破られた。
「はむ、はむっ。えへ、お兄ちゃんの耳たぶ、美味しいよ……あーんっ」
今までやっていたゲーム配信や雑談枠とは勝手が違いすぎて、色々と不安だから横に居て欲しいという理由で、何故かASMRの現場に居合わせている。うん。どうしてこうなった?
当然、最初は断ろうとしたのだが、晩御飯の席で隣に居た水夏に行ってあげなよと諭された。
その際のやり取りが以下である。
「構わん。行け」
「はい」
……え? さすがに端折りすぎ?
まあ、確かにこれだと水夏の作風が某奇妙な冒険チックになっちゃうか。
仕方ないので、ちゃんとしたやり取りを明記しておこうね。
俺のせめてもの抵抗に刮目して頂こう。
「配信って何時からだっけ」
「夜10時からですっ」
「俺達、明日も授業あるんだよね?」
「大丈夫です。12時には終わるので」
「ほーん。なら、安心……ってなるかぁ! 隣とは言え、帰宅してそこから寝る準備って考えるとなあ」
嘘です。まるで真っ当な事を言ってるみたいですけど、やろうと思えばすぐに寝れます。
これが前世では過去の物となった若さというアドバンテージ。寝付きが良いって最高だわ。
「あ! なら、そのままお泊まりします?」
「Pardon?」
「ダメ、ですか? 今日はお兄ちゃんが帰ってこないから心細くて……」
「それなら、水夏の部屋で泊まれば」
言いつつ気づく。そうか。配信あるんだった。しかも、ASMRの。よりにもよってASMRの。なんでじゃ。
「それにあたしは朝練があるから。ね、行ってあげなよ、ルミ君。起こして貰う手間も省けるじゃん」
おっと。俺が風花ちゃんに朝起こして貰っているみたいな言い方は止めてくれ。
まだ部屋までは入ってきてないから。部屋の外からノックと声掛けされているだけだから。
「お願い、ルミお兄ちゃん! 今日だけだからっ」
「んっぐ……!」
結局のところ、可愛い女の子に懇願されると弱いのは変わらなくて。
拝み倒す風花ちゃんと意外にも退かない水夏を前に折れるしかない俺だった。以上。回想終了。
(それにしても)
俺自身、意志力がミジンコ並である事を置いとくにしても、やはりイベントは勝手に発生するし、こちらの事情もお構い無しに進行する。
「ちゅるっ、んちゅ、じゅぞっ……んふ、気持ちい? いいよ、もっと気持ちよくなって……」
正直な話、役に入りきった風花ちゃんのASMRはどこに不安を感じるのかと問い質したいレベルに高品質で。
俺も自分のスマホに有線のイヤホンを接続して配信を流しているが、普通にいい感じにエロくて興奮……もとい、刺激的である。
初めてでこれって……将来性がありすぎるな。
「うん、じゅぷ、ちゅく、一緒にっ、イこっ? さぁん、んじゅる、れろっ、ちゅるぷ、にーぃっ……」
まさかのカウントダウンまで。
ほんと、オーディエンスの高め方ってのを理解している。
「いーちっ、んんっ、ちゅぅぅっ、れるっ、ちゅぞっ……んちゅ、んはぁ、ぜぇぇぇ……ろっ! 堕ちちゃえっ!」
「んっふっ……」
やべ。すぐに手で抑えたけど、思わず変な声出そうになった。
おいおいなんだよ、それ。フローラの醸し出す雰囲気とのギャップがあって可愛すぎるだろ。
案の定、コメント欄も凄い事になってるし。
「んふ、どうだった……か、な……って、ちょちょちょぉっ!? だから、落ち着いてぇっ!」
配信が終わるまで風花ちゃんのASMRはとてもとても大盛況だった。