風花フラグ 2-2
「ふぅ……」
小さな吐息。
一度だけ、まるで縋り付く様に俺の手を握り返してからするりと離し、風花ちゃんは視線だけで訴える。
準備は良いか、と。
それに頷き返すと、彼女は小さな笑みを浮かべてモニターに顔を向けた。
「始めます」
刹那、風花ちゃんの纏う雰囲気が変化する。
まだ緊張しているのだろう。少しばかり強ばった横顔をしている風花ちゃんだが、その表情は真剣そのもの。先程までの震えは何処にもなく、明確にスイッチが切り替わったのだと理解出来る。
……これが芸能人としての風花ちゃんの顔か。素直にカッコイイな。デビュー配信だからここまで肩肘張っているのだとは思うが、この気持ちをどうか忘れないようにして欲しい。なんて、俺らしくもない事を考えた。
「あー、テステス。音量は大丈夫でしょうか?」
少しばかり賑やかだったBGMが落ち着いた物へと変わるのと同時、画面が切り替わって風花ちゃんの操るバーチャルモデルが映し出される。
うお。さっきまでも凄かったけど、更にえげつない勢いでコメントが流れ始めたな。
あまりにも早いスクロール。気になる物があっても遡るなんて到底無理だな、これは。
「うん……うん。問題なさそうだね。えー、改めましてこんばんは。初めましての方は初めまして。電子の世界に咲いた花、フローラです」
風花ちゃんと同じく緑系統の髪色をした少女か身体を揺らす。
画面に見えるのは上半身のみではあるが、白を基調とした衣服には至る所に花らしき物を散りばめた意匠がされていて、可憐ながらも豪勢さも感じさせる。
まるでお嬢様みたいだな。富豪の両親に大切に育てられた箱入り娘。そういや、風花ちゃんって確か親が……いやいや考えすぎかな、これは。
「あ、いつも配信を見てくれている人も居るんだね。ありがとう。うん。今日はお披露目会だから簡単な自己紹介とこれからの予定というか、出来たら良いなって事を言っていくだけだよ」
挨拶を終えて少しは肩の荷がおりたのか、風花ちゃんの口調に淀みはない。
傍に居たから知らず知らずのうちに緊張が伝播していたのだろう。俺も俺で無意識に握っていた拳に気づいて、ゆるゆると息を吐きながらそっと解いた。
「全身が見たい? 良いぞよ、良いぞよ。ミリィ先生渾身のキャラデザを刮目するが良い」
おっと? 突然キャラがブレたぞ?
風花ちゃん、限界オタクみたいな顔してる。3Dモデルには反映されてないからバーチャルさんの方はただの笑顔だけど、本人はかなりだらしない顔してる。
ファンには見せられないな、これ。
「そうそう! イラストレーターのミリィ先生! アタシ、先生のファンだったんだけど、ダメ元でデザイン頼んだらOKして貰えたの! 本当に嬉しかったなあ……」
キャラクターの全身絵を映し出しながら、饒舌になっていく風花ちゃん。
当時を思い出しているのか、当初の緊張感もどこへやら、頬を赤く染めて興奮気味に語っている。本当に好きなんだな、ミリィ先生が。俺も後で調べておこう。
「え? ガチ恋距離が見たい? 仕方ないなあ」
うーん、先程から薄々そうかなと思ってたけど、この子オタクですわ。バーチャルさんが浸透してないであろう世界で既にそう言った単語を知ってるとか、そうとしか考えられないでしょ。
そんな風花ちゃんがマウスを操作すると一転してキャラクターの顔面がドアップになる。
「表情パターンも沢山作って貰ったんだよっ」
風花ちゃんの言う通り、画面の中でキャラクターの表情がころころ変わる。
すげえな、ミリィ先生。素人目からしても手間暇かけてるのが分かるわ。仕事に対して真摯に向き合うタイプなんだろうか。そのクリエイター魂、尊敬しちゃうね。でも、ハート目とアヘ顔っぽい差分は本当に必要でしたか? 誰の趣味よ!
「アタシのお気に入りはこれかな?」
ガチ恋距離のまま、キャラクターが他人を見下した視線を画面の向こうから投げかけてくる。
なんというか、ギャップが凄いな。物腰穏やかな令嬢なのに、こんなゴミを見る様な目が出来るのか。
「どう? どう? ゾクゾク来ない?」
楽しげな風花ちゃんに盛り上がったコメント欄が追従する。
Mしか居ないのかな? まあ、流れに便乗している人も居るだろうけど。
「あははっ。マゾばっかで気持ちわる〜い」
おおう。いきなりぶち込んだな。
初見の人だらけだろうに勇敢というか無謀というか。
いやでも、なんか大絶賛されてね? お礼を言っている人やもっと罵ってくれと言ってる人だらけだわ。なんてこった。とっくに調教されてやがるぜ。
「えぇー? もっと言って欲しいって? んー、でもアタシがお兄ちゃん達に従う理由もないからなあ……」
えっと、確か自己紹介するんだよね?
進行に沿わなくて大丈夫なんだろうか。……けどまあ、風花ちゃんも視聴者も楽しそうだし、別に良いのかな。
後、視聴者の事はお兄ちゃん呼びするらしい。とても良いと思います。
「じゃあ、もっとおねだりしてみて? アタシをその気にさせて?」
表情はそのままであるのだが、キャラクターの顔が画面から離れて再び上半身が映し出される。
うーん。なんというか変わり身が凄いな。さっきまでは雰囲気柔らかなお嬢様だったのに、今では女王様みたいな威厳や風格を感じる。
「……ん?」
違和感に首を傾げ、すぐに理由が思い当たる。
もしかしてこれ、ガチ恋距離で衣装が見えなかった事を利用してお着替えしてるやつか?
お。どうやら俺以外にも気づいた奴が結構居るみたいだな。
「ほら、そうじゃないでしょ? もっと惨めに這い蹲って憐れに鳴いて? こんな年端もいかない女の子にみっともなく懇願して?」
最初は沢山あった花の総数が減り、色の全てが黒くなっていただけだった。
だが、風花ちゃんが──フローラが言葉を紡ぐ度に纏う衣服が克明に変化していく。良く言えば派手に。悪く言えば大胆且つ性的に。
「うわぁ、本当にお願いしてる……。情けなぁい。いい大人が恥ずかしくないの? プライドはどこに忘れて来ちゃったのかな?」
なんということでしょう。匠の技によって、純真可憐なフローラは物の見事に真逆のメスガキとなってしまいました。
身持ちが固そうな衣装は露出が増え、へそや生脚を拝めるようになり、清純そうな瞳は今や蠱惑的な輝きを宿している。
「でも、ちゃんと出来たからご褒美はあげないといけないね……なーんて、嘘に決まってんじゃん。あははっ! 騙された? やーいやーいっ、すぐ信じちゃうおバカさんっ」
すげぇな。風花ちゃん、いつの間にかトップギアに入ってんじゃん。
最早、追いつけないくらいにコメントの流れが早い。そして、その大半が「このメスガキ……!」という物で統一されていた。うん。今日もインターネッツは平和です。
まあ、かく言う僕も、ね。下品ですけど、股間が熱くなっちゃいましてね。なんてったって、隣に本物のメスガキが居ますから。臨場感が違いますよ。
「やだ、こわぁい。煽り耐性0のお兄ちゃん達に分からされちゃう。んふっ。でも、いーのかなあ? それって犯罪だよ?」
ぐぬぬ……。
はっ!? 俺とした事が本家大元の迫真メスガキムーブに呑まれてしまった!?
横で様子を見守っていた俺ですらこれだ。画面越しとは言え、フローラと目を合わせながら聞いていた視聴者は一溜りもあるまい。
「あれ? あれれ? 敗北認めちゃう? 正論言われて何も言い返せずに負けちゃうの? えー!? よわぁ〜い!」
舞台は既に独壇場。
役に入りきっているのか、どこか恍惚とした顔で風花ちゃんはマイクに口を寄せる。
「……ざぁこざぁこ。アタシみたいなガキに負けちゃうよわよわお兄ちゃん。でも、そんなお兄ちゃん達が大好きだよっ」
抑えられた声量。囁く様に紡がれた言葉は確かな熱を持って耳朶を穿ち、脳を貫く。同時、フローラが可憐に微笑んだ。
ああ。これは不味いな。そんな扇情的な服装で清純無垢な笑みを浮かべられると、こちらも好きにならねば無作法というもの。
案の定、盛り上がりすぎた視聴者達はフローラに対して、投げ銭と呼ばれるシステムを使って金銭を送り始めている。
「わっ、えっ!? 待って待って! お兄ちゃん達、落ち着いて!?」
コメント欄に咲き誇る色とりどりの帯付きの文言やスタンプ。
それに気づいた風花ちゃんが目を見開いて驚愕し慌てふためく。当然のようにそれを反映したフローラもわたわたしていて。
ふむ。札束で殴られて目を回すメスガキ……。ありだな!
「え、止まるどころか増えたよっ!? なんでっ!? お願いだから、お金を大事にしよ? ねっ?」
どうやら俺と同じ感性を持っている視聴者が多いらしい。先程よりも飛び交う投げ銭の質と量が増している。
俺も視聴者側だったら躊躇いなくクレカを生け贄に捧げているだろうし、気持ちは分かる。
分かるのだが、果たしてこれは収拾がつくのか?
「どうしよどうしよ……。あ、終われば良いんだ」
一体どうするのかと風花ちゃんを眺めていたら、そんな呟きが聞こえた。
マイクもその音声を拾った為、コメント欄が絶賛終わらないで一色に染まっているが、風花ちゃんは手元のコンソールを勢いよく叩き始める。
「これにて初回配信を終わります! お付き合いありがとうございました。次回の配信内容はSNSの方に載せるので、そちらのフォローもお願いします。それでは、お疲れさまです!」
言い終わるや刹那、配信が終了する。風花ちゃんはそのままパソコンの電源を落とすとカメラ等の諸々の機材を確認した後、深々と息を吐いた。
そうして、色々な音で溢れ、賑やかだった部屋に訪れる静寂。
「ルミお兄ちゃん……」
ヘッドセットを外して俺へ向けた風花ちゃんの瞳が不安そうに揺れる。
……そうだよな。あんな多数の人に見られた事も総計すると意味不明な金額を投げられた事も想定外だ。
ならば、例え逃げるように配信を終わらせたとしても、ここは年上らしく初回配信を切り抜けた事を褒めるべきだろう。極力、好感度が上がりすぎない程度に、だけど。
そう考えて口を開いた俺だが、
「次回の配信内容考えてください!」
「なんでだよ!!!」
出てきた言葉は全く意図していなかったものだった。




