風花フラグ 2-1
「いらっしゃい、ルミお兄ちゃん!」
風花ちゃんが満面の笑みで俺を自室に迎え入れる。
「おおう。これはこれは、なんともはや」
なんということでしょう。
一週間程前には全くと言っていいほど片付いてなかった荷解きが飛躍的とも呼べる速度で進んでいる。
いや、確かにまだ開封だけされて放置されているダンボールがリビングやらそこらで散見されていたのだが、少なくとも風花ちゃんの部屋においては終わっていると言っても良いだろう。それくらい部屋がきちんと整頓されている。
まあ、押し入れの中に残ってたりするかもだけど、そこに触れないのも優しさってやつさ。多分。きっと。Maybe。
「あ、あんまり見られると恥ずかしいよ」
ピンクや白を基調とした家具に囲まれた可愛らしい部屋。ベッドや机にキャラクター物っぽい人形やフィギュアが見えたりして微笑ましい。……微笑ましいか? なんか可愛さと妖艷さを内包した立体がいくつかあるんだが? いやまあ、風花ちゃんだって女の子だ。可愛い物は好きなんだろう。そう。それが萌え萌えな美少女フィギュアでも。
更に言えば、この部屋の違和感はそれだけではない。うん。見えてるんだよね、視界の端に。凄いものが。
だが、俺はその明らかに異質な存在感を放っている物体を敢えて無視し、悟りを開いたような穏やかな気持ちで室内を眺める。なに、別に触れなくても構わんのだろう?
「ああ、ごめんごめん。俺の部屋は殺風景と言えば殺風景だから、人の部屋ってのがちょっと興味深くて」
「物を増やさないんですか?」
「秀秋さんや心春さんは遠慮するなって言ってくれるけど、一応は居候の身だからね。必要最低限の物以外は買う気はないかな」
前世でもそうだったから神様が気を利かせてくれたのか、この世界で過ごしていた俺も物への執着心が然程ないらしい。
そもそも、良心で住まわせて貰っている余所のご家庭だ。自分の部屋があるだけでも有り難いし、ベッドを始めとして学生故に必要だからと机や本棚も用意されている。
なんなら、スマホやパソコンも自分専用の物があるしな。……あれ? 思っていた以上に贅沢な環境じゃね? 独り立ちしていた生前とあまり変わらないぞ?
こんなんで殺風景とか言ったらバチが当たるのでは?
「わぁ! 思いやりが凄いんですねっ!」
「うぐっ……!」
風花ちゃんの純粋さが俺の心を抉る。
天罰覿面だよ、ほんとに。
このままこの話題を続けていても、墓穴を掘る未来しか見えない。となると、やる事は一つ。
「ところで、俺はなんで呼ばれたんだ?」
話題を変える。これに尽きる。
実際のところ、風花ちゃんの部屋に招かれている理由に心当たりはない。
家で文野兄妹と一緒に晩御飯を食べた後、少しだけ付き合って欲しいと言われたんだよな。
ヒロインと部屋で二人きり。本来ならば何が何でも回避するべきシチュエーションだが、足掻いてもどうせ無駄だと最近思い知る様になったから大人しく諦めた。
なぁに。最後の一線さえ超えなきゃいいのさ! 颯斗さんも在宅しているし、風花ちゃんも大胆な事はすまい! ……しないよね?
「あ! そうだったそうだった。ルミお兄ちゃんに手伝って貰いたい事があるんです!」
「手伝って貰いたいこと?」
「んー。実際に見てもらった方が早いと思いますよ」
そう言いながら風花ちゃんは部屋の片隅へ歩んでいく。俺が気にしないように努めていた方に。
そこにはファンシーな部屋に似つかわしくない機能美だけを追求したデュアルモニターがあって。
風花ちゃんはモニターの前にあるゲーミングチェアに腰掛けると、やたらと洗練された手付きでシステムを立ち上げた。
そして、さしたる待ち時間もなくモニターに表示されたアイコンにはゲームらしきタイトルがズラりと並んでいて。
「ガチの! ゲーミング! PC!」
いや知ってたけど!
箱が部屋に入った時に見えた時点で、まさかなとは思っていたけど!
「えへへ。ゲームは暇潰しに丁度良くて。一人で出来ますしっ」
不憫な。
まあ、俺も前世の事を考えたら人の事は言えないんだけど。同類相憐れむって奴かな。……いや、一方的な同情心か。
「という事はゲームのお誘いって事か?」
手伝って欲しいとの事だし、協力プレイでもするのだろうか。
参ったな。エッチなゲームはしこたまやり込んだ俺だけど、友達と一緒にやる系のゲームは全然なんだよな。
いや、別に友達が居なかったとかそういう訳じゃないぞ。ほんとだぞ。ちょっと友達のゲーマーとしてのレベルが高すぎて、そいつの求める実力に着いていけなかっただけだからな。
うん。誰に向けて言ってんだろう、俺。
「うーん。似てるようで違いますね」
「うん?」
「まあまあ。見てたら分かりますよっ」
悪戯げな笑みを浮かべて、風花ちゃんが髪と同じ緑色ではあるが、色彩が健康に悪そうな色をしたヘッドセットを装備する。
そして、俺からするとよく分からないアプリを片端から起動させ、気づいた時には片方のモニターに可愛らしい3Dモデルのキャラクターが出現していた。
「バーチャルさんだと……!?」
「あ、知ってます? 実は今日がデビュー配信なんです」
思わずモニターに近づいた俺に風花ちゃんは首を傾げる。
知っているも何も、前世では社会現象になっていたくらいには有名……え? 今日がデビューって言った?
「ええと……風花ちゃん」
「なんでしょうか?」
「配信って何時から?」
「19時ですっ!」
「現在の時刻は?」
「18時55分です!」
「ギッッッリギリじゃねえか!」
え? 時間が押してたのに、あんな悠長にご飯食べてたの?
貴女、きっちりとおかわりしてましたよね?
「遅れても機材トラブルって言っておけば大丈夫ですよ」
「肝が太い! 俺の方がドキドキしちゃう!」
「もう、ルミお兄ちゃん! 女の子に太いなんて言っちゃダメです!」
「突っ込む所はそこじゃねえ!」
「あ、時間になりましたね」
「ちょっ!」
事前に作られていたのだろう。いつの間にか開かれていた動画配信サイトで、ポップな音楽と共にデフォルメされたキャラクターが右へ左へとわたわたしている。
え、可愛い。この絵師さん、好きだわ……って、そんな事より。
「いやいやいや。配信するなら俺が居ちゃ不味くね?」
「居てください」
「は? でも──」
「カメラはアタシしか認識出来ないように設定してますし、マイクが入ってる時に大きな声で喋らない限りは隣に居ても平気です」
そうなの? そうかも。知らないけど。
さすがにこう言うのは風花ちゃんの専売特許だろうし。
「けれど、喋るなってのは……」
そこで気づく。風花ちゃんの身体が微かに震えている事に。
「あ。え、えへへ……」
俺が不自然な所で言葉を切ったせいで、彼女にもそれが伝わる。
風花ちゃんは少しだけバツが悪そうに、小さく笑った。
「ちょっと柄にもなく緊張してて。お、おかしいですよね。注目される事には慣れてるのに」
「配信するのは初めて?」
「いえ。ゲーム実況自体はたまにやってました。だけど……」
ちらりと風花ちゃんがモニターに視線を向ける。同じように俺もモニターを見ると、目まぐるしい速度で流れるコメント群と爆裂的に増える視聴者数が見て取れた。
……やべえな、これ。こっちの世界だとまだバーチャルさんが斬新なのか、それともヒロイン効果なのか。いずれにせよ、色々と飽和していた前世では見たことの無い数字になっている。
「確かにこれは怯んでしまうなあ」
ご飯を一心不乱に食べていたのはこれから目を逸らす為だったのかな。普通、食欲とかなくなりそうな物だけど。
風花ちゃんの戦場は基本的にスタジオだ。そこに観客は居ても彼女へ直接言葉を投げ掛ける人は居ないだろう。
だが、視聴者の入場を制限していない動画配信サイトでのライブ配信は、ネットの匿名性もあって人の悪意が平然と現れる。
初回の配信でいきなりアンチが湧くとは思えないし、風花ちゃんの震え自体はまた別の要因がある様に思えるが……。
「あ、ありがとう。お兄ちゃん」
それでも、と。どうせここまで来たらイベントの進行からは逃げられないのだしと俺も腹を括る。
元気づける様にそっと握った風花ちゃんの手は冷たく汗ばんでいた。
設定盛り盛り森鴎外




