火燐フラグ 2-4
「じゃあ、行ってくる」
「ふふ。行ってきますわね」
「はい。二人ともお気をつけて」
「行ってらっしゃい!」
「たーしゃい」
翌日。一部の隙もなく制服を着た先輩達を見送ろうと玄関に集合する俺達。
戸を開けると暖かな陽射しが背筋を伸ばして立つ二人を迎える。ヤバい。絵になりすぎでしょ……。
「留守は頼んだぞ、海鷹」
「まあ、はい。出来る限りは」
「父と母から昼には帰ると連絡が来ている。だから、それまでは面倒でも二人に付き合ってくれ」
さすがに泊まり込みで仕事をしていただけあって、ご両親は思っていたよりも早く帰ってくるらしい。
明確なゴールを教えて貰えて、俺は胸中で安堵の息を零す。昼までなら一人でもなんとかなりそうだ。
「……ん? いや、待てよ?」
しかし、ふと思う。
徹夜明けでせっかく家に帰ってきたのに、そこから朱音ちゃん達の相手は辛くないか?
実際、転生前の俺は徹夜を何度も経験しているし、その厳しさをよく理解している。
遊びにしろ仕事にしろ、外に居る間は結構平気なんだが、自宅という安心安全な領域に帰ると途端に眠くなるんよなあ。
俺は独りだったから、そのまま寝てしまっても何も問題はなかった。精々、半日もしくは一日が潰れるくらいで済む。
だが、幼子二人を抱える先輩の両親はどうだ。当然、疲労した状態で二人の相手はしんどいだろうし、どうにか隙を見つけて休もうにも気が気でないのでは、と。
俺の役割は二人をご両親に無事に預ける所まで。その後は関係ないと知らぬ振りも出来るのだが……。
もし、仮に。あくまでも仮の話ではあるが、睡魔に負けた先輩の両親がうたた寝をして、二人から目を離した隙に大惨事が起きたのなら。
そしてそれが、その場に俺が居たら防げる物であるならば。俺は後悔しないと言えるだろうか。
「先輩」
「どうした?」
「俺達も試合の応援に行くのは可能ですか?」
考えるまでもない。
こんな俺でも譲れない一線というのは持ち合わせている。
「“俺達”……朱音と紅を連れてか?」
「はい」
「それは……」
先輩が渋面を浮かべる。
気持ちはとても分かる。試合会場まで二人を連れていく重労働もそうだが、試合が行われている間、席でじっとさせる必要がある。
その難易度がどれ程の物か。子育てこそした事はないが、世のお父さんお母さんを見ていたら想像に難くない。
「そういう事なら」
「え?」
これは許可を得られなさそうだと思っていたら、会長がぽんと手を叩く。
「あの子を後輩君に貸してあげます」
何か不可思議な言葉が聞こえませんでしたか?
貸すとは? 人をなんだと思ってんだ? 基本的人権をご存知でない?
「あらあら。折角、火燐のご両親に気兼ねなく休んで欲しいという後輩君の想いを汲んだのに、どうしてそんな目をするんですか?」
会長が笑う。
だから怖いんですけど。瞳が笑ってないから。
それに、俺の真意をあっさりバラすのはいつぞやのお返しですよね? 先輩の好感度を上げたくなかったから敢えて黙っていたのに。……いや、この調子なら先輩にも筒抜けだったかな。
「あの子とは?」
「後輩君も知っている子ですよ」
「いや、そんな勿体ぶらずに」
「話は通しておきますので。さて、火燐。時間も押してきたので、そろそろ本当に行きますよ」
「待て。私はまだ認可していないのだが」
「分かりました分かりました。話は学園に向かいながら聞きますから」
「それは何の意味もないぞ?」
本当に時間が不味いのか、会長は先輩の言葉を適当にいなしつつ、強引に外へと連れ出していく。
なんだかんだ押し切られる先輩に少しだけ同情した。
◆
「おはようさんやなあ、先輩」
ダークブラウンの少女が柔らかい笑みを浮かべる。
会長達が出て行ってから、十数分程。鳴り響いたインターホンに呼ばれて扉を開ければ見知った後輩が居た。
「曽根崎?」
「他の誰に見えるん?」
「会長が貸すって……」
「うちの身柄はうちだけの物やないって事やで」
「……辛い事があったなら相談に乗るぞ?」
「うん? ああ。先輩は誤解してはるわ」
誤解? と思った時には既に曽根崎のフィンガースナップが炸裂する。
凄い既視感だ。
「呼んだか、砂良」
直後、何処からともなく現れるお爺さん。やっぱり妖怪だと思う。というか、執事然としてるのに会長達の傍に付いてないんだ。
……っと、この人、曽根崎の事を下の名前で呼んだか? ふむ。まさかね。
「正真正銘、うちのお爺ちゃんどすえ」
ですよねー。なんか目元とかちょっと似てると思ったんだよなあ。
「血の繋がりはないがな」
分かるわー。全然似てないもんなあ、二人。
「んふ。やっぱ先輩は良いなぁ。こんな理想的な反応、早々見ぃへんで」
「確かに。邪重様が目を掛ける一端を儂も理解したよ」
「…………」
くっそ。後輩にいい様に弄ばれている。悔しい。でも、デリケートな話かもしれないから聞き返せない。
「そない心配せんでも、先輩の思うとる様な大した事情やあらへんで」
「せやかて」
「なんで関西弁なん?」
ノリです。
「まあええや。えっと、うちと会長は従姉妹でな。うちが入学と同時にこっちで一人暮らししたいって家を飛び出してきたから、せめて頼りになる人の世話になれって話になったんよ」
「それで、お嬢様の執事である儂の庇護下に入る事になったという訳ですな」
庇護下て。
戦国時代でくらいしか聞いた事ないんだが。
確かに護って貰えそうな頼り甲斐のある雰囲気はしてますけど。
「じゃあ、会長が忙しい時に先輩の手伝いもした事がある感じ?」
「あー、それなんやけど……」
「……?」
急に歯切れが悪くなる曽根崎。
助っ人と言うからにはてっきり子守り経験者なのかと思ったけど、違うんだろうか。
「るみな、誰が来たのー?」
俺がいつまでも玄関から戻ってこないからか、業を煮やした朱音ちゃんが様子を見に来た。
そして、俺の腰の横合いからぴょこんと顔を出し、訪問客へ興味津々と視線を向けて、
「おはようさん、朱音ちゃん」
微笑みながら挨拶する曽根崎を前に固まること数秒。
「……ぴ」
「ぴ?」
「ぴゃぁぁぁぁっ!」
不明瞭な半濁音に俺が首を傾げた瞬間、朱音ちゃんは悲鳴をあげながら脱兎のごとく逃げていった。
「なんか知らんけど、うち子供に好かれんのよ」
「ええ……」
尋常ではない悲鳴だったんだけど……。
でも、曽根崎に心当たりはないみたいで、頬に片手添えながら、困り果てた様に眉を下げていた。
「だから戦力としては数えんといて欲しいわ。ほんま堪忍な」
なんでこれを寄越した、会長。
「で、でもな! 遠くから見守るくらいは出来るから、お花摘みとかで二人から離れる時とかは安心して行けるで?」
不審者かな?
一歩間違えたらストーカーじゃん。
ま、まあそれでも? 何かしらで力になろうとする曽根崎の気持ちは有り難いし、俺一人だと不安を感じていたのも事実。
「海鷹様。お二人の警護には儂もご助力致しますので、心置きなく桐原様を応援して頂ければと」
「…………」
「何か?」
「爺やさんは怖がられないんですか?」
「ははっ。何を仰るかと思えば。これでも儂は赤子の頃からお嬢様に仕える身。子供の扱いは心得ておりますよ」
人相が結構な厳つさですけど、ほんとでござるか?
横で不満げに頬を膨らませている曽根崎のが可愛げは圧勝なんよな。
「ただの亀の甲より年の功やん」
「何か言ったか?」
「うちも50年後くらいにはそれくらい出来るもん」
「それまでにお前を娶ってくれる奇特な貰い手が見つかれば良いがな」
「ん? んん? 喧嘩売っとる?」
「と、とりあえず、中に入って外出の準備しません?」
何か始まりそうだったので咄嗟のインターセプト。若干、手遅れ感が否めないけど。
だって、曽根崎の方は額に青筋浮かびかけてたからね。珍しい表情するんだなって一瞬だけ気を取られちゃったよ。
まったく。こんなんじゃ前途が思いやられるな。