火燐フラグ 2-3
「起きていますか、後輩君」
「寝てます」
しかして俺の願いが届いたのか、本当に何事もなく夜を迎えた。
いや、朱音ちゃんがまた皆で一緒にお風呂に入りたいと言いはしたのだが、前回の事もあって先輩が固辞。会長も面白がってはいたが、裸の付き合いまではハードルが高かったらしく、頬を薄らと染めながらやんわりと混浴を拒否した。
こうして俺の平穏は無事守られたのである。めでたしめでたし。
となれば、どれほど良かったでしょう。
「うふ。なら、そのまま聞き流して下さいな」
「そこは素直に諦めてください」
「いーえ。折角の機会ですもの。それにこれは私の独り言。誰に請われたとしても、紡がれる言の葉を止められはしませんわ」
ええ……。なんでこんな覚悟決めてるの、この人。
カリスマ発揮するとこ間違えてますよ?
「朱音ちゃん達が起きない程度の音量でお願いしますね……」
俺にくっ付いて安らかな寝息をたてている朱音ちゃんを一瞥。
首を会長と逆の方に動かすと紅ちゃんと眠る先輩の姿も見える。──手を伸ばせば簡単に届く距離で。
そう。まさかの男女同室で横並び就寝である。簡単に言えば川の字。しかも、何故か俺が真ん中。どうしてこうなった。これだと、下手な寝返りを打つと意図せぬ身体的接触が生じてしまうでしょうがぁ!
後、寝室は当然のごとく先輩達が日常的に寝床として使用しているので、明らかに男物じゃない香りが漂っている。朱音ちゃんにしがみつかれているのもあるが、場違いすぎるし色んな意味でドキドキするしで簡単に眠れない。
「そうやって、なんだかんだと付き合ってくれる後輩君が好きですよ」
「……っ」
そこにドストレートな追撃。会長の方を向いてなくて良かった。そうでなければ、確実に動揺したのがバレていたと思う。
「照れた時は右手を上げてくださる?」
歯医者かな?
それはそれとして、俺の狼狽はあっさりとバレていた。
ああ。そういえば、心を読んでくるタイプの人でしたね。……顔を合わせてなくても読心してくるとか、最早エスパーじゃん。覇気とかお持ちだったりします?
「それはさておき、後輩君。火燐の為とは言え、私達の我儘を聞いてくださり有難う御座います」
驚いた。
こんな改まってお礼を言われるなんて思ってなかった。
「普段はスケジュールを完璧に調整しているので、先週みたいな事は絶対に起きないんですけど、突然外せない用事が出来てしまいまして」
すげえ、この会長。生徒会の雑務や財閥関連の業務で忙しい身だろうに絶対と言い切ったよ。どれだけ完璧なスケジュール管理をしてるんだ。
それ程までに桐原先輩が大切なんだな。
「後輩君にお願いした時、ああ見えて私、かなり余裕がなかったんですのよ?」
へえ、そうだったのか。ひたすら揶揄われた後に押し切られた記憶しかないけど。
そう言えばこの人、鍵を閉め忘れていたっけ。あれは純粋に失念していたのか。鍵の場所を知らない俺への嫌がらせかと思った。戸締りにちょっと時間掛かっちゃったからな。
「所用は回避不可能。でも、火燐の事を想うなら付き添いは必須。その現実に途方に暮れていた時、ふふ、どうしてでしょう。急に貴方の顔が思い浮かびました。頼りになる人は副会長を始め、他にも沢山居るのに」
んんんんん。イベントフラグぅぅぅ。俺から動かなくても勝手に進行するんじゃない。
ああ、主人公補正が憎い……! どうあっても世界は俺に誰かを攻略させようとする。
……ん? 待てよ? 会長の話を聞くに、この不自然に発生した不可避の用事って、もしかしなくても俺の特性のせいでは?
「……なんか、すみません」
「ふふっ。どうして後輩君が謝るんですか」
居た堪れないからです。
けれど、さすがの会長も俺が謝った理由までは分からないみたいで、愉快そうな声音が俺の耳朶を叩いた。
「ですから、ね。本当に感謝しています。それこそ、あの時に言った願いの一つや二つ、私の総力をあげて叶えてあげたいくらいに」
何故か叶う望みの数が一つ増えている。あまりにも自然な増加。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。
……しかしまあ、なんとも俺にとって都合良く進む物だ。この貸しを盾に会長に迫れば俺は彼女ともっと懇ろな関係を築けるだろう。
そうして、会長の力添えさえ手に入れてしまえば学園でのハーレム作りも楽になる事間違いなしで。
なるほど。考えれば考える程、この桐原先輩が主体のイベントが最優先で進むのは道理である。
「なので、何か困った事があったらいつでも仰ってください。それこそ、性欲処理でも構いません」
俺が構いますけど。死んじゃうので。
「後輩君が求めてくれるのであれば、私はいつでも準備は出来ていますので……んっ、ふっ……」
なんの?
いや。そもそも、ここで迫る事はないよ?
なんで熱っぽい吐息出してんの? 風邪かな?
「後輩君と閨を共にしている。そう考えるだけで高まる物があります、ねっ……」
おやおや。こんな所に痴女が居ますよ。
会長には是非とも普段の楚々とした立ち振る舞いを思い出して欲しい。気を許した相手しか居ないからって、自分を曝け出しすぎだわ、この人。
「……おかしいですわね。私の事前情報だと、ここで後輩君が襲ってきてくれる筈なんですけど」
あのあの。俺、朱音ちゃんに結構しっかり抱きつかれたままなんですけど、見えておらずか? 見えておらずか……。
これを起こさずに引き剥がして会長の誘惑に乗るとか難易度が高すぎる。
それに何より、
「…………」
先輩からの突き刺さる様な視線が怖い。
俺が謝った辺りで目を開けた先輩──きっと最初から起きていた──は、何も言わずにじっと俺を見つめている。
俺との同衾に耳まで紅く染めて、早々に逃げるが如く布団へ潜り込んだ先輩ではあるのだが、俺と会長のやり取りが普段通り過ぎたからか、その紅蓮の瞳は何かしら物言いたげではあったが、静謐な光を湛えていた。
ええ。なんだろう。見た感じ怒っている訳ではなさそうだけど、如何せん室内が暗いから瞳の奥までは読み取れない。まあ、そんな技術もないんだけど!
あ。もしかして、俺と会長がどんなプレイをするのか気になるみたいな? 先輩ともあろう方が覗きみたいな? 実はムッツリなのか、先輩。
そう思っていると先輩の口が動く。ひぃっ、すみません。ナマ言いましたぁ!
しかし、待てど暮らせど先輩からの紛糾は飛んで来ずで。どうも、紅ちゃんと朱音ちゃんに配慮して口パクで済ませようという算段らしい。優しいお姉さんだ。
となれば遠慮なく、その柔らかそうな唇をガン見させて貰いましょう。ええと、なになに?
あ・あ・う・え・お?
うーん、今の状況を考えると……早く寝ろ、か?
恐らく間違ってはいないので、先輩に了承の意を込めた首肯を返す。
それを見た先輩はそのままゆっくりと目を閉じた。うん。さすが先輩。寝顔も端正である。まさに眠り姫だ。
「会長」
「その気になりましたか?」
「おやすみなさい」
「……ヘタレましたね?」
うるせえやい。
俺はうるさいくらいの胸の鼓動や煩悩を振り払う様に、無理矢理目を瞑った。




