風花フラグ 1-4
「厶。もうこんな時間デスか。少し早いデスが、授業を終わりマス。号令は他のクラスの迷惑になるのデ要りマセン」
ふと腕時計に視線を落としたエレちゃん先生が、自分で使っていた教材を纏めて教室を出ていく。
本人の親しみ易さと毎回余裕を持って授業を終えるソツのなさ。そりゃ人気になるのも頷ける。
「お昼、どこで食べる?」
「いつも通り、食堂で」
昼休みまでのちょっとしたモラトリアム。他所はまだ授業中な事もあって、騒ぎ出すようなクラスメイト達は居ないが空気は完全に弛緩していて。
思い思いに過ごす彼らは自分の世界に入ったり、前後や左右の友人達と喋り出す。
俺も俺で、水夏に背中をつつかれた事で彼女の方に振り返った。
もっとも、俺と水夏は心春さんの作った弁当があるので、わざわざ食堂に移動する必要はないのだが。
「いや、今日は先んじて買ってあるから食堂に行く必要はないぞ」
……おい? なんでこいつは当然のように席を立っている?
半眼で傍にやって来た隼を見上げると、彼は笑みを浮かべて肩を竦めた。
「おいおい。そんな熱烈な視線でオレを見るなよ。昂ってしまう」
なんだこいつ。
咄嗟に視線を逸らすと、その逸らした先で聖が額に手を当てて深々と溜め息を吐いていた。
こんな自由人と仲が良いとか、お互い苦労するな……。
「いつもは学食なのに珍しいね、谷町君」
「一世を風靡した存在の初登校となっちゃあ、居ても立っても居られないさ」
水夏に答える隼は一眼レフを片手に持っていた。
「いつものパパラッチか」
「ジャーナリズムと言って貰おうか!」
「うるせえよ、覗きブン屋。新聞部という事を隠れ蓑にやりたい放題してるだけのくせに」
「手厳しいな、親友。いつもオレの情報を利用するだけしといて、こう言う時だけ敵に回るのか?」
「俺が情報を教えてくれと頼んだ事があったか?」
「善意だよ、善意。必要そうな物を先に用意しておくオレからの真心だ」
「努力のベクトルを間違えてんだよな……」
「だが、風花嬢がちゃんと学生生活を送れているか、気にはなっているんだろう?」
「…………」
それはまあ、図星である。
気まずい雰囲気のまま学園に着いた後、風花ちゃんは水夏の同行も断って一人で職員室に向かっていった。
だから、俺は彼女のクラスも知らなければ、どういう風に過ごしているのかも知らない。気にならないと言えば嘘になるのは確かである。
まあ、ミーハーなクラスメイト達は早々に風花ちゃんの噂をしているし、休み時間とかに実物を見に行っているっぽいから、聞けば彼女のクラスもすぐに割れるとは思うのだが。
だとしても、隼には付き合えない。
「俺たちまで行ったら、風花ちゃんの気が休まらないだろ」
舌の根も乾かぬうちに風花ちゃんの様子を見に行くのは些か勝手が過ぎる。
それに、好意を踏み躙る事で得たヒロインとの距離感をこちらから詰める必要はない。
ぶっちゃけ、会いに行ったとしてどんな顔をしたら良いのか分からないんだよな。そんな強メンタルじゃないからね、俺。
「寧ろ、数少ない知り合いが居た方が心強いと思うが。立場上、風花嬢はそう簡単に心を許せる友人も作れまい」
「そうだよ、ルミ君。風花ちゃんのクラスに行こう?」
ただ、興味本位と好奇心が行動力に現れる隼と心根が優しい水夏は風花ちゃんの事がとても気になっているみたいで。
救いの目を聖に向けたものの、彼は彼で諦めた様に首を振っていた。何を話しているのかまでは彼も分かっていないだろうが、俺の訴える様な視線でだいたいの事は察したらしい。さすが親友。なんとかしてくれ。
「はあ。分かったよ」
多勢に無勢。軽い様子見くらいならそれ程影響もない筈と無理矢理自分を納得させて、タイミング良く響いたチャイムと同時に立ち上がる。
昼休みの間に自分の教室に戻ってくるかも分からないので念の為に弁当を持つ。そして、同じく席を立ってこちらに近づいてきた聖と合流した。
「そんな話をしてたんだ」
改めて事情を知った彼だが、風花ちゃんのクラスに行くこと自体は賛成らしく、益々孤軍となった俺は心中で溜め息を吐いたのだった。
◆
「……居ない?」
「既に移動した後みたいだね」
風花ちゃんの教室に彼女の姿はなかった。道理で野次馬も少ない訳だ。
大方、俺たちと同じで目当ての人物に会えないと知るや、大人しく退いたのだろう。
「一人で?」
「いや、風花嬢を含めて二人らしい」
隼が手元にあるメモ──新聞部の一員から受け取った物を見ながら言う。
こいつ、自分の手足のように部の連中を使うじゃん……。部長でもないのに。いや、部長でも駄目だけど。
「風花ちゃん、すぐに友達が出来たんだ。良かったぁ」
「武藤さんの気掛かりが一つ晴れた所で、ボク達はどうしようか?」
「探すか? なに、風花嬢はどこに居ても目立つから手間は掛からん」
「探すのお前じゃないじゃん……」
スマホを凄まじい勢いで叩く隼を手で制する。部員達への無茶振りはやめてもろて。
それに、登校初日に友人が出来たのであれば、折角の機会を邪魔する事はない。お節介も度が過ぎれば迷惑でしかないしな。小さな気遣い大きなお世話って奴さ。
別に会えなくて良かったとか思ってないよ。ほんとだよ。
「……あの人が」
「そうそう。例の……」
「ん?」
誰に対してか分からない言い訳をしていると注目を浴びている事に気付く。
教室の中から廊下に居る俺たちへ窺うような視線が幾つも向けられていた。
「下級生クラスの前に四人で立ってたら、そうなるか」
目立つもんな上級生。その気持ちはとてもよく分かる。
「いや」
「ルミ君を見ているみたいだよ?」
「なんですと?」
え? 選りにもよって俺?
この中で一番目立たないと自負しているのに?
「“まあちゃんねる”を見ていないのか?」
「まあちゃんねる」
隼の問い掛けをそのまま繰り返す。
確か聖まあち学園が運営する匿名掲示板だったか。毎日多彩な人が各々語りたい事をスレッドという物を立てて好き勝手に述べる言わばチラシ裏の落書き帳。
真剣な相談事も時にはあるが、基本的には取り留めのない話題ばかりだったので、転生初日にざっと目を通したものの今の今まで完全に忘れていた。
思い出しついでにこの掲示板なのだが、匿名故の自由性を謳いながら、その実ネットの拡散力や影響を身をもって知って貰い、無用な炎上を回避する目論見もあるらしい。実際、転生前の世界では武勇伝目的がバカがネットに業務妨害、もしくは犯罪動画をあげて燃えまくってたからなあ。
故に、一体どう言った仕組みなのか、この掲示板を使用出来るのは聖まあち学園の生徒もしくは卒業生、そして教師のみである。面倒なログインやパスワードは必要ないものの、学園が個人のアドレスを管理しているのか、誹謗中傷やネットマナーを著しく侵害する事を書き込めば、秘密裏に処分を受けるとも聞いた。
そんなまあちゃんねるが一体どうしたと言うのだろうか。
「あったあった。これの事だよね」
聖が自分のスマホを弄ってから俺に見せてくれる。
えーと、なになに……。
「【悲報】風花ちゃんに特定のお兄ちゃん現る【叫喚】!」
なんだろう。嫌な予感しかしない。
俺がスレッド名を読み上げた所で、聖が軽く下へスクロール。
そこには加工こそされて顔が判別出来ないものの、俺と水夏、そして風花ちゃんが写っている画像が幾つか載っていた。
「わわっ、いつ撮られたんだろう。変な顔してなければ良いけど……」
水夏さんや? 気にするのはそこじゃないよ?
というか、盗撮だからね? 怒ってもいいんだよ?
「朝に立ったばかりのスレッドだけど、今一番勢いがあるね。ほら、言った傍から」
リアルタイムでスレッド内の数字が増える。
どうやら誰かが書き込んだらしい。内容はその件のお兄ちゃんが教室の前に居るという物だった。
おいぃ? 書いた奴、この中に居るじゃねえか。
「さすがに居心地が悪いな」
「当ても外れたし移動しようか」
見世物になっているみたいで少しばかり気分が悪い。
それに、こんな風に噂されてしまうとただでさえ芸能人という色眼鏡のせいで気苦労が絶えなさそうな風花ちゃんの負担にもなる。
「……まあ、俺にとっては都合が良いか」
ほとぼりが冷めるまではと、距離を取る為の明確な理由になるからな。
「ルミ君? 何か言った?」
「いいや。なんでもないよ」
首を傾げる水夏に軽く返して。
俺たちは食堂へ向かうためにその場から離れた。




