火燐フラグ 1-4
「はい、流すから目をギュッと瞑って」
「あぃ」
紅ちゃんが大人しく目を強く瞑る。聞き分けが良くてとても助かる。
スマホで二歳児とのお風呂で調べたのだが、どうやら二歳の子供はイヤイヤ期というなんでもかんでも反発する時期になりがちらしい。
だから、紅ちゃんもその例に漏れずで、きっと一筋縄ではいかない彼女にもっと苦労すると思っていたのだが、紅ちゃんは先輩や朱音ちゃんと違って驚く程にとても大人しい。俺のやる事なす事に全幅の信頼を置いてくれている気がする。
世の二歳児が紅ちゃんみたいな感じなら、子育ても気持ち楽になるだろうなと思いながら、俺はぬるめのシャワーを彼女の頭頂部に当てた。
「熱くない?」
「だぃじょぶ」
「るみな、かほご」
先に髪と身体を洗い終えた朱音ちゃんが浴槽の淵に腕を置き、そこに頬を乗せて呆れた様に言う。
多分、膝立ちだな、あれ。先輩の家のお風呂、大人三人くらいならゆっくり浸かれそうな位に広いし。なんで他は質素なのに浴場だけ豪華なんだろう。不思議。
「初めてだから、おっかなびっくりなんだよ」
「あたしの時はあっさりだったのに!」
自分で洗えるのに甘えてきたから、適当にやったのを恨んでいるらしい。
子供特有のぷにぷに感がね……色々と宜しくなくてね……。朱音ちゃんに欲情する事はなくとも、俺のきかん坊はちょっとの刺激ですぐ反応しちゃうから。
伊達に女日照りが続いた童貞じゃない。なんて、自慢にもならないね、うん。
「そういうのはパパにしような」
「パパとママはいつも疲れてるから、言いにくいの」
「俺がいつまでも面倒見てやるからな!」
「じゃあ、あしたも遊ぼうね!」
「……これが、ハニートラップ?」
不憫すぎて反射的に答えたら言質を取られた。この年で人を転がすとか女豹の才能あるよ。
「やー、りぃなっ!」
「やっべ、忘れてた」
既に泡は落ち切っているのにずっとシャワーを当てていた為、紅ちゃんから抗議の声があがる。
慌ててシャワーを止めて、紅ちゃんの髪から水分を軽く飛ばす。身体は……先輩に任せよう。力加減が分からなくて怖い。
それに、既にいっぱいいっぱいで、調べた内容も殆ど頭から抜け落ちている。生兵法で続ける事は、とてもじゃないが俺には出来ない。
「よし。お湯に浸かるか」
「うん」
「……タオル、とらないの?」
紅ちゃんを抱えて立ち上がる。そのまま慎重に湯船の中へ移動する俺を朱音ちゃんが見上げて首を傾げた。
「先輩が来るから……」
「マナーいはんだよ?」
「え? 個人の風呂なのに?」
「マナーいはん! マナーいはん!」
鬼の首を取ったように連呼する朱音ちゃん。
誰だ。温泉のタオルマナーをこの子に教えたのは。お陰様でまたピンチだよ。
……いや、待て。朱音ちゃんは悪意を持ってこんな事を言う子じゃない。恐らくタオルを着けたまま、湯に浸かるのは良くない事だと教えられているだけ。
じゃあ、それを教えたのは誰かと言うと、心当たりなんて──
「海鷹、入るぞ」
「え? あ、はい!」
咄嗟にお湯に沈む。まるで急流滑りをした時みたいに上がる飛沫を朱音ちゃんはモロに食らい、盛大に頭を振る。犬かな? 一方で紅ちゃんは無邪気に喜んでいた。
「……何をしている?」
「いえ……ちょっと、はしゃいでしまって……」
悪いと思いつつ、誘惑に負けて視線を先輩に向ける。
ああは言ったものの、先輩が俺と混浴する覚悟を要するのにそこそこの時間が掛かっている。服を脱いだ後で扉に手を伸ばしては引っ込めてをずっと繰り返していたし。磨りガラスだからこっち側から丸見えだったんだよな……。
だからこそ、平常の口調ではあっても、その顔は真っ赤で。今にも湯気を吹きそうなくらいで逆に心配になる。
そんな彼女は小さなタオルで身体を必要最低限だけ隠していて。だが、スラリと伸びた手足は当然のように白日のもと。白魚の様に綺麗なそれは、先輩のスタイルの良さを際立たせていた。
「あ、あまりじっと見つめるな……。私とて恥ずかしいんだぞ」
「す、すみません!」
「それにこう筋肉質では、海鷹の目の保養にもならないだろ? ほら、いつもお前と一緒に居る女子や邪重の方が色々とな」
慌てて目を逸らした俺に先輩が自嘲気味に言う。
確かに水夏や会長と比べたら先輩は胸がかなり小振りである。日々の運動量が運動量だし、脂肪より筋肉がついている感じだ。……水夏も運動部なのに、なんであんなに胸が育ったんだろうね。よく食べるからか?
「先輩、それは違いますよ」
「ん……?」
しかして、勘違いは正しておこう。
おっぱいに貴賎なんて物はない。大は小を兼ねるだとか過ぎたるは及ばざるが如しだとか、そんな事どうでも良い。大きかろうが小さかろうがおっぱいはおっぱいだ。
それこそ、人に個性がある様に。おっぱいも人それぞれ特徴がある。だから、他者との違いを気にする必要はないと俺は考える。
それに大きいと肩が凝るって言うしな。匍匐前進も胸がない方が速いよ、多分。
「先輩の身体は十分魅力的です。さっきずっと見てしまったのは、目を離せなかったからです」
「なっ……!?」
「おー、るみな、言うねー」
裸の付き合いOKの時点で嫌われる行動を取る事は難しい。
ならば、素直に思ったことを伝えておこうと俺は真っ直ぐ先輩を見据える。少々どころか心臓は早鐘を打つくらい緊張したし、顔も風呂関係なく熱い。
けれど、どうせ今日みたいな深い絡み方をする日なんて、これから金輪際訪れる事はないだろうから良いんだ。
来週からはまた会長が先輩に付き合うだろうし、俺の出番はここで終わり。後は上がった好感度が無に帰すくらい先輩を避けたら全て解決だ。
なんと言う完璧な作戦。我ながらこの桃色の頭が恐ろしいよ。
出来るかどうかはともかくな!
「っ、お前の想いはよく分かったから、あっちを向いていろ!」
「お、仰せのままに!」
耳まで真っ赤に染めた先輩が俺に背中を向けてバスチェアに座る。
俺も俺でいたたまれなさと恥ずかしさを感じて、顔を明後日の方向へ。先輩が出したシャワーの流れる音が静寂に包まれた浴室で反響した。
「「…………」」
気まずい沈黙の中、先輩が髪を洗う気配を感じる。
逸る心臓を落ち着けようと無駄にモジモジしている俺。それを紅ちゃんが腕の中から不思議そうな表情で見上げ、朱音ちゃんは一点を見つめて両手をワキワキと動かしていた。……ん?
「すきありぃ!」
「──は? ……Nooooooo!!?」
それは目にも止まらぬ早業。虎視眈々と狙っていたのだろう。まるでテーブルクロス引きの達人の如く、朱音ちゃんは俺の腰に巻いてあるタオルを簒奪していく。
恐ろしく早い手癖。俺じゃなきゃ見逃しちゃうね。まあ、見えてても反応出来なかったんですけど。
いや別に本気じゃないだけだから。ほら、紅ちゃんで両手塞がってるし?
「朱音ちゃん!?」
「ふっふっふっ。マナーをまもらないから、てんちゅーなんだよ」
俺から奪い取ったタオルを手の届かない淵に投げて、朱音ちゃんは勝ち誇る。年相応でとても可愛い。
しかし、しかしだ。この状況はマズい。幼女を含むとは言え、女性三人と同じ空間に居て同じ空気を吸っているというだけで、童貞は反応する。下半身に血が集まっていくのを感じる。
くっ、こうなっては奥の手を出すしかない。いざ、考えろ。母さんの事を!
説明しよう。古今東西、男は母親について想う事で性的欲求を鎮め、勃起を治める。そして、今、その力を借りる時。
「あらあら〜?」
……そう言えば、俺に肉親の記憶なんてなかった。母と聞いて思い浮かぶのは心春さんの事ばかり。
そして、水夏を家庭的にして母性を嵩増しさせた存在を考えるのは、この場において悪手。
俺の暴れん坊が水を得た魚の様に、天へと吼える。ままならないね、うん。
「わぁ、ひーくんとぜんぜんちがう」
朱音ちゃんが目を丸くして俺の愚息を眺める。
おいぃ? ひーくんとやらは無垢な朱音ちゃんに何をしてやがる? なんて羨ましい幼年期を送ってやがる?
俺の子供時代なんて……いや、やめておこう。誰も幸せにならない。
「フッ、朱音ちゃん。これが大人って奴さ」
「パパのともちがうよ?」
「どう違うのかな?」
「るみなのおち〇ちんのが大きい!」
「ぐふっ……!」
「りぃな、かお、へん」
紅ちゃんがペチペチと俺の顔を叩くのも気にならないくらい、今のは効いた。何も分かってない子に変な事を言わせるのは、こう、なんと言うか……下品なんですけど、癖になりそう。
「海鷹……?」
おっと、現在進行形で鬼神から死神にジョブチェンジしている人をすっかり忘れていたぞ。
恐る恐る視線を向けると、怖いくらい笑顔の先輩が居た。その頭上、浴室の天井に死兆星の錯覚が見える。
「辞世の句はあるか?」
「死にたくない」
「切実な気持ちで溢れていて、情緒豊かな良い句だな」
危険回避の為に、紅ちゃんを朱音ちゃんにそっと押し付けて、俺は先輩と距離を取るように浴槽の端まで下がる。
先輩は俺を攻撃しようと片足から順に湯船へと踏み込む。──タオルで前を隠しながら。
「お姉ちゃん」
「大丈夫だ、朱音。不埒者は今から排除してやるから」
「マナーいはん」
「……え?」
「タオルをつけたまま入るのはマナーいはんだって、お姉ちゃんが言ってたのに!」
冷静に考えて。
朱音ちゃんにそれを教えたのは誰か。
普通に考えれば、それは明白。何の捻りもなく、真っ当な結果。
「いや、朱音? これはだな、その……」
「マナーいはん! マナーいはん!」
そして先輩は、良かれと思って教えた温泉マナーに牙を剥かれた。
こうなってしまえば勢いは削がれる。先輩は所在なさげに立ちながらタオルを持つ手を震えさせる。
おっと? なんか流れがよくない方向に行ってないか?
「女は度胸女は度胸」
朱音ちゃんのマナー違反音頭の合間に何か聞こえる。ちなみに、度胸は男で、女は愛嬌です。坊主はお経って続くよ。
はい。現実逃避ですね。僕も現状、どうしたらいいのか分からないので。
「っ……!」
「ちょ……!?」
「んふー」
「わー」
息を呑む先輩。直後、持っていたタオルを中空へ放り投げる。
当然、露になる先輩の肢体。本人が気にしている小さなおっぱいとその先にある桃色の蕾は勿論の事、多少の処理をしているのか薄らと毛が生えた程度の下腹部まで一目瞭然に。
これはいけない。童貞には刺激が強すぎる。見ているだけでヤバい程興奮してくるし、ましてや触れる距離で一緒に肩まで仲良くお湯に浸かるとか、想像するだけで鼻血が出る。後、下の口からも間違いなく余計なものが出る。
それくらい先輩の身体は魅力的で。うん。限界だ。
「もう無理! 無理だ!」
「すみません、先に上がります!」
再び頬を真っ赤に染めながら湯船に身を沈める先輩と勢いよく立ち上がる俺が交差する。
言うまでも無い事だが、お互いに隠すものを持ってないので、結果的に先輩の眼前にお見苦しい物を突きつける形になった。
……おおう。なんとタイミングの悪い。
「き」
「き?」
俺の分身を眺めて固まる事数秒。目をグルグル回しながらも、先輩の口から声なき声が漏れる。
「きゃあぁぁぁぁぁっ!!!」
先輩の悲鳴、初めて聞いたかもしれないな。
眼前に迫る掬い上げる様なアッパーカット。これは甘んじて受けるべきだろう……なんて、他人事の様に眺めながら、俺はそう思った。
よし、風紀は乱れなかったな!




