火燐フラグ 1-3
「ご馳走様でした」
「でした!」
俺が手を合わせると朱音ちゃんが真似をする。微笑ましい。
「はい、お粗末様。悪いな、昨日の残り物で」
「いえ。それは全然。美味しかったですし」
夕餉として出てきたのはじっくりと煮込まれたポトフだった。紅ちゃんの事を考えて、入っている野菜は食べやすいように細かく刻まれ、味付けは薄め。
心春さんの料理に慣れてしまった為に濃さが少しばかり物足りないが、他所の家の料理というスパイスが働いて箸は止まらなかった。
しかも、気を遣ってくれた先輩が俺にポトフ唯一の肉成分であるソーセージを多めによそってくれたので、逆に申し訳なさで恐縮してしまう。
そんな先輩はと言うと紅ちゃんの口元にスプーンを運んでいて、先程から自分の食事には手をつけていなかった。
「……代わりましょうか?」
「うん? ああ、いや。いつもやっている事だから気にするな」
と言われても。
俺と朱音ちゃんは食べ終わって手持ち無沙汰。朱音ちゃんなんて既に俺へ遊んで構ってビームを目から出しているし。
この状況で、じゃあ帰りますとも言いにくい。また泣くでしょ、この子。
「何かお手伝い出来る事はあります?」
「おいおい。海鷹は一応は客人なんだ。そう窮屈そうにしないでくれ。帰ってから飯の準備が出来るまで、ずっと二人の相手をしてくれただけで十分だよ」
「りぃな!」
紅ちゃんが食事をしながら俺に手を伸ばす。
足を伸ばして四人も座れば余裕でぶつかるくらいの卓袱台。紅ちゃんの短い腕でも隣の俺には身を乗り出せば届く。
「こら! 行儀が悪いぞ!」
「はいはい、りぃなお兄ちゃんですよー。まだ帰らないですからねー」
叱責する先輩が大変そうなので、こちらから片腕を伸ばす。
紅ちゃんは俺の掌をその小さな手で掴むと満足げに笑った。……天使か?
「す、すまん海鷹……。よもや二人がここまで懐くのは私にも予想外だった」
そう。保育園に二人を迎えに行った時、職員の方々には怯えられたし、凄く胡散臭げに見られたのだが、彼女たちは一切の物怖じをせず、先輩の紹介に預かった俺の足下にすぐに寄ってきたのである。
俺の心の綺麗さが伝わったんだろうな。……嘘です。多分、モテモテハーレムの影響を受けただけです。どうも、モブには効かなくともヒロインに近しい人には効果があるらしい。
そうして四人仲良く帰宅して、さり気に女性の家にあがったの初めてでテンション上がりつつ、今に至る。
「るみな、遊ぼ! 遊ぼ!」
紅ちゃんに掴まれてない方の腕をぐいぐいと引っ張る朱音ちゃん。
この位の年齢の子は愛情表現がストレートで良い。空前絶後のモテ期が到来したみたいで気分も良い。思わず鼻歌が出そうだ。
「〜〜〜〜♪」
「下手なおうたは良いから遊ぼうよぉ」
この位の子供は歯に衣着せねぇからいけねえ……。
俺は決意した。言葉のナイフがどれだけ凶悪か、懇切丁寧に教えねばならぬと。
俺には躾が分からぬ。だが、悪いこととボケに関しては人一倍敏感であった。
「いいかい、朱音ちゃん」
「うん……?」
「下手なんて言うと相手を傷つけるから、個性的だねって言ってあげた方が良いよ?」
「そうなの!? 分かった! これからそうするね!」
「いや、それはどうだろう……」
先輩のぼやきは聞こえなかった事にした。
だって、まだ個性がある方が救われそうじゃん。伸ばし方によっては成長できそうで。
「──まあ、遊ぶにしても先に風呂だ」
紅ちゃんがもう要らないと意志表示をした為に漸く自分の夕食に手をつけつつ、先輩が言う。
手馴れているのか、食事の速度は凄まじく。瞬く間に用意した分を食べ終えてしまった。
「お風呂ですか」
「入っておかないと遊び疲れて眠る可能性があるんだ。そんな訳で海鷹」
「はい。風呂掃除ですね。お任せください」
これでも一人暮らしの時、掃除だけは欠かさずやっていたんだ。いつでも女の子が自宅へ来てもいいように。
うん。まあ、無駄な努力だったんですけどね。泣いてないやい!
「違うが。どんなけ奴隷根性染み付いてんだ。二人を見といてくれって話だよ」
制服の腕まくりをして、食器を纏めながら立ち上がる先輩。
「えー、おふろ入らないとだめ?」
「綺麗にしとかないと海鷹に嫌われるぞ?」
「それはやだ!」
ヤバい。ちょっと嬉しい。
「あ! じゃあ、るみなも入ろうよ!」
「なんですと?」
どうしてそうなった?
見上げると先輩も固まっていた。大事な妹ですもんね。幾ら子供でも男と一緒はマズイですよね!
「それならおふろでも遊べるね!」
「いやそれはちょっと……」
「えー? やえは入ってくれるよ?」
「そりゃ会長は女性だから……」
「あ、そうか」
お、納得してくれたのかな?
「いつも四人で入ってるもんね! お姉ちゃんもいっしょだ!」
「おっと、状況が悪化したぞ?」
会長、いつも先輩達とお風呂入ってんだ……。貴女のせいで俺は史上稀に見るピンチなんですけど、どうしてくれんだ。
「ね、ね? お姉ちゃん、いいよね?」
これはもう先輩が毅然とした態度で断るしかなくなったか。
だが、心配は要らない。幾ら妹の頼み事でも、風紀委員である先輩が男と風呂に入るなんて有り得ない。
「……仕方ないな」
そうそう。仕方ない仕方ない。……あれ?
「先輩? 今、なんと?」
聞き間違いかな?
四人で風呂に入る事を肯定した気がするけど。
「海鷹」
「はい」
「風呂の掃除をして湯を溜めてくるから、二人の相手を頼む」
「はい……ハイ!?」
声が裏返る。
なんでこうもイベントが立て続けに起きちゃうの!
視線の先で表情に朱がさした先輩が、あらぬ方を見ながら口を開く。
「二人ずつ入るより四人で入る方が色々と無駄が省けるし、恐らく朱音だけじゃなく紅もお前と一緒じゃなきゃ機嫌が悪くなる」
それは、どこかとってつけた様な理由。ならば、最後の手段として先輩以外の三人で入れば良いのではという疑問が一瞬だけ浮かぶが、すぐに振り払う。
恐らくだが俺は風呂に浸かりながら二人の面倒は見切れない。
幼子と風呂に入るとか、そんな経験が前世含めてあろうはずも無く。特に二歳児と風呂なんて未知の体験がすぎる。
だから、先輩の助力は仕方ないと。風呂は気持ちの良い物だが、水を扱う以上、一歩間違えれば惨事になるのだから。
「あの、先輩」
「着替えなら邪重の奴を使ってくれ。男が着ても違和感ないやつがどこかにあった筈だ」
会長!
なんで私物を先輩の家に持ち込んでるんですか! 半ば住み込みじゃねえか! ……じゃなくて!
「一応、ご両親の帰宅前には帰りたいんですけど」
気まずいから。大事な娘さん達の相手をこんな得体もしれない男がしているなんて知られたら、きっと気が気でないだろう。
と言うか、先に言っておかないと気づけば泊まる羽目になってそうだし。
「話は通しているし、鉢合わせても問題ないぞ?」
「えっ……?」
報連相が完璧か?
風紀委員長って凄いんだな……。
「度々話題に出していたからか、後輩君に宜しくとも言われている」
外堀!
なんでこの世界の親は物分かりが良い人が多いんだ!
「えっと……本当に良いんですか?」
「武士に二言はない」
やだ、カッコイイ……。
先輩、武士じゃないし、どこかやけっぱちにも聞こえるけど。
「それとも、海鷹は私と入るのは嫌か? ……確かに女らしくない身体付きだから、見ても楽しくはないと思うが」
「? その引き締まった身体は日々の鍛錬の賜物でしょう? 何を恥じる必要があるんですか?」
「っ……! お前! お前お前お前! そういう所だそ、ほんとに! このバカッ!」
先程よりも真っ赤になった先輩が逃げる様に台所へ消えていく。
思った事をそのまま言っただけなのに、なんで罵倒されたんだ……。
「るみなって、たらし?」
「朱音ちゃんはその言葉をどこで覚えたのかな?」
どうせ会長だろ。やっぱり子供の教育に悪いよ、あの人。
「きゃっきゃっ」
「紅ちゃんはいつも楽しそうだなあ」
なし崩し的に四人で風呂に入る事になって、俺は溜め息を吐いた。