火燐フラグ 1-1
「るいな」
「惜しい! ルミナだルミナ。る・み・な」
「りぃなっ!」
「女性の名前になっちゃったな!」
笑う俺に釣られたのか、女児とも呼べる年齢の子供がきゃっきゃっと笑う。
多分、意味は分かってないと思うけど、場の雰囲気で楽しくなったんだろう。この空気の読める振る舞い、将来は大物になりそうだ。
しかし、子供ってのはどうしてこう可愛いんだろうな。破顔する紅ちゃんを見ているだけで癒される。
「るみな! 見て見て!」
使い古された卓袱台の上で、一生懸命折り紙を折っていた赤毛の少女が完成品を手に俺に近づく。
「お、朱音ちゃんは何を作ってたのかな?」
「ペガサス!」
「え? 折り紙だよね?」
「うん!」
「……え? うわほんとにペガサスだすげぇ! どうなってんのこれ!?」
その手には精巧に折られ、今にも羽ばたきそうなペガサスがあった。
マジじゃん。羽と胴体と下半身が全部色違いで奇抜な見た目だけど、歴としたペガサスじゃん。
いやなんか複雑な工程踏みまくっているなと思ってはいたんよ。作れるんだ、折り紙でペガサス……。
思わず目を輝かした俺に朱音ちゃんは得意げに胸を反らす。うむ。幼子特有の寸胴ボディが逆にいいね。
「んふー。しりたい? しりたい?」
「知りたくないと言えば嘘になる」
「せいじかみたいなこたえはやめて」
「……ごめんなさい」
真顔で諭された。こんな年齢からしっかりしているなんて、親の躾や姉の影響も大きいんだろうな。この子も将来大物になりそう。
「あーあ。せっかくるみなにあげようと思っていたのになー」
「そ、そんな! どうかご寛恕を! 私めに朱音様のご慈悲を賜わりください」
「なに言ってるのかわかんない」
でも、こういう所はちゃんと子供で安心する。
最早可愛げしか感じない。俺も歳の離れた妹か弟、欲しかったな。
「作り方を教えてください」
「さいしょからそう言えばいいんだよー」
「はい! 先生!」
「……遥か年下の子と対等に渡り合っているのは果たして良いことなのだろうか」
ふと声がする方に顔を向けると微妙な目付きをしていた桐原先輩が居た。
ふむ。そんなに今の俺は変だろうか。ええと、今の状況は……二歳児を胸の内に抱えて五歳児に頭を下げている感じかな。うん。そらこんな顔にもなるわ。
しかしまあ、先輩も先輩で制服にエプロンという中々にニッチな格好をしていて、これまた変に需要はありそうだな。言うまでもないとは思うけど俺は好きですね。
「あ、お姉ちゃん!」
「おねちゃ、おねちゃ」
「夕ご飯出来たから、お片付けしようか。二人の面倒を見て貰った礼だ。海鷹も食べていってくれ」
手早く卓袱台から折り紙を撤収。その後、濡れた布巾で表面を軽く拭き取った先輩は再び台所に引っ込みつつ、そんな事を言った。
「いやいや。そこまでお世話になるのは──」
申し訳ないという気持ちもあるが、先輩がヒロインであるならば、これ以上親交を深めるのは良くない。初志貫徹が一日足りとて成らずとか出オチが過ぎる。
ただでさえ、ご両親不在の家にお邪魔するというイベントが進んでしまっている。早々にお暇するに越したことはない。
「るみな、帰っちゃうの?」
「りぃな……」
「お、おう……」
けれど、俺の服の裾を掴んで見上げる瞳の無垢なこと無垢なこと。
我ながら保育の才能があるのでは? と勘違いする程度には短時間で懐かれてしまっている。まあ、男はやろうと思えば精神年齢だけを幼児化する事も出来るしな。
「やだやだ! まだあそびたい!」
「うぅ、ぐすっ……」
「ど、どうすれば。おろおろおろおろ」
「動揺をそのまま口に出してる奴、初めて見たな」
子供の感情の起伏はまるで山の天気。
泣いてしまった朱音ちゃんと紅ちゃんを前に、俺はただただ途方に暮れる。泣いている女の子のあやし方なんて学校で教えて貰ってないんですけど。義務教育で教えといてよ。
そんな俺を後目に二人の幼女を抱きしめる先輩。
「おー、よしよし。海鷹、妹達を泣かした責任、ちゃんと取ってくれるよな?」
「……はい」
それはズルい。勝てない。既に罪悪感で一杯なんだから、そう言われては断れない。
諦めの溜め息と共にスマホを取り出して、心春さんに連絡を取りながら思う。
……どうしてこうなったんだろうなあ、と。
◆
「今、なんと仰いましたか?」
土曜は半日授業だから余裕。そう思っていた時期が俺にもありました。
帰る前にエレちゃん先生からの各種伝達事項、言ってしまえば二分程度のホームルームを終えて放課後。
さて、帰ろうかと馴染みの者に声を掛けつつ腰を上げた瞬間、見計らった様に響いたチャイムと人の呼び出しを告げる放送。
その結果、俺は何故か一人で生徒会室へ足を運ぶ流れとなり、豪奢な椅子に腰掛けた生徒会長と対面している。
「せっかくの二人きりなんですから、他人行儀なのはやめましょう? ね?」
この人も話を聞かないタイプですか?
会議の時は進行含めて完璧だったのに。さては猫を被っていたな?
「一から説明して貰っても? 矢車想会長」
「邪重って呼んでくださる?」
おかしいな? 俺はキャッチボールがしたいのにサッカーボールが顔面に飛んで来てるぞ?
というか、隼の情報によると、この人確か婚約者居るんだよな。良いの、これ? 異性と密室に二人とか、不貞行為を疑われても言い逃れ出来なくない?
これも俺の願望の影響ですか? 影響ですよね。ごめん、婚約者くん……。
「どうして俺が桐原先輩と帰らなければいけないんですか?」
「…………」
話が進まないので強引に続ける。
すると、会長は何故か膨れっ面をしていた。
「矢車想会長?」
「…………」
「……邪重会長?」
「それにはちゃんとした理由があります」
うわ、めっちゃにこやかな顔になった。
……たった今、俺が抱いた気持ちを端的に表しなさいという国語の問題がここにあったら、正答率は九割を突破すると思う。
はい、せーの。めんどくせえ女!
「私の事、面倒臭くて重たい女だと思いました?」
「いえ、全然」
自覚があるのかな?
それと、当然のように心を読んでくるじゃん。それとも俺が分かりやすいだけなのか?
「勘違いしないでください。一途なだけです」
「あ、はい」
こういう人が無自覚ストーカーになるんだろうなあ。
後、重たいとまでは思ってませんよ。
「それはともかく」
「…………」
脱線させまくっていたのはこの人なのに。だが、突っ込むだけ野暮という物。さっきから微塵も話が進んでないし。
生徒会室へ来てから五分も経ってないと思うけど、さっさと所用とやらを終わらせて欲しいんだよな。
「いつも火燐に付き合うのは私の役目なんですが、今日は外せない用事がありまして」
「それで、どうして俺に話を?」
「クラス委員ですから」
俺の知らない間にクラス委員は便利屋になったらしい。
「どうして俺に話を?」
「クラス委員ですからね」
理解が追いつかないので、もう一度聞いたのに意味がなかった。
ゲームでよくある同じ事しか喋らないモブかな?
「クラス委員なら他にも居ますし、それこそ先輩と同じ学年の方、そうでないなら俺よりも同性の愛園さんの方が良いのでは?」
「これは火燐にとってあまり吹聴されたくない事なので、信頼出来る人にしか頼めないのですよね」
「俺は信頼出来ると?」
「ええ。火燐が心を開いているのは後輩君と私くらいなものです」
なんという特別待遇。なら、桐原先輩もヒロインじゃねえか。
となると、この話は是が非でも断らねばいけなくなった。
「邪重会長はともかく、俺は目をつけられているの間違いでは」
「それが火燐の愛情表現ですよ。ふふっ、可愛いですね」
愛情……? どこに?
どうやら、俺のレベルが足りないのか、桐原先輩から愛を感じ取れない。
「愛の鞭も一種の愛でしょう?」
「受け手次第ではただの暴力なんだよなあ……」
「これ以上、鞭で叩かれたくなければ……分かりますよね?」
「あれ? 愛要素がなくなって単なる脅迫になったぞ?」
しかも、桐原先輩の愛の鞭を勝手に振るってるし。横暴すぎる。
「はぁ。ここまで聞き分けが良くないとは思いませんでした」
「ブーメラン刺さってますよ」
「仕方ないので、後日、後輩君のお願いをなんでも一つ聞きましょう。それで手を打ちませんか?」
「…………うん?」
今、なんでも願いを聞くって?
いや、これだけで判断するのは早計だろう。どうせ、お約束的な出来る範囲でって奴ですよね?
「勿論、後輩君が望むなら、この身体を如何様にして貰っても構いませんよ?」
頬を赤らめながら腕を組み、自分の胸を強調する様に持ち上げる会長。
水夏よりも確実に質量のある巨峰が腕に埋もれる光景はなんと絶景な事か。
会長が見せつけてきてるのもあるけど、つい視線が釘付けになってしまう。俺の心に住むマロリーも思わず「それもまた、エベレスト」と訴える程だ。
「あふぅ、熱っぽい眼差し……。ちょっとイケない気分になりそうですね」
「エベレスト?」
「何がですか?」
「チョモランマ」
「何かの隠語ですか?」
「サガルマータ」
「えいっ!」
むぎゅっ、と俺の腕が柔らかな物に包まれる。視線を動かすとすぐ近くに会長が立っていた。──俺の腕をその豊満な胸に抱えて。
「はわっ!? はわわわわわ!?」
ナンデ!?
さっきまで会長用の椅子に座っていた筈では!?
「あ、正気に戻りましたか? エベレストの別名を虚ろな目で並べてましたよ?」
なるほど。衝撃で少しトんでいたらしい。
へへっ。これだから童貞はいけねぇや。
「では、契約成立という事で宜しいですね?」
「え? あ、はい」
未だ混乱が残る頭で、よく分からないままに頷く。
そして、すぐに思い至る。
「え? ちょ、ちょっと待──」
「ふふ。ありがとうございます。それでは、火燐の事を宜しくお願いします」
ひらりと身を翻して悪戯っぽく笑う会長。完全にしてやられた俺の恨みがましい視線もなんのその。
「では、私もこれから用事があるので」とあっさりと生徒会室を出ていった。
「戸締りは……?」
置いていかれた俺のささやかな疑念が中空に溶けて消えた。