13
綺麗なお辞儀だった。
俺と水夏が呆気にとられている間に少女──風花ちゃんは身体を起こす。
それに倣って、トレードマークでもあるツインテールが中空に尾を描いた。
「……本物?」
固まる事数秒。漸く絞り出せた言葉はたったそれだけ。
それに反応して、猫目の少女が俺に視線をむける。
劇的な変化が起きた。
「えっ!? その目付きの悪さ……もしかして、ルミお兄ちゃん!? うわぁ、久し振りですっ!」
「おっと、これは驚いたね。ルミナの知り合いだったのか」
猫も斯くやと言わんばかりに、小さな身体をしなやかに滑らせて。
あっという間に接近しては眼前から俺を見上げる風花ちゃん。
まーた主人公特有の幼少期に出会いがあったやつか。ド〇クエⅤじゃん。というか、目付きで判断されるのやべえな。いやまあ、自分でも特徴的ではあると思うけど。伊達に殺人経験がある目付きと言われただけはある。うん。自慢にもならない。
ちなみに、勿論、風花ちゃんの事は記憶にございません。
「……ルミ君? 説明してくれるよね?」
うわぁ、水夏ってこんな冷たい声出せるんだ。
「と言われても……」
「覚えてなくても仕方ないと思います。お互いに小さかった頃に会ったきりですから」
風花ちゃんは今でも小さいけどな。
「それなのに、よく覚えてるな」
「それはもう、ねぇ? 言わなくても伝わりますよね?」
頬を朱に染めつつの流し目。明らかに好意的な瞳の色に、なるほどと納得する。例に漏れず、貴女もヒロインという事ですか。
俺が普通に主人公出来ていたら、こんな子にナニを突っ込む世界線もあった訳だ。……罪深いな。
思わず現実逃避をしかけていたが、ふと秀秋さんの言葉を思い出す。
「俺達と同じ学園の生徒……?」
どこからどう見ても小学生なのに?
ああ、閃いてしまった。飛び級だ。ゲームだとよくあるよね。……まさか、年上という可能性も。
しかしまあ、同じ学園に通っているのなら、噂の一つや二つありそうな物なんだが。
「はい! 今年入学した正真正銘の一年生です。立派な先輩達に少しでも追いつける様、勇往邁進していく次第です!」
新入生じゃねぇか。
……いや、それでも、入学式に出ていたのならもっと騒ぎが起きてた筈。となると、
「入学式には?」
「それが……色々とバタバタしていたせいで、準備が間に合わなくて……」
そういえば、俺が休んでいた日、ひっきりなしに引越し業者が隣の家に荷物を運んでたなと。
あの日が始業式で、入学式はその前日。この様子だと今日この時間になって、やっと腰を落ち着ける様になったと見える。
「ちょっとちょっと。勝手に人様の家に上がり込んだらいけないよ、風花」
「あ、お兄ちゃんの事、すっかり忘れてた」
「僕も忘れてたよ」
「え? なんで? 挨拶した時、風花と一緒に居たのに……?」
風花ちゃんを窘めながら、リビングに姿を現す新たな人物。
ボサボサのエメラルドグリーンの髪に、苦労が耐えないのか目頭付近に刻まれた小皺が印象的で、それに少しくたびれたスーツと手入れを怠ったせいか薄汚れて曇りがちな眼鏡が合わさって、お世辞にも覇気があるとは言えない男性。
速攻で秀秋さんの歓待を受けていて、ちょっと親近感を覚える。
「いやいや冗談だよ。引越しの挨拶に来ましたの次に出た二言目が、トイレ貸してくださいだった事に驚きすぎて記憶が飛んだとかそんな事はないからね?」
「うぅ、すみませんすみません……。緊張しぃなせいですぐにお腹が痛くなるんです……。挨拶とか本当に苦手で……」
哀れな。
しかし、そんな事情があるとは言え、挨拶を風花ちゃん一人に任せていない辺り、責任感と妹への愛情は持ち合わせているらしい。
「むぅ。だから挨拶回りくらい一人でやるって言ったのに」
「いやいや。いきなり芸能人が挨拶に来たら普通は驚くからね?」
「それで毎回トイレ借りる羽目になったらどうするの!」
ぷりぷりと怒る風花ちゃん。見た目の幼さもあって、とても可愛い。小動物みたい。
それはさておき、先程から気に掛かる事が一つ。
「テレビに出てる時とキャラが全然違うんですね?」
俺の想いを水夏が代弁する。
幼い頃に出会っているらしい俺はともかく、彼女は初対面。ちゃんと敬語を使っていて偉いと思った。
「あはっ。そうですね。アタシの素はこっちです。それとタメ口で良いですよ、アタシの方が年下ですから」
あっけらかんと笑う風花ちゃんに、テレビで見たような加虐性は全く感じない。
確かに常日頃からあのキャラだと、日常生活に色々と支障をきたしそうではある。
「さすがにメスガキのまま楽屋挨拶とかすると秒で爪弾きです。生き残るにはちゃんと礼節を重んじないと」
世知辛い。
だが、立派な心掛けである。水夏と心春さんが感嘆の息を漏らしているし。
「じゃあ、あれは演出だったのか」
「あれ……? ……ああ! そう言えば出演したバラエティの放送日って今日だっけ。ですです。ちゃんと打ち合わせしてます」
まあ、景品は欲しかったからバランスボールは本気で挑みましたけど、と付け加えたものの、司会者とのやり取りは台本があったらしい。
それでも、中々に際どかったとは思うが。
「うぅ。演出とは言え、スタジオで見ていた自分は気が気でなくて……」
「えー? でも、アタシは褒められたよ? 思わず分からせたくなる素敵な演技だったって」
それは褒められているのか? 分からん。俺は芸能界には疎いんだ。
お兄さん──改めて颯斗と名乗った──が、当時の現場を思い出したのか、胃のあたりを手で抑えながら顰めっ面を浮かべている。
間違いなく苦労性だわ、この人……。
「あ。ルミお兄ちゃんが見たいって言うなら、今この場で演じるのも吝かじゃないですよ?」
ふむ。吝かじゃないらしい。
水夏が見たいなら、俺としても吝かじゃないのだが。
「ルミ君の好きにすれば?」
「うん。今日は遠慮しておこうかな」
反射的にNOと答える。良かった。俺が断れる人間で。
だから、水夏さん? 圧を出すのをやめて頂けると助かるのですが……。
「ところで、お二人はもう食事を?」
「いえ。まだ近所の挨拶をしている途中ですし、家の片付けとかもありまして」
そんな俺たちに構わず、心春さんがマイペースに問うと颯斗さんはハンカチで額を拭いながら答える。
どうも、まだ続く挨拶回りを想像して冷や汗をかいているらしい。本当に大丈夫なんだろうか。もうトイレから一生出れないんじゃないかな。
「それなら、お近づきの印にご一緒しませんか?」
「えっ!? いやいや、そんな恐れ多い……!」
「あらあら。遠慮しなくても。ね、秀秋さん?」
「そうだね。僕としても娘と仲良くしてくれる子が増えるのは嬉しいし、何より──」
……なるほど。
水泳部やクラスメイトに友人が居るとは言え、水夏が絡む相手は基本的に俺。そして、俺はいつもの二人と一緒に居ることが多い為、必然的に普段の水夏の周囲に同性の影はない。
だからこそ、家が隣で人間性もまともな後輩女子の出現は秀秋さんにとって喜ばしい事で。言ってしまえば、ここで恩を売る事は彼にとってもプラスになる。
そんな秀秋さんの打算が垣間見えた。
「はい、風花ちゃん、あーん」
「あーん」
「水夏はもう打ち解けているみたいだからね」
「んんーっ! 美味しいぃっ!」
「風花ぁ!?」
魚のほぐし身を水夏手ずから食べさせて貰い、頬に手を添えながら満面の笑みを浮かべる風花ちゃん。
これはもう落ちたな。
「あの風花ちゃんと間接キス……」
さっきまでの俺に対する迫力はどこへやら。箸を眺めながら呟く水夏。心做しか少し興奮しているように見える。
こっちも落ちたな。
「それで、どうします?」
俺と同じく二人の様子を見守っていた心春さんが微笑む。
ややあって颯斗さんから諦観の溜め息が聞こえた。
「……ご相伴に預かります。ほんとすみません。それと、ありがとうございます」
「いえいえー。では、用意するのでお掛けになって待っていてくださいな」
そう言ってキッチンに引っ込む心春さんを見送ってから、俺も再び椅子に腰掛ける。
秀秋さんの案内で水夏の隣に風花ちゃん、俺の隣に颯斗さんが座った。
「ファンなのか?」
「うん。グッズも幾つか持ってるよ」
「え!? 本当ですか!? ありがとうございます!」
……本当にテレビとキャラが違いすぎる。
こっちはこっちで人気が出たろうに。しかし、水夏は風花ちゃんのファンだったのか。記憶を辿っても、そんな素振り微塵も感じなかったんだが。
「……知らなかった」
「ルミ君、芸能人に興味ないから話に出しても面白くないかなって」
配慮の塊じゃん。
水夏に自慢話は金輪際しないようにしよう。
いやでも水夏ならどんな詰まらない話でも真剣に聞いてくれそう……。これが無意識のモラハラか……。
「アタシ、キャラがキャラなので同性のファンってあまり居なくて……」
それはそう。
風花ちゃんの一挙一動に反応していたスタジオの歓声も荒々しかったし。山賊のアジトかと思ったもん。
「なので、水夏先輩がファンだって言ってくれたのは自信になります!」
鼻息荒く握り拳を作る風花ちゃん。ところで、水夏はいつの間に自己紹介したんだ。推しに認知されるとか、ファンにとって至上の喜びだろうし、抜け目ねえな。
「そうかな? 探せばまだまだ見つかりそうだけど」
「いえ! 同性のファンが居る事も分かりましたし、これからは新規獲得ですよ!」
「けれど、学園生活と芸能活動の両立は難しいんじゃないかな?」
秀秋さんの疑問は尤も。せっかく入学しても芸能活動によって欠席がちになるのなら、ファンを増やす事は元より学園に馴染む事も厳しい。
「ああ。それならご心配なく」
答えの口火は颯斗さんから。
続けて風花ちゃんも口を開く。
「アタシ、暫くの間、芸能活動を休止するので」
「「…………え?」」
水夏と間抜けな声がハモった。