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Q.いつからエロくなるの?
A.暫く先
「酷い目に遭った」
「それはほんにお疲れ様ですなあ」
テーブルに置かれたカップを傾けて、中身を口に運ぶ。
うーん。良い香り。やっぱり、コーヒーは挽きたてが美味しいね。
先程受けた精神的苦痛が和らいでいくよ。
「よしよし。先輩はたんと頑張りなはった。偉い偉い」
「へへっ、よせやい」
小さな手で俺の頭を一生懸命撫でるこの子は曽根崎 砂良。
ダークブラウンの髪をセミロングに。前髪は目に掛かる寸前に切り揃えられたおかっぱスタイル。ぶっちゃけた話、それといって個性があるとは言い難い。
だがしかし、いざ接してみると、その京言葉が混じった独特な言葉使いと謎の包容力が癖になって、そんな印象吹き飛んでしまう恐るべき後輩。
どうも、あまり他人と関わるのが好きじゃないらしく、こうやって図書委員をしながら静かに本を読むのが気楽で良いと言っていた。
──そう。図書委員をしながら。
「飲食厳禁んんんっ!!!」
「先輩? 図書室ではお静かに、やで?」
めっ、と軽く俺を叱る曽根崎。可愛い。……じゃなくて、だ。
なんでコーヒー出してんだ。ナチュラルに出てきたから不思議に思う前に飲んじゃったよ。
しかも、豆から挽いてたよね? え? まさかのコーヒーミル持ち込み?
風紀委員長! 仕事のお時間ですよ。
「……火気も厳禁では?」
「嫌やわぁ、先輩。時代はオール電化や。ガスコンロは最早時代遅れの長物なんよ」
ガスコンロに何か恨みでもあるのかな?
それに、電気が使えないアウトドアではまだまだ現役だよ? あまり舐めないで貰いたいね。
まあ、ネットの受け売りだからよく知らないけど。俺はインドア派だから。
「それに、ここにある本は大体が電子書籍化しとるし、燃えても問題あらへん」
さすがに燃えたら大問題だよ。
しかしまあ、受け付けにある図書室の貸し出し機の横にコーヒーミルが置いてあるのシュールすぎるな。
大きさからするとコーヒーメーカーにミルが付属している奴みたいだ。お高いやつだね。どこから持ってきたのかな?
「他の委員の人は何も言ってこないの?」
「それはもう、うちのコーヒー飲んだら一発よ」
「一発」
「一瞬で虜になって、早く次の一杯をくれって大盛況や。ほんに堪忍やわぁ」
カラカラと、見た目に反して楽しそうに笑う曽根崎。
何それヤバい薬か?
豆に非合法な物が含まれていらっしゃる?
ふむ。止めるなら今じゃないだろうか。完全に蔓延してからでは遅いし、手遅れになった状態で急に取り上げたとしたら、それはそれで反感を買う。図書室でアヘン戦争なんてしたくないぞ、俺は。
というか、曽根崎は入学したてだから、図書委員になってまだ一日か二日だよね? それなのにどうしてもう中枢まで入り込んでいる? そういう組織の人?
さすがエロゲ。都合の悪そうな細かい設定はとことんすっ飛ばしているっぽい。
「ほら、先輩も早う全部お上がりやす」
飲みかけのカップが目の前に移動する。
美味しかったのは確かだけど、さっきの話を聞いて飲める程、俺の胆力は太くない。
いや普通に怖いじゃん。冷や汗出てきちゃったよ。
「さぁて、水夏の部活もそろそろ終わったかなー?」
「先輩? 先輩が図書室に来てからまだ15分も経ってへんよ?」
上げかけた腰を下ろす。
15分かぁ……。後、一時間くらい余裕であるなあ……。
いやまあ、先に帰っても良かったんだけど、委員会で微妙に時間食ったし、朝からずっと心配もかけてたしで、なんとなく待つことにしたんだよな。
トークアプリにメッセージは送ったものの、水夏のスマホは更衣室のロッカーの中だろうし、気づくのは部活が終わってからだろう。
その為の暇つぶしとして、先輩の拘束から逃れた後に図書室に来たのだが、まさかそこで知り合いと出会うとはね。やっぱ主人公だわ、俺。
「うぅ、いけずやわぁ。先輩はうちの淹れたコーヒーを飲めへん言わはるんか」
露骨な泣き真似。
でもどうしてだろう。様になってて罪悪感が込み上げる。
……はぁ。仕方ない。一杯だけなら中毒症状も出ない、よな? なんだろう。今の俺は薬物依存の悪循環に陥る一歩手前みたいだ。
「んくっ……。ああ、やっぱり美味いなあ……」
少し時間が経って冷めてしまったが、それでも味は落ちていない。
独特の苦味と芳醇な風味が口内に広がり、気分をリフレッシュさせる。
「おかわりもありますえ?」
「さすがにそれは」
主に紙を扱う場所で飲み続けるのもね。
「先輩は漫画喫茶っちゅうのをご存知ない?」
確かに紙と飲み物、はたまた軽食を扱う店だけど!
漫画と蔵書だと入手難度に差があるから、同列の価値じゃないよ!
「まあ、結局は気の持ちようや。零さんという意志があれば汚さへん汚さへん」
言いながらカップにおかわりのコーヒーを注ぐ曽根崎。
甲斐甲斐しいな。頼んでないけど。
ちなみにではあるが、図書室の利用者は他にも居る。にも拘わらず、彼女はそちらに行く素振りを全く見せない。正しく付きっきりである。他の人は眼中に無いと態度で物語っていた。
過剰なサービスなんだよなあ。
「仮に貴重な図書にコーヒーを零してしまったら?」
「そんなん決まってるやん」
妖しく笑う曽根崎。
つつーと、細くてしなやかな指が俺の頤を這った。
「か・ら・だで、払ってもらうさかいなぁ」
職権乱用かな?
彼女にそんな権限はないと思うんだが。まあ、零したら怒られるだろうけど、コーヒーを出している曽根崎は確実にもっと怒られる。
弁償とかの実害は俺よりも曽根崎の負担の方が大きくなるかもしれない。
となると、やっぱり出された物を飲む訳にもいかないよなあ。
「心配せずとも、先輩に出す物には変な物は淹れとらんって」
そっとカップを遠ざけようとする俺の様子を見て、まだ中身を警戒していると勘違いしたらしい曽根崎が言う。
「……“には”?」
「先輩はうちの愛情だけで虜にするって決めてるんやもん。己の力以外に頼るのは野暮やわぁ」
やだ、直球すぎてカッコいい……。
俺の中の乙女心が少しキュンとしてしまった。
後、期せずしてコーヒーが無害である事も知れた。いやもしかしたら、愛情に類する何かが入っているかもしれないけど。
それでもまあ、唾液くらいなら別に……。言っちゃなんだが、曽根崎も相当の美少女だし。その子の体液ならある意味でご褒美に……。
「いやさすがに」
「……ん? どしたん?」
あくまでも妄想。幾ら俺への好感度が高くても、そんなヤンデレみたいな事を曽根崎がするとも思えない。
バカな事を考えた頭を冷まそうと、カップを掴んでコーヒーを一気に流し込む。
うん。普通に美味しいコーヒーだ。
「ハァ……ハァ……。うちから出た物が先輩の中に……ハァハァ……」
なんか恍惚とした顔で身悶えているんですけど?
幻覚? 妄想が具現化した? 涎垂れてるよ?
「何か入れた?」
「愛をようさん」
うーん。愛なら仕方ない。
ま、まあ? 健康を害する様な物は入ってないと思う。多分。
そう考えないと気になりすぎて夜も眠れない。カフェインの影響じゃなく、純粋に。
「おかわりは?」
「他の人にも振舞ってくるのは?」
「え? 嫌やけど?」
一刀両断が過ぎる。
図書室利用者のサービスじゃなくて個人の接待用なのか、これ。
「これは先輩用ブレンドやから、他の人には刺激が強くてなぁ」
どういう意味でございましょうね。
一応、一般利用者用のコーヒーがある事に安心はした。良かった、特別扱いじゃなくて。俺専用ブレンドがある時点で少し怪しいけど。
「飲みきれんのやったら、水筒に移してくるで?」
「至れり尽くせり!」
けれど、おかわりの残量的に飲み干すのは厳しい。お腹たぷたぷになってしまう。
カフェインを含む飲み物には利尿作用もあるから、トイレと友達にもなりそうだ。
ここは大人しく甘えておこう。
「でもな、先輩」
「ん?」
そうして、彼女に視線を向けて俺は戦慄する。
「ちゃんと全部、一人で飲んでな? 間違っても同居人達に振舞ったらあかんからな?」
笑っている筈の曽根崎なのに、その雰囲気はとても恐ろしかった。