二人だけの朝 その1
「この辺り、気軽に遊びに行ける場所が無いのが残念ね」
『わたしは結季ちゃんと一緒なだけですっごく楽しいよ』
「……ありがとう」
予想通り、私たちはあれからずっと起きていた。
少ないとはいえ話題が途切れた時はあって、ずっと喋り続けていたわけではないけれど、麻依と繋がっていられるだけで心地良かった。
それでも話している内に、隣に居られないことへの歯がゆさは段々と募っていく。
やっぱり麻依とは、スマートフォンを介してじゃなくて、面と向かって過ごしていたい。
普段からスキンシップをしている分、余計にそう思ってしまう。
『あっ、外明るくなってきたね』
そんなことを考えていると、麻依がそう言った。明るくなってきたとはいえ、少し早すぎる時間帯かもしれないけれど。
「だったら麻依の家に行ってもいい?」
『もちろん。途中まで迎えに行くね』
「ありがとう麻依。すぐ行くから」
通話を続けながら寝間着から着替えて、寒さ対策にマフラーを巻く。最後に余計な心配をさせないように書き置きを残して、私は玄関の引き戸を開けた。
空はまだ大半が薄暗いけれど、地平線の傍から太陽が昇り始めている。そして。
「寒いわね……」
脇を吹き抜けていく、冷たい風。
『まあ、もう十一月だしね』
「……それはそうなのだけど」
今から十二月が嫌になってくる。こんな寒さ麻依と一緒に居れば、麻依の温かさで気にならなくなると思うのだけど。
……なおさら早く麻依と会いたい。
「今から向かうわ」
『わたしも行くね』
私が走り出すと、少し遅れてスマートフォンからも、アスファルトをテンポ良く叩く小気味良い音が聞こえ始めた。
麻依が走る音と共に家を出て、いつも使う交差点まで真っ直ぐに駆け抜ける。
その交差点を曲がると、向こうからこちらに走ってきている人影が見えた。
まだ遠いし周りも薄暗いしで、顔ははっきりと見えないけれど、間違いない、麻依だ。
麻依もこちらに気付いたみたいで、大きく手を振りながら駆け寄ってくる。
私もそのまま近づいていって、あと少しというところでようやく、麻依が緩い笑顔を浮かべていたことが分かった。
それから、お互いに軽く息を整えて。
「おはよ、結季ちゃん」
「ええ、おはよう」
会うことをずっと待ちわびていたから、その一言だけでテンションが一気に高まる。麻依の方もいつもより距離が近いような。
「それで、もう盗聴しなくていいよね」
「そうね。盗聴相手が目の前にいるのだから」
物足りないだとか、麻依の姿が見えないだとか、早く直接会いたいだとか。
私の盗聴に対する感想は散々なものばかりだったけれど、振り返ってみればなんだかんだ楽しくはあったと思う。
けれど、目の前にその盗聴相手が居るのだから役目はおしまい。盗聴の機能を手早くオフにして。
「それじゃ、行きましょうか」
「うん」
それから、私達はいつものように手を繋いで、麻依の家へと歩き出す。
手を通して伝わる麻依の体温も、盗聴だと感じられなかったものの一つ。寒さなんか気にならないくらいに心が温まっていく。
そんな、麻依のすぐ隣を歩いていられる幸せにぼーっと浸っていると、麻依が。
「まだ誰もいないね」
そう言われて周りを見渡すと、さっきよりかは明るくなってきた空に、裏山と田んぼと、後はごちゃごちゃしたモザイクアートみたいな雰囲気の町並み。
そんな中途半端な田舎三点セットが延々と広がっているだけで、確かに人の姿は一切見えない。
「……本当ね。気付かなかった」
「気付いてなかったんだ……」
「私、麻依しか見てなかったから」
「ふへへ」と麻依は出会った時よりも緩く、引っ張ったらスライムみたいにすごく伸びそうな笑顔を浮かべた。可愛らしい麻依を見ていると私の頰も緩んでいく。
「こうしていると──」
「『この世界に二人だけしかいないみたい』でしょ?」
麻依が言葉を遮って、私が言おうとしていた言葉を、一字一句違わず先に言った。
「──正解」
私が驚いている様子を見るなり、麻依は体の前でガッツポーズを作って「やった!」なんて喜んでいる。
「どうして分かったの?」
「結季ちゃんの言いそうなことだなあ、って思って。『ずっと二人だけで居られたらいいのに』なんてよく言ってるじゃん」
「……まあ確かにそうね」
思い出せるだけでも、登校前、就寝前、後は休日の昼にのんびりと過ごしている時。二人だけで居られることが心地よくてついつい言ってしまっている。なんだったら、二人だけの世界に行きたい、とかも言っていたかも。
そしてそれは私だけじゃなくて、麻依も似たようなことをよく言っている気がする。
「でしょ?」
「麻依も何か言ってみて? 当ててみるから」
「それじゃあ……。わたし達──」
こんなの間違えるわけがない。
間違えられるわけがない。
「『ずっと一緒だよ』……でしょう?」
「うん、大正解。間違えられたらわたし泣いてたかも」
麻依は冗談めかして言ったけれど、半分くらいは本気だったような。当たっていると確信してから言ったとはいえ、もしも間違えていたらと思うと……。
「……麻依を泣かせずに済んで良かった」
そこで麻依はふわっと欠伸をして、それにつられて私の口からも欠伸が漏れた。
「……徹夜したから流石に眠たいね」
「早く行って寝ましょうか」
「あと少しだしね」
「家同士が近くて良かった。遠かったら行く途中で寝てしまっていたかも」
「そうなったら……隣で寝ようかな」
「そこはどうにか起こしてくれると助かるのだけど……」
なんて冗談……冗談? 麻依は本気だったような気がしなくも無い。を交わしながら残りわずかな道のりを歩く。
そして家に着くと同時に、麻依が再び欠伸をした。
「早く寝ましょう?」
「そだね」
一度眠気を意識し始めると、それはより強い波になって次々に襲いかかってくる。
麻依も私もそんな眠気に劣勢気味で、少し足早になりながら麻依の部屋へと向かう。
そして、部屋に着くなり外着を脱いで、向かい合うようにしてベッドに横たわる。
それから一つの布団を二人で被り、両手を繋いで。
「寝よっか」
「ええ」
後はそれだけ言って、お互いの熱を感じながら私たちは目を閉じた。
こうしていると、一人で眠るときに感じる、一人で暗がりに放り出されるような心細さはどこにも見当たらない。
動き、体温、吐息、心音。近くで感じられるもの全てが麻依の存在を証明してくれているから。麻依と離ればなれになることは決して無いと、そう思えたから。
だから心細さの代わりに、暖かな日溜まりに包みこまれているような、そんな心地良さを感じられた。
ずっとこうしていたい。
そう思いながら、私たちは深い眠りへと落ちていった。