新たな始まり
頭の上で、耳に残る不快な音が鳴り始めた。
麻依が掛けてくれた、アラームの音。
起きないと。とは思っているけれど目が開かない。思考が睡眠という海に、再び沈み込んでいくような感覚を覚える。
普段ならなんの抵抗もせずにその感覚に従って、もう一度底に辿り着くところだけど、今日ばかりはそうも行かない。
初日の出を見ようと私から誘っておいきながら寝過ごすなんて無責任が過ぎるし、麻依は私の提案に乗り気だったようだから、悲しませてもしまう。それは絶対に駄目。私の誕生日に続いて新年も、なんてこと許されない。
その一心で、眠気で固まる全身に力を込める。何秒かそれを続けていると、瞼が不意に軽くなった。目を開けて麻依の代わりにアラームを止める。麻依より先に起きるなんて経験はもしかすると初めてかも知れない。
それからほんの少しだけ遅れて麻依が目を覚ました。もぞもぞと身動ぎして、瞼をこする。
「……結季ちゃんおはよう。わたしより先に起きるなんて珍しいね。起こそうと思ってたんだけどなあ」
「ええ、起きた」
そうは答えたもののまだ頭が重い。
そもそも、私はきちんと受け答えできているのだろうか。眠気は抜けきっていなくて、気を抜くと一瞬で寝落ちてしまいそう。
閉じかけた瞼を開く。
再び閉じかけた瞼を気合いでこじ開ける。
またまた閉じかけた瞼をどうにか──。
「なにっ!?」
開けると、視界一面に麻依の顔が広がっていた。
二つの黒くて綺麗な目が、拳一つ分くらいの隙間の向こうで、私をじっと覗き込んでいる。近い。気を抜くとぶつかってしまいそう。……どこがとは言わないけれど。
「まだ寝ぼけてるみたいだったから、びっくりさせて完全に起こしてあげようかなって」
「とんでもない荒療治ね……」
「でもしっかり起きられたでしょ?」
朝とは思えないほどに火力が高い。麻依の言う通り、眠気は軽く吹き飛んで、消し炭すら残っていそうになかった。
「……そうね。ありがとう」
「どういたしまして。それじゃあカーテン開けてくるね」
そう言って、麻依は布団を横から滑らかに抜けて、敷き布団の外で立ち上がった。変な起き方をしているのは、『結季ちゃんに寒さを感じさせないため』らしい。
そんな麻依の気遣いのお陰で、布団に外気があまり入ってこない。そう、あまり。
普通に起きるよりは全然少ないとは言え、布団の中に冷たい空気がほんの少し入り込んでくる。その少しで、今日がかなり冷え込んでいることは分かった。
けれど私も、麻依の後を追って立ち上がる。
「寝てていいのに。寒いでしょ?」
「寒いけれど……新年の朝から麻依に任せっきりになるのは嫌だから」
「ほんと、結季ちゃんは優しいね」
……その言い草に少し、いえ大分引っかかるところはあるけれど。
麻依はクスッと笑うと、それから両手で抱き付いてきて。
「どう? これなら暖かい?」
麻依の温もりを感じる。布団の中とは比べものにならなくて、厳寒も吹き飛ばしてしまえそうなほどの、暖かさを。
「ええ、ありがとう。暖かいわ」
私も左手を麻依の腰に回す。本当は両手を使いたかったけれど、そんなことをしたら歩くどころじゃなくなってしまうから。
「よかった」
そして、暖かさを感じながら、窓まで二人三脚のように歩いていく。普通なら歩きづらいのかも知れないけれど、私達は似たようなことを何回も行っているから苦にならない。そして、カーテンを開ける。
ガラス越しに映る外は、既に東雲色に染まっていた。けれど、太陽はまだ昇っていない。地平線が明るく輝いて、初日の出はすぐそこなのだと語っていた。
「タイミングばっちりだね」
「ええ、本当に」
前を向いたまま、そう頷く。それから何も言葉は交わさないで、二人でただじっと日の出を待つ。
「出てきた!」
そして一分もしない内に、太陽が街の下から頭を出した。
私としては、こちらの方が年明けという雰囲気が強い気がする。ただ時計が零時を回るよりも、視覚的に分かりやすいから。それに、日の出に始まりという強いイメージがあるからだとも。
とはいえ、言ってしまえば普通の日の出と何の変わりもない。日食のように欠けていることも無ければ、輝きが増していることもない、ただの日の出。
けれど、いつも以上に澄んだ空気のせいか、それとも新年という言葉の魔力のせいか、太陽がとても厳かなもののように感じられた。
「綺麗ね。麻依と一緒に見られてよかった」
「うん。わたしも結季ちゃんと二人で見られて嬉しいよ」
新年の始まりを共にする。それは、とても親密な関係にある二人でないと行えないことなのだと思う。だから、隣に居る麻依を見ると胸が高鳴った。
「今年もずっと一緒に居ましょう?」
「うん!」
麻依は、はにかみながらより強く抱きしめてきた。けれど、なんだろう。腰の辺りに何か固い物の感触が……。
見てみると、麻依の左手がそこにあった。わたし達の象徴たる指輪が嵌まった、あの左手が。どうしてか麻依のことがより愛おしく思えて、思わず抱きしめ返す。
「愛してるわ、麻依」
「知ってる。わたしも結季ちゃんのこと大好きだよ」
それから、さっきどうしても気になったことを耳元で囁く。
「それと……私は、麻依の方が優しいと思うわ」
「なんのこと?」
「さっき『結季ちゃんは優しい』って、さも自分は違うみたいに言っていたから」
「……嬉しいけど、そんなことないよ。わたしが結季ちゃんに抱き付きたかったっていうのもあるし」
麻依はいつも自己評価が低い。褒めているのだから素直に受け取ってくれればいいのに。
「だとしても、とても暖かくて助かってるわ。それに、今回だけじゃない」
マフラーを贈ってくれたのは寒がりな私のためで、人通りの多い場所を早足で抜けられるのは、麻依が人混みが嫌いな私を慮ってくれるから。今日は自力で起きたけれど、いつもは朝に弱い私を麻依が起こしてくれる。
「いつも、麻依は私のことを考えて行動してくれているでしょ?」
「……それは結季ちゃんだって」
「だったら、同じくらい優しいってことでいいじゃない」
「そう……なのかな」
「かなじゃ無くて、そうなの」
念押しすると麻依は口をもごもごと動かして黙ってしまった。可愛いけれど、これは麻依が褒められ慣れてないということなのだろうか。私としてはいつも褒めているつもりなのだけど……。もう少しちゃんとした言葉で伝えよう。
麻依はそのまましばらく口を閉じていたけれど「あっ!」と何かを見つけた様子で。
「太陽が全部見えてる……ね!」
最後の『ね』はかなり力強かった。話題を変えようとしているのは見え見えだけど、あえてその話題に乗っかる。思惑が透けて見えるほど麻依は本気なのだし、私が麻依を褒め殺ししてしまっているのではないかと思ったから。
褒めたくはあるけど、いやみと受け取られてしまったら本末転倒だ。
「年越しも初日の出も終わって、これからが新年本番って感じがするわ」
「来年も初日の出一緒に見ようね」
「ええ、もちろん」
新年の始まりを二人で迎えたのだから、新年の終わりも二人で迎えられる。
なんの根拠も無ければ、理に適ってもいないけれど、そうなることを固く信じられた。
以降は投稿頻度を上げていくつもりです。




