どこでもドアで異世界攻略 地球と異世界行ったり来たり
「よくぞ参った異世界よりの勇者よ!」
正面の一段高い場所には派手な装飾のついた錫杖を持った爺さんが俺を見ている。
俺は大きな広間の真ん中にへたり込んでいる。
さっきまでバイトに行くため玄関で靴を履いていたはずだ。
「どういうこと?」
爺はエランデル教という宗教の最高指導者、いわゆる教皇らしい。
そして俺は世界を守るために異世界から召喚された勇者なんだと。
それは世間的には誘拐というのでは?
俺のささやかな反論はガン無視された。
「仕事があるから帰してもらえませんか」
という要求には帰ることはできないという回答しか得られなかった。
勇者は異世界に召喚される際に特別なスキルを得るらしく、鑑定の儀式が行われた。
当然俺の意思は完全に無視だ。
周囲に控える司祭か司教かわからん人達が脂汗を垂らしながら聞き取れない祈りを捧げる事でスキルがわかるらしい。
「この者のスキルは『どこへでもドア』と出ました」
「どこでもドアぁ?!」
俺は思わず素っ頓狂な声を上げる。
どこでもドアと言えば国民的猫型ロボットの代名詞とも言えるスーパーアイテム。
ひみつ道具を1つだけもらえるならというアンケートをすれば第一位間違いなしのアレだ。
周囲では聞いた事ないスキルが……とか、またはずれ勇者か……などという声が聞こえる。
「また」ってどういうこと?
ちょいちょいハズレが出るの?
ガチャなの? 勇者ガチャなの?
「騒ぐでない。勇者の能力は名前だけではわからぬものだ。後はピエール司教に任せる」
教皇は周囲の雑音を右手を上げて制すると、側に控える司教に目配せすると広間から去って行ってしまった。
そのピエール司教が言うには召喚された勇者は1年の間、教会の保護の下でこの世界について学びながらスキルの調査を行うらしい。
昔は戦闘向きではないスキルを持った勇者は追放していたのだが、後々調べるとものすごく大成していて実は有用なスキルだったのではないかという意見が出始めたため、一応様子を見る事になったとの事。
それでもやっぱりハズレ勇者だったという事もあるらしい。
「で、勇者って何をするんですか?」
勇者は世界を回り、あるいは騎士となり、エランデル教の教えを広め、人々を救うのが主な職務で、魔王とかが出現した際はその対応もすると。
んん? 話だけ聞くと世界のためというより教会のための勇者?
異世界から人を拉致して戦力増強を図っているってことか?
ピエール司教は柔らかい笑顔で説明してくれているが、冷静に考えるとちょっとヤバい組織のように思えてきた。
でもなぁ、帰れないもんなぁ……
「こちらが当面の勇者様の部屋になります。慣れない世界ですので、部屋を出られる際には護衛をお連れください。身の回りの世話は神官が行いますので御用の際はこちらのベルを鳴らしてください」
俺が召喚された大広間は大聖堂の中で、その隣に併設された建物の一室をあてがわれた。
その部屋は寝室が別になっていて地球ではアパート住まいだった俺からすれば十分な広さがある。家具も立派だ。
「しかし、これは軟禁だよな」
部屋の窓はステンドグラスのような感じで、光は入るが開けることはできない。
入口のドア以外に出入り口はない上に入口には護衛が待機しているし、出歩くときは護衛が付いてくるということは監視と変わらない。
絶対逃がさないという強い意志を感じる。
名前も聞かれなかった。
おそらく「多くの勇者の中の一人」という事なのだろう。
ソシャゲのガチャでノーマルを引いてそのキャラの名前を気にする人が少ないのと同じだ。
教会にとって俺の価値はその程度でしかないと思っていいだろう。
別にチヤホヤして欲しいわけではないが、人として扱われていない感じがするのは悲しい。
「スキルか」
俺のスキルはどこへでもドアだと言う。
俺の知っている物と同じだとすれば世界最強クラスのチートスキルだ。
しかし俺は四次元ポケットを持っているわけではない。
「どこへでもドア!」
なんとなく手を突き出しながらスキル名を叫んでみる。
が、何も起きない。
もしかして言い方が似てないから出てこないとかあるか?
「どこへでもドア~~」
20世紀版と21世紀版の両方で真似をしてみたがダメだった。
こっぱずかしい。
ここのトイレは驚くべき事に水洗だ。
過去に水回りに定評のある勇者がいたのかもしれない。
トイレに入りながら考える。
俺にも親はいるが、中学生の時に海外に行ったっきりほとんど帰ってこない。
爺ちゃんと婆ちゃんが俺の親代わりだった。
上京してからあまり会いに行けていなかったが、こんな事なら祖父母孝行をもっとしておくべきだった。
古いけど広い平屋の家、冷たいが美しい日本海。
いつも優しい爺ちゃんと婆ちゃん。
二度と会えないと思うと余計に会いたくなる。
「あれ、翔でねぇか。来るなら来るって連絡さし」
「翔、飯食ったけ? まだなら一緒に食ってけま」
そうそう、いつもこんな感じで迎えてくれるんだ。
「あれ? じいちゃん? ばあちゃん?」
トイレから出たはずの俺は祖父母の家の中にいた。
土足のまま居間に立っていた俺はあわてて靴を脱いで玄関に並べる。
外の景色は俺の良く知る能登の田舎のものだ。
座布団に座り、出される飯を食う。
祖父母と最近の出来事についてたわいもない話を交わす。
テレビでは石川テレビのニュースが流れている。
日付も同じだ。
祖父母は俺が突然現れた事を気にする様子もなく風呂をすすめ、布団を準備してくれた。
湯上りでほっこりしつつ布団に入る。
「なにこれ? どこから夢? どこまで現実?」
バイトに行こうとしたら異世界に召喚され、いつの間にか元の世界に戻っていたが場所が違う。自宅は東京の近く(※都内ではない)なので祖父母の家までは軽く400キロはある。
どうなってるんだ。
全部夢で、目が覚めたら自宅のベッドの上という可能性が一番高い気がする。
その割にはスマホにはバイト先から着信が入ってたし、異世界の部屋に置いてきたバッグは持ってないんだよな。無駄に整合性が取れている。
「まぁ、明日の朝になればわかるか。寝よ寝よ」
結論から言えば目が覚めても祖父母の家だった。
つまり、おそらくは現実だ。
戻れないはずの異世界から戻ってきたという事になる。
朝食をご馳走になった後で、ちょっと顔を見たくなっただけと言い訳をして祖父母の家を出た。
「帰るにしてもなぁ」
能登から東京まで帰るとなると飛行機使うか新幹線に乗るかだ。
ど田舎と言って差支えない場所なので普通に移動したら1日かかる。
ついでに金もかかる。
あれこれ考えてはみたがいい案が思いつかない。
「そうだ。てっちゃんの所に行ってみよう」
てっちゃんこと、馬場鉄夫は同じ地区出身の昔馴染みで、全国模試で一桁に入るぐらいの天才だが、家業を継ぐとかで大学に行かなかった変わり者だ。
「ここも変わんないなー」
日に焼けて色が薄くなった『エコショップ馬場』の看板。
エコショップと掲げているが、廃品回収からスクラップの処理、古物の売買に機械の修理まで行うなんでも屋みたいな店だ。てっちゃんには家業の定義を聞いてみたいものだ。
敷地の入り口に立つプレハブ小屋に入ると海近くの住人らしくたくましく日焼けしたナイスガイが振り返る。
「カケルじゃん! 久しぶりだなー! いつ帰ってきたんだ?」
「昨日だよ。何が起きたかよくわかんないから賢いてっちゃんに相談しようと思ってさ」
「賢い? まあカケルよりは賢いかもな! とりあえず座れよ。どうせ客も来ねえ」
よくわからない鉱石やアフリカにありそうなお面などが並ぶ店内にある椅子に座ると、てっちゃんがコーヒーを持ってきてくれる。
「それで? 相談って何よ?」
俺は昨日起きたことをそのままてっちゃんに話した。
自宅から召喚されて勇者と呼ばれたこと、どこでもドアを持っているらしい事、いつの間にか祖父母の家にいた事などだ。
「異世界転移か。小説ではよく見る話だけど実際にあるんだな。と言ってもだいたい元の世界に戻ってこないからあるのかないのか知ることができないという方が正しいか」
てっちゃんは椅子を前後ろにして座り、自分で入れたコーヒーをすすりながら言う。
「異世界から勇者を召喚して力と知識を独占、使えなさそうな奴も様子を見て確認するだけの余裕もある。その教会ってのはなかなか上手くやってるみたいだな」
「俺の話をウソだとは思わないのか?」
「ウソでも別にいいよ。面白いからな。それでカケルはどうしたいんだ? もう一度異世界に行きたいのか、それとも知りたいことがあるのか」
「もう一度、あの世界に行く?」
「ああ、カケルの話を総合すると、ここに来たのは『どこへでもドア』の影響だろう。使い方はともかくとして、同じ場所に戻れる可能性は高い。もしかしたら自由に行ったり来たりできるかもしれない」
一息ついててっちゃんはコーヒーをすする。
「だけど、それができるとしても、おおっぴらにするのはまずいだろうな。向こうの世界からゾロゾロと人がやってきたら何が起きるかわからないし、人だけじゃない可能性も考えられる。その逆も同様だ。そんなのに責任も持ちたくないだろ」
俺も頷きながらコーヒーをすする。
俺のせいでどちらかの世界が滅ぶとかは勘弁願いたい。
「程度問題ではあるが、観光のつもりでカケルが異世界に行くのはアリだと思う。用法用量を守ってお使いくださいってやつだな。日本のように安全な環境じゃないだろうけどいざとなったら帰ってこれるわけだからな」
「でもなー、教会が黙ってないんじゃない?」
1年縛りの教会から逃げるのは大変そうだ。
どこでもドアの能力がバレたら期間延長の可能性も高い。
なんとかなるんじゃね? と返すてっちゃんをよそにトイレに立つ。
コーヒー飲みすぎたかな。
「そうそう。あの世界さ、普通に槍とか剣とかもってるのにトイレは水洗だったんだよ」
そう、木製でこんな感じのトイレで。
「てっちゃん、ここのトイレってこんなのだっけ?」
俺の声から妙な雰囲気を感じたのかてっちゃんがダッシュでやってくる。
「カケル、そのまま。ドアは閉めるなよ」
てっちゃんはドアを調べたり、トイレに入ってみたり、壁を調べたりしている。
俺は用を足したいのだが……
「よし。閉めていいぞ」
俺がドアを閉じると、すかさずてっちゃんがドアを開ける。
そこにはいかにもメイドインジャパンなウォシュレットがついたトイレが鎮座していた。
「まさか本物の不思議案件とはね」
てっちゃんは顎に手を当てて何か考え込んでいるが、俺の膀胱はパワー充填完了とばかりに発射要求を繰り返している。
「トイレ行っていい?」
「俄然面白くなってきたな!」
てっちゃんはやる気だ。
ホワイトボードに項目を書き出していく。検証する内容のようだ。
まずは異世界につながる条件を確認するために店のトイレのドアを何度か開く。
しかし、異世界のトイレにつながったりつながらなかったり。
何度か試した結果、異世界のトイレを強く思い浮かべると異世界のトイレにつながる事がわかった。
「じゃあ他のドアでも試そう」
てっちゃんの指示にしたがって、トイレを思い浮かべながら店の入口のドアを開く。
「つながった……」
店の入り口の先にトイレがあった。
ドアの大きさが合ってない気がするが、それでもドアの先には異世界で見たトイレの姿があったし、出入りもできた。
「ここまでで、強くイメージすることで、その場所につながるという事がわかったわけだけど、次は同じ世界でもつながるかどうかだ」
てっちゃんがホワイトボードに「同じ世界での移動」とキュキュっと書き出す。
「自宅の玄関をイメージしながら、トイレのドアを開けてみてくれ」
毎日開け閉めしている玄関のドアをイメージしながらドアを開ける。
が、そこにはウォシュレットがついたトイレがあるだけだった。
つまり変化なし。
祖父母の家や店の入口などもイメージしてみたがやはり変化はなかった。
現段階では同じ世界での移動は無理という結論になった。
ホワイトボードの項目にはバツが付けられた。
次の検証は異世界からどこへ行けるか、というものになる。
「帰ってこれなかったらどうしよう」
やはり万が一はありうる。
不安だ。
「いや、大丈夫じゃないか? 成功すれば問題はないし、失敗したらスキルはやはりポンコツだったという事で1年縛りで解放される可能性が高くなる。その間にも実験はできるし実験が成功したら逃走成功。二度と実験に成功しない可能性はあるけどトイレの再現性を見る限りその確率はかなり低い」
確かに。どっちに転んでもそれほど大きな不利益はない気がする。
そう思う事にする。
「じゃあ行ってくる」
俺は異世界のトイレに入りドアを閉じた。
これで次に地球につながらなかったら異世界生活になるわけだ。
「ん?」
ドアの外で物音がする。
どこのトイレだという声が聞こえるので、ここのトイレが怪しまれているのかもしれない。
まずい。
俺は自宅の玄関を思い浮かべながらトイレのドアに手をかける。
頼む。つながってくれ!
SNSでてっちゃんにメッセージを送る。
「自宅なう」
部屋の中の自撮り付きだ。
音声通話でてっちゃんにトイレが怪しまれている事を報告したが
『どっちにしても他の場所に行くためにはトイレからでなきゃならないんじゃない?』
と言われて納得した。
行ける場所が異世界のトイレだけではあまり意味がない。
いや、意味はあるな。
間に異世界を挟むだけで地球の移動は自由だ。
東京から能登までの400キロをほぼノータイムで移動できる。
すごいというか、ヤバい。
バレたらどこかの秘密結社に拉致監禁されるレベルでヤバい。
ちょっと怖くなってきた。
でもまぁ、いざとなったら異世界に逃げられるという考え方もできるし、世界をまたいで移動すれば追える人間はいないだろう。
あまり心配しなくても大丈夫かな。
その後もてっちゃんと相談し、異世界のトイレから脱出する方法を考えた。
「ほう、スキルの暴走で異次元に」
「はい。自分でもよくわかりませんが真っ暗な世界でした」
俺は今、異世界で俺担当になっていたピエール司教に言い訳をしている。
てっちゃんと相談した結果、事故だったで押し通す事にした。
まぁ、教会にとってはハズレ勇者の一人でしかないからそれほど問題にはならないだろうという予測だ。
「そうですか。ではなるべくスキルを使おうとしないようにしてください」
ピエール司教は厳しい目つきでそう言った。
意外な言葉だ。
「スキルの使い方を調べなくてもいいんですか?」
「構いません。この世界について知るのも大切な事ですので」
そう言い残して司教は去って行った。
なぜだろう。
俺が行方不明になっても別に教会は痛くもなかろうに。
「あーそうか」
教会にとっては痛くはない。
しかしピエール司教にとっては痛いのか。
担当勇者が消えると監督責任を問われるのかもしれない。
出世競争とかありそうだもんな。
世知辛いねぇ。
だが司教から「世界を知る事も大切」というお墨付きを得た。
これで大手を振って外に出られるというものだ。
そして外へ出てしまえばそこにはドアがいくらでもある。
俺の自由は確約されたようなものだ。
すまんね。
ピエール司教。
「と、いう事でこれが異世界の写真だ」
俺がスマホで撮ってきた写真をてっちゃんの店のパソコンに移し、モニターに表示している。
「ファンタジーの世界もこうして写真で見ると、ファンタジーというよりSFっぽく感じるな」
「わかる。スター〇ォーズっぽいって俺も思った」
剣を腰に差していたりはするが、いろんな種族、髪色、見たことない生物がある程度の統一感を持って存在しているとゲームというより映画のように見えてしまう。
教会のある街はエランドという名前で、国の中では王都に次いで二番目ぐらいに大きいらしい。建物はレンガ造りが多く、中心部は石造りが増え、離れる程に木造が増える。
「やはり教会は勇者の力を独占してるみたいだな」
と、てっちゃんが指差すのは教会の馬車だ。
「高精度ではなさそうだけどバネとダンパーがついてる。独立懸架とゴムはまだ実現できていないみたいだ。比べてみると街の馬車にはそれがない」
言われてみれば確かに。
やはりなんでも屋だから機械的な所も気になるのかな。
「エンジンとかもないみたいだな。燃料の問題? いや、石炭があれば蒸気機関は作れるはず。となると工業技術の問題か……」
てっちゃんが独り言を言い始めた。
まずい。自分の世界に入ってしまう前兆だ。
「てっちゃん、てっちゃん。異世界観光するにしても服装で勇者ってバレそうだから買わなきゃいけないと思うんだ。でも異世界の金なんか持ってないわけで、何かいい方法ないかな」
別の話でてっちゃんを引き戻す。
お金がなければ何もできないけど海外みたいに円を両替する場所などあるわけがない。
なんとかしてお金を手に入れる必要がある。
「服は街の様子を見る感じでは生成り|(染めてない生地)が多いから茶色とかグレーとかベージュの服なら目立たなさそうだ。スウェットのパンツとプルオーバーのパーカーでいいんじゃね?」
てっちゃんはパソコンの写真を拡大して異世界の服装をチェックしている。
「金か。金は何か持ってって売ればいいんじゃないか? 中世っぽい異世界なら塩とか香辛料とか石鹸とかが鉄板だけど、大儲けするのでなければ割と何でも売れそうな気がするな。あとは現地で働いて稼ぐかだけど……そういえばカケル、バイトは?」
あっ。
「一応今日はシフト入ってないはずだけど、連絡してなかったわ」
完全に忘れてた。
一気に現実に引き戻されたわ。
店長怒ってるよなぁ……
ちゃんと謝らないと。
「じゃあ次来るときは、異世界で売るものとかも持ってくるわ」
俺は用意する物を書いたメモをポケットに突っ込む。
「今日はどうするんだ? 別に泊って行っても構わないが」
ナイスガイのてっちゃんにそう言われてはいと答えない女子はいないだろうけど、あいにく俺は男子だ。
「一応明日はバイトがあるから家に帰るよ」
異世界経由で。
「そういえば能登から東京まで一瞬で行けるんだったな。距離感がおかしくなりそうだ」
てっちゃんは苦笑する。
そうなんだよ。
ありえないけどコンビニ感覚で移動できちゃうんだよ。
まさに『どこでもドア』だ。
俺はエランドの町の繁華街の裏手を経由して自宅に戻った。
帰宅後、電話口で土下座しながら店長に謝ったのは言うまでもない。
一応、クビは免れた。
3日後の朝、エコショップ馬場の店内で荷物を広げる。
服は無地のパーカーとスウェットにサンダルだ。
「……とまぁこの辺のものを売ってみようと思う」
「なるほどなるほど。何がいくらで売れるか楽しみだな。あとはそうだな、この辺も持って行くか?」
てっちゃんは店の奥からウイスキーの瓶を持ってきた。
国内メーカーの瓶が角いやつだ。
「酒好きに貴賤はないから、いざというときのプレゼントにも使えるかもしれない」
「さすがてっちゃん。ありがたく頂いていくよ」
ミリタリーショップに売ってた頭陀袋にウイスキーを入れる。
「そしてこれだ」
てっちゃんは猫耳カチューシャを取り出した。
耳がちゃんとモフモフしてる黒いやつだ。
「なにこれ?」
「変装用アイテムだ。写真を見ててわかったがケモミミが付いている現地人は珍しくない。教会がカケルを探してるとしてもケモミミは意識の外だろうし、取引する時も相手はケモミミの男と認識するから発見されにくくなると思う」
なるほど。説明には納得できる。
しかし男が猫耳をつけるのはどうにも抵抗が。
「恥ずかしいかもしれないが念のためってやつだ。トラブルは少ないほうがいいだろ?」
それはその通りなのだが……
俺はすぐに装着する気にもなれず猫耳も袋に突っ込んだ。
「じゃあ行ってくる」
俺はてっちゃんに見送られ、エコショップ馬場のトイレのドアを開いて異世界に飛び込んだ。
繁華街の裏手。
周囲に人はいない。
通りひとつ向こうの賑やかな物音が耳に入る。
「ふー、はじめての単独行動か。緊張するな」
写真を撮りまくった時は教会の護衛と一緒だったが今はいない。
海外一人旅みたいな気分だ。
パスポートいらないけどな。
袋を正面に抱えて繁華街に出る。
治安がよくないところではバッグは前に持つべしって海外旅行のガイドブックで見た。
一方であまりビクビクせずに自然体で歩くべしって別のガイドブックに書いてあった。
どっちやねん。
間をとってバッグをたすき掛けにして小脇に抱えるスタイルでエランドの街を歩く。
見たことのない野菜や果物を並べる屋台、肉の串焼きの屋台、ザル売りなどいろいろな店がある。護衛されて来たときには写真撮影がメインだったから今日はじっくり見て回ろう。
ふと遠くに見覚えのある服装が見えた。
教会の関係者だ!
俺は怪しまれない程度の早足で建物の陰に隠れて袋の中に手を突っ込む。
「背に腹は変えられぬ、か」
俺は猫耳カチューシャを装備して通りに面した一軒の店に飛び込んだ。
教会の連中の目的が俺の捜索だったら面倒なので、店の中でやり過ごす作戦だ。
「いらっしゃい。プレゼントをお探しかしら?」
声をかけてきたのは顔の整ったスラっとした女性。
ブロンドの髪を後ろで丸めて簪のようなものでまとめている。
服は豪華というわけではないが一般人よりも華やかだ。
「プレ、ゼント?」
来客に開口一番プレゼント?
と、思って店内を見ると、置いてある商品は服やアクセサリーに下着。それも明らかに女物だ。
そりゃ男一人で入ったらプレゼントを買いに来たと思うわな。
居合わせたお客も女性ばかりで、冷ややかな目でこっちを見ている。
異世界にしてはオシャレな店員さんだと思ったがアパレルショップか。さもありなん。
「ええまあ、ちょっと気になったもので」
お茶を濁してみたが、冷やかしとも言いづらい。どうしたものか。
「ちなみにこちらはおいくらで?」
無難なデザインと色合いのワンピースを手に取り聞いてみる。
「そちらはダリル工房の春の新作で神聖金貨2枚、銀貨だと220枚になります」
オシャレな店員さんが営業スマイルで教えてくれる。
金貨がどれほどのものかわからないが安いって事はなさそうだ。
他のお客をチラ見すると、多少いい服を着ているように見える。
銀のお盆を持った地味な店員さんと一緒に服を選んでいるが、貴族とは言わないまでもお金持ちではありそうだ。
つまりここはちょっとお高い婦人服店。
地球で言うとバー〇リー以上のお店だろう。
うわあ居づらい。
なんとなく売り物の服を見ているが、周囲の目がじわじわと不審者を見るものに変わっているのを感じる。なんとかしなければ。
冷や汗を垂らしながら店内を見回していると、あるものがない事に気が付いた。
ブロンドの店員さんに声をかける。
「私、実は行商をしてる者でして、ちょっとした伝手で手に入れた物なのですがいかがかと思いまして」
と、袋から取り出したのは鏡だ。
100均で売ってるカバーがフリップ式で机に置いて使えるタイプのやつ。
そんなに大きいものではない。
「まあ!」
店員さんは鏡を手に取ると映りを確認したり手触りを確かめたりしている。
そう。この店には鏡がない。
「小さい鏡ですが、アクセサリーの見栄えを見るぐらいならちょうどいい大きさです。おひとついかがですか?」
「こんなにはっきり映る鏡なんて初めて見ましたわ! ゆがみもないですし素晴らしい品ですね!」
店員さんのテンションが一気に高くなった。
よしよし。いい感じだ。
「私にも見せてくださいます?」
他のお客さんに付いていた店員さんがやってきて鏡をひったくってお客に見せ「奥様! 見てください! 見たことない鏡ですよ!」とまくし立てている。
もしかして店員さんじゃなくてマダムお付きのメイドさんかな?
てことは抱えていた銀のお盆は鏡か。
重そう。
値段はどうしようか?
元は100円|(税別)だからなぁ……
いくらで売ればいいんだろう。
うーんと値段に悩んでいると、鏡を見たマダム達が売ってくれと詰め寄ってくる。
これはまずい。
「こちらの品は当店が仕入れて後日販売します。今いらっしゃるお客様には優先してお譲りしますのでご安心ください」
俺がわたわたしていると、ブロンドの店員さんが余裕の笑みでお客に呼びかけ、パニック寸前の店内を鎮めた。
このお姉さんデキる人だ。
「奥で商談にいたしましょう。えーと、あなたのお名前は?」
「カケルです」
ブロンドの店員さんは笑顔でこちらを見た後少し首をかしげて、俺を奥の部屋へと案内してくれた。
「リリアちゃんはしばらくお店をみててちょうだい」
「かしこまりました、店長」
奥の部屋に入ると青みがかった髪の少女が入れ違いに部屋を出ていく。
ブロンドの店員さんは店長さんだったのか。
俺は椅子をすすめられて腰かけると、店長が自己紹介をする。
「私はこの店、アドレナル・ミレーの店長、リスェファのカミーレ。私もイルフ族よ」
「これはどうもご丁寧に」
イルフ族? イルフ族って何?
いや、「私も」ってどゆこと?
ここは気にせず話を進めるしかない。
「今回持ってきた鏡はこちらになります」
背中に冷たい汗を感じながら袋から4枚の鏡を取り出す。
最初に見せたものと合わせて5枚だ。
ちらっと店長のカミーレさんの方を見るとその目線は鏡ではなく俺に注がれている。
まずい。怪しまれている。
「あなた、この辺の人じゃないわね?」
ぎくぅ!
「な、なにぶん旅の行商人ですので……」
俺はへへへと笑ってみるがカミーレさんは笑っていない。
いや、笑顔なのだが目だけ笑っていない。こわい。
「この町に偽耳をつけてイルフ族のふりをするヒト族はいないわ。私は気にしないけど、人によってはタダでは済まないから、命が惜しければやめた方がいいわよ」
イルフ族ってのはケモミミ族の事か!
でもカミーレさんの頭にはケモミミがない。
「え? でもカミーレさんにはケモミミないですよね?」
カミーレさんはケモミミ……とつぶやいて人間の耳あたりの髪をかきあげる。
そこには少しだけ尖っていてフサっとした毛が生えた耳がついていた。
そういうケモミミもあるのね。
「私は鏡が手に入ればそれでいいの。あなたの素性は問わないし、不注意も教えてあげたわけ。ここまで言えばわかるわよね?」
「へへー、勉強させていただきます」
俺が冷や汗を垂らしながら頭を下げるとカミーレさんはにっこりと微笑んだ。
案外悪い人ではなさそうだ。
結局鏡1枚につき銀貨50枚という話になった。
5枚分で銀貨200枚。
鏡1枚はいろいろ教えてもらったお礼だ。
どうやらかなり安いらしく、カミーレさんは目を丸くして驚いていた。
そのかわりイルフ族についてもう少し話を聞いた。
イェルォフなんとかという長い名前の森の神様を信仰していて、神様の名前を略してイルフ族。
その神様の加護で生まれながらに耳や尻尾などの特徴|(獣徴と呼ぶ)が出るらしい。
獣徴には個人差があり、ケモミミとヒトの耳両方ついてる人もいれば、ヒトの耳がない人もいる。
尻尾もあったりなかったりだし、ほぼヒト族にしか見えないイルフ族もいるとの事。
共通しているのはイルフ族は名乗る時には必ず部族名を言う。
カミーレさんの場合リスェファが部族名だ。
俺が名乗った時に小首をかしげたのはそういう事だったらしい。
「事情があって耳を付けておきたいんですけど、なんとかなりませんかね」
俺に渡す銀貨を数えているカミーレさんに聞いてみる。
「そうねぇ、それほど違和感はないからちゃんと名乗れば大丈夫じゃないかしら。バレても誠心誠意謝れば許してもらえるわよ……多分ね」
銀貨に目を落としたままカミーレさんが答える。
髪も猫耳も黒で統一したのがよかったのかもしれない。
バレにくいように髪になじませた方がいいかな。
「199、200と。これが代金よ。確認してね」
皿に盛られた銀貨を渡されたので銀貨を数える。
銀貨は500円玉ぐらいで、さすがに地球のコインほどの精度はないが、どれもおおよそ同じ形だ。
10枚ずつに分けてちゃっちゃとカウントしていく。
「200枚確かに」
あー、財布用意してなかったな。
しょうがない。そのまま袋に入れるか。
「あなた計算早いわね。ウチで働くなら雇うわよ?」
「そしたら鏡の仕入れに行けませんよ?」
俺がシャリシャリと銀貨を頭陀袋に詰めながら答えると、それもそうねと笑われた。
カミーレさんには鏡の追加発注を頂いている。時期は未定と答えたけどね。
「それではまた。仕入れたら持ってきますね」
カミーレさんがお店の入り口まで見送ってくれる。
「いつでも来てちょうだい。イェルォフスィェルーレンの加護がありますように」
え? なんて?
ぽかんとしている俺を見てカミーレさんがいたずらっぽく笑う。
かわいい。
「イルフ族の別れの挨拶よ。言われたら『あなたにも』って返せばいいわ」
そんなのまであるのか。
習慣なのだろうけど、秘密結社みたいに思えてしまう。
俺はこっそりスマホの録音ボタンを押してからもう一度カミーレさんに挨拶を言ってもらった。
後で練習しよ。
手を振ってカミールさんの婦人服店を後にする。
周囲を見ても教会関係者っぽい人はいない。
あらためて店を外から見ると、針と糸を模した木彫りの看板が吊るされ、入口には見たことない文字で「アドレナル・ミレー」と書いてある。
読めてしまうのは勇者召喚の副産物みたいなものなのだろうな。
レンガ造りでなかなかいいお店だとは思うけど服屋って感じはしないな。
やはりショーウィンドウとかマネキンとかがないからだろうか。
持ってくれば売れそうだけど持ち運ぶには大きすぎるか。
「さて、次はどこに行こうかな」
と、少し重くなった頭陀袋を抱え直したら中の銀貨がジャリジャリンとけたたましい音を鳴らす。
想像より大きな音に周囲の注目を集めるたものの、ほとんどの人は目線を戻して通り過ぎていった。
とはいえ、自ら「お金持ってますよ」とアピールしてしまったからか、通る人みんなが俺をカツアゲしようと狙ってるように見えてしまう。
自分の肝の小ささに辟易するが、臆病なぐらいで丁度いいと思い直す。
なにせここは異世界だしな。
「ひとまず出直すか」
ぽつりと呟いて俺は早足で路地裏に向かう。
当然人がいない事を確認してからだ。
路地裏で鍵のかかってないドアを探していると、二人の男が視界に入った。
こっちに向かってきている。
嫌な予感がするので急いでドアを探す。
こんなときに限ってどのドアにも鍵がかかっている。
くそっ、セキュリティ意識の高い通りだな。
二人の男の方を見るとニヤニヤしている表情がわかる距離まで近づいていた。
あかーん! 金を置いて逃げるか?
と、諦めかけた時に通り過ぎた建物のドアが開き、おじさんが出てきた。
あくびをしているので寝起きなのだろう。
あのドアを借りれば逃げられるが二人組に捕まる可能性は高くなる。
ええい、行くしかねえ!
「おはようございまーす!」
俺は駆け寄りながら大きな声でおじさんに挨拶すると、おじさんは不思議な顔をしながら「おお」と応えてくれた。
正面を見ると二人組が歩く速度を上げて近づいてくる。
懐に手を入れているのは名刺を出して私こういう者ですと挨拶したいわけではないだろうな。
「おっちゃんありがとう!」
俺は小走りのままおじさんの肩をポンと叩くと、おじさんが出てきたドアを開いて飛び込む。最後に目に入った何が起きてるのか理解できないおじさんの顔が印象的だった。
「っだあーー!」
「うわびっくりした。ノックぐらいしろよ」
俺はエコショップ馬場のトイレから転がり出た。
「いや、ちょっと身の危険がね」
「どうした。ゴブリンにでも追いかけられたか?」
「ゴブリンいるの?」
「いや、しらんけど」
「ははっ。てっちゃんは適当だなぁ」
やっぱ日本は平和だ。
平和最高。
てっちゃんがコーヒーの入ったマグカップを持ってきて、売り物の中古のオフィスチェアに座って一息ついている俺に渡す。
「じゃあ、何があったか聞こうか」
「そうだなぁ、いいニュースと悪いニュースがーーー」
俺は服屋での出来事とイルフ族というケモミミ種族の習慣や、跡を付けられて怖い思いをしたことなどを話した。
てっちゃんは相槌を打ちつつ、ホワイトボードに話の中のキーワードを書き出している。
「イルフ族の習慣は面白いね。どこの誰それと名乗って所属を明らかにする事である程度の信用を得るシステムなのだろう。日本だと名刺交換に近いかな」
確かに会社の名前を出すなら多少は大丈夫かなって思うことあるね。
実際は全然根拠なかったりするんだけども。
「鏡が売れて現地のお金が手に入ったというのも大きな成果だね。これを元に異世界の物価調査ができるようになる」
俺は頷きながら袋に手を突っ込んで銀貨を出そうとする。
「あれ?」
銀貨がない。
ジャリジャリ鳴るほどあった銀貨がない。
もしかして走ってる時に落としたのだろうか。
袋の中を覗き込んで確認するとそこには売る予定で持っていった雑貨と一緒にたくさんの一万円札が入っていた。
「なんだこれ?」
俺は袋の中から諭吉さんを救出する。
その数20枚。つまり20万円だ。
「カケルどうしたのそれ。日本のお金持って異世界行ったの?」
「いや、お金は1円も持って行ってない。帰る時には銀貨が200枚あったはずだけども」
「銀貨200枚が消えて20万円が出てきた、と考えるとまあ怪しいな」
確かに怪しい。
まるで勝手に両替されたような……
「疑問が出たら検証して確認だな。カケル、人が少ない異世界に繋いでくれ」
てっちゃんに頼まれて脳内を検索する。
人が少ない場所のドア……
裏通りは人は少ないが全くいないとは言い難い。
「てっちゃん、教会のトイレになっちゃいそうなんだけど大丈夫かな」
「静かに検証するしかないか。異世界でのセーフエリアの確保は課題に入れておこう」
てっちゃんはホワイトボードにメモをすると、財布を持って僕が待機しているトイレの前にやってくる。
「そーっと開けるよ」
俺は店のトイレのドアを少しだけ開けて様子を見る。
誰もいない。ドアの向こうには何度も見た木製の水洗トイレが見える。
「大丈夫そうだ」
「よし、検証開始だ」
なるべく物音を立てないように1万円札を乗せた皿を異世界のトイレに置いて様子を見る。
「おおっ」
トイレに置かれた1万円札は間もなく光に包まれ10枚の銀貨に変わった。
地球側に持ってくると同様に光に包まれ1万円札になった。
手持ちの小銭を異世界に送ると小銭は大小さまざまな銅貨に変化し、俺はその結果の全てをノートに記録した。
「よし、ひきあげよう」
てっちゃんの小声の指示に従ってドアを閉じた。
「お金は自動で両替される。千円で銀貨1枚、それ以下は銅貨。貴金属類はそのままだったから『お金』と認識されているものだけが両替されるわけか。今更不思議機能が追加されても驚きはしないけど、大きく影響する事があるな」
てっちゃんが検証結果をまとめる。
「影響すること?」
「カケルはたった数時間で、550円で仕入れた100均の鏡を売って20万の売上という、東インド会社もびっくりの異世界貿易をやってのけた。それが何を意味するか」
「異世界で現金が稼げると?」
「そう。金貨銀貨がそのままだったら貴金属として売らなきゃならなかったけど、両替されるなら異世界で荒稼ぎしたお金を地球でも異世界でも使えるようになる。ぶっちゃけると割が良すぎてバイトを続ける意味があまりなくなった」
「確かに1日で20万稼ぐのはバイトじゃ無理」
今回で言えば時給で5万円とか稼いでると思う。
「そうなると東京のアパートも引き払っちゃっていいのか」
仕事がないなら東京の自宅は必要ないのでは。
「いや、アパートはそのままの方がいいだろう。これは今の課題にも関わってくるのだけど、セーフティエリアはどうしても必要になる。今はいいけど、この店にお客がいる時に突然カケルが店のトイレから現れたらごまかすのが大変だろ?」
あーそうか。
この店に客は来ないものだと思っていたけど、お客がたまたまいる可能性はゼロではない。ついでにトイレが使用中の可能性もある。
それに東京へ移動する事を考えると使えたほうがいいか。
田舎は買い物行くにも時間がかかるし。
セーフティエリアは確実に誰もいない、鍵がかかる部屋が望ましい。
今回のように確認をせずに飛び込まなければならない場合、その先は危険も心配もない場所でないと困るのだ。
うっかり誰かが入っているお風呂に飛び込んだ日には「いやーんエッチ」では済まされない。警察沙汰である。
「そうなると必要なのは何だろう? 東京の俺のアパートはセーフエリアとして維持するとして、能登のセーフエリア、あとは異世界でのセーフエリアかな?」
「物置程度でよければ鍵がかかる場所は用意できるぞ。格安で」
てっちゃんはニヤリと笑う。
エコショップ馬場は廃品回収やスクラップも扱っているので敷地が広い。
奥まで行くと廃車が草に埋まっていたりするぐらい広く、管理がされていない。
ド田舎には土地と空き家はいっぱいあるのだ。
「じゃあ能登のセーフエリアはてっちゃんに頼むとして、問題は異世界のセーフエリアか。今いる街は商売にはいいんだけど、指名手配されてる可能性を考えると拠点にはしにくいんだよね」
猫耳で変装しているとはいえ、見破られないとは限らない。
そういう魔法もあるかもしれないし。
「そうだな。エランドだっけか、教会の本拠地から離れるのは賛成だ。エランドにセーフエリアを作るのは後からでもできるし、無理に残る理由はない」
「でも折角知り合いと取引先ができたのに、って思う部分もあるんだよね」
服屋のカミーレさんだ。
いろいろ話ができそうな人は惜しい。
「逆に考えるんだ。たまたま飲み屋で相席になった人と違ってエランドの服屋に行けばカミーレさんに会える」
会う気になれば会えるのだから、優先度は下げてもいいって事か。
俺はコーヒーを飲みほす。
「そうなると優先する事は何だろう?」
てっちゃんと相談する。
エランドの街から出るのが優先目標として、候補地はどこがあるか、交通機関があるか、距離や費用や危険度はどうか、地図はあるか、などの情報が必要だろうという話になった。
こうして話すと俺は異世界の事全然知らないな。
「そして本格的に旅行に出るとなると、準備が必要だ。そこで今日はこいつを用意した」
てっちゃんはカウンターの裏から模型の家を持ってくる。
ドールハウスってやつかな?
「だいぶ前に中古で買い取ったシル〇ニアファミリー用のドールハウスだ。これでちょっとした実験をする」
「ほほう」
「今回の実験は『どこまでがドアと認識されるか』がテーマだ」
それとドールハウスに何の関係が?
「あっ、ドールハウスにもドアがあるのか」
てっちゃんはニヤリと笑って指を鳴らす。
「その通り! 今までは人が使うドアのみで繋いでいたけど、それ以外はどうかという実験だ。試しにドールハウスのドアで異世界につながるか試してみてくれ」
このサイズのドアを異世界で見た記憶はない。
裏通りのドアをイメージしながら10センチ程度のドアを開く。
「おっ? つながってる?」
ドアの向こうには夕暮れ時の裏通りの風景が見える。
「どれどれ? 確かにつながってるな」
てっちゃんも興味深げにのぞき込む。
これって異世界から見るとどう見えるんだろう?
ドアに小さい穴が開いてるような感じなのだろうか。
「これでドアの大小は関係ないという事が判明したわけだが、次はこれを試す」
てっちゃんが取り出したのは元祖ドラ〇もんのひみつ道具『どこでもドア』のおもちゃだ。
つまり、ドアの枠とドアだけの模型。
「なんとなくイケそうな気がする」
再び裏通りのドアをイメージして開くと、予想通り異世界につながった。
ドアの枠の中だけ別の風景が切り取られている様子は不思議を通り越して液晶ディスプレイが枠にはまっているように見える。
ちなみに裏から異世界は見えなかった。
さらに簡略化するとどうなるかということで、木の枠に板を置いただけで蝶番のないドアを用意して実験してみたが、さすがにドア認定されないようだった。
「となると、アレはどうなのかな?」
てっちゃんが物置に向かうと、古ぼけたクーラーボックスを持ってきて、蓋が垂直になるように立たせる。
「これもある意味ドアに見えない?」
クーラーボックスの蓋をドアに見立てる事はできるかどうか、という事らしい。
てっちゃんがパカパカと開けたり閉じたりしているのを見ると、確かにドアっぽいと言えなくもない。
「やってみよう」
俺は一度クーラーボックスを閉じて、蓋をドアのように開く。
パカっと開いたクーラーボックスの中に裏通りの風景が切り取られていた。
「おお、これは面白い結果だな。ちょっと角度変えてみようか」
てっちゃんが異世界につながったままのクーラーボックスを持ち上げてゆっくりとクーラーボックスの向きを変えていくと、ドアが多少上向きになったところで異世界の風景が消えてしまった。元に戻しても風景は戻らない。
「角度が大きく変わると接続が切れてしまうみたいだな」
試しに地球と異世界の間にペンを置いて接続を切ってみたら、ペンが地球側に残った。
途中で真っ二つに切断される、という事はないみたいだ。
クーラーボックスでもつながる事がわかったので、クーラーボックスを通常通りに置いた状態でも異世界につながるかどうかを試してみたが、これはダメだった。
接続先のドアとの角度が違いすぎると接続できないのではないか、という仮説が出たが、異世界でクーラーボックスのような箱を見た記憶がないので保留という事になった。
「今回の実験で判明した事は大きく2つ。ドアのサイズは問わない事と、割と適当なものでもドアになるという事だ」
てっちゃんがホワイトボードにキュキュっと書き出す。
「これは今後の異世界攻略においてとても重要な要素となる」
「そうなん?」
俺はコーヒーをセルフおかわりしつつてっちゃんを振り返る。
「そりゃそうだ。持ち運べるドアでも世界を移動できるとわかったんだから利便性も安全性もケタ違いだ」
持ち運べるドアで地球に移動できる、ということは……
「ドアだけ運んでもらえば移動が楽になるってことか!」
宅配便で送るだけでどこでもいけちゃう!
すげぇ!
俺が自分の発想を自画自賛しているとてっちゃんが笑う。
「ははっ、それはそれで間違いないけど、それより大きいのはドアを持ち運べば荷物は地球に置いたままにできるって事だ。安全だし、負担も少ない。疑似的な四次元ポケットだな」
異世界旅行するにしてもテントや寝袋を持ち歩かなくていいのは楽だ。
食料も簡単に補給できるし、お金を盗まれる心配もない。
てっちゃん天才か。
「そうなると荷物置き場も別に必要になりそうだね」
「普通のコンテナも冷蔵コンテナも貸すぞ? 格安でな!」
てっちゃんが黒い笑みを浮かべる。
商売人かくあるべしだ。
それから数日かけて、借りたコンテナの中に小さいドアをいくつか設置し、ペットボトルの水やカップ麺、異世界で売れそうな鏡をはじめとする雑貨や酒などを詰め込んだ。
東京から異世界経由で荷物を運ぶのはひやひやしたが、細心の注意を払ったので無事に終わった。
エコショップ馬場の敷地内にある、かつては百人乗っても大丈夫だったであろう物置も借りて、中に廃屋からひっぺがしてきたドアを設置した。
後で物置の中も使いやすくしたい所だが、ひとまず能登のセーフエリアを手に入れたわけだ。
バイトの合間に異世界に顔を出し、乗合馬車の行き先や費用も確認済みだ。
国で有数の街であるエランドなだけに乗合馬車もたくさんあった。
だいたいどの路線も距離は長くて2日。
それより先へ行く場合は乗り継ぎになるらしい。
北門からの馬車は王都方面行き。
西門からの馬車は国境のカーマイン辺境伯領方面行き。
南門からの馬車は港町のケゲリア方面行き。
どれにするか迷ったが、拠点を確保しながら進むのであればどこでも変わらないだろうという話になり、選択肢を増やす意味でも国境の方に向かう事にした。
「じゃあ行ってくる」
日をまたぐ異世界旅行は初挑戦という事で準備は念入りにした。
てっちゃんは背負子を作ってくれた。背板の部分がギリギリ体が通るサイズの隠しドアになっていて、非常時にはここを通って地球にエスケープできるようになっている。
背負子には木製の食器や筒状に巻いたブランケット、水や食料を入れた袋など、比較的無難な物をくくりつけた。無難じゃないのは座布団かな。てっちゃんによれば異世界の馬車は尻が痛くなるのが定番らしい。
重いものは水ぐらいなので見た目よりは軽い。
財布は合皮の袋におがくずを詰めたもので、お金を入れてもジャラジャラしにくいように配慮した。諭吉さんを1枚入れているので異世界に行けば勝手に銀貨に変わるはずだ。
その財布を入れたサコッシュサイズの袋を斜めがけに装備。袋の中には財布の他に非常用のサバイバルナイフとおもちゃのどこでもドア、メモ帳や医薬品などが入っている。変なもの食って腹を壊すかもしれないからね。
バイトのシフトも調整済みだ。
問題がなければ次のシフトには間に合うはず。
「忘れ物はない? ハンカチ持った?」
「おかんかな?」
てっちゃんのボケに空気が緩む。
「俺から言うことはヤバいと思ったら逃げろってだけかな。命以外は全て取り返しが利く。最悪エランドから出直してもいいんだし、気楽に楽しんで来い」
実はてっちゃんも異世界に行かないかと誘ったのだが、てっちゃんはいずれ連れてってもらうけど今回は残ると断った。
万が一はぐれたときに連絡を取る方法がないのはリスクだと言われたら俺も諦めざるを得ない。
「これより、カケル二等兵、出陣します!」
俺は猫耳を頭に付けたままビシっと敬礼する。
「貴官の奮闘に期待する! フォースとともにあれ!」
てっちゃんも日焼けした腕をシュっと頭に添えて敬礼する。
「そこは『イェロフシエルーレンの祝福あれ』でしょうよ。なんでスター〇ォーズやねん」
一応暗記したイルフ族の挨拶でツッコミを入れる。
緊張感が続かないけど、これぐらい力が抜けてるほうがいいか。
俺はてっちゃんと拳を突き合わせ、セーフエリアの物置に入る。
「準備はバッチリ。きっと大丈夫さ」
俺は自分で自分に気合を入れてドアに手をかける。
異世界旅行がここから始まるんだ。