君の瞳に映る空は、青かった
蝉。
喧騒。
大型車両の音。
ビルの合間に見える空は何処までも青くて。
されど、目の映る風景はどれも仄暗くて。
新学期初日にどこまでも輝いていた世界が、心底懐かしい。
音に、線路の軋みが混ざり始め、次第に大きくなる。
俺は短く息を吐き、プラットホームの前列へと足を運び始めた。
線路を、見下ろす。
何か解らない液体が染みを作っており、そこから漂ってくる悪臭に眉を顰めた。
今からこの線路が、俺の血で赤く染まる。
ふと、数年前の出来事が脳裏に浮かんだ。
同じ季節、同じ駅、同じ線路。
ここで血まみれでばら蒔かれた肉片と、こちらを見つめる双眸。
俺も、ああいう風になるのかと思うと、後始末をするであろう駅員さんに罪悪感を抱き始めた。
両親への罪悪感は、全く無い。
俺の死で金銭的にも苦しめと、内心ニヤリとする。
(・・・来た)
電車の到来を告げる、音と振動。
右を見ると、悲鳴に似た金属音を発しながら、銀色の車体が近づいて来た。
驚くほど未練がない事に若干戸惑いながら、俺は目を瞑り、再び息を吐く。
そしてそのまま、体を投げ出・・・。
「それ、死ぬほど痛いからオススメしないわよ」
ふと、後ろから涼し気な声が聞こえた。
俺はつい振り向いて・・・って、あれ?なんで振り向けるんだ?
たった今俺は、線路に体を・・・?
「ねぇ、何突っ立ってるの?ほら、横に座りなさいよ」
再び、声。
俺は疑問を抱えたまま、声の主を見る。
黒というか濃紺に近い、肩まで伸びた髪。
赤いリボンが目立つキャラメル色のブレザーと、白いチェックが入った緑のスカート。
黒フレームで模られた、何故かひびが入ったレンズの眼鏡。
その奥から、垂れた・・だけど、何処かしら冷たそうな眼が、俺を見ている。
一言で言えば、美少女。
だけど、何となく言動がきつそうな女子が、赤い自動販売機横のベンチに、座っている。
(・・・え?周りの人、が・・・!?)
そして、気付く。
今までホームを埋め尽くしていた人波が、消えているのだ。
聞こえるのは、ただ蝉の声のみ。
ビル風も無く、暑さによるものではない汗が、頬を伝う。
「あははっ、大丈夫よ。別に貴方に危害を加えるつもりは無いわ、・・・ねぇ、お話しましょ?」
ベンチに座ったままの女子が、隣のスペースをバンバンと叩いた。
その気になれば、この場から走り去る事もできるだろう。
だけど、俺は女子の隣に座る事にした。
不安はあったが、悪意・・・そう、悪意だ。
俺を害しようとするあの気持ち悪い雰囲気を、全く感じなかったからだ。
女子の、横に座る。
ベンチは思ったよりひんやりしていて・・・いや、この、駅という日陰の部分だけ、涼しい気がする。
蝉は相変わらずうるさいが、ソレが無ければ、夏じゃないような感じ。
あぁ、でも、遠くに入道雲が見える空は、夏のままだ。
「んで、どうして死のうとしたの?」
「いや、その前に名前いいなよ。俺は田原坂・・・田原坂 勇斗」
「お、自分の方から名乗ったね。私は、藤間 舞。うっすら気付いてるかもだけど、幽霊って奴かな」
あぁ、やっぱりか、という感じだった。
美少女は幽霊でも綺麗なんだな、とそんな場にそぐわない感想だけが頭に浮かぶ。
でも、足はあるし。
体は透けてないし。
・・・左手の薬指だけ、欠けてるけど。
正直、人や電車が消えて無ければ、疑ったかもしれない。
「あぁ、もう、見ないでよ。指だけ見つからなかったのよね、恥ずかしいなぁ」
「恥ずかしがる場所というか理由がおかしい。・・・藤間さん、昔、何処かで会った事ある?」
初対面・・・では、ない気がする。
でもまぁ、同じ電車に乗っていた可能性もあるか。
「忘れるなんてひどいなぁ、あんなにやさしく抱きしめてくれたじゃない」
「・・・それ、人違いじゃないかな?」
自慢じゃないが、家族以外の異性とは抱き合った事すらない。
というか、付き合った事すらもだ。
まぁ、俺なんかと付き合おうとする女子はいないだろうけどな、立場的に。
「えー?電車に引かれて転がった私の頭、大事に大事に運んでくれたじゃない」
「・・・あの死体、アンタかよ!」
あぁ、アレは眼鏡が無かったから気付かなかった。
先ほど、電車に飛び込む前に思い出した数年前の人身事故の事だ。
妙な正義感を出して、つい拾っちゃったんだよな。
てか、脳内で鮮明に思い出してきて、ちょっと気分が悪い。
マグロ拾いと言われるはずだよなアレ。
血と、線路で焼ける肉と、腸から零れる汚物の混ざった臭い・・・うわぁ、吐き気が。
「田原坂君に、私の隅々まで見られちゃったね・・・キャッ♪」
「待って、ちょっと色々思い出して、・・・悪い、やっぱつらい」
「あはは、そりゃあ、つらいわよね。・・・ねぇ、なんであんな事したの?」
数回深呼吸をし、吐き気を無理やり押さえ込む。
おちゃらけてはいるが、彼女・・・藤間さんの目は真剣だ。
なんで、か。
あの日俺は、電車に乗って買い物に行こうとしてたんだよな。
そう、あの時は、まさか自分がいじめに苦しむなんて思いもしなかった。
両親の放任主義を俺への信頼だと勘違いし、周りの友人は困ったと時は手を差し伸べてくれる存在だと、妄信してた。
んで、スマホを見てたら電車の大きな音と、悲鳴が上がったんだ。
同時に、こめかみを何かが掠った。
何事かと顔を上げたら、目が合ったんだよな。
首だけの、彼女と。
「・・・助けて欲しそうな目を、してたからかな」
人の死体の目は、もっと濁ってると思ってた。
でも、俺を見つめる彼女の目は青い空を内包して、とても綺麗だった。
だから、あのまま砂利に落ちてるのが我慢できなくて・・・線路に下りて、拾ったんだ。
まるで宝石を扱うように、大事に、大事に。
「あはは、そうね。あの時の私は、誰でも良いからと救いを求めていたのよ。・・・今の、君みたいにね」
「・・・そっか、藤間さんもか」
「えぇ。私、ちょっときつそうな外見でしょ?コレが原因で、苛められるようになっちゃってね」
「それで、俺みたいに死のうと・・・いや、死んだのか」
「うん。女子のいじめは陰湿でねー、もう精神的に追いやられちゃってさ・・・親に助けてって言えなかった結果がコレ」
「・・・俺の場合、親は役に立たなかったけどね。いじめぐらい一人で何とかしろ、だってさ」
「うわぁ、ご愁傷様。んで、何が原因で苛められたの?」
「友人を庇ったんだよ。そしたらこっちに矛先が向いてさ。その友人は知らん振り、泣けるよね」
「先生には言ったの?私の時は結局動いてくれなかったのよね」
「同じだよ。いじめと思ってるのは俺だけじゃないかって。殴られたり、金取られたり、持ち物壊されたりしてるのにな」
「つらかったね。・・・でも、何で学校で死ななかったの?あてつけにはなるんじゃない?」
「学校じゃもみ消されそうだから、人が多いここならある程度騒がせる事ができるかなって思ったんだ」
「あはは、正解!私も同じ考えだったよ。おかげで教師は免職!でも、苛めた奴らには何も無かったのよね」
青い中に雲は流れていくが、時間が流れていく感覚は、無い。
同じ痛みを持つためか、藤間さんとの会話は弾む。
会話というか、傷の舐めあいなんだけど・・・それでも、嬉しいと思えた。
・・・うん、死んだ後に、彼女とこうやって話せて、良かった。
安心してあの世にいけそうだ。
でも地獄・・・だろうなぁ、やだなぁ。
「いやいやいや、田原坂君、まだ死んでないからね?」
「え、あ?そうなの?」
「そうだよ!田原坂君に死んで欲しくないから、空間を切り取っただけ」
「・・・地味にすごい事、してるな」
「幽霊の力舐めちゃダメよ?・・・ねぇ、お願いがあるの」
藤間さんは薬指が無い左手で、足元においてあるバッグから3通の手紙を取り出した。
白い正方形。
見ると、夫々裏の方に住所が書いてある。
「それ、私を苛めてた奴の家に、届けて欲しいの」
「別に良いけど、藤間さん自身ではやらないの?」
「あー、私、地縛霊っぽくてね。ここから動けないのよ」
「そか、・・・解った」
俺は藤間さんから手紙を受け取り、バッグへと収める。
3件とも2駅向こうだ、大した労力では無い。
「・・・あはは、何も聞かないのね?」
「復讐でしょ?気持ちはとてもわかるからさ。俺も、あいつ等に復讐して死ぬ事にするよ」
直感、だけどね。
彼女は、この手紙で復讐しようとしている。
細かい内容まではさすがにわかんないけど。
藤間さんをこんな目に合わせておいても、のうのうと生きている存在がいる。
俺にはソレが腹立たしい。
きっとそいつらは藤間さんの事を・・・己の罪さえも忘れてるだろう。
いや、最悪武勇伝としている可能性だってある。
俺がココで自殺しても・・・それは、同じかも知れない。
そうだよ、どうせ死ぬんなら、あいつ等を殺して、いや、あいつ等の家族でもいい!
苦しみを、記憶に傷を、人生に汚れをつけてやる!
一度死のうとした身だ、今なら何でもできそうな気がしている。
「バスケ部の上杉、野球部の山室、マネージャーの飯干」
「・・・え、知ってるの?」
藤間さんの口からこぼれた名前に、心臓が跳ね上がった。
3人とも、俺を苛めている奴だ。
「田原坂君、私ね、いつもここで貴方を見ていたのよ?」
3人がこの駅を使い、同じ電車に乗っていた事。
それが嫌で、俺は一時間も早く別の電車に乗り始めた事。
中学まで中が良かった幼馴染である飯干が、あいつ等の横にいる事。
俺から奪った漫画や財布を、自販機横のゴミ箱に捨てていた事。
藤間さんは、色々と知っていた。
普通であれば、そこまで知られている事に不快感を覚えるだろう。
だけど、今の俺は・・・俺を見ていてくれる人がいたと、胸が熱くなる。
「・・・貴方があいつ等に殺意を持つのは解るわ。でも、ダメ。あんな奴らで魂を汚しちゃ勿体無いよ」
「だけど・・・、って復讐したら藤間さんの魂も、その、汚れる?んじゃ?」
「私のことは良いの!田原坂君、まずは私の復讐を見届けて欲しいな。・・・それからあとでいいじゃない、ね?」
しばし悩んだが、俺は藤間さんの言葉に従う事にした。
彼女の言うとおり、まずは彼女なりの復讐を見届け、俺の事は考えよう。
手紙を配りにいく際、「3日後、7時22分の電車に間に合うように来て」と、藤間さんは面白そうに唇を歪めた。
そして、彼女が指定した時間に、俺はココにいる。
<2番線、まもなく電車が・・・>
いつもと変わらない、蝉と、人と、青い空。
時計を見ると、7時20分を示している。
以前はこの時間の電車に、乗ってたんだよな。
今日の俺は、私服だ。
俺を苛めてる3人に見つからないようにするため、マスクもつけて目立たぬよう、ベンチに座っている。
平日だが、学校なんか行く気もない。
まぁ、学校どころではなくなるんだろうけど。
「お、いるわねぇ」
先日と同じく横に座る藤間さんが、眼鏡を正した。
上杉、山室、飯干。
3人とも、周りの人の嫌そうな顔を無視し、大声でくっちゃべってやがる。
幸いにも、俺には気付いていない・・・というか、本当に周りを見ない連中だ。
「あ、違う違う。私の相手よ」
藤間さんが見る方向に、3人の女生徒が居た。
所謂ギャルという人種で、俺が苦手なタイプだ。
3人とも、不安そうにキョロキョロとしている。
「手紙、なんて書いたの?」
「私とあいつらしか知らない事を徒然と。信じるように手紙にこめた怨念で嫌がらせしちゃった」
あぁ、なるほど。
手紙貰っただけだと、信じる事は少ないだろう。
きっとあの女達の身の回りでは奇怪な出来事が起こったに違いない。
現に、目の下に深いクマができており、髪や肌もボロボロだ。
恐らく、この時間にココに来い~みたいな事を書いたんだろうな。
それでどうするの?、と言おうとしたが、周りの人から怪訝な顔をされたので、口を閉じる。
その様子を見ていた藤間さんは、かんらかんらと笑い出した。
周りには見えてないんだっけか、そういや。
実に生き生きとした幽霊なのにな。
「あー、おかしい。さーて、電車が来たし、やるわね」
遠くから、線路がきしむ音が聞こえだす。
電車に乗るために秩序を作り出す、人波。
だけど、俺を苛めている3人の周りには、不思議と人が居なかった。
「ねぇ、田原坂君。・・・待ってるからね」
藤間さんが立ち上がり、ギャル3人へ、体を滑り込ませる。
彼女の体が一瞬ぶれたと思うと、淡い光を弾けさせ、消えてしまった。
同時に、ギャル3人が、カクンと動き出す。
ゼンマイ仕掛けのおもちゃのように無機質に、上杉達へと、進みだした。
俺はそれを、テレビを見ているかのように黙って見つめる。
ギャル・・・藤間さんが操る罪人の手が、別の罪人の、背を押した。
悲鳴。
ブレーキ音。
屠殺音。
血が滴る音。
ちょっとだけ赤が混じった青い空の下では、相変わらず、蝉が寿命に抗っていた。
あれから、2週間。
女子高生3人が同じ年代の高校生3人を線路へと突き落とし殺害した事件は、数日メディアを騒がせたものの、今ではすっかり落ち着いている。
上杉、飯干は死亡。
山室は下半身を無くしたが、生きてはいるらしい。
そしてギャル・・・藤間さんを苛めていた奴等は、現行犯で警察へと連れて行かれた。
記憶に無いと喚いているそうだけど、まぁ、そりゃ記憶に無いよな。
俺は無人となったベンチを、見る。
アレから彼女を見ていないが・・・どう、したんだろうな。
成仏、したのかな?
(・・・お礼すら、言えて無いのに)
藤間さんのおかげで、俺は苦しみから解放された。
それが、例え彼女の復讐のついで、だとしてもだ。
(・・・「待ってるからね」ってのはどういう意味だったのか)
彼女が、最後にした台詞。
ほんと、どういう意味だ?
ここで待ってる、って意味じゃあ無かったようだけど。
蝉時雨の中。
ふと、足音が聞こえた。
振り返ると、若い駅員さんが俺を・・・いや、俺の横を見ている。
「おや、いなくなったんだね」
「・・・藤間さんを、知っているんですか?」
俺の問いに駅員さんは頷き、自動販売機で缶コーヒーを買う。
ガコンと音がして、自販機に隠れていた小さな蛙がぴょこんと跳ねる。
「あぁ、彼女にはココを守って貰っていたからね」
「守って、ですか」
むしろ駅員さんの立場なら、疫病神の類ではと思った。
何せ、彼女の復讐で惨事が起きているからだ。
「はっはっは、彼女がいたから、悪い霊が居座らなかったのさ」
「そうなんですか?」
「そうさ。あいつ等は無節操に人を殺すからな。投身自殺が多い駅は、守り手がいないからなんだよ」
・・・彼女が言ってた言葉の意味が、わかった気がした。
「待ってるからね」。
つまり、俺も地縛霊となれ・・・って事、なんじゃないかな?
「彼女の代わりがいないと、ダメなんですよね?だったら、俺が・・・」
「はははは、いやいや、大丈夫だよ。僕が代わりの要員だからさ」
「・・・へ?え、幽霊、なんですか?」
そこで、気付く。
周りの世界が、また、切り取られていた。
青い空を見上げ、駅員さんは朗らかに笑う。
「あぁ、先日脳溢血で死んじゃってね。君はまだ若い、健康には気をつけなさい」
駅員さんの姿が、薄くなっていく。
そして、いつも通りの駅が、浮かんでくる。
人が行き交う中、俺はベンチに座ったまま、唖然としていた。
(・・・藤間さん、俺、どうすればいいんだよ)
このまま生きていくのは、彼女にあまりにも不誠実だ。
目を閉じると、忘れかけていた彼女との出会いを思い出す。
生首となった彼女・・・そして、幽霊となった彼女。
本当に、本当に短い間だけど、彼女の存在は、俺の魂に深く刻まれた。
思い出すだけでも、胸が痛い。
(・・・今日は、帰るか)
駅員さんが代わりという事であれば、藤間さんは、もうここでは会えない可能性が高い。
家に帰って、風呂入って、頭の中を整理しよう。
(駅員さんに、彼女が何処にいるのか聞・・・ん?)
赤い自販機の上ちょっと奥に、缶コーヒーが置いてある。
結露からして、あれはさっきの駅員さんが買った奴、かな?
空き缶か。
(・・・捨てとこ)
あの駅員さん、結構ずぼらなのかもしれないな。
俺はめいっぱい背伸びをして、空き缶へと手を伸ばした。
すると、手に何か硬いものが当たり、自販機の上からコロンと地面へと落ちる。
見ると、乾燥したソーセージのような、焦げ茶色した物体。
俺はソレをハンカチへと大事に包み、家へと走り出した。
どこまでも変わらない蝉の音と、青い空。
アスファルトから照りつける熱気と、ぬるい風。
だけど・・・。
「待ってたわよ、見つけてくれたんだね」
「駅員さんのおかげだけどね。結局俺一人じゃ、何も出来なかった」
「何言ってるのよ。貴方が抱きしめてくれたから、私はここにいる事ができるのよ」
「そう、なのかな。あ、まずは言わなきゃいけなかった。・・・ありがとう」
俺の部屋のベッドの上で、藤間さんは嬉しそうに眼鏡を正す。
薬指が付いた、その左手で。
(やっぱ、宝石みたいだな)
変わりそうな日常。
でも、彼女の瞳は、綺麗なまま、なのだろう。
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