プロローグ 聖光学院戦 ~県大会決勝~
2026年7月20日。
甲子園への出場をかけて、福島の強豪校聖光学院と、新鋭の白河東稜高校が、夏の球場で激突した。
超高校生級のエース、落合邦彦と、怪物の異名を持つ強打者、四番ショートの天海大樹。
その二人を擁して、七年連続の出場を目指す聖光学院に対し、白河東稜は、扇の要に主将を配し、2人の投手を揃えて夏に挑んだ。
昨年夏の甲子園で、四強入りを果たした聖光学院に挑んだのは、今春開校したばかりの高校の、弱小野球部だった。部員数わずか11人で初出場すると、決勝に残り、甲子園出場への挑戦権を勝ち取った。そんな彼らに注目が集まり、ファンの温かい眼差しが注がれる。
「あの頃は、みんな無名だった。だけど無敵だった」
後にそう回想する、白河東稜硬式野球部主将の沢村泰司も、この時はまだ決勝の、扇の要に座っている。
福島県大会決勝、両校は14対7のままで八回を終え、チェンジによって白河東稜側が守備についた。強豪を相手に、なおもナインは諦めることを知らず、その闘志を燃やし続けている。
聖光学院打線の3連打に2点を失い、リードを9点に広げられた九回の表。
その立ち上がりに伝令が走り、投手の交代が選手たちに伝えられると、エース・ナンバーを背負った三浦一輝は、肩を落としてマウンドを降りる。
三時間を過ぎてなおも、一死満塁のピンチが続く。相手バッター・ボックスには、三番レフトの広田が入った。
そして背番号18番が、マウンドへと向かう。
抑えのサウスポー、木賊祐樹だ。
捕手の沢村がマスクを取って、大きな身振りでサインを送る。木賊は生まれつき、耳が全く聞こえない。しかしそれを感じさせないほど、堂々とマウンドに立って、鋭い眼光をバッター・ボックスに向ける。
一年生とは思えないほどの長身の木賊が、殺気を放ってさらに大きく見えた。
木賊はワインドアップ・ポジションに構え、打線の中軸と静かに対峙を始めた。
そして右足を大きく上げて、投球姿勢に入ると、鶴が舞うような優雅なモーションで、長い左腕を丁寧に振り抜く。
その第一球が強く刺さり、右打者の懐を鋭くえぐった。ストライクを奪ったその球が146kmをマークし、横に滑る高速スライダーで、集まった観客に歓声と、そして感嘆の声を上げさせる。
続いて第二球。外角低めに鋭く落ちる縦のスライダーが、広田の強振に空を切らせた。全く同じフォームから、二種類の変化球を投げ分ける、木賊のその制球力の高さに、広田は驚愕と、そして称賛の眼差しをマウンドに向けた。
ツー・ナッシングに追い込んだところで、バッテリーは球を、二つ続けてゾーンから外し、最後に捕手沢村泰司は、内角低めにミッドを構えた。
絶妙なコントロールを持つ木賊にとって、そのゾーンは、最も得意とするコースだった。投じられたスライダーの球速は141km、その球威に広田は身を引いて見送り、フル・カウントとなる。
六球目。再び内角を突いた球は、149kmのストレート。バットが空を切って、空振り三振。
そして迎えたのは、この日5安打7打点の四番、ショートを守る天海だった。
大柄なパワー・ヒッターがショートを守ることは、とても珍しいことだが、これまで巧みにグラブをさばき、今大会、エラー一切なし、という実績を叩きだしていた。
大リーグの名門チーム、N.Y.ヤンキースの元主将、ジータを彷彿とさせるスタンスでバットを構えて、昨夏四強の主将を務めた貫禄を見せつける。
木賊は怯まず一投。低めの球が、手元で大きく伸びて、フル・スイングされたバットの上部に当たり、詰まってセンターの頭上に落ちていく。ストレートの強烈なスピンで球がホップし、そのわずかな球筋の変化で、相手にミートを許さなかったのだ。
それでも強打によって、球が高く高く上がり、そして定位置についたセンター、松原佳樹のグラブの中に、ゆっくりと吸い込まれていく。
そして白河東稜のナインが、最後の攻撃を仕掛けるために、ベンチへ向けて、グラウンドを駆け抜けてゆくのだった。
一番から始まる九回の裏、最初に打席に入ったのは、センター松原だった。どこまでも勝負にこだわる、聖光学院のエース落合が、151kmのストレートを投げる。
外角低めに落ちた球に、松原は振り遅れながらも、辛うじて流し打った。バットがへし折られるほどの球威に押されながらも、その球は鋭く三塁線を突破し、レフト前へと転がる。
持ち前の俊足を活かして一塁を回り、レフトの広田が投球姿勢に入ったその時にはすでに、柳原がセカンド・ベースを陥落させていた。
渾身の初球を弾き返されたことで落合は動揺し、ペースを乱して、二番に入るショート油井勇太へ、四球を与えて歩かせてしまう。
そして三番サードの沢口靖に替わり、代打に背番号10番の伊達徹が送られた。ランナー残塁時の長打率が六割を超える伊達は、強打の姿勢を見せる。
彼に打たせまいと、バッテリーはさらに強気になり、落合がその右腕を振るって、伊達の懐に146kmの高速縦スライダーを差し込む。
捕手の前に落ちてこぼれた球を拾う、その一瞬の隙をついて、ランナー二人が同時に走り、ダブル・スチールを成功させる。聖光学園の捕手は、慌てて牽制しようとしたが、既に間に合わず、無死二塁三塁となって、カウントはワン・ナッシング。
そして伊達への第二球。この日107球目となる外角高めを、伊達が強振してライト方向へ流し打ち、高い金属音を響かせた。フェンスに当たって転がるこの当たりが、走者一掃のタイムリー・スリー・ベースとなり、点差を振り出しに戻す。
なおも7点を追って、白河東稜は打席に四番捕手の沢村を送り込む。四番沢村、五番セカンド井上聖が続けて単打を放ち、無死一塁二塁として、六番ファースト大平徹平が打席に入る。
三者連続の左バッターを相手に、この時初めて、内野陣がマウンドに集まった。短い間合いを取って、再び落合はバッターと対峙する。
ボールを先行させて、相手を揺さぶりながら、鋭い球を放って追い込み、打ち取ろうと球を投げ込んだ時、六番ファースト大平の大きな当たりが、ライト・スタンドに向かって伸びていく。県大会9本目となるホームランで、さらに3点を奪い、ついに落合をマウンドから引きずり下ろした。
波に乗った打線は、留まる事を知らず、七番ピッチャー木賊、八番レフト小笠原誠、九番ライト高橋慎吾が、マウンドに立った抑え投手を続けざまに打ち崩していく。
乱れたピッチャーは球筋が荒れ、無死満塁のピンチに、一番松原に強い当たりを許した。引っ張って打ったそのライナーは、ライトの好守備に阻まれ、安打にならなかったが、ランナー全員が一斉にタッチ・アップのスタートを切り、1点を返して一死二塁三塁。
二番油井が再びフォアボールを選び、満塁となったところで、三番に沢口が右の打席に入った。投手はプレートから足を外して、捕手のサインを読み、三度小さく頷くと、身体を起こしてそのリードに従い、緩急をつけたピッチングを始める。
落ち着きを取り戻した相手のバッテリーに、三番打者沢口はフル・カウントにまで追い込まれるも、その後沢口は、10球連続となるファウルで粘り勝つ。ついに15球目を捉えて、同点打となる当たりをレフト・スタンドに放ち、ゆっくりとダイヤモンドを一周していく。
そして四番沢村が、この回二度目のバッター・ボックスに入る。三球続けて外角に入った球はすべてボールとなり、甘く入ったその4球目。
身長197センチ、体重105キロの巨体がフル・スイングし、ど真ん中の145kmのストレートを、正面へ大きく弾き返した。その打球はどこまでも伸びて、伸び続け、放物線を描いてバック・スクリーンへと突き刺さった。
そのソロ・ホームランによって、白河東稜は逆転を果たし、サヨナラ勝ちで試合を終えた。一挙10点の猛攻は、末永く語り継がれることとなる。
その死闘は四時間に及び、その末に勝利をつかんだのは、新設の一年生チームだった。そして白河学院大付属、白河東稜高校硬式野球部の快進撃が始まる。