今一度パジャマを洗濯致し候
「うわあああああ!!」
叫びとともにベッドから起き上がる。全身のうぶ毛が逆立ち汗が吹き出していた。心臓がバクバクと脈動をうったまま一向におさまらない。荒い呼吸を抑えて深呼吸をする。どれだけ息を吸っても落ち着かない。血が濁流にでもなったかのように全身を駆け巡っていた。
「私、死んだ?」
あんな夢を見たのは初めてだった。落下している時に勢いよく浴びた空気が喉奥に染み込んでいる。悪夢は終わったというのに、未だに体から不快感が抜けない。
何より寝た記憶がないし、死んだという実感を味わってしまった。肌が死ぬ感覚を覚えてる。
「なんだろう、あの光景」
夜空に浮かぶ満月。衝突した地面から舞う土埃。音を鳴らして折れる首。聖女様と呼ぶ声。全て鮮明に覚えている。夢から覚めたというのに、まだ夢の世界を引き摺っているようだった。
「......忘れよう」
夢占いでは、自分が死ぬ夢は良い意味を持つらしいけど、私が今見たものは確実に悪夢だった。
うん、忘れよう。あんな夢を見たことは忘れよう。
昔代劇で悪夢を見た豊臣秀吉が徐々に狂っていき、愚行を繰返しシーンがあった。あれは、明智光秀に毎夜復讐で殺され、疑心暗鬼になり気が狂っていったんだ。確かに、いくら夢とはいえ、今みたいに毎日死んでたら気もおかしくなるかもしれない。
目覚まし時計を確認すると、まだ2時ちょっとだった。丑の刻とか嫌な時間だ。二度寝する気になれなくて、顔を洗おうと洗面所へ向かった。親を起こさない為に廊下の電気はつけず、洗面台の電気だけつける。そして、鏡に写った自分の姿に驚いた。
鏡には、血だらけのパジャマを着た自分が居た。オレンジのパジャマが薔薇でも咲かせたように真っ赤に染まっている。背中を確認すると、背中も血だらけだった。
「嘘......」
あまりの衝撃で言葉を失ってしまう。生理はこの前終わったばかりだし、自分が血だらけになっている意味がわからなかった。顔や髪に血はついてないのに、服だけ血だらけだ。さらによく確認すれば、土もへばりついている。
「忘れよう」
今度は強い意思を込めてもう一度、深呼吸をする。気狂い状態の豊臣秀吉になってしまいそうだった。息を吸って吐いて落ち着かせた後に、私は自室の別のパジャマに着替えて洗濯機で汚れた服を洗った。
「今一度パジャマを洗濯致し候」
ぶつぶつ呟いて、念入りに洗剤を入れた後に、洗濯が終わるまで待った。数十分間、親に見付かったらどうしようか終止緊張していたけど、幸いなことにお父さんもお母さんも起きては来なかった。
洗濯が終わった後は、部屋にパジャマを干してただ自室で黙り混んだ。早く朝になって欲しいと願う時間は長く、常に命を狙われることを警戒していた戦国武将の気持ちが少しだけわかった気がした。
その日は一切眠らずそのまま高校に登校した。
1時間目は大好きな日本史の授業だったのに、緊張がずっと続いていたために疲れが出ていた。意識が朦朧としていて、うとうとしてしまう。
「ねえ、大丈夫?」
隣の席の友達が、心配して小声で話しかけてくれる。
「みいちゃんが大好きな日本史の授業だよ、聞かなくていいの?」
「うん、うん」
眠気がピークに達していて、空返事をしてしまう。半分聞こえているのに、うまく返事ができない感じだった。
「ちょっと...」
友達の声は聞こえているのに、意識だけ遠のいていく。睡眠欲を抑えられず、私は机に突っ伏した。
生暖かい夢がぼんやり見えてくる。誰かから声をかけられているようだった。
『聖女様、聖女様...』
洞窟の中で聞こえる反響音のようだった。徐々に人間の輪郭を持つそれの手を取ろうとしたとき、肩をぽんと叩かれる。意識を取り戻して顔を上げると、日本史の先生がそこには居た。
先生は無言で私を見ていた。
「うぃ、あ、はい」
思わず間抜けな声を出すと、クラスからどっと笑いが起こった。
一気に現実に引き戻され、恥ずかしさが込み上げる。
「すみません...」
「以後、気を付けてね」
眼鏡をかけた初老の先生は、それだけ言って教卓に戻った。
「保健室行きなって、今すぐ」
「いやでも、眠いだけだし」
「これは命令! 担任には私から言っとく」
日本史が終わった後、友達に強く言われて保健室にいくことになった。しばらくベッドで横になると、またなんだか聖女様と呼ばれてる気がして、嫌な気持ちになった。
そもそも聖女ってなんだ。聖女。キリスト教的な言葉じゃないかな。儒教とか仏教とか神道に聖女居ないでしょ。居るのかな。聖女。卑弥呼とか北条政子的な存在のこと? ただ女性は紫式部みたいに役職名が名前になるから、聖女も役職名なのだろうか。
眠らないようにベッドで座ってると、保険の先生に早退するように勧められた。お母さんに来てもらうように先生には言われたが、流石に、この年齢で親のお迎えは恥ずかしい。なんとか説得して、自分一人で帰ることになった。
友達は私が早退することを知ると、保健室までスクールバッグを持って来てくれた。
「みいちゃんが日本史聞かないとかありえないから。体調悪いんだったらさっさと帰った帰った」
口調は強いが、友達は優しい。あたたかさが胸に染み渡った。
家に帰った後も、ずっと呼び掛けられてる気がして眠りたくなかった。親が帰ってくるまでリビングでテレビを見る。お母さんはパートを早退したようで、はやめに帰ってきてしまった。慌てて帰ってきたのに、娘が呑気にテレビ見てるせいで、大きなため息をつく。
「まったく、体調悪いんだったらさっさと寝なさい!!」
そう叱られて、しぶしぶベッドで横になる。保健室で眠らずとも結構な時間を過ごしていたせいか、日は大分傾いていた。窓から降り注ぐ西日で部屋は黄金に染まる。眠りたくなかったけど、いつの間にか私は意識を失っていた。