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暗い夜。

作者: 安孫子太郎

薄暗い。日が落ちた。今日も終わってしまった。明日になるのが恐ろしい。他人の目に自分が映ることが嫌なんだ。いつまでも夜風に包まれてそのまま何もかも失ってしまいたいと思っていた。男とは思っていた。

丁寧に桃を剥いて食べた。種をうまく取り出すことだけに集中した。果汁が滴り手首まで伝わってきた。それでもただ桃を剥き続けた。缶詰じゃない、本物の桃を食べようと思ったのは初めてだった。もしかすると缶詰ではない桃を食べたのも初めてかもしれない。それで人生が大きく変わってくれるような気がした。

いつでも普通を演じることを決めていた。愛想よく笑顔で挨拶をする方法を学んだ。アイツは良いやつに違いないと思ってもらえるように生きるコツもそれなりに習得したと思っている。異性にも気持ち悪いと思われることなく、たまには、デートの誘いを受けるくらいには人間性を育む努力をした。静かに相手の話に耳を傾け、決して否定することなく、絶妙なタイミングで相槌を打つ。いやらしさの無い称賛を送る。そういったことを30年掛けて学んでいった。それが生きるということだと知った。だが、日が落ちてしまえばそういった、人間的成長もすべて偽りだったと気付かされてしまうのだ。


家の前に子猫がいた。道に迷って来たのか、それともそこに捨てられてしまったのか。その日は朝からひどく雨が振り続け、まったくもって外出をする気にはなれなかった。だが、たまたま家を出てみた。出てみるとそこには、薄茶色の虎柄の子猫がいたのだ。濁ったエメラルドグリーンの眼で男を見上げていた。

とっさに、電子レンジのわきに置いてあった魚肉ソーセージを千切って食べさせようとした。警戒し、一度は男から距離を取ったが、地面に転がった魚肉ソーセージの一片を口にした。子猫は静かに食べた。

その日から、男と子猫は生活を共にすることとした。


日が完全に落ちてしまった。男の部屋のなかには完全なる闇に包まれた。いっさい火を灯すことをしなかった。

ベランダから外を眺めれば、大通りを走るトラックのフロントライトを見ることはできた。


そんなことはどうでもいい。すべてを闇に包んでしまいたい。黒いモノが何もかも飲み込んでくれてほしい。ただ、足元にいる、この子猫だけは助けてほしい。俺は消えてしまいたい。何者にもならなくていい。誰からも自分を認めてもらいたくない。誰からも必要とされたくない。そして、誰も必要としたくない。


部屋のなかにはもう、子猫のエメラルドグリーンの2つの小さな瞳だけがわずかに外の明かりを受けて反射しているだけだった。

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