8話
カーテンの隙間から差し込む陽の光が、瞼越しに十織の視覚を刺激する。
「ふわぁあ」
十織は重たい瞼をゆっくりとあげて、腕を天井に突き上げて伸びをする。
その後カーテンや窓を開けて、外の空気を向かい入れた。
「……ちょっと肌寒いな」
窓を開けてすぐ、近くに掛けてあったアウターを手に取り纏う。
そうして、──窓の外を見た。
空はどこまでも澄み渡り、辺りを飾る樹木たちは赤や黄色に染まり雰囲気を作り上げる。
「遥か昔に失われた『紅葉』を、こんなところでお目にかかるとはな」
十織が元居た世界では、樹木は簡単に見ることなどできなかった。もちろん、幾度にわたる自然破壊と大戦によるものであったが。
ならば当然、四季による木々の変容を十織が見ることはなどないだろう。
──そう、今は十月。
十織が初めて魔力を発現させた日からおよそ五ヵ月ほど過ぎ、気付けば暦は十月を告げていたのだ。
入学試験まであまり時間が無いことを意味していた。
「飯、食べるか」
食事を済ませようと考えた十織は適当に身だしなみを整えると、イルズバード邸の食堂へ向かう。
食堂は十織の部屋からあまり離れていないようで、あっという間に到着した。
「おはようございます」
「ああ、おはよう十織君」
「おはよう」
十織が先に挨拶をすると、エルメウスやエーメルが挨拶を返してくれた。
「あ、おはよ十織」
口に入っていた食べ物を飲み込んだ後で、リリーナは十織に挨拶を返す。
十織は近くの座席に腰を下ろすと、召使いが食事を持ってくる。
今日の朝ごはんは、パンにベーコンそしてスープとサラダ。以前の生活からは考えられないような贅沢なものであった。
「いただきます」
十織は手を合わせた後で、用意された食事に手を付ける。
──この五ヵ月の間に知ったことだが、イルズバード伯爵家にはエーメルの他にもう一人公女がいるようだった。
年齢はエーメルよりも上であることから、エーメルには姉がいるということになる。
けれども、十織は一度も会話をしたことがなかった。
エーメルの姉は十織が目指すセラシド学園の寮で生活しているようで、夏季休暇で短期間であるが帰省した。その時、顔を少し見ただけで、話を交わすことはなかった。
「ごちそうさまでした」
──十織は手早く食事を終えると、自室へ戻る。
そして魔法を練習するときにいつも身に着けている衣服に着替えると、魔法の練習場所へと足を運んだ。
気持ち駆け足で向かい、──普段よりも短い時間で到着する。
けれど、そこにはすでにリリーナとエーメルが待機しており──
「十織、遅いって」
「わるいわるい」
リリーナが頬を膨らまして不満をたれる。十織は特に変わった素振りを見せることなく、淡々と彼女たちから指示を仰いだ。
「今日は、何をするんだ?」
付録であるが、以前エーメルに丁寧語を用いて会話していた光景をリリーナに目撃され、エーメルに対しても丁寧語禁止が言い渡されたのだった
「そろそろ反復練習も飽きた頃だと思ってね、最終的には少し実戦形式を混ぜた練習をしようと思っている」
エーメルの発言に戸惑う十織。それも仕方ない、十織はあれからいろいろ自身の魔法を探して試行錯誤を繰り返してきた。
けれどその努力の大半は気泡となって霧散した。けれど、一つだけ見つけることができたのだ。
それは──物体の遠隔操作だった。
これはどうやら闇系統の魔法に属するようで、エーメルとリリーナはさらに意味不明になったと頭を抱えていた。
もっとも十織が扱う遠隔操作の魔法の熟練度はあまり高くない。どうも彼曰く、物体を操作する感覚に違和感があって、精度が維持できないとか。
「本当にやる感じ?」
「何もいきなりやるわけじゃない、けどもう秋だ。入試には実戦形式の試験があるから、そろそろ準備しないと間に合わない」
エーメルが言うことはもっともで、十織も黙って頷く。そして、このスペースの端に積まれている人が持ち運べる大きさの丸太を手にとって、切り株に立てて置いた。
続いて、近くに刺しておいた斧をリリーナから受け取ると地面に置いて、集中し始めた。しばらくして十織から僅かながら魔力が発生していた。あの荒療治が効果覿面だったようで、今ではすっかりものにしていた。
やはりいつになっても十織の魔力の色が変化することはなく、白銀色のままであった。それに合わせて虹彩が白銀のような輝きを放つ。
──もっとも魔力の生成と魔法の操作はまったくの別問題だった。
十織は斧に向けて手をかざす。すると白色の魔法陣が現出した。
魔法陣は術者が思い描いたイメージを、現象として体現するために世界に干渉して書き換えるために発生する。ただ面白いことに、この魔法陣に記されている文字や記号、幾何学的紋様は術者本人含めて意味を理解している者はいないとか。
斧が宙を舞い始める時にはすでに魔法陣は霧散しており、十織は気合を入れて斧を振り下ろす。
パカンッ、──心地の良い乾いた音と共に丸太が二つに割れた。
断面は素人丸出しな様子で、ガタガタであったがこれでも進歩したと十織は満足する。
以前の十織はただ斧を動かせるだけであり、イメージとはことさら合致しない軌道を描いて斧は振り落とされた。時にリリーナが立っていた場所へ、時には林に中に飛んでいって斧を紛失したこともあった。
──ふと、何やら急にリリーナが騒ぎ始めた。
「私も寒くなってきたし、薪作りやろっかな!」
「リリーナ、それは十織の練習だから君はこっちを何とかしてくれると助かる」
と言うようにエーメルは、十織が練習に使用している丸太置きの近くに寝転んでいる樹木まるまる一本分の丸太を指差す。
「しょうがないなー、まあ十織の邪魔してもしょうがないし」
といってラージサイズ丸太へ足を運ぶ。そして先端に立ち、手をかざす。すると金色の魔法陣が瞬時に現れ霧散した。
そこまでは十織の理解が及んでいたが、一度瞬きをした後に標的にされた丸太を見ればすでにバラバラになっていたのだ。
「──っ!?」
「上出来かなー、エーメルそれでこれどうするの?」
しかしリリーナは何でもないかのように、柔らかな雰囲気でエーメルにこの薪にフォルムチェンジを果たした丸太の処理を尋ねる。
「ほら、これでまとめといて」
エーメルはリリーナにそっといくつもの縄を手渡す。それを見たリリーナは、目を見開き猛抗議を始めた。
「ええ!? あの量全部一人でまとめろっていうの!?」
「遊んだ後始末くらい、自分でやれ」
冷たく突き放すエーメルだが、リリーナは薪たちを指差してこれでもかというくらいにかじりつく。
「それでも、あの量はあんまりじゃない? ……ね?」
「何でわたしがやらなきゃならない、面倒だ」
それでもエーメルは断固として手を貸さない姿勢を保った。それでもめげずに物申すリリーナたちを遠くから十織は眺めていた。
そして一瞬でバラバラにした大量の薪を視界に収める。おそらくあそこに転がっている薪は一般の家庭が一年かかってようやく使い切れるかどうかという量だった。
──それを見て十織は、とあることを思いついた。
(あれを全部……いや、大まかでいいなら分けられないか?)
延々と話し合っている彼女たちを無視して、棒状の山となっている薪の塊へ意識を集中させる。そして、イメージする――あの薪たちが宙で分離してまとまり地面に整頓されていく一連の流れを。
ついに先ほどとは比べものにならない大きさの魔法陣を構築――薪たちが一斉に宙を舞い始めた。
しかし、十織は顔をしかめる。
(難しいなぁ、どうも手応えがぼやけていて。けど、大雑把なら──)
十織は空中で薪をスタックにまとめあげていく。ようやく、数多の薪が空中を待っていることにリリーナとエーメルは気付く。
「え? そんな規模を操作、いつの間に!?」
リリーナは十織が見せる光景に目を輝かせる。エーメルは、ただ頷いて十織を見ているだけだった。
──ついに薪がまとまり、ゆっくりと地面めがけて降下する。そして、地面に帰ってきた薪は大雑把であるがスタック単位でまとめられていた。
それを見たリリーナは、十織の元にやってくる。
「すごいよ、十織! てか、……ありがと」
「あ、うん」
顔を少し赤らめて十織の目からそらして感謝を口にするリリーナは、言葉で表現できないような愛くるしさ満ちていた。
そんなリリーナの様子に、十織もどこか気恥ずかし気持ちになった。
続いてエーメルが手を叩いて、近づいてくる。
「いや、君には驚かされてばっかりだ」
「そうなの?」
「やはり自覚なしか、まあそれはそれで君らしい」
ため息ひとつ付いて、おどけた表情を見せるエーメル。
「遠隔操作の魔法は多くても十個物体を操れれば、うまい部類と言われてるわ」
リリーナは自分のことのように誇らしげに言い放った。
彼女が言ったとおり、遠隔操作魔法が支配できる物体の数が少ないならば十織が今見せた芸当は人外に相当する。
薪といえど、それぞれ独立しているので十織は一度に百を優に超える物体を操作しなければ、たちまち薪は十織ももとを離れ落下するだろう。
「それもあのリリーナの魔法を反射する固有魔法の一部なのだろうか」
「そういわれても、さっぱり……」
リリーナの光線を反射した覚えもないどころか、知識も不足している十織には区別などつくわけもない。
「そういえば、そっちの固有魔法は何か掴めたの?」
「それらしい手応えも皆無なんだ」
「そうなのね」
だいたい、あの時を一瞬でも思い出したくもないと十織は心の中で吐いた。
「そうだな、やっぱり何か情報がほしい……だから実戦形式の練習をやらないか?」
──エーメルが切り出す。
だが十織とてここで立ち止まっていられない思いから、エーメルの提案を快諾する。
──その後、エーメルは具体的にその中身を説明した。
本来入試で行われる実戦形式の試験は戦闘不能もしくは降参で勝敗を決する。けれど、いきなり戦闘不能はやりすぎということで、致命打となる一撃は寸止めということになった。
「それで十織と手を合わせるのは――リリーナになる」
「──っえ、エーメルさんじゃ……?」
十織の脳内に蘇る──。
あの日、リリーナと相対して逃げ惑う姿が鮮明に。
それだけで脚は震えて、立っていることも難しくさせる。
「──エーメル。どういうつもり?」
いつものような落ち着いたトーンではなく、明らかに冷たく重くエーメルに問いかける。それでもエーメルは普段と何ら変わらない振る舞いで答える。
「どういうつもりも何も、それが一番最適だからだ」
「あなたの目に映る最適が、私にはわかりかねる。私が相手するということは、そういう意味かわかってる?」
視界の端で座る十織を見て、エーメルを追及する。
「まあ、そうだな。リリーナの考えもわからないわけではない」
「なら、前言を取り消──」
リリーナが言い切るよりも先に、エーメルは思いを解き放つ。
「いつかは──乗り越えなくてはいけない問題だ。……そもそも、君や私と十織の関係が不可逆的に砕け散ると思うのか?」
「──っな」
エーメルはどこか挑発的に、それでいて明確な確信を抱いてリリーナに言い迫る。さらに、とどめを刺すように──
「わたしたちこそ信じなくて、十織が信じられるわけない」
「……そう、よね」
リリーナはしゅんとして、俯いた。
しかし、十織は今のやり取りを聞いて人知れず涙を流していた。そうして、心のどこかで彼女たちを疑っていた自分を心の底から呪った。
(こんなに信じてもらって、寝ているわけにもいかない)
十織はゆっくりと立ち上がる。自然と震えも止まり、身体には燃えるような活力がみなぎった。
「心配いらない、おれはリリーナとやるよ」
「いいんだね?」
エーメルの再確認に対して首肯する。
「でも、そんな様子じゃあそれどころじゃないでしょ!?」
リリーナは十織の目が赤く腫れているのを見て、なおさら制止を呼びかける。けれど、リリーナの心からの心配を受けてなお──
「ありがとう……、それでもおれはリリーナやエーメルを信じてるから怖くない」
「──っえ」
十織はまっすぐとリリーナを見る。今でも彼女の手から繰り出される魔法を思い出すだけで悪寒が走る。
「じゃあ、リリーナもいいな?」
エーメルも便乗して、リリーナに意思の決定を催促する。
「……そこまでいうなら、あとごめんね」
「……ありがとう」
リリーナは渋々といった様子で、エーメルの提案を飲んだ。
「では、始めようか。ルールは先に話した通りだ、それぞれ距離をとってくれ」
エーメルの指示で十織とリリーナは違いに十分な距離を取った。リリーナは乗らない様子で、十織は今にも爆発しそうな心臓を押さえつけるように胸を押さえている。
この無限に長く伸びた時間の中、エーメルは合図を下す。
「──始め!」
開幕して、先に動いたのは十織だった。リリーナは最初から先攻を取らない姿勢を貫いていたため、自然といえば自然である。
「はあぁあ!」
十織は直ちに切る前の小さな丸太めがけて手をかざす。
──直後、魔法陣が組み上げられ現象を改変する魔法として成立する。それにより、十織が操った丸太はリリーナめがけて加速した。
斧を振り回す力程度は遠隔操作で発揮できるため、直撃したならば致命打となるだろう。
「別に、遠慮する必要はないから」
リリーナは静かに飛来する丸太に掌を向けると、十織の倍速で魔法陣を編纂し、熱量を多大に含んだ光線で丸太を焼き払う。
「そんな……」
後には、灰すら残らず。──十織は後ずさりした。
「十織!!」
「――ッ!」
観戦しているエーメルが、十織の名を強く呼ぶ。
──そう、逃げるなと。
エーメルはそう言いつつも、自分たちが作り上げたこの状況にこのようなことを言っていることを滑稽だと自身を揶揄した。
──十織は次のアクションを起こす!
「これで、どうにかなれ!」
十織はエーメルの一喝で目が覚めたのか、再び攻勢に転じる。
続いて武器として持ち出したのは、──リリーナが薪に変えたラージサイズ丸太と同じサイズの丸太だった。
ゆっくり浮かび上がった丸太を、空中で移動させリリーナの頭上へ配置する。
「おおおら!」
──巨大な丸太で兜割りのように振り下ろした。
それは唸りをあげてリリーナを叩き潰さんとする。
「いいじゃない」
この凶器と化した丸太が作る影の下を、優雅に歩くリリーナ。
──次の瞬間、襲いかかる丸太を光の刃で散り散りになるまで裁断した。
「……」
十織はそれを見るなり、顔面蒼白となっていた。
だが、リリーナは十織の様子など知ったことかと言わんばかりにじわじわと距離を詰める。
(何だろ、この既視感)
薪で攻撃しようと、大木で兜割りをしようと一切動じず、進路を一切変えないでまっすぐかつゆっくりと接近してくるリリーナ。
この後光景があの時と重なり、意識した途端フラッシュバックのように恐怖心で頭は真っ白になる。
「う、あぁああ」
余裕がなくなった十織は近くにあった薪をリリーナに差し向ける。
「へぇ……」
その数はゆうに二十を超えておりリリーナは小さな声で称賛した。
けれど、リリーナは表情は一切変えることなく迅速に魔法陣を組み上げ、頭上で魔法陣を完成させる。
──次の瞬間には、全方位から襲いかかる薪はリリーナを中心とする球状の光の壁によって焼き払われた。
「あ、ああ……」
──すでに、お互いの距離は十歩以内。しかし、ルールは致命打となる攻撃の寸止めか降参であるが、十織の頭にはもはや練習という言葉すら思い出せないほどに頭が機能していない。
「十織、ごめんね……」
リリーナはゆっくりと手を十織の胸の元へ手を伸ばす
「──っ!!」
十織は辛うじて目でその手を追った。その動作に十織はあの日を鮮明に思い出す。
──そうこれは、奴隷最後の日、リリーナによって命という時計を止められかけたあの日の──
(──こ、殺される)
もうどうしたらいいのか、十織すらわかっていなかった。ただ溢れてくるのは、目の前の女に対する恐怖心と敵対心。
ついに胸に手が届き、魔法陣が編み込まれていく。
あの時と構築時間、規模、何もかもを変えずに──
「……十織」
──その途中、リリーナは昨夜を振り返えっていた。