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幻と現実の狭間≪ディ・グレンツェ≫  作者: 木箱てぃっしゅ
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7話

 十織の魔力の発現に成功してから七日が過ぎた今日、十織は目覚めて食事をとってからすでに、三時間ほど机に向かっていた。

 紙と筆を片手に持ち、分厚い書籍を読んでは繰り返し綴る。

 ──それはこの世界における言語の文法や地理、歴史であった。

 この世界の言語は昔の世界と発音は同じであっても、やはり文字は全く違うものであった。また、地理や歴史などは三年近く奴隷であった十織に知る機会があるわけもなく、白紙からのスタートだ。

 十織は自分で各教科に設定したノルマを終えると、手元にあった本を置いて別の本を手に取った。

 ──魔法陣基礎。

 そうラベルされている辞書のような分厚い本を手に取り、開いた。


「……あぁ、だめだ」


 十織は目の前に広がる呪文のごとき文字列に目を眩ませる。

 ──その時、優しく扉をノックする音と共に十織の部屋に誰かが入ってきた。


「どう? 勉強、捗ってる?」


 そう言ってリリーナは紅茶とお菓子を置いて、十織が開いているページを覗き込む。

 リリーナやエーメルは交代で十織の勉強をたまに教えに来てくれるのだ。十織もこれには、多く助けられている。


「いや、さっぱり読めない」

「……どこ?」


 リリーナは本に書かれた文字を見るべく、顔を近づける。

 それによってリリーナの顔が十織の顔と急接近、そこから香るシャンプーの香りに十織は鼓動が早くなるのを感じた。


「そこはね、──十織?」


 上の空となっていた十織に、リリーナは声をかける。


「ああ、ごめん。もう一回、お願いします」


 十織は慌てて気を取り戻す。

 そうして、一通り十織の質問に答えたリリーナは紅茶を一口飲んで、一息ついた。


「そういえば、今の勉強に関係ないといえば関係ないんだけど……」

「ん、なに?」

「この世界の学問に、数学とか理科はないのか?」


 前の世界では主要な学問として数えられていた数学と理科が、この世界の学ぶべき学問に数えられたいなかったことに十織は違和感を覚えていた。


「算術はあるわ。それと理科というより……化学とかは一部の医者が学ぶおまけみたいなものならあるけれど」

「そうなのか」

「でも、学んだところで一般人は使わないと思う」


 この世界には魔法というものがあるので、わざわざ科学しなくても事足りてしまうのだろうと、十織は結論付けた。

 それからひとしきり勉強を見終えたリリーナは、ゆっくりと立ち上がる。


「じゃあ、今日はいつもの場所に六時に来てね」

「わかった」


 そう言い残して、リリーナはこの部屋から立ち去った。

 今日はお祝いの会の埋め合わせとして網焼きパーティー、――つまるところバーベキューが行われる予定だった。

 この会には十織、リリーナ、エーメルの他にエルメウスやその奥さん、加えてこの屋敷の従者たちを交えて行われるそうだ。


「あと、五時間くらい勉強しなきゃならないのか……」


 普段ならば魔法の練習ということで、身体を動かすこともできたが、あいにくと今はバーベキューの会場となってしまってそれは叶わない。

 しかし、十織はこれを贅沢な悩みだと思った。

 奴隷として生きていた時は、毎日が意味を持たずやりたくもない作業に費やされていった。

 十織は気を入れなおして、再び魔法陣基礎という魔物と格闘を始める。

 かれこれ四時間ほど学んだところで、集中力が完全の切れてしまった。

 なので、十織は休憩を入れた。


「世界を書き換える情報を作るのが魔法陣か……」


 先ほどまで、熱心に学んでいた内容を口から漏らす。

 その本によると魔方陣は世界を書き換える情報を多く含めば含むほど、巨大になっていく。

 だが、ある一定の量を超えると魔方陣は形を変えると言われている。


 ──超元魔法陣。


 それの見た目はその術者に依存するところが多いようだが、どれも決まって平面という束縛を捨てて立体になるという。


「疲れたし、時間まで仮眠をとるか」


 十織は考えることをやめて、ベッドに身を投げる。

 そして、アナログな目覚まし時計を適当な時間に設定すると、掛け布団に包まって目を閉じた。

 ──だが、妙に頭が冴えていて意識が鎮まらない。

 十織は数分ベッドに横になっても寝れなかったので、断念して起き上がった。


「紅茶のせいかな……」


 紅茶には確かに頭を冴えさせる効果があった。

 十織は寝る前にセットした目覚ましをいつもの時間に戻して、立ち上がる。

 時計は午後五時を示しており、予定の時刻よりも一時間早い。けれど、勉強をする気がなくなった今、ここにいてもやることがない。

 ──十織は部屋に掛けてある外着に着替えると、この部屋を出た。

 そして普段は魔法の練習場として利用している、屋敷が所有するひらけた場所へと向う。

 距離はそこそこあり、練習場に到着するまでに十数分を要する。


「あれ、十織くんではないか」

「あ、エーメルさん」


 着いてすぐ、十織は溢れんばかりの野菜が詰まったバスケットを持って移動するエーメルと遭遇する。


「持ちますよ?」

「そうか、ならお願いしよう」


 十織はエーメルからバスケットを預かり、エーメル先導のもとで練習場の中央へ向かった。

 中央ではエルメウスが必死にテントや器具を組み立てていた。

 ──不意に、十織はエーメルやエルメウスの行いに疑問を感じる。


「他の人にやらせないんですか?」

「そうだな、普通の貴族ならばそれが正しい」


 貴族といえば贅沢の限りを尽くし、自分では何も動かないという印象を十織は思っていた。

 エーメルも十織の思う一般の貴族という印象に同意を示す。


「何かあるんですか?」

「なんだろう。簡単に言えば……、イルズバード家では自分たちで思い付いたことや遊びくらいは、自分でやろうという習慣があるんだ」

「そうなんですか」

「というわけで十織。……その野菜をあそこにテーブルにおいたら、薪をとってきてくれないか?」


 エーメルはひときわ大きなテーブルを指差して、野菜の置き場所を示した。そこにはすでに野菜の他に、肉や魚などが置かれており、十織は胃腸がまだかと蠢くのを感じる。


「あ、そういえば薪の場所は……」


 食材に気を取られていた十織は、薪の場所を知らないことを思い出す。


「そうだったな、薪はここに隣接する林の側に固めて置いてある。……たぶん、行けばわかるよ」

「はい」


 そうして十織はここに練習場に隣接する林付近まで走って向かい、すぐに発見した。

 エーメルの言う通り、薪が幾重にも重ね置きされていて山のようになっていたのですぐにわかった。

 薪はどれも紐で束ねられており、十織はそれを二つ両手に握って運んだ。


「助かったよ、十織くん」

「いえいえ、とんでもないです」

「じゃあ、ここに置いておいてくれるかな」

「はい」


 十織はエーメルに指示された通りに、鉄製のバーベキューキットの横に置く。

 その時、エルメウスは十織の存在に遅れて気付く。


「十織くん、いやはや準備までさせてしまって申し訳ないね」

「エルメウスさんこそ、すみません」

「気にしないでくれ、僕もたまにはこういうことをして羽を伸ばしたいのさ」


 エルメウスはバーベキューに使用する器具の組み立てを終えて、手をはたく。

 だが、その様子は疲労感というよりは充実感を感じさせる。


「変わってますね」

「そうかい? ──お、リリーナが来たみたいだ」


 エルメウスの視点の先には、魔法の練習を行う時と同様の服装をしたリリーナが、十織たちを目指して駆け足でやってくる。


「え、みんな早くない?」

「勉強の集中力切れたから、早めに来たらこうなった」


 だが、十織もまさかエーメルやエルメウスが誰よりも先に来て、バーベキューの準備を始めているとは思ってもいなかった。


「それじゃあ、一応主要メンバーは集まったみたいなので始めようか」


 そう言ってエルメウスは懇親会の開始を宣言する。

 すでに食材が乗ったテーブルの元にはイルズバード邸の料理人が数人、そこで食材の下ごしらえを目にも止まらぬ速さでこなしていく。

 その作業をリリーナは、まるで幽霊でも見たかのような目で見ていた。


「あれは料理を極めきった成れの果てに違いないわ」

「……な、なんの話?」


 十織も突然のキラーパスに対応しかねた。


「いや、何でもない」


 そう言ってリリーナは顔を赤らめて、より十織から目をそらすような動きをみせる。

 十織も何となく察しがつき──


「……もしかして、料理下手?」

「──!」


 十織の言葉に、うさぎのようにピクリと反応を見せるリリーナ。

 ──この時、十織は思ったことを加工無しで口にしたことを後悔する。


「あ……」


 リリーナの隣にいたエーメルは呆けた声を上げる。

 ──次の瞬間、隣で正しくバーベキューしていたエーメルが手元のトレーから、リリーナは輪切りにされた玉ねぎを奪い取り、――十織の口に叩き込んだ。


「──ぶ!? な、何しやがる」

「……何か文句ある?」

「い、いえ……何にもありません」


 ──その目はどこまでも冷たく、十織は玉ねぎの青く辛く渋い味すらも一瞬忘れるほどであった。

 その後、リリーナはに食材を取りに十織から離れる。


「ははは、君も図太いというか運が悪いというか」


 エーメルはリリーナが食材を取りに行ったのを見計らって十織に話しかける。

 そのついでに、口直しにといい感じに焼けたキノコの乗った皿を手渡した。


「そんなにリリーナは料理できないんですか?」

「できないな、わたしの視点で見ても」


 エーメルいわく、リリーナの不器用と面倒くさがりがいい感じに相乗的に効果するようで、出来上がる料理はどれも悲惨なものになるという。

 エーメルの話を聞いて、リリーナがあの手さばきを目を丸くして見ていたことについて納得する。

 しばらくして、リリーナはたんまりと肉を持って戻ってくる。


「悪かったわね、……食べる?」

「おれも悪かった。うん、食べる」


 十織はリリーナから、まだ焼かれていないジャンボフランクを受け取る。

 だが、焼かれていないジャンボフランクを受け取った十織は何とも言えない気持ちになった。

 十織は黙って、ジャンボフランクを網の上に置く。

 だが、十織はその時の感触に違和感を感じ、気になって網の上を見た。そして、十織は自身の目を疑った。

 ──そこには、網一面に肉という肉がぎっしりと敷き詰められていたから。

 網の上がそんな状態ならば、違和感がするのも当たり前である。


「──父上」


 エーメルのいつになく切迫した声音でエルメウスへ呼びかける。


「あまいぞ、エーメル。こんなの早い者勝ちに決まっているんだよ」

「まずは娘である、わたしから食べても?」


 そうして、エーメルとエルメウスは同時に目を見開いた。


「「焼けたっ!」」


 それを合図に、二人は目を見張る速さで網の上の肉を次々と食べていく。


「……いつからここは戦場になったのやら」

「まったくね」


 二人はジャンボフランクをそっと網の空いたスペースに置いた。

 ──そして、リリーナは焼けていくジャンボフランクを見つめてぼそりと呟く。


「……私の住んでた、フリューゼルトとは何もかも違うんだなぁ」

「おれが聞いていい話?」


 家名を失った原因は十織にあり、リリーナの家族だった人たちの話を聞くことに抵抗を覚える。

 だが、特に気にした様子もなく頷いた。


「リリーナの家はどんな感じだったのか?」

「──こんな賑やかじゃない。いつもいつも、規律ばっか口にするくだらない家だった」

「…………」


 十織はどう反応したらいいのかわからず、黙ってしまう。


「今はいらない話かもね」

「そうか」

「……少なくとも、みんなでご飯を食べることがこんなにも楽しいとは思わなかったな」

「おれもまたこんな感じでご飯が食べれるとは思ってなかった」


 もし、リリーナと出会っていなければ十織は一生あの地獄に繋がれたままであっただろう。

 そういった面では、十織はリリーナに感謝している。


「また、やれたらいいね」

「……そうだな」


 この後も十織たちは、エーメルとエルメウスの肉争奪戦を凌ぎながらバーベキューを楽しむ。

 食材が尽きる頃には、エーメルとエルメウスは腹を抱えてうずくまり、十織とリリーナもちょうど良くお腹を満たせていた。

 こうなってしまった以上、エルメウスやエーメルは後片付けに参加することは叶わず従者に肩を貸してもらいながら屋敷へと戻っていた。

 十織とリリーナはも何か申し訳なくなり、従者の横で片付けに参戦しようとする。


「大丈夫ですよ、あとは私たちにお任せください!」

「いいんですか?」

「ええ、普通は従者にご馳走するようなことはありませんから。これくらいは、ね」


 言葉を交わしながらも、手際よく器具を片付ける従者。


「……じゃあお願いしますね」


 そうして、十織とリリーナも屋敷へと戻る。

 ついにお互いの部屋の前まで歩き、十織はリリーナに感謝の気持ちを表現した。


「今日はありがとな」

「ううん、こちらこそ!」


 花が咲くような笑顔で返すリリーナ。

 十織はその様子に、目線をちらっと明後日の方向に逸らす。


「明日も、よろしく」

「うん! おやすみ」


 こうして十織とリリーナはそれぞれ自分の部屋に戻り、長くも楽しかった思い出の一日を終えた。


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