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幻と現実の狭間≪ディ・グレンツェ≫  作者: 木箱てぃっしゅ
6/16

5話

 ──リリーナと面と向かって言葉を交わしてから数日後。

 十織によって受けた傷の調子が落ち着いたらしく、エーメルの属するイルズバード伯爵家の当主を加えててまとまった話をすることになった。

 もちろん、十織が拒否をする理由も無い。

 ──というわけで、現在イルズバード家の屋敷の会議室に足を運んでいた。


「身体の調子は大丈夫かい?」

「ええ、とりあえずわ」


 イルズバードはフリューゼルト家に古くから良好な関係にあるようで、リリーナはイルズバード家当主と親しげに挨拶を交わす。

 ここに集まった顔ぶれは、イルズバード夫妻、リリーナ、エーメルそして十織。それぞれすでに着席しており、いつでも始められる状態であった。


「さて、それでは始めるよ」


 イルズバード家当主エルメウス・イルズバードが口を開く。雰囲気は堅苦しくなく、近所のお隣によくいそうな、優しいおじさんのようだ。

 その隣にはエーメルによく似た、四十代に達するであろう女性が静かに座っていた。立ち位置から察するに、おそらくエルメウスの伴侶にあたる者だろう。


「まず始めに、リリーナと十織くんは我が家で預かることになった。まあ、家族だと思ってくれて構わないよ」

「まあ、表向きは一応形の上での監視ってところ?」


 リリーナは単刀直入に要点を抜粋して、突く。


「はは、なんとも辛辣なものだねリリーナ」


 それに、エルメウスは苦笑いをしながら答えた。

 するとエルメウスは眉をひそめて、ため息交じりでリリーナへ打ち明ける。


「──そう、僕たちイルズバードが君たちを監視しろと王政から命じられた」


 リリーナは本来、十織を生かして匿い続けたことで王国から処分を下されるはずだったのだろう。

 けれども、エーメルを含むイルズバード伯爵家が十織を監視をするということで、とりあえず保留という形になったのだろう。


(いくらなんでも王国は警戒しすぎな気がする)


 十織は奴隷として生活していただけであり、特に生体兵器の実験体にされた覚えもなかった。

 ふと、時々連れていかれる奴隷は生体兵器の実験だったのではないかと十織は思った。


「それと、特に君たちの行動を制限するつもりもない。……事実、中央部の貴族からしたらこんな辺境の貴族のいざこざなんて形だけ通しておけば、あとは放置みたいなものだからね」


 ──無論、彼らの気に触れなければだけど。

 そう付け足してご丁寧に説明してくれた。

 それでも、十織はいきなり好きにしていいと言われても何をしたら良いのかわからず困惑する。

 そもそも、手がかりすらない今、妹のゆりなを助ける具体案など湧いてくるわけもない。

 十織が何も話さず固まっている様子から、十織の状態を察したリリーナは十織に提案する。


「……うん、なら! とりあえず十織は魔法士になってみたら?」

「魔法士?」


 初めて耳にする言葉だ。しかし、この世界では魔法は空想ではなく実在するものとして広く知られている。事実、十織はその光景を何度も目に写している。


「いいんじゃないかい? その資格があるだけで、地位は平民以上だ」


 エルメウスもリリーナの提案に賛同したようだった。


「……その魔法士ってなんですか?」

「まず、軍人と平民の違いはわかる?」

「はい、なんとなく」


 エルメウスは魔法士について説明し始めてくれた。十織のいた世界では、平民は戦わず軍人のみが戦うという世界だった。

 もっとも、テクノロジーの発達が極まっていた前の世界では人の血が流れる戦争は最後の大戦を除いて稀であった。


「その軍人にあたるのが魔法士。騎士なんかは平民が魔法具を装備した治安維持隊みたいなものさ」


 すなわち騎士は前の世界の警察に相当するのだろう。


「その軍人にあたる魔法士は資格がいるのですか?」

「そうだね、魔法は誰しもが使えるわけじゃない。先天的な要素に魔力保有量というものがあって、それで少ないものは魔法すら使えない」


 エルメウスはそういうが、魔法や魔力の概念がない世界に生まれて育った十織に魔法士としての素質である魔力があるか怪しいところであった


「リリーナ、十織にそのような才があるように思えない。それは君もわかっているだろう」

「たしかに、今の十織からは魔力をほぼ感じないわね」


 しれっと言うリリーナ。その振る舞いに、未だエルメウスと十織はリリーナの提案の意図が掴めないままである。


「じゃあ、何を根拠に魔法士など勧めた?」

「あれこれ喋るより、見せた方が早いわ──」


 そういうとリリーナは、上着を少しはだけさせて右肩を露出させた。右肩――正確には僧帽筋が存在する鎖骨より上の範囲に痛々しい傷跡が広がっていた。


「「っ……」」


 この場にいるエーメル以外のものが、声を漏らす。

 十織がリリーナの胸ぐらを掴んだ後に手に付着した血はきっとあの傷がまだ塞がっていなかったのだろう。もっとも十織は、エーメルが付いていながら、治りがあまりに遅い点を訝しく思った。


「──これをやった人物こそ十織。完全に油断していた私も私だけれど……、軽く死にかけたわ」


 その傷跡を見る限り、鎖骨下動脈にまで傷が達していたのだろう。数日前、この屋敷で十織がリリーナにあったときに比べれば顔色はいい。しかし、どこか活力を感じられなかったのはこれが原因なのだろう。


「……ほぅ、じゃあ彼は『固有魔法』を持っていると」

「私もそう考えているわ」


 勝手に相互理解に達したエルメウスとリリーナに制止をかけるように、十織が割って入る──


「なんですか、固有魔法とは」

「そうだな、普通の魔法じゃない……その存在特有の強力な魔法、とだけ言っておこう。魔法を学んでいない君に話しても仕方ない」


 簡潔に十織に固有魔法について説明した。

 しかしその説明を聞いて、十織は前の世界での特異体という存在を思い浮かべた。

 なんでもその特異体という存在は通常の人間という個体よりもはるかに、とある軍事武装を操ることに適性をもつ個体らしい。

 ──もっともその特異体は歴史上、まるで部品のように扱われる哀れな結末を迎えた。

 それを思い浮かべてなお。


「はい、理解しました。」


 十織は俯いまま、エルメウスに返事をする。


「さて、話も見えた。十織くん、君はどうしたい?」

「とりあえず、魔法士……目指します」


 エルメウスの問いに、即返答をする。

 十織はどちらにせよ、拒否権など元からないと知っているから。そもそも、ゆりなの安否すら知らない十織にとって停滞など論外である。


「決まりだね。では、そうだねリリーナと十織は来年の春に行われるセラシド学園の入学試験を目指して鍛錬していくのかな」

「そうなるわね」


 セラシド学園──それは国内に存在する魔法士の資格を得るための学園の一つで、セラシド学園の他に十校舎ほど運営していると、エーメルから聞いていた。

 そこは貴族、平民が入り乱れる珍しい施設でもあるそうだ。


「では、新たな家族を祝して今日は豪華な食事を用意しよう」


 エルメウスは柔和な表情で十織たちの歓迎を示した。そして、彼の言葉に応じるように召使いたちは慌ただしく動き始めた。

 しかしリリーナは、やけに物静かに立ち上がりエルメウスに顔を向ける。


「──まだ傷の調子が良くないので食事は欠席してもいいかしら」

「ああ、……構わないよ」


 そういって、リリーナは早々とこの会議室から出ていった。

 彼女にしては珍しく浮かない顔だったので、十織は少しばかり気になる。するとすぐ後ろからエーメルが声を掛けてきた。


「魔法は身体的な傷を癒せても、精神的な傷までは癒せないんだ……。加えて、あんな調子ではなかなか身体の傷も癒えない」

「そうだったんですか」


 エーメルはリリーナの傷の回復が遅い原因をリリーナの精神的な衰弱にあるという。

 ため息をついてエーメルはリリーナが退出した扉へ目を向ける。


「このような案件の後は、いつもこんな調子だ。まったく、嫌なら断ればいいのにな」

「…………」


 十織は俯く。すると、エーメルは十織の額を指で弾いた。


「少しは興味がある、って顔してる」

「そうですか……」

「そう見えた」


 そういって、エーメルはリリーナの後を追っていった。

 きっとあの時、リリーナが涙滲ませて反論してきたあれは嘘ではないのだろう。心のどこかでリリーナのことを疑っていたことに、十織は自身に対して嫌悪感を抱いた。


(いつか、謝らなきゃな……)


 十織も立ち上がり、食事を丁寧に断ると速やかにこの部屋を去った。

 その後、少し迷うものの十織に与えられた部屋に戻りベッドに寝転ぶ。ベッドの柔らかな弾力や温かさが、いつになっても涙腺を刺激する。

 もはや情けないと思う気持ちすら本心かどうか分からず。前いた世界の自分と現在の自分、どちらが本当の十織なのか区別が付かないまでにこの世界にいろんな意味で馴染んでいた。


(いった、ゆりなはどうしているだろう)


 出来るだけ考えないようにしてきた想いが、以前の生活より余裕が生まれたせいか浮上してくる。

 現状、十織はゆりなが生存してるかどうかすらわからない。

 それでも、変わらずに十織はゆりなが幸せな生活をしていることを強く願った。けれど、それしかできない自分が悔しいと十織は思った。


 ◇◆◇◆◇


 十織は寒さを感じて意識が鮮明となっていく。

 遅れて思考がクリアになると、自分がベッドの上で布団もかけずに寝てしまっていたことに気付く。


「春といえど、どっちの世界も夜は冷えるのは変わらないか」


 奴隷として生活していた時は、寝るまで寒さに耐え忍んでいた。──もっとも、寝てしまえば疲労か本能かわからないけれど起きることは無かった。


(風邪ひきそうだ……)


 身体も冷えてしまっていて、身震いさせる十織。

 十織は浴場を借りようと思い付き、立ち上がる。

 

(風呂に一日一回入るって、昔は常識だったな)


 ふと、頭に奴隷に落ちるよりも以前の習慣を思い出す。

 無論、奴隷として生きていた間はよくて水桶と布を手渡される程度であった。

 ──随分と幸せな生活、してたのかな。

 そう、前の習慣に対して考える。今までは考えもしなかったことだが、奴隷生活を経験した十織には深く考えさせられるものがあった。

 ──こうしている間にも準備を終えると、入浴施設を目指して部屋の扉を開ける。

 そして数日前にエーメルに案内してもらった入浴施設へ足を運ぶ。


(ある意味、すごいな)


 田舎といえども、イルズバード伯爵家は貴族である。

 ──その光景は、中世ヨーロッパのように基本的に石材で構成され、その光景は迫力すらも十織に与えた。

 ついに入浴施設へ到着を果たす十織。

 その入り口はまるで大衆浴場の如く大きく、その奥にある脱衣場は数十人が同時に使用できるほど広大であった。

 ただ、その大きさに対して利用者は無し。

 ──エーメルから聞いた話では、今十織が訪れている時間は使用人や従者が使用しない時間帯に重なっている。

 普段はもう少し多いのだろう。

 ──十織は手早く衣服を脱いでカゴに入れると、貸し切り状態となっている浴場へ足を踏み入れる。

 そして十織は黙々と身体を洗う。


「はぁ…………」


 息を吐きながら湯船に浸かる。

 ──しばらくの間、無音の空間に身をゆだねていると隣の壁から水が波打つ音が聞こえた。

 この建物は以前の世界ほどテクノロジーが発達しているわけではないので、耳を凝らさなくてもここまで静かだと聞こえてくる。

 ──そう、隣はおそろく女湯。

 かといって、何かする気力など十織には持ち合わせていなかった。

 それからしばらくして、風呂を出る。

 更衣室であらかじめ用意していた衣類に着替えた。もちろん、着替えはイルズバードの方々から頂いたものだ。ドライヤーはもちろんないので、生乾きの髪はそのままで更衣室を出る。

 そして通路に出ると──


「あ、十織……」

「…………」


 リリーナとばったり遭遇した。彼女のおとなしく輝く金色の髪は風呂上りのためか、ひどく艶やかであった。

 またどこか普段の強気な印象は彼女からは感じられなかった。

 そんな彼女と気まずい空気になっていたが、十織はすかさずリリーナと次に会ったら伝えようと思っていた言葉を口にする。


「その、……すみません」

「っえ、あ──これのこと?」


 リリーナは予想だにしていないことを伝えられて固まるが、すぐに自分の鎖骨付近にある傷に視線を落とす。


「それじゃなくて、……あなたの気持ちを理解せずあんなこといってしまって」


 虚を突かれた顔をするリリーナ。その後すぐに、小さく笑った。十織はそれをみて、不思議そうに首を傾ける。


「そっちね。でも、これはお互い様みたいなものと私は考えてるから──そうだ」


 そういって十織の腕を捕まえて、歩き出した。十織は驚くが、抵抗することなくリリーナが引っ張られるままについていった。

 そうして連れてこられた場所は、屋敷のバルコニーのような場所だった。


「やっぱ冷えるわね。──ちょっと待ってて」


 その後すぐに慌ただしく、どこかに行ってしまったリリーナ。その様子は、公の場で見せる振る舞いの欠片すら見い出せない、至って普通の女の子であった。

 ほどなくして暖かそうな布のようなものを持ってきた。それを十織に被せる。それはとても暖かく、なぜか心までも温まるような感覚を覚える。


「ありがとうございます」


 他人行儀ながらお礼をする。それに対してリリーナは十織の頬を引っ張ると──


「もう家族みたいなものなんだから、丁寧語禁止!」

「は、はぁ……」


 十織は困惑する。けれど、なぜかいい意味で他人のようには思えない。

 もちろん、リリーナの手で命を絶たれかけたことは今でも鮮明に恐怖という形でのこっている。それでも、十織はリリーナのまっすぐな在り方をどこか知らず知らず好ましく思っているのかもしれない。


「──ねえ、聞いてる?」


 つねられた頬がさらに強く引っ張られる。


「聞いてま……る」

「ならよろしい。そうそう、十織は今年でいくつになるの?」


 ──答えられなかった。

 正確には、捕まった後どれほど月日が経過したのかわからない。当時の十織にそれを数える余裕などなかった。

 なので、知り得る情報のみを並べる。


「おれ……が捕まる前は十五歳と七カ月だった。それ以降はどれくらいの月日が経ったかわからない」

「ふむむ、……ということは一八歳で私と同い年? けど、4カ月私の方が早いから、お姉ちゃんね?」


 下から十織を上目遣いで見つめる。

 けれど、十織は放心状態と呼ぶにふさわしいまでに目はどこにも焦点を持たず、口を開けたまましばしば固まっていた。


「──三年もあそこに、いたのか」


 気付けばうっ血して、爪が皮に食い込むほど強く握り拳を作る。今のリリーナの一言で、十織は不安に支配されていた。


「ゆりなちゃん、だっけ。その子が関係してるの?」

「え、ああ、えっと」


 気付けばリリーナは十織の手を優しく包んでいた。

 十織はリリーナに伝えるか迷った。

 ──けれど、言わなければ始まらない。そう割り切って、一歩踏み出す。


「──関係してる」

「そっか……」


 十織の告白にリリーナはどこまでも真剣な様子だった。リリーナは少し悩んだ顔をするが再び十織を見据える。


「その、十織のこと聞いて……も?」


 どこか遠慮しがちにリリーナも十織の世界に一歩踏み込む。当然、拒むことなく十織は今まで経験した軌跡のあらすじをリリーナにさらけ出した。


 十織はもともと別の世界に生きる一般人であったこと、終末大戦とよばれる世界全てを巻き込んだ史上最悪の戦争、その最凶にして最悪の敵国最期の兵器が用いられ、気が付けばこちらの世界にいた事、そこでゆりなと別れさせられたことなど常人なら鼻で笑い飛ばすような事実をすべて吐いた。


 それを最後まで聞いたリリーナはどこか暗く俯いていた。


「そうなんだ、……こっちまで泣いちゃいそう」

「──え?」


 リリーナの言葉に違和感を覚え、十織は自身の目を拭く。そして、今初めて自分が泣いていることを自覚した。

 それでいてこの世界に来て一番心が軽いのだ。十織はわけもわからず、笑い出す。


「ねえ、もしよかったら私にも手伝ってもいい?」

「あんな空想みたいな話、普通なら正気かどうかを疑うと思うけど」

「そんな顔で嘘付くなら、それはそれで才能ね」


 リリーナは微塵も疑う様子を見せない。それに対して、十織はどこか申し訳なさそうに確認する。


「リリーナが協力して得することは何ひとつないけど」


 すると、リリーナはむっとした顔で──


「だーかーら、思ってもいないことをいうな! そこは素直に、ありがとうっていえばいいんじゃない?」

「……ありがとう」


 その時、十織は初めてここにいてもいいのかもしれないと思った。ここは、とても温かい。それはかなり長い間、閉ざしていた本当の自分がそう感じるほどに──。


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