戦いの結末(4)
地を這い、獲物を狩る獣のように近づいてくる存在。
「散っ!」
小さく切れの良い掛け声が微かに聞こえた。同時に僕らを囲むように散開する複数の影。
迎え撃つように翼を広げる竜。
脳裏に浮かんだのは森で見たグレイたち。急ぎ足で移動していた彼らの目的はアギトの救出に決まっている。
それは紛れもなく『希望』だった。どうしようもない状況に思えた場面に現れた彼らは、まさに絶望を蹴散らす――救世主。
五つの影は、同時に攻撃を放った。
だけど、そんな僕の期待とは裏腹に『運命』が動き出す。
――また、音が聞こえた。
いつか聞いた音。
歯車が、軋みながらも着実に廻る音。
気づけば僕の前に一人の少年がいた。
前髪に隠れた瞳が僕を見据えている。
どうして目の前に少年が居るのか。周囲の状況はどうなっているのか。そんなことは忘れてしまったかのように、僕は意識はその少年に釘付けになっていた。
夢に見た姿そのままに、鎖で束縛された少年。
病的なまでに青白く不健康そうな肌に、血のように赤いその唇と瞳がひどく印象的な少年。
『瞳に刻んで。これから起こる光景を忘れちゃいけない』
――少年が言葉を紡いでいく。
『君は何も知らない。でも、世界は君を軸に廻る』
――それは弱々しい声。切実に訴えかける声。
『歪みすぎた世界は正されるべきだ。それは誰でもない、君にしか出来ないこと。世界を知ってほしい。そして、想ってほしい。世界はもう一度創造されることを、在るべき姿になることを望んでいる』
――僕の意識は、呑まれていくように少年の赤い瞳に集中していった。
『偽りの魔王の時代は終わる。世界は終わり、そこから始まる。支配から破壊へ。破壊から再生へ』
――何の話をしているのか全く理解できない。でもきっと、とても重要なことを伝えようとしているんだと思った。
『伝えたよ。それじゃあさようなら。【始まりの魔王ヤマト】』
最後に顔を上げて真っ直ぐに僕を見た少年。前髪で隠れていたその額には、第三の瞳が紅く輝いていた。
止まっていた時間が動き出したかのように、僕の意識は周囲を認識し始めた。
そして目に映ったのは、巨大な竜のその爪にひっかかるようにして力なくうなだれる人魔。もう用なしとばかりに、それは乱暴に捨てられた。地面を転がり僕の足元で止まったそれは、もう光を失った虚ろな目で僕を見上げた。
(……っ! ウズ!)
反射的に目を逸らすと、そこには同じように虚ろな瞳で僕を見上げる存在が。
(エルリッヒ!)
さっき見た力強く走っていた姿と、今見てるその姿が交互にフラッシュバックする。
(ああ…あ……アあアアアアアッ!)
――それは始まりにすぎない。
竜の背後から、イグノが斬りかかる。剣に炎の魔力を籠めた渾身の一撃であろうそれは竜の翼を僅かに切り裂き、その代償にイグノは振り下ろされた強靭な腕によって地面へと叩きつけられた。地面が揺れるほどの威力。イグノがどうなったか、想像するに容易い一撃。
そして、立っているのは巨大な竜ただ一体になった。
残りの隊員はどうなったのか。そんなことを考える余裕もなく、僕の視界はただただ現実を映し出す。
――運命は大きな波のように、この世界を飲み込んでいく。
気づけば、僕は駆け出していた。なるべく体勢を低くして、無我夢中で竜の元へ向かう。なにも出来ないことはわかってた。でも、なにかしなくちゃと思った。
強く地面を蹴り、拳を握って振りかぶる。そして、僕と竜の目が合った。
金色に輝く、爬虫類特有の瞳。
体が硬直する。
だけど、竜が見ていたのは僕じゃなかった。僕の胸から生えてくる剣。続いて手、腕。期せずして、僕の体はグレイの体と重なっていた。その瞬間、爆発的に高まる感情。憎悪、怒り、殺意、そして一筋の冷静さ。まるで、感情が僕に流れ込んでくるかのようだった。いや、その瞬間、確かにグレイの感情が流れ込んできていたんだと思う。なぜなら、グレイの考えていることも、手に取るようにわかったからだ。息を潜め隠れていたのは、この瞬間の為。この竜さえ一時でもどうにかすれば、アギトならなんとかしてくれるという信頼。荒れ狂うような激情とは別に、グレイの理性は自らのやるべきことを冷静に計算していた。
だから、この後のこともグレイはちゃんと理解していた。
紅い月の光よりもなお赤い光景。
体が震える。
何も僕に触れることが出来ないこの状況に、心の底から感謝した。
何も触れないこの状況が、心の底から悔しかった。
何もかも終わって、後に残ったのは夥しい血痕に彩られた惨状だった。