第十話:決意
ものすごい速さで後ろへと移動していく周囲の木々。肌に感じる強い風。お腹を圧迫する強い衝撃。僕は今、担がれていた。
アギトが居なくなってからすぐに、僕は魔人部隊の面々に囲まれた。状況を飲み込めずにいる僕を置いて、グレイにいきなり肩で担がれ、そのまま移動を開始したのだ。無言で僕を魔王城へと運んでいくグレイ。周囲を囲んでる隊員も、誰もが真剣な顔をしている。僕はいまだ震えの納まらない体を、どうにも出来ないでいた。
段々と魔王城へと近づいてくる。そのことが少し僕に余裕を与え、どうにか質問をするまでに回復した。
「……ねえ、何が起こってるの?」
グレイに問いかける。質問を無視して、無言で正面を見続けるグレイ。その顔は、いらついているような、焦っているような、そんな表情だ。僕とグレイを囲むように走る他の隊員達も、みな深刻な顔をしている。ざわりと、僕の胸が騒ぎ立つ。全く動いていなかった頭が、少しだけ機能しだす。やはりとんでもない事が起きて伊いるんだ。思い出したのは、あの心臓を鷲づかみにされたような、あの感覚。
殺されるかと思った。
体の震えが、また強くなる。あの時、とっさに剣を抜こうとしたけど、恐怖で剣を握ることさえ出来なかった。あれは、あんな気配は、初めてだ。訓練では感じたことのない、身の毛もよだつような気持ち悪い感覚。あんなものの前では、剣なんて意味がない、そう思わせるほどの、圧倒的な力の差を感じた。いまだズキズキと痛む頭で、僕は必死に今の状況を把握しようとする。落ち着け、まずは落ち着くんだ。深呼吸をしよう。あの殺気の相手、そしてそいつの目的はなんなのか。まるで攻撃が来るのをわかっていたようなアギトの台詞も気になる。思考を廻らせようにも空回りするだけで、時間だけが過ぎていった。
いつの間にか、魔王城のすぐ近くまで移動していた。魔王城という大層な名前に負けないような、立派な門がもう見えるほどに近づいている。石造りの重厚な雰囲気を感じさせるその門は、高い城壁で囲まれている魔王城に、僕の知る限り唯一入れる箇所だ。
速やかに城門に近づいたとこで、巨大な門ではなく、そのすぐ隣に設けられた小さな扉が音もなく開かれる。魔王城の敷地内に入ったところで、いきなり僕は放り投げられた。どさっと芝生の上に落ちる僕。急だったから受身が取れなかった。いや、きっと急にじゃなくても、この震える手足じゃとても受身なんてとれなかったか。ひんやりとした芝生が、僕の顔に当たる。
「ここはもう安全だ。貴様は部屋にでもいろ」
簡潔にそう言って、僕から視線をそらすグレイ。冷たい態度はいつも通りだけど、その表情は相変わらず硬いままだ。グレイや他の隊員は、門の中に待機して外の様子を眺めだした。
僕は地面に叩きつけられた衝撃よりも、状況を整理するのに必死だった。なんで、どうして、どんな理由でこんなことになったんだ。地面に転がったままなのも気にせず、それだけを考える。いや、本当はわかっているのかもしれない。認めたくないだけなのかもしれない。いやだ。それだけは認めたくない自分が居る。だって、だって、なんで僕がこんな目に……。
「僕を、殺しに来た……?」
言ってみて後悔した。僕を殺しに来た。言葉にしたら、ストンと胸の中に真実として居座ってしまった。そうだ、今までだってずっと護衛が着いていた。何のために? それは僕を護るため。護る必要があったから。なんで僕が狙われなきゃいけないんだ。魔王は魔界にとって救世主じゃないの? 魔界は僕がいなかったら戦乱に見舞われるんじゃないの?
「いやだ」
どうして僕の命が狙われる? あの時感じた殺気、あれは本気だと、絶対殺すといった怨念染みたものを感じた。なんで、どうして僕が恨まれる? 僕が何をしたっていうんだ。普通に生活していた僕を、勝手に召喚したのはこの世界じゃないか。
「いやだ」
誰か助けてよ、僕を護ってよ、僕を、僕の世界を壊さないで。これ以上居場所を奪わないで。
「いやだ!」
不意に、右頬を強い衝撃が襲った。あまりの勢いに転がる体。
「黙れ!」
いきなりの衝撃に目を白黒させた僕は、握りこぶしを震わせて僕を見下ろすグレイを見上げた。あまり感情表現の豊かではないグレイの、こんな怒った顔は初めて見た。鋭い目で射抜くように僕を睨む。倒れこんだまま僕の首元を掴むと、乱暴に持ち上げた。
「そんなところでびくびくしてるな、目障りだ」
膝立ちの状態になった僕は、グレイの目から視線が離せなかった。心の底からの怒り、瞳に宿るそれを受け流すことなんて、僕には出来なかった。でも……。
「……にすんだよ」
怒りが込み上げてくる。こんなことになったのは誰のせいだ。僕を関係ないことに巻き込んだのはお前ら魔族だろ。僕の意思に関係なく巻き込まれたのに、なんで命を狙われんくちゃならないんだ。
「なにすんだよっ!」
思いっきりグレイに殴りかかる。簡単にかわされるけど、それでもかまわずに殴りかかる。こんな、理不尽な状況に対する怒りを乗せて、何度も何度も殴りかかる。そのうち、僕の頬を涙が流れ始めた。
「この世界に、来たくて来たんじゃない。魔王候補になりたくてなったんじゃない。僕は、僕は……」
後半は言葉にならなかった。涙が止め処なく流れる。僕は居場所がほしいだけ。独りで放り出されたこの世界に、自分の居場所がほしいだけなんだ。空を切る拳はしだいに力をなくし、僕は地べたに座り込んだ。僕は子供だ。自分でそう思う。一人じゃ心細くて、何も出来なくて、誰かに護ってもらいたくて、それが僕なんだ。