始まりの収穫祭(3)
時折感じる違和感を無視すれば、収穫祭はとても楽しい物だった。山のように積まれたエルツの実や、水魔族のお姉さんの売るグロテスクな魚など、食べ物が町に溢れ返っているのだ。
『レナ・メルレルト』その言葉通り、これらは月の光によって育まれたのだろう。どれもが不思議な色合いをしていた。
きっと、魔界の中心と言えるくらいなのだから、魔界全ての食べ物がここに集まっているんだろう。
僕とアギトは、その中でもお気に入りのエルツの実をかじりながら、そろそろ帰ろうかと話していた。
いくらレーヴァンテインが大きい町だと言えども、実際に祭として賑わっているのは、大通りなのだ。
丸い町を綺麗に三等分したようにある大通りは、それぞれ獣魔領、水魔領、竜魔領に向かって延びていて、町を囲む巨大な壁に設置された門に繋がっている。ちなみに魔王城からは、獣魔領側の扉から入ることになる。
というわけで、実際には町の殆どは普通の住宅街なのだ。そんな所に行ってもお祭りはやってないだろう。
収穫祭で最も賑わっているのは、町の中央に鎮座する巨大な噴水広場だ。水を変幻自在に操る噴水の頂点には、最強の魔剣として名高いレーヴァンテインを模したものが突き刺さっている。
ここも僕のお気に入りの一つ。そして、ちょうど僕たちが噴水広場を通り掛かった時だった。
溢れる魔族。その人波を縫うように掻き分けていると、その人波の中で一人だけ異質な存在を見つけたのだ。
マントについたフードを目深に被り、まるで人波など無いように歩く人物。それは、まるでアギトが歩いているかのように流麗な動きだった。
何故か、その人物に僕の視線は釘付けになった。
まるで、急流の中を優雅に泳ぐ葉のような軽やかさだ。
僕が見てる間にも、その人物はスイスイと身軽に人波の中を進んで行く。
時が止まったかのように僕は見入った。
そして、雑踏の影に見えなくなる直前、その人物がチラリとだけこっちを見た。
視線が合う。
宝石のように輝くその瞳は、まるで澄み渡る青空のようだった。
「おい!」
急に肩を掴まれて、僕は立ち止まっていた事に気が付いた。
振り向けば、訝しげな表情のアギトが僕の顔を覗いている。
「お前、やっぱ今日おかしくないか」
真剣な表情で聞いてくるアギト。
今の事を話すのは気が進まなかった。それは、碧い瞳をした人が振り向いた時に見えたその顔が、とても美人な女の人だからだ。
見惚れてたとからかわれるのがオチだ。
「な、なんでもないよ」
慌てて否定する。そうか、と言ってなおも真剣な顔をしているアギトをよそに、僕は碧い瞳を持つ人物が消えた人波を、ずっと見ていた。
祭りの余韻を感じつつ、僕たちは帰路に着いていた。
忙しそうにコルカの肉を焼き続けるミーナに別れを告げ、レーヴァンテインの巨大な門をくぐったのは少し前のことだ。
闇に浮かぶ不気味な植物の陰に囲まれて、魔王城への上り坂を歩く僕とアギト。
満腹感に満足した僕は、早くも眠気に襲われていた。
「おいおい、そんなふらふらしてないで、しっかり歩けよ」
アギトに言われるけど、人が溢れる町中を歩くだけでも大変だったのだ、疲労だってかなり溜まっている。
「無理だよー」
もうへとへとです。僕は今疲労困憊満腹万歳なのです。
ぐだー、とアギトに寄りかかる。アギトだってあの人波の中を歩いたのに、どうして何でもないような顔していられるのかが不思議でならない。
「ったく」
文句を言って、嫌そうに僕を振りほどきつつも、歩くペースを下げてくれるアギト。僕もまたゆっくりと自分の足で歩き出した。
どれくらい、歩いていただろう。もうすぐ魔王城が見えそうな場所まで来た時に、急にそれは来た。
「……っ!」
額に走る針で刺されたような痛み。僕はたまらず地面に膝を着いた。自然と体が震えだし、自由がきかなくなる。
見上げれば、アギトが今まで見たことのない強張った表情をしている。
「来たか」
小さく呟くと、アギトは腰に携えていた剣を抜いた。
雷帝剣フィビト。僕は、その剣が抜かれたところを一度も見たことがなかった。訓練でも一度も抜かれなかったその魔剣、刀身は薄く光を放ち、紅い月光の下で、まるで雷を纏ったように電気を帯びている。
僕は何が起きているのかわからなかった。急に痛み出した額、体の異常な震え、なにかが起こるとわかっていたかのようなアギトの態度、そして、この異常な空気。
僕たちを覆う空気が、明らかにガラリと変わったのだ。重く、体に纏わり付くようなこの感覚。冷たく射抜くような視線を感じる。
初めて感じたであろうこの気配は、――殺気。
そこまで考えてから、僕は自分の剣に手をかけた。震える手は意思に背き、掴もうにもうまく握れない。
考えることはたくさんあった。でも、今は自分の身を守ることが先決だ。
でも、いまだ剣を構えられない僕を置いて、事態は急展開を迎えようとしていた。