始まりの収穫祭(2)
夢で聞いた言葉が、頭から離れない。あの夢は、いったい何だったのだろう。そして、あの少年は誰なのだろう。妙に現実味があって、胸に残るこの不安はなんだろうか。
世界が動く。僕の耳に、歯車の軋む音が聞こえた気がした。
今日は収穫祭の当日だ。アギトは今頃、フレイアさんと楽しんでいるのだろうか。
それに比べて、僕はなんと虚しいことか。
「この収穫祭は別名『レナ・メルレルト』と言いまして、これは古代語で月の恵という意味でス」
今日の勉強は収穫祭づくしだ。すぐ近くでその収穫祭が行われているというのに、どうして勉強しなくちゃいけないのか。
ああ、耳を澄ませば収穫祭の喧騒が聞こえてきそうだ。
ミーナは今頃どうしているのだろう。魔界の収穫祭はどんな様子なのか。今すぐに行きたい、でもグレイが見張ってるから逃げれない。
副隊長のグレイは、その素早さが武器だ。一度訓練でぶつかった時、そのあまりの速さに一度も剣を当てることが出来なかった。実力は、文句なしで魔人部隊の二番手だ。とにかく凄い奴なのだが、何故だかやたらと僕を睨み付けてくる。
つまり何が言いたいのかというと、これじゃあ嫌われてるだろうから駄々こねても無駄な上に、相手のほうが素早いので脱走できないということだ。
もう少し、あともうすぐで、アギトが迎えに来てくれるはず。そう思っている時に限って、どうして時間が経つのを遅く感じるのだろう。
もう我慢の限界だ! まさに僕の貧乏ゆすりが最高潮に達しようとしたときに、やっとアギトは来た。
「よーヤマト! 行こうぜ!」
勢い良く部屋の扉が開かれ、満面の笑みのアギトが顔を出す。この時ほど気合の入ったガッツポーズをしたのは始めてだった。
ブルドに別れを言って、走るように部屋から出る。途中やっぱりグレイのきつい視線を感じたけど、今はそんなの無視だ。
「なんだなんだ、そんなに俺に会いたかったのか」
「ばーか。それよりフレイアさんとのデートはうまくいったみたいだね」
デートの意味がわからないようなので、逢引のことだよと説明した途端アギトの顔が赤くなる。
「そ、そんなんじゃねーよ!」
照れくさそうに否定するアギト。僕もミーナと一緒に収穫祭を回りたかったのに、今回はアギトと一緒。
はぁ、とため息が漏れた。
紅い月の下、月光に負けぬように光を放つレーヴァンテイン。先日来た時とは違い、魔族の数が半端なく多い。
飛び交う喧騒、漂う食べ物の匂い、どこからとなく聞こえてくる聞き慣れない音楽、そしてこの祭り特有の高揚感。
これが収穫祭、レナ・メルレルト。
「うわー、すごい人の数だね!」
周りの喧騒にかき消されて、大声を出さなきゃ声が伝わらない。
「ああ! 向こうにミーナがいるから、挨拶しに行こーぜ!」
アギトも喧騒に負けずと声を張って喋る。
そうだ、まずはミーナに挨拶に行かないと。僕たちは波寄る人波を掻き分け、なんとか魔王城の出店、ミーナの居る場所にたどり着いた。
風に揺れる亜麻色の髪、そして髪と同じ色の瞳、額に汗をかきながら必死に働くミーナの姿は、なんだかものすごく綺麗に見える。
ぼーっとミーナを見つめていると、どうやら僕の視線に気づいて、こっちを振り向いた。あわてて視線を外す僕。なんだか、すごく恥ずかしい。
「ヤマト様にアギトさん、来てらしたんですね」
店をまかせてミーナが来た。アギトのが移ったのか知らないけど、ミーナの笑顔を見たら妙に緊張してきた。
「うん。ミーナたちは何を売ってるの?」
自然に言えただろうか。顔が赤くなってるかもしれない。今日ばかりは紅い光の届かないこの町が恨めしい。
「はい、魔王城からは、以前ヤマト様も食べたことのある、コルカの焼肉を売ってるんです」
コルカ、それはあの超ジューシーでほっぺたが落ちそうなほどおいしかったあの巨大な肉だ。
「じゃあ、僕も買おうかな。アギトも食べる?」
そう言ってアギトのほうを見るが、答えたのはミーナだった。
「アギトさんはさっきフレイアさんと二人で買いに来てくれたんですよ」
ほほう、それは興味ありますね。どうやらじっくり話しを聞いたほうがよさそうだ。
ニコリと微笑むミーナと、必死に僕から目を逸らすアギト。
それから僕たちはしばらく話していたのだけど、ミーナがお店に戻っちゃったことで、僕たちは再び移動することにした。
人波を避けつつ歩く僕とアギト。そして僕の手には、何個かのコルカの焼肉がある。色々とミーナから聞き出そうとする僕を止めるためにアギトが買ったものだ。
にんまりご機嫌な僕とは対象的に、アギトはげっそりとしていた。僕が言うのもなんだけど、きっと精神的に疲れたのだろう。
しばし適当にぶらついていた僕たちだが、不意に背中を冷たい何かで撫でられたような感覚がした。
「……っ!」
素早く振り向き、後ろを確認する。しかし、何も見当たらない。レーヴァンテインに着いてからずっとなのだが、なにやら視線を感じるのだ。
「どうしたんだ?」
アギトが不思議そうに聞いてくる。どうやら気づいていないようだ。でも、確かに感じる、この体中を這いずり回るようなこの気持ち悪い感覚は、誰かに観察されているような感じがするのだ。しかも、まるで町全体から見られているような、そんな感覚だ。
不安そうな僕に、アギトがなにかあったのかと聞いてくる。僕はなんでもないと答えた。何故なら、アギトが気づいていないのなら、もしかしたら僕の勘違いかもしれないからだ。
不安は途切れない。でも、アギトが居るから大丈夫。僕はそう思っていた。