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8/8

8.さみしくない

「こうして並んで歩くのって新鮮だね」

「あぁ」


 歩けるようになったチャッカは、時々小走りをしたり今度はゆっくり歩いたりと、足の感触を確かめます。どうやら調子は良いようです。

 チャッカは喜んでいました。元通り歩けるようになったのはもちろんですが、ウォールと歩けることが特にうれしいのです。これでやっとお礼ができる、そう思っています。


 けれどさみしい気持ちもあります。

 ケガをしている間、ウォールはずっと助けてくれました。眠りつくまで一緒にいてくれたこともありますし、たくさん話を聞き、そして聞かせてもくれました。シギーとジャッキーとのじゃれ合いも今までにない体験で、何度大笑いしたことでしょう。

 けれど足が治った今、お互いにこれまでの生活に戻ります。同じ森に住んではいても、それまで一度も会ったことがないのですから、また長い間会わないままになってしまうはずです。楽しい時間を過ごした後に一匹になるのはさみしいことだと、寒い冬の朝を思い返せばすぐに分かりました。


 ウォールはどう思っているでしょう。聞きたくはありましたが、その勇気はありません。何でも言えていたはずなのに、ウォールを前にすると声が上手く出ないのです。


「並んで歩くのは、いいな」


 いつもの低い声で、ウォールが言いました。顔を向けると彼は真っ直ぐ前を見ています。


「シギーとジャッキーはいつもオレより後ろを歩く。だれかがとなりを歩いているというのは不思議な気分だ」

「あたしも。何だかなつかしい感じがする」


 きっと当たり前のことです。けれど二匹にとっては少しだけ特別なことです。

 ウォールはチャッカの速さに合わせて、ぴったりと並んで歩いていきます。



 彼もチャッカと同じ気持ちでした。チャッカが歩く姿を見て、そのとなりを歩いて、とてもうれしいと思います。けれどついに、彼女とのお別れの日が来てしまったのだと思うと、とてもさみしくもあります。

 あの日から数日はかかりましたが、その間ウォールは少しでも長い時間、チャッカのそばにいました。彼女はたくさん話をし、知りたがってもくれました。チャッカと過ごした時間は今思えば長くありましたが、あっという間に今日になってしまいました。



 ウォールが前足の位置を合わせて歩くと、チャッカの耳の裏側や首などの、いつもは気にしない部分が見えます。チャッカはウォールと比べればずいぶんと小さいのです。

 

「こうして歩くと、首の毛色がよく見える」

「え! やだ、どんな色してんの? あたし見えないんだけど!」

「もやがかかった冬の朝みたいな色だ」

「……よく分かんない」


 不満そうな声を上げるチャッカに答えるため、歩くのをやめない彼女の首を見つめます。彼女自身も知らないことを知っているというのは不思議な気分でした。


「白より少し濃くて、灰色にも見えるが黄色っぽくもある。三日月みたいな形をしている」

「なぁんだ、全然きれいな色じゃないのか。そこだけきれいでもうれしくはないけど」


 チャッカがそう言ってすねてしまいました。かくすように半歩後ろを歩きます。

 どうしてだろう、とウォールは思います。


「きれいなのに」

「な、何言ってんのさ!」

「きれいな色をしている、やさしい色だ。……オレの一番、好きな色だ」


 前にも彼はそんなことを言いました。だれとも違うチャッカの毛色を、チャッカの全部をきれいだと言ってくれました。あの時は悔しいような気持ちばかりがありましたが、今は少し恥ずかしい気もします。

 ウォールがチャッカをきれいだと言う時、その声がくすぐったいほど優しいからです。それがどんな色なのかチャッカには分かりませんが、ウォールが好きな色だと言ってくれるだけで、自分もその色が好きになれるような気がしました。そのくらいウォールの声は優しいものでした。


 けれどもう、その声も聞けないのでしょう。そうした言葉も聞けません。いつ来るか分からない"また"を待ち続けるのはもっとさみしいことです。



* * * * *



 ケガの間ずっといた場所を、チャッカは住みよいねぐらにしていました。今まで住む場所を転々としていた彼女がそこをこれからのねぐらとして決めた理由は、彼女にしか分かりません。

 春が来たらやわらかな葉をしいて寝る予定の場所にチャッカは寝転ぶと、もう帰るだろうウォールに声をかけました。


「もう、来ないよね?」


 チャッカはそう言ったことを後悔しました。言おうとしていた言葉とまるっきり違う言葉です。まるで引き留めるようで、自分らしくない言葉でした。

 聞こえずに帰ってくれていたらいいと思いましたが、ウォールはまだそこにいました。


「どうしてだ。また来る」

「いいよ。だって今日までの約束じゃないか。治ったらまた一匹で生きるって」

「約束はしていない。チャッカがそう言っただけだ」

「やなやつだね」


 こんなやりとりももうできません。ウォールはまたいつでも来てくれそうな口ぶりですが、それに甘えることはできないのです。彼女の強さを認めてくれるウォールがそばにいるのは、きっと彼女を弱くさせます。


「あたしはあたしだけで生きていくの。もうあんなヘマはしない。お礼の肉はまたちゃんと届けてあげるからさ」


 だから、これでサヨナラだよ。チャッカはそっぽを向いてそう言いました。ウォールはそれを見つめています。


「一匹はさみしくないのか?」


 いつかも聞いた言葉をウォールはまた聞きます。あの時は一匹で過ごしてきたこれまでのことで、今は一匹になるこれからのことです。

 チャッカは少し考えるように間を空けて、それから答えました。


「楽しいことのあとはいつだってさみしいものさ。だけど、これからがもっと楽しくあればいいだけじゃないか」

「一匹でいて、もっと楽しくあるにはどうするんだ?」

「……そんなの、分かんないよ。先のことなんてだれにも、分かんないんだから」


 先のことはこれから行き着いてみなければ知りようもありません。ただ、前よりも少しだけさみしくなるような予感だけはありました。それに気がつくと、自然と声が小さくなっていきました。

 そのことにウォールも気づき、すると口の端から声がこぼれていきます。


「一緒に来るか?」

「……来てほしいならそう言えば?」

 

 なんてね、とチャッカは笑います。とても驚いた顔をして、それからあまり楽しくなさそうに笑っています。ウォールがそんなことを言うはずがないと思っているのです。


 肉を分け合うほど親しくはなっても、ウォールにはすでに仲間がいます。チャッカが増えれば面倒なこともまた増えるでしょう。数日を過ごすのとはわけが違うのです。

 それにチャッカはメスで、そしてウォールほど美しくはありません。その点ではシギーにもジャッキーにも負けてしまいます。めずらしさに今はかまってくれていても、それはただの気まぐれ。チャッカはそんな風に思っています。

 一度ばかりではなく二度もウォールがきれいだと言ってくれても、素直に信じることは難しいのです。なのでウォールが一緒に来てほしいと思うはずがないと考えています。ウォールと会ってから見せなくなった強がりを、今日は目一杯見せるつもりです。お腹の辺りが少し痛くなりそうです。



 ウォールはふいに近づいてきました。気がついた時にはすでに目の前にやってきていて、見上げるとじっと見つめられました。そしてあの優しい声でこう言います。

 

「一緒に来い、チャッカ」

「え?」

「……来てほしい」


 聞き返されたのを言い方が悪いと言われている気がしたウォールが、そんな風に言い直します。本当はきちんとお別れをするつもりだったウォールが思わずそう言った気持ちを、彼女は知りません。

 チャッカは、いつも強くて男らしいウォールが少し不安そうにしているのが不思議で、おかしくて、そうしてからうれしくなりました。ですが、信じてよいのでしょうか。

 

「足手まといになるかもよ?」

「ならない」

「どうして?」

「オレが合わせて歩くからだ」


 オスは強くなくてはいけない。そこに少しの優しさがあれば、なおいい。

 チャッカはウォールの言葉を思い返します。彼はその言葉通り守れる強さを持っていて、その言葉以上に大きな優しさを持っている、そう考えます。

 彼の父もそうだったのでしょう。優しさは持つ者を弱くするのではありません。どんな時でもだれかのためにがんばりたいと思う勇気を与えるものです。ただ、その冬が厳しすぎただけなのです。

 ウォールは強く、そして優しいオオカミです。その強さと優しさは、きっとチャッカの心も強くしてくれるでしょう。


 だれかと一緒にいること。それは冬の寒さの中でも暖かくて、眠気をさそうような心地にさせてくれます。

 

「じゃまにもならない?」

「あぁ。オレは”楽しい”はよく分からないが、チャッカがいないとさみしいと思う。

 それでは、だめか?」

 

 本当にさみしそうな目をするので、チャッカの胸がちくりとしました。けれど嫌な痛みではなく、もっとウォールといたいと感じるしるしのように思えました。

 チャッカは一歩近づくと、ウォールの喉のあたりに鼻先を擦り寄せました。驚いたウォールをよそに、だめ、と愛らしくささやきます。

 

「さみしくないだけじゃ、だめ。だからあたしが楽しくしてあげる。楽しいって思わせてあげる。

 これからよろしくね、ウォール」

 

 くつくつと楽しげに笑うチャッカのまぶたをウォールが一舐めしました。驚いた声を出したチャッカもお返しをします。ウォールも今は何だかとっても楽しそうです。

 やはり、一緒がいいのです。

 


 身体を寄せ合う二匹の姿が、昇り始めた太陽に照らされて淡くひとつに光ります。伸びる影は薄く、明るさだけが辺りを包んでいます。

 もうさみしくありません。さみしく思うこともないはずです。きっとたくさんの楽しいことが待っているでしょう。他のだれといても感じられない気持ちを、これからは二匹でたくさん知っていくのでしょう。


 目が覚めて一番に会えるのを楽しみにしながら、ウォールとチャッカはいつもの朝のにおいに包まれてゆったりと眠りにつくのでした。

 


 

おわり

 

  

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