落ちた世界でメイドになりました。
まだ夜が明け切る前に起き出して、手早く身支度を整える。
部屋の窓を開ければ、まだ空には薄っすらと星が残っていた。
ヒンヤリとした早朝の空気は結構好き。
あっちにいる頃は、こんな早起きしたことなかったけど。
3ヶ月前のある日。
夜中にプリンが食べたくなった私は、無事にゲットしたプリン片手になんでか異世界へと迷い込んだ。
もの○けの森かよ!って突っ込みたくなる巨大樹だらけの森で途方に暮れていた私を拾ってくれたのが、現在お世話になっている屋敷の主人だった。
森の精霊が騒いでたから、と様子見に来た主人は、周りの巨大樹と同様デカかった。
推定2メートル越え。
しかも、白いズルズルした神官っぽい服に白い仮面つき。対峙した時人生終了の鐘が頭の中で鳴り響いて気絶した私は悪く無いんじゃ無いかと思う。
そんな私を拾ったのも何かの縁だからと屋敷に置いてくれた主人は、命の恩人というひいき目を引いてもかなりな「良い人」だった。
メイドや家令に対して無茶は言わないし、休みや待遇、お給金だってかなり弾んでくれる。
なのになかなか新しい人が居着かない。
私を除くと使用人の平均年齢50過ぎ。
主人の子供の頃からいて、主人に免疫のある人達、だそう。
理由は、この世界の特徴にあった。
1つは長身。
デカイと思った主人の身長、なんとこの世界の平均だった。
成人だと男性で大体210〜230、女性で190〜210が一般的な、私の感覚では巨人な世界だったのだ。
おかげで、最初は子供と間違われ、家具や小物の巨大さに振り回される日々だった。
そうして、この世界のもう1つの特徴。
元の世界との美醜の感覚がちょっと違ったんだよ。
この世界の美形の条件。
引き目鉤鼻下膨れ。色白で髪は真っ直ぐな方が良い。ふっくらとした体は富の象徴である。
え?どこかで聞いたって?
うん。平安時代くらいの美人の条件だったんじゃなかったかな?歴史の教科書とかに載ってたの覚えてる?
その絵の十二単や狩衣をドレスや洋服に変えて黒髪を金髪や赤毛のカラフルに変えたら、この世界の美形の出来上がり。
で、うちの主人。
この基準でいくと目も当てられない不細工さんだったんだよね。
人によっては、「生理的に無理〜」ってレベルの。
くっきり二重の大きな瞳。すっと通った高い鼻筋に少し厚めのセクシーな唇。美しい白金の髪は緩くウェーブを描き光を振りまく。食べても肉がつかない体は細マッチョ。
辛うじて色の白さだけは美点として数えられるそうだ。
日本人の私からしたら、後光が差して見えるレベルの美形なんだけどね〜。
芸能人なんか目じゃ無い。直視したら途端に顔が赤くなって思考停止。動悸息切れでめまいがするレベル。眼福です。
未だに油断すると赤面するもんな……。
か弱い良家のお嬢様の中には、顔を見た衝撃
で気絶しちゃう人もいるみたいで、人の良い主人は申し訳ない、と仮面で顔を隠すようになったそう。
ある意味、怪しさ倍増だと思うんだけど、本人は大真面目だった為、周囲も何も言えなかったらしい。
うん、不憫。
そんなだから人前に出る仕事なぞ当然できるはずも無く、古文書の解読や研究を専門に行う神官っぽい事をしているそうで。
最初に私が落ちた森は聖域で、普段人が立ち入る事を禁止されている場所だった。
で、森に住んでいる精霊が(そう、精霊がいて魔法もあるファンタジーな世界だったのよ!)異常を主人に伝えて様子見に来て、わたしを見つけた。
そんな人の顔を見て気絶してしまったのは本当に未だに申し訳ない。
「仮面つけてても滲み出る何かがあるのかな」と落ち込む主人の誤解を解くのは本当に大変だった。
あ、ちなみに私はこっちでは「そこそこ可愛い」レベルみたい。ちっこいのが愛玩動物的な人気ももたらしてる気はするけど。
……うん、まぁ、良いんだけどさ。
まぁ、いろんなカルチャーショックに襲われつつもどうにかメイドとしての仕事にも慣れた今日この頃。
1日の最初の仕事である主人の起床の手伝いへとやってきたのである。
「主さま〜朝ですよ〜起きて下さい〜」
厚いカーテンの引かれた部屋は薄暗い。
ずかずかと入り込むとまずは窓に向かい、カーテンを開いた。
途端に、朝の清々しい光が部屋に差し込む。
ついでに窓も開けば少しヒンヤリとした空気が流れ込んでくる。
うん、今日も良い天気だ。
スッキリとした気持ちでこの部屋の主がいるベッドを振り返れば、こんもり布団の山が1つ。
………潜り込んだな。
「朝ですよ〜。お仕事、遅れちゃいますよ〜」
「…………」
馬鹿でかいベッドに乗り上げるようにして布団の山を揺すってみるが返事は無い。
…………ただの屍のようだ。
って、お約束のボケを思い浮かべてる場合では無い。
時間は有限で、このままでは私の主は朝食抜きで出かけなくてはならなくなってしまう。
しょうがない。
今日も強硬手段、か。
布団の端を掴み、勢いよく引っ張る。
大きいものの、上質な羽布団は軽やかに宙を舞った。
「あぁ!ヒドい〜〜」
温かな布団の中から出てきた中味が情けない声を上げるがキニシナイ。
「おはようございます。朝食の準備が出来ませんので、早く起きて身支度をして下さい」
薄手とはいえ大きめの布団をいささか持て余しつつも声をかける。
天気も良いし、このまま天日干ししちゃおうかな〜。
「………眠い」
ノロノロと体を起こした主の言葉はスルー。
日本人なら10人いれば10人が見惚れそうな麗しい顔が悲哀をたたえ哀れを誘おうとしているが、3ヶ月も同じようなやり取りをしていれば流石に慣れた。
ここで負けていると仕事が滞るのだ。
「シャワーでも浴びてきてください。その間に食事の準備をしておきますので」
ゴウ!とばかりに浴室の扉を指差す。
仮にも主に対して態度が悪いんじゃ無いか?って。
大丈夫。
この程度で目くじら立てるような方では無いし、そもそも、丁寧にやってると本当に起きないんだもん。
深い深いため息の後、諦めたようにノロノロと丸められた背中が浴室の扉に消えていった。
その姿を確認してから、抱えていた布団を取り敢えずベッドの上に放り投げる。
『風よ』
短く唱えれば、フワリとどこからか吹いた風が布団を広げて、綺麗にベッドへと落ちる。
うん、便利。
その後、同じ要領で窓辺のテーブルにクロスをかけ、部屋の外へと持ってこられた食事を並べていく。
この仕事、実は1つ1つの道具が微妙に大きい為、結構大変なんである。
パン皿が私の感覚の大皿と言えば伝わるかな?
フォークやスプーンだって、私からしてみれば取り分け用のソレだ。
ちなみにカフェテーブルのフリした物は天板が私の胸近くある。
セッティングしにくい事、この上無いのだ。
まぁ、慣れたけど。
届かないところはさっきの要領で風に運んでもらう。
本当に、この力が無ければ、私は仕事に大分支障をきたした事だろう。
感謝感謝。
「コーヒが良い」
最後の皿をテーブルに乗せた時、頭上から声が降ってきた。
振り仰げば、遥か上から見下ろしているご尊顔。別に私が膝をついてたりするわけでは無い。普通に立っててこの身長差、なのだ。
その高さおおよそ70センチ。
安定のデカさだ。
いや、私が小さいんだけどさ。
「………コレ、飲んだら入れて差し上げます」
セッティングされたカップの中身は薬湯茶。
なんでも血の巡りを良くして体を内から温め、その他諸々良い効果があるそうだ。
微妙なえぐみと薬臭さがあり、私は御免こうむりたい代物だが、主人の朝の定番だ。
もっとも、目の前の顰めっ面を見る限り、本人も好んで飲んでいるわけでも無さそうだが。
「毎朝のことなんですから、良い加減、諦めてください」
「そんなに言うなら、シャナも飲めば良いんだ。冷え性で辛いって言ってただろ?」
カップを手にため息をつきそうな顔をしている主人を促せば、飛び火してきた。
「謹んでご辞退申し上げます」
メイド長に仕込まれた優雅な礼を1つ残して、ススッとコーヒーを入れる道具の所まで退散する。
漢方って苦手なんだよね〜。
ちなみに、私の名前は「早苗」なのだが、この世界の人に発音が難しかったようで「しゃなーえ」になる為、面倒になって「シャナ」で通している。
最初の頃は自分が呼ばれている認識が無くてなかなか大変だった。
「………シャナ、飲んだ」
褒めろ、と主張する主人にコーヒーのカップを渡して正面の席に着く。
「いただきます」
主人と同じ物を同じテーブルで食べるメイド。
身分制度のあるこの世界ではありえない光景だけど、コレには聞くも涙、語るも涙な理由がある。
主人はその「醜さ」ゆえ、他人と共に食事をする事が出来なかったそうなのだ。
物を食べるには仮面外さなきゃだからね。
身内ですら、正面に座ることは無いと聞いたときは心の中でそっと涙したものである。
で、主人の顔が平気という奇特な私は、主人と食事を共にするという栄誉を与えられたのである。
使用人達には涙ながらに褒め称えられた。
私は別の意味で慣れるまで大変だったけど。
だって、目の前に芸能人ばりの美形が居るんだよ?
小市民の私が緊張でモノが喉を通らなくなってもしょうがない。
「美人は3日で飽きる」って言ったやつは、絶対本物の美形を見た事がなかったに違いない。
「シャナ、今日は城の方に顔出すから一緒に行こう」
「………出来れば遠慮………はい、わかりました」
断ろうとした途端、泣きそうな顔はやめて。罪悪感、半端ないから。
しぶしぶ頷いた途端に満面の笑みが返ってきた。
眩しい。
「シャナ、顔が赤いよ?……本当にシャナは変わってるなぁ」
私の美的感覚がこの世界の人間とだいぶズレている事を知られてから、主人は徐々に仮面を外す時間が長くなり、表情が豊かになっていった。
今では、2人でいるときに仮面をつけることは無い。
おかげで私の心臓はとっても忙しいのだが。
まぁ、素顔で目を見て話せる事が嬉しくてしょうがないのだろう。
今まで、家族以外は居なかったらしいから。
会話してても微妙に視線がズレていたり、時にはあからさまに逸らされたりしてたらしい。
本当に、よくグレなかったよなぁ。
「早く召し上がってください。準備が間に合わなくなりますよ?」
何が楽しいのかニコニコとこっちを見ている主人を促せば、慌てて食事を取り始める。
最後のパンの欠片を行儀悪く口に放り込むと私は食事をとる主人をぼんやりと眺めた。
急いでいても決してカトラリーが音を立てることは無く、所作も美しいのは、主人の教養の高さの表れだと思う。
それをただ顔の皮1枚で判断されてしまうんだから、確かにやりきれないよなぁ。
「………付いてるよ?」
ひょいと綺麗な手が伸びてきて、指先が私の唇の横を掠めた。
そのまま、何かの欠片をパクリと食べてしまった主人に頬が熱くなる。
「行儀悪いこと、しないでください!」
赤い顔で立ち上がり、片付けを始めた私に主人はクスクス笑いながら席を立ち、衣装部屋の中へ消えていった。
訂正!
なんかヤッパリ、タチ悪くなってる気がする!
さて、無事に食事と着替えを済ませた主人の後をしずしずと歩いて着いて行く。
本日はお城の方にご出勤、らしい。
なんでか主は城に行く時に私を伴おうとするんである。
なんでも私の存在が周囲との緩衝材になってるみたいでらくちんだそうだ。
私はプチプチですか?古新聞紙ですか?!
って思ってても、言えない。
人の冷たい視線って慣れる事は無いし、当然傷つく。
仮面の下で主が悲しそうに微笑んでいるのなんて、少し慣れれば一目瞭然で、お家に帰った時の力の抜けたヘニャンとした笑顔を見てしまったら…….ねぇ。
プチプチだろうと古新聞だろうとなんでもなってやりましょうとも。それで、少しでも優しいこの方が楽になるというなら。
と、言っても、お城が四面楚歌ってわけでも無いんだよね。
何しに行くかって、仕事の進捗状況の報告兼ねたお食事会に行くんだよ。
私が見たところ、報告よりも食事の方がメインで。
家族水入らずの、ね。
なんと我が主様、王家の一員だった。
正確には現王と正室の間に生まれた第2王子というご大層な身分。
白金の髪とサファイヤブルーの瞳は王家にしか現れない色彩だそう。
兄弟みんな同じ色だったよ。
主も同じ色彩が現れたおかげで、王族だというのは否定されずに済んだ。
代わりに何かの呪いじゃ無いかと疑われたそうだけど。
で、なんでか1人だけ残念な顔で産まれてしまったけど、家族にはちゃんと愛されてた。
良かった。
どれくらい愛されてるかというと、放っておいたらなかなか実家(お城)に戻ってこない主をいろんな理由付けて呼び出すくらい。
で、プライベートルームでお食事会。
そして、なんでかそんな空間まで引きずり込まれる私。
居心地の悪さ、半端ない。
この部屋には、主に意地悪言う人も入ってこないんだから、別部屋に待機でいいんじゃ無いかなぁ?
って主張してみたんだけど、なんでか主だけじゃ無くて他の方々にまで却下された。
ナンデダ。
この国の最高権力集団に逆らえるはずも無く、しかし、流石に同じテーブルにつくのはダメだろうとそれだけはどうにか拒否して壁際待機。
お茶注いだり、食事運びの手伝いしてお茶を濁してるんだけど………。
みんなの目線が生温かい。
どうも私が働いてると子供が大人ぶってメイドごっこしてるように見えるらしく……。
というか、やっぱり愛玩動物扱いだね、これ。
うん、知ってた。
小動物、可愛いよね〜。
チワワとかミニチュアダックスとか、見てるだけで癒されるよね。
私も大好きだったさ、ペットショップ行くの。
まさか、自分がそっちの立場になる日が来るとは思ってもみなかったけどね!
とほほ……。
「シャナ、この子、ちゃんと食事は取ってる?古文書の解読始めるとすぐ疎かになるから」
心配そうな王妃様の言葉に、普段の様子をお答えすれば嬉しそう。
母親の心配はどんな世界でも共通だね。
うちの母も突然消えた娘の心配………してるかな?してるよね?
……ダメだ、「ま、あの子だしどっかで元気にやってるでしょ」ってのほほんとお茶飲んでる光景しか思い浮かばない。
ナゼだ。
内心、のんきな母親(想像)にうちひしがれていたら主に手招きされた。
アレ?心配そうな顔されてる。なんで?
いや、流石に18にもなって頭撫でられるのちょっと恥ずかしいですが。
皆さんも微笑ましい顔で見てないで止めてください。
って、言いたい。でも言えない。
だって下手にこの手を拒否したら落ち込みそうなんだもん、主。
拒否されることに過剰反応してしまうのはしょうがない事だと、垣間見た周囲の主に対する反応でなんとなく分かるんだけどさ。
でもさ、ちょっと考えて欲しい。
年頃の娘が、超絶美形に親し気に頭なでなでって・・・・・・・・ハズカシネル。
分かってる。他意はない。小さな子供にしてる感覚なんだと思う。
重ねて言えば、主に自分が美形だという自覚はない。そりゃそうだ。こっちのセ下記では私の感覚のほうが異端なんだから。
だけどさ。
かなり早い段階でカミングアウトしたんだよ?
自分の年齢も、自分の世界では主の顔のほうが好まれるんだって事も。
どっちも信じてもらうのに結構苦労した。特に後半。
何が悲しくて本人めがけてあなたの顔はとても美しくて好みであり、目が合うと恥ずかしさと緊張で固まるし赤くなるんだと力説しなきゃならんのか。
最後には切れて、早くなってる鼓動まで確認させて・・・・・・・・。
立派な黒歴史ですが何か?
・・・・・・・・ここまで苦労してるんだから「恥ずかしいのでやめろ」っていってもよくない?
むしろ、言っても許されるんじゃない?
「子供扱いしないでください」って・・・・・・・・・。
いや、止めとこう。なんか分かんないけど本能が警告を発してる。自分が可愛ければやめとけとささやく声がする。
うん、これ以上の面倒ごとは御免だ。私は平和に暮らしたい。
というわけで、口をつぐんだ私は主が満足するまで頭を撫でられ続ける事となった。
ソロソロ摩擦で禿げそうなんでやめてください。
さて、お城にて。
なぜだか見知らぬ男性に壁際に追い詰められております。
ちなみに目線は胸辺り。みんなでっかいよねえ・・・。
身長差がありすぎて壁ドンされてないのが救いだけど(された場合、もれなく腕の下からすり抜けられちゃうんだよ。実証済み)、至近距離に立たれるだけで充分威圧感あるねえ。
建前とはいえ一応食事の後に報告会が始まって、今のうちに昼食とるように言われて場を辞したのがついさっき。
案内しようとしてくれるメイドさんに場所は分かってるからと断って、使用人用の食堂へ向かっている所だったんだけど。
ちっ、やっぱり一人歩きは危険だったか。
「おい、聞いているのか」
現実逃避していたら、反応ないのに焦れたらしい男性に肩をつかまれた。ちょっ、お触り禁止でよろしく。あんたら体でかいぶん力強いんだから。その気なくても痛いんだよ。
改めて相手を観察してみると、金の髪にコバルトブルーの瞳。
少し色は濃ゆいけど、どこか王様に似た面差しにいかにもお金かかってそうな服装。
主の腹違いの兄弟のどれかか親戚って所かな?
主、人畜無害でおとなしくしてるってのに、血筋だけはいいから絡まれるんだよね・・・・・・。
まあ、嫌み言われたり勝手に下に見てさげずもうとしたりするくらいだけど。
こう言っちゃなんだけど、顔が残念なだけでほかのスペックは高いからね、主。
文武両道で政治にも明るい。近隣の言語どころか古語にまで精通してる。挙句の果てに身の回りのことから料理まで完璧だった。メイドいらないじゃん。
あまりの出木杉ぶりにあきれたら「顔の醜さはどうしようもないから、ほかで少しでもカバーできないかと頑張ってみたんだよ」と少し寂しそうにつぶやかれた。
思わず頭を抱き寄せて、いつもされるみたいに髪をなでなでした私は悪くない。
だって、小さな子供に見えたんだよ。
盛大に照れて赤くなって挙動不審だったけど、それでも離さなかったら大人しく体を預けて撫でられてた。
主は、もう少し報われるべきだと心から思う。
・・・・・・っと、またトリップしてた。
目の前の男性がきずけばさらにヒートアップしてるし、つかまれている方が本気で痛い。
やだなあ・・・・痣になってそう。
「申し訳ありませんが使える主人は一人だけと心に決めておりますので」
頭を少しうつむけてひざを折り礼をとる。
最初の頃はお辞儀する癖が抜けなくてよく変な顔をされてたっけ。
あ、要約すると目の前の彼の主張は「あんな醜い主の元にいるのは苦痛だろう。俺様が雇ってやるからありがたく思え」との事でした。
残念でした。間に合ってます。
そもそも引き目鉤鼻のお公家様な顔に魅力なんて微塵も感じません!とね。
どんだけ自信あるのかは分からんが顔近づけんな!
大体、すれ違いざま唐突に人の主を醜いのなんだのって、何様のつもりなんだろ。
心の中の罵詈雑言はすまし顔の中にしまいしまい……。
使用人の粗相は主の恥になっちゃうからねえ。耐えますとも。
本当は腹に一発ぶち込んでご自慢の顔を踏みつけてやりたいけど。
だけど、止まらない暴言に堪忍袋の緒が切れそうになった時。
ふわりと風が吹いたと思ったら、いつの間にか主の腕の中に囲われていた。
瞬間移動とかかなり高度な魔術を無詠唱で発動って、何やってんだこの人。本当にどこまでチートなの?
「私のメイドにちょっかいをかけるのは止めてもらってもいいかな」
ふわりと抱き上げられ子供のように片腕の上に乗せられた。
いつもならそんな事されたら速攻文句言うんだけど・・・・・・。
近くなった仮面越しの目が眇められていて、主の機嫌がひどく悪い事が分かる。
そもそも声が、聞いたことないくらいに冷え冷えとしてるんだよ。
こっちに向けられてる訳でもないのに怖いってどうゆうこと?
側にいるだけでこれだけ怖いんだから、それを向けられた相手は言わずもなが。
お兄さん、顔色悪いよ?
少し離れた場所にいるのにここからでも体の震えがわかるってどれだけ?
「シャナがおびえてるぞ。そこら辺にしておけ」
少しあきれた様な声にふっと冷たく冷えた空気が消える。
途端に震えていた男性が糸が切れた操り人形のように座り込んだ。
「王宮で殺気を振りまくな。近衛が何事かと飛んでくるぞ」
からかうようにそう言ってのんびり歩いてきたのは第一王子。さっきまで一緒に食事の席にいた主の兄だった。
「驚かして悪かったねシャナ。あの子は私が責任もって仕置きしておくから許してくれないかな?」
やんわりとほほ笑まれて、毒気が抜かれる。
ロイヤルスマイル、こうかはばつぐんだ。
「大丈夫です。こちらこそお手数をおかけしまして」
主が現れたタイミングを考えれば、話の途中で瞬間移動してきたに違いない。
それを追いかけてきてくれたんだろう。
「主様、降ろして下さい」
ポンポンと肩をたたいて主張するも、そのまま歩きだされてしまった。
久々に本気で機嫌悪そうだなあ。
この感じは体調悪いのかくしてて倒れた時以来?
でも、今回はこっちも絡まれた被害者だし、そんなに怒られないよね?
悪いとしたら・・・・・・。
「なんで一人で行動したの?」
「あ、やっぱりそこくるよね・・・・」
見透かしたようなタイミングで問いかけられ、思わず心の声が漏れた。ヤバい。
「・・・・・・・・悪い事と自覚があったんだね?そうだよね。危ないから単独行動は慎むようにって再三教えたもんねえ?」
うわ。
仮面越しなのに主が黒い笑顔を浮かべてるのが分かる。分かりたくないのに、分かってしまう。
「・・・・・あの・・・主様?」
いやな予感しかしなくて恐る恐る呼びかけるとぴたりと歩みが止まり、するりと仮面が外された。
そうしてさらされたそれはそれは美しい笑顔に息を飲む。
「大体ね、シャナ?その呼び方もいい加減改めてくれないかな?名前を呼ぶように頼んだよね?屋敷の者も誰一人「主」なんて呼び方してないだろう?」
しっかりとサファイアブルーの瞳に見据えられて視線が逸らせない。
蛇ににらまれたカエルってきっとこんな気持ちに違いない。
逃げたいのに、目を離したとたんに何かされそうで怖くて動けないんだよ。
「・・・だって・・・・・それは・・・・」
ピクリとも動けないままそれでも口ごもれば、ふう、とため息を一つつかれた。
「兄上、申し訳ありませんがこのまま家に戻ります。報告はまた後日」
「・・・・・・父上には伝えておこう。ほどほどにな?」
「状況次第ですね。大丈夫です。下手を打つ気はありませんから」
「・・・・・・・あ~~~、がんばれ?」
一部意味不明な短いやり取りの後、ふわりと景色が揺らぎ次の瞬間には見慣れた部屋の中だった。
最後の言葉はこっち見ていた気がするけど・・・・・・・・気のせいだよね?
王宮から屋敷に跳んだんだ。
警備の関係上、王宮内ならともかく王宮外に跳ぶときは「転移の間」まで行かなければならないはずなんだけど。じゃないと、王宮の結界に阻まれて酷い目に合うからしないようにって最初の頃に教えてもらってた。
「シャナは怪我するからしちゃだめだよ?私だから出来るんだから」
疑問が顔に出ていたのか主が肩をすくめて教えてくれた。
「現在の王宮の結界は半分は私が組んだものだから、私の魔力をはじかないんだよ」
・・・・・・・さらりと言ったけど、それってつまり主が敵にまわったら王宮の守りは無くなるってこと?
こわっ!
この国の貴族はそこらへん把握してこの人に嫌み言ったり見下したりしてる・・・・・わけないよね、さすがに。
そこまで馬鹿じゃないと思いたい。
「話がそれたな。まずは・・・・・・なんで、一人で移動したの?」
まずって何・・・・。他にもなんかあるの?
思わず固まった私の顔をサファイアブルーの瞳が覗き込む。
近い。近いから!!
今だ腕に抱きあげられた体制じゃ逃げることも出来ないけどせめてもの抵抗で体をのけぞらすようにして至近距離の顔から逃げる。
結果、のけぞりすぎてバランスを崩し腕から転げ落ちそうになった。
慌ててもう片方の手が背中を支えてくれて助かったけど。
「・・・・・・シャナ?」
一段低くなった声に震えが走る。
「だって、近いから!!その顔に覗き込まれたら私が弱いの知ってるくせに!」
恐怖のあまり敬語もすっ飛ばして叫べば、主の目が丸くなった。
次いで、にんまりと笑みが浮かぶ。
拒否の言葉のようだけど、主が傷つく事は無い。
そりゃそうだ。今の私の顔は真っ赤に染まっているのだから。
近づくなと拒否しているけれど、拒絶しているわけではないのは一目瞭然。
「困った子だね、シャナ。言いつけが守れないようなら、いっそ私から離れられないように魔術で縛ってしまおうか?」
「いや!本気でやめて!」
不穏な言葉に本気で悲鳴を上げる。
直視するのもまぶしい美形と二十四時間離れられないってそれってなんて拷問?
大体、トイレや風呂はどうするつもり?!
「今だって一定以上の痛みや感情の揺らぎがあれば伝わるようになってるってのに、これ以上のプライバシーの侵害反対!」
私は自由と孤独を愛する現代っ子なんだ。四六時中誰かと一緒なんて息が詰まる。
「じゃあ、約束守れるね?」
「守る!守ります!!今後単独行動は致しません!」
一二も無く頷けば満足そうな笑顔が返ってきた。
機嫌が直ってよかったです。
ので、もうそろそろ本当に降ろして。心臓が持ちません。
現在の私の状況。
主の片腕に子供抱きで抱えられた挙句、もう一方の手も背中に回っていて・・・とにかく、近い。
おかしい。最初より悪化してる。なんでって、私が暴れたせいでした。そうでした。
これ、主と使用人の距離感として明らかにおかしいでしょ?!
私の心の声などどこ吹く風。
心の声なんて聞こえないんだから当然だろうと思ってはいけない。この方、恐ろしいほど察しが良いんである。よって隠す気のない私の考えなんてダダ漏れなはずで、あえてスルーしているに違いないんである。
主はこの機会に普段の不満を徹底解消する気になったらしい。
笑顔の尋問タイム続行。
「で、どうしてシャナは私を名前で呼ばないんだい?」
「・・・・・・・・・・・」
へんじがない。屍ですよ~。
・・・・・・・だめか。ダメらしい。
主の笑顔が怖い。
これってパワハラにならないかなあ?まあ、訴える場所なんてないけど。そもそもこの世界にそんな概念があるかも謎だし。
現実逃避しているのは、あっさりとバレていたらしい。
「シャ~ナ?」
ひいっ、耳元で囁かれた。息がかかって、背中を何かが走り抜ける。
「えっと、あの、ですねえ。私の世界では異性をファーストネームで呼ぶのはいろいろとまずいと言いますか・・・・・・・なんと言いますか・・・・えっと~~~」
視線をうろうろとさまよわせ何とか主の瞳から逃れようと試みる。
今、あの瞳に捕まったらやばい。
逃げられなくなる気が、するから。
「本当に、照れ屋でかわいいね、シャナは」
くすりと笑みを含んだ囁き声。
そのしゃべり方もやめてほしい。
なんだかむずむずするというか・・・・・・落ち着かない。
ふっと背中に回されていた手が離れ寂しさを感じる暇もなく、長く繊細な指が私のあごを捕まえた。
顔が固定され、逃げられない。
綺麗な澄んだ青が私の視線をとらえた。
吸い込まれてしまいそうな気がして、怖くなる。
それなのに、あまりに綺麗で自分から視線を逸らすなんて考えもつかない。
「さなえ」
小さくひそめられた、ほとんど聞こえないのではないかというほど小さな声が「私」を呼んだ。
この世界の人たちには、どうしても発音できなかったはずの名前。
主だっておんなじで、何度繰り返してもうまくいかなくて、私のほうが先にあきらめてしまった。
この先、もう誰にも呼んでもらえないはずだった、のに。
驚きに目を見張る私を得意そうな光を浮かべたサファイアブルーの瞳が見つめていた。
「さなえ」
まるで大切な宝物のように繰り返される私の名前。
心臓がぎゅっと引き絞られるように痛んだ。
ああ、わたしは、悪い魔法をかけられてしまったに違いない。
この、誰よりも優しくて努力家で寂しがり屋の、醜くて美しい青い瞳の王子様に。
どんどんと近づく青に飲まれてその色以外何も見えなくなった時、唇にふわりと優しい熱を感じた。
温もりはすぐに離れ、だけど薄紙一枚の距離から離れようとはしなかった。
だから、その場で囁かれた言葉はまっすぐに私の中へと滑り込んでくる。
「ねえ、よんで。さなえ」
胸の痛みを耐えるように私は瞳を閉じた。それなのにサファイアブルーから逃れられない。
ああ、本当に呪いだ。
でも、しょうがない。
本当は、とっくの昔にとらえられていたのだから。
逃げていたんじゃなくて、逃がされていたんだといつからか気づいていた。
だから、彼がもう逃がす気がないのなら、私には抗うすべなど残されてはいないのだ。
私は主の名前を呼ぶために、震える唇をゆっくりと開いた。
なんてね。
そんな簡単に素直になるなど私らしくない。
せっかくメイドという枠の中に納まっていようとしたのを解き放ったのは彼だしね。
恋愛に持ち込もうとするなら対等関係だよね。
現代日本女子の恋愛力、とくと思い知れ!
喪女vs一周回ってヤンデレなりかけの王子様、の戦いは、また別のお話しって事で。