考えたくないな
「てことは……」
とても嫌な、考えたくないものが脳裏に浮かぶ。
あたまを振って、その考えを消そうとしているのに、それは消えてくれない。あたりまえのように俺のあたまに居座っていた。すぐさま消えて欲しかった。
そしてーー
「うん。 わたしが殺したわけ。 夜人とか、梢とか」
この目の前にいる女にも消えて欲しくなった。
梅子さんはそんな人じゃなかった。
いつも優しくて気さくで、俺の愚痴も聞いてくれて、ルックスも良くて。なのに、なんでこんな女になったのだろう。
《台本》のことは、本当に信じたくない。 だけど、それは俺の目の前に立っている。実際、梅子さん……いや、梅子はそれに汚染された。それに、穢されたのだ。
そんなこと、あり得ないのに。俺の平凡は壊されてしまった。そして、あたりまえのように非現実が目の前に現れた。 きっと、俺もその台本に汚染されている。二度と抜け出せないのだ。
俺は、絶望した。 からだから力が抜けて、そのままへたり込んでしまった。
「ふふ。 善い世界ばっかりみてるから、そうなるのよ」
梅子がこちらに歩いてきて、俺を見下ろした。
なぜか楽しそうに、微笑んでいた。その顔は、あまりにも怖かった。
この世のものとは思えなかった。
「あ……う」
俺は怯えているのだろうか。 上手く声が出なかった。声を搾り出そうとしても喋られない。
「せっかくだから、 最期に教えてあげる。 あなたの父さんと母さんが喧嘩した理由」
そういって、梅子は微笑んだ。 はるか昔の、柔らかな優しいあの笑顔。 もう、みることは出来ない『梅子さんの』笑顔。
そして、俺の首に彼女は手をかけた。
「それはね、 君だよ」
ぐっと、力を入れられた。
「うっぐ……あ」
息ができない。 喋りたいのに、反論したいのに。
意識が遠のいていく。
(俺って、こんなに脆かったっけ?)
ぼうっとした頭でそんなことを考える。
「君がね、学校にもいかないから。 親に反抗ばっかりするから。 本当は咲子さん、君のこと大っ嫌いだったんだよ? 朔さんの方はね、まだ優しかった。 君のこと、よく気にかけてたから。 でも、君は勘違いしたよね? どうせ、咲子さんや朔さんどころか、『俺のことを気にかけてくれる人はいないんだ』みたいなこと考えてたんでしょ?」
梅子が淡々と話す。確かに、その通りだった。彼女のいうことは、俺のすべてだった。
「それともう一つ」
梅子は、さっきよりも手に力をいれた。
「あのスマホ、私が贈ったんだよ。 君にね」
そんなことを言われた気がする。
その時、既に俺は意識を手放していた。
ーー「生」って、なんだろう。
俺にはもうわからないんだ。
心臓が動いていて、息をしている。それが「生きる」ってことなんだろうか。なら、他人から見捨てられて、孤独死しそうになっていても、心臓が動いていて息をしているからその人は「生きている」というのだろうか。
確かに、そうなんだろう。 昔、雪とふざけて「生きる」と、「死ぬ」を時点で調べたことがある。
完璧には覚えていないが、確か生きるの意味は、「人・動物が命を持つこと」と書かれてあったはずだ。そして、死ぬの意味は、「呼吸や息が止まり、命を失うこと」とあった。
しかし、その下に、もう一つ「死ぬ」には意味があったのだ。その意味は、「活気がなくなる。 生気を失う」。
その通りに考えると、「生きる」とは、「活気がある。 生気がある」という意味になる。
そうしたら、俺は死んでいたのではないだろうか。
俺は既に生気なんてなくしていたはずだ。しかし、俺自身も、そのことになかなか気づけなかった。だけど、あの時に気づいた。
『君は勘違いしたよね?』
梅子の言葉だった。
もう俺は、誰にも愛されてなんかいなかったのだ。柊さんとか、夜人とか……雛とか。 彼らは愛してくれなかった。
いや、きっと彼らは俺を愛してくれていたのだろう。だけど、それにも俺は気がつかなかった。
「これが当たり前。 平凡な毎日」。俺はそう思い込んでいたから。
だから、わからなかった。
もし俺が、こんな不幸の塊じゃなかったら。親孝行で、友達もたくさんいて、学校は皆勤賞をとれる全出席で。そうしたら、未来は変わっていたのだろうか。
俺がこんな男じゃなかったら、夜人たちは死ななかったのだろうか。
どんどん、頭がこんがらがってきた。脳が混乱する。頭が痛い、身体中が痛い。苦しい、辛い。
誰かに、それを分かってほしい。
でも、身体のどこかが分かって欲しくないといっている。
矛盾している。全て、矛盾している。
結局、俺がなにを求めても、それは与えてもらえなくて、俺がなにを信じても、周りは平気で嘘をつくんだ。
でも、それは被害妄想。
わるいのは、全部「俺」なんだ。