真っ赤。
雪が見えなくなるまで俺は、雪の逃げていった方をみていた。
そして、また柊さんの方を向く。
(もうダメだ、俺は助からない)
そう思いながら、後ずさる。
すると、それに合わせて殺人鬼も前進。
そんなやり取りがしばらく続いた。
ナイフが、太陽の光を受けてキラリと光る。
俺は、ちらっと柊さんの方をみた。
彼女は、涙目で俺の方をみていた。
「逃げろ」と口パクをしたが、彼女は首を振って逃げてくれない。口パクが伝わらないのだろうか。
きゅっと自分の右手の拳を握る。冷や汗が額を流れる。
こういう時って、一体どうしたらいいのだろう。
そんな時のマニュアルとかって、あるんだろうか。
その時だ。
「……っ!?」
柊さんがいきなり走り出して、殺人鬼のナイフを取り上げようとしたのだ。
柊さんがいきなり走り出したのは、殺人鬼にとっても奇想天外だったようだ。意表をつかれて動けない。
しかし、いくら奇想天外とはいえ、柊さんが男の力に勝てるわけがない。
その力の弱い腕は、いとも簡単に振りほどかれ、柊さんにはナイフが向けられた。
でも、柊さんは今度は泣いていなかった。
目の奥に、決心の炎が見えた。彼女は、なにかを決心していたのだろう。だが、その決心は儚く消されてしまった。
次の瞬間、俺に見えたのは……赤い液体。
目の前が真っ赤に染まっていく。
俺の服の方にも飛んで来て、俺の服も赤くなってきて……。
殺人鬼はもちろん真っ赤で。
真っ赤に、真っ赤に……染まっていく。
なにも見えない。
殺人鬼が柊さんから離れた。柊さんは、崩れ落ちるようにして道に倒れた。
灰色のコンクリートに赤い液体が染み込んでいく。
その映像はとてもグロテスクだった。
……これは、信じたくない事実。信じたくないし、信じられない。
あの、柊さんが死んでしまったなんて。
殺人鬼は、そのままナイフを持ち、静止している。
俺の方を向くことはなかった。
「赤崎くんに……柊さんっ!?」
その時、後ろから声が聞こえた。
優しくて、かつ、怒りを抑えきれないような声。
俺は、この声を知っているし俺はこの声を嫌っていた。
そう。 梢さんだ。
「なにやっているんですかっ!」
梢さんがこちらへ駆けてくる足音がした。
俺は、殺人鬼をずっと睨みつけているから、梢さんの姿を直接見ることはできない。
しかし、梢さんは俺を助けるつもりらしい。俺の方へ足音が近づいてきているから。
「大丈夫ですか?」
梢さんが俺に聞いた。
「はい」俺は、短く答えた。
別に、面倒臭かったわけではない。ただ、そう返すしかなかったからだ。
俺は、不思議に思った。
なぜなら、梢さんがここまで来ても、俺に話しかけても、殺人鬼はこちらをみないのだ。
柊さんを、ナイフを持ったまま見下ろしているのだ。
普通なら、「これ以上動いたら、刺すぞっ!」とか言うものではないだろうか。 それとも、俺がドラマの見過ぎなのだろうか。
「では、 赤崎くんは先に学校に行きなさい。 後は僕がやりますから」
梢さんが、儚く優しい笑みを俺に向けた。
「……はい」
梢さんにかける言葉がなかった。
俺のために、こんなことをしてくれる。
そんなに優しい人が今までいただろうか。こんな、優しさを俺は受けたことがあるだろうか。
なんていえばいいのか、分からない。
俺は、走り出した。学校に向かって。
こんないい人は、学校の先生になればいい。
そして、生徒たちとずっとーーーー。
ザクッ。
後ろからは、何かにナイフが刺さる音がした。
儚い希望を刺す残酷な音。
……なにが刺されたのか。
俺は、考えられなかった。 いや、考えたくなかった。
「すいません、悠馬さん」
つぶやかれた言葉。 しかし、その声は俺のものじゃなかった。