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2 決まっていた再会



 崎谷佳苗さきや かなえ二十四歳。短大卒業後、二部上場企業の営業部に部長専属事務員として就職。現在都内のワンルームマンションに一人暮らし。

 昨夜の豪雨でかなり濡れてしまったときに寒気を感じていたから、嫌な予感はあったのだけれど。翌日、予想どおり熱が出てしまった。水曜日などという中途半端な日に新入りの歓迎会を企画した幹事を、心の中で恨んだ。有給は余っていたからいいといえばいいのだけれど、仕事が溜まるのが目に見えているのだから、気が重くもなる。

 なによりも、都会の一人暮らし。熱を出して寝込んでいると、日ごろ忘れているはずの寂しさを思い出してしまい、心細くなってしまうことが困る。

 とにかく早く治したい一心で這うようにして近所の医者に行き、点滴を受けると随分楽にはなった。そして帰宅後は、薬と熱の影響で断続的に襲ってくる眠気に、素直に従うことにした。

 明けて今日は金曜日。すっきりさっぱり熱は下がっている。体のだるさは残っているけれど、出勤するのに問題はないだろう。食欲がないからシリアルを牛乳で胃に流し込み、私はいつもの時間に家を出た。

 外は秋晴れで、一日臥せっていた体には、少し冷たい朝の空気が心地いい。

「おはよー」

「体はもう大丈夫?」

 電車を下りてから勤務先の会社が入っているビジネスビルまでの道中、同じ会社の人のみならず同じビル内の他の会社の顔見知りたちからも声がかかる。

 自慢じゃないけれど、私はこれでも仕事はちゃきちゃきこなせる方だ。上司である部長の信任も厚い。加えて「いつもニコニコ元気な崎谷さん」として、なぜかおじ様たちからの受けがよく、営業部の男性社員たちからもそこそこ可愛がられている。できれば若い男性社員から好かれたいところだけれど、世の中そう上手くはいかないようだ。




 営業部の自分の机に着くと、思わず溜息が漏れた。予想していたとはいえ、さすがに机の上いっぱいに散乱している書類や伝票、それにセロハンテープで数珠繋ぎになった伝言メモを目の当たりにすると、言葉も出ない。

 営業事務員は私以外にも八人いて、それぞれが二~三人の営業マンの補助をしている。私だけが部長一人の補助なのに、なぜか仕事の量は人一倍多い。それだけ部長が多忙だということなんだろうけれど。

 呆然としていたところで、仕事は片付かない。私は気を取り直して、とりあえず伝言メモを読むことから手をつけた。

「崎谷君、風邪はもう大丈夫なのか?」

 定時に少し遅れて到着した上司である川村部長が、にこやかに声をかけてくる。正直、今は返事をする時間さえも惜しい。けれど人当たりのよさでおじ様方に気に入られているらしい私の性格では、無視することもできない。

「あ、はい。もう大丈夫です。昨日はご迷惑をおかけしました」

 にっこりと文字通りの営業スマイルを作り、答えてしまう。

「いやいや。それじゃあ、これも頼むよ」

 当然のことながら遠慮の欠片もなく差し出された書類の束に、部長の人のよさそうな顔が悪魔の微笑みに見えた。

「それと、こっちの作業伝票は、システム部に回しておいてくれ」

 さらに伝票を差し出され、頬が引きつる。それでも笑顔を崩さない私って、もしかすると馬鹿かもしれないなと思った。

 部長専属の営業事務とは、つまり通常の営業事務に加え、部長の秘書的な役割も担っている。おかげで、残業しない日がないくらいに忙しい。これで他の営業事務員たちと同じ給料だというのが、目下のところ私の一番の不満だったりする。

「システム部ですね」

 それでも椅子から立ち上がり、差し出された伝票を手に営業部を後にした。廊下でこっそり拳を固めて怒りを鎮めると、気を取り直して目的地に向かう。こんなことでいちいち腹を立てていては、あの部長の補助は務まらないのだ。

 システム部は廊下を隔てて二つ隣のドア。つまりは営業部の目と鼻の先にあった。

「失礼しまーす。おはようございまーす」

 一応形だけのノックをしてドアを開けると、なぜか男性社員たちの視線が私に集中した。確かに日ごろから、私が行く先々の部署はどこも歓迎してはくれるのだけれど。

「これ、部長からです。いつものようによろしくー」

「んー。ああ、これね。了解」

 システム部の責任者の沢渡浩紀さわたり ひろきさんが、伝票の中身を確認してくれる。この人は専務の次男だけれど人あたりが柔らかく、いつも明るいムードメーカー的な存在だ。専務の長男である浩一こういちさんが営業部にいるので、社内ではこちらの沢渡さんのことを、下の名前で呼ぶことになっている。二十五歳の若さで、既に奥様と二歳になる子供がいるらしい。

「浩樹さん。なんだかここ、いつもと雰囲気が違うような気がするんですけれど」

 視線が私に集中しただけではなく、なぜか感じる違和感。

「え? ああ、新顔がいるからじゃないかな」

「新顔、ですか?」

「うん、そう。一昨日名古屋から異動してきたんだけど、崎谷さんは会うのは初めてかもね」

 言われて浩紀さんが指差す方を見てみると、つい先日まで空席だった場所に座る後姿を確認した。

 なるほど。これが違和感の正体だったのか。納得した私に紹介してくれるために、浩紀さんがその新入りさんに手招きをする。

 その顔を見た途端、私は思わず大声を上げてしまった。

「え? えええええっ?」

 私の間抜けな声が、広くはないシステム部の室内に響き渡る。

「あれ? 崎谷さん、もしかして知り合いだった?」

「知り合いってほどじゃないです。一昨日、たまたま」

「たまたま一緒に雨宿りした仲ですよね、崎谷佳苗さん?」

 またしてもなぜかフルネームで私を呼ぶ来栖明良くるす あきらを、私は信じられない思いで見つめることしかできなかった。




 そして昼休み。気がつくと、目の前に来栖明良がいた。

「崎谷さん、お昼一緒にどう?」

 一昨日と同じようににこやかに微笑む男に、咄嗟に言葉を返せない。

「え、と、来栖、さん?」

「なんでしょう?」

「いや、どうしてですか?」

 どうして、の意味を図りかねたらしい来栖さんは、きょとんとした表情で小首を傾げている。一体いくつなのかは知らないけれど、このでかい図体でそんな仕草をして可愛いと感じられるのもどうかと思う。

「あれ。一昨日言ったでしょう? 今度会ったときには口説きますって。だから口説きに来たんです。とりあえず手始めに、一緒に昼食にでも行こうかと誘いに来たのですが」

 そういえば、そんなことを言われたような気がする。あまりに信じ難い内容だったから、都合よく記憶の彼方に飛んで行ってしまっていたらしい。

「はあ。って、あれ、冗談とか社交辞令とかじゃなかったんですか?」

「そういう風に思われていたのか。僕は思い切り本気だったんだけど?」

 本気と言われて、はいそうですかと納得できるはずもない。ただでさえ今まで同年代の人から好意を寄せられたことなどないのに、俄かに信じられるはずがないのだから。

「来栖さんって、おいくつなんですか?」

「いくつに見えます?」

 分かれば最初から訊ねたりはしない。

「私、人の年齢って分からないんです」

 素直に降参した。

「崎谷さんより五つばかり上です」

 つまりは二十九歳ということなのだろう。おじ様と呼ぶには若すぎる。いっそもっと年嵩ならば、いつものことだと納得できもしたのだけれど。

 そんな考えがついつい顔に出ていたらしい。来栖さんの表情が、にこやかな微笑みから苦笑に変わっていた。

「崎谷さんは、もっと年上の男が好きなんですか?」

「いえ、そうじゃなく、って、来栖さん、どうして私の年を知っているんですか? 名前もご存知でしたし、一体?」

 そう聞き返すと、来栖さんは私から視線を逸らし、なぜか顔を明後日の方向に向けた。腕を組み、何事かを思案しているようだ。

「知りたいですか」

 その問いかけに素直に頷くと、今度は少しだけ笑みを浮かべている。その瞳には、どこか意地の悪い光を宿しているように見えた。

 人差し指を口元にあてて片目を閉じた来栖さんは、ちょっとだけお茶目だ。

「それは、秘密です」

 来栖さんの口から出た言葉に、私は思わずその頭を殴りたい衝動に駆られた。

 もちろん、必死に耐えたけれど。



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