インパクト3
「ゴメン、大地さん。夕飯の買い物に付き合ってもらっちゃって」
「……いい、用事もないし……帰り道には違いないから」
夕日の降り注ぐ永江町商店街。
その中を僕と大地さんが横並びに並んで歩いている。
そんな僕たちの手はそれぞれに食材を入れたエコバックを提げている。
永江小学校、永江神社と隣接して東西に伸びるこの商店街は、夏祭りには多くの出店の並ぶ祭りの会場ともなり、地元の小学生にとってなじみ深い場所である。
大型ショッピングモールの出現に押されてシャッターの下りた店が増えたものの、ある大企業の支援と介入によって整備されて持ち直そうとし始めていた。
僕は早くに両親を亡くして、年の離れたあきら姉さんと二人で暮らしている。
あきら姉さんが家事の苦手な事もあったから、昔から家事の大半は僕の担当だ。
それで放課後には決まってこの商店街で必要な物を揃えてから帰っている。
そんな帰りついでの買い物に付き合わせてしまったけれど、大地さんは嫌な顔一つせずに寄り道についてきてくれている。
それどころか荷物の半分以上を持って僕の買い物を手伝ってくれている。
歩幅の差がある僕を置き去りにしない様に、ゆっくりと合わせて歩いてくれる大地さん。
そんな彼女の気づかいを少し情けなく思いながらも嬉しく受け取って、僕は頭一つ以上高い位置にある顔を下から覗き込む。
「……あ」
すると大地さんは正面を見てその唇から微かに声を零す。
そんな彼女の視線を辿って顔を向ける。
「ああ、あの子は」
そこにはキジトラ柄の猫が一匹、定休日の電気屋の前で寝転がっていた。
「トラ」
そのだらけきった白い腹へ呼び掛けてみる。
するとトラは軽く顔を上げて一声鳴く。
それなりに整った見た目に反してのダミ声。
僕がいつものトラの声に笑みを浮かべると、不意にトラは寝そべった姿勢から前足で路面を叩いて警戒の姿勢を見せる。
「ど、どうしたのトラ?」
僕にはトラに警戒される心当たりはない。
昨日もすり寄って鶏肉をねだられたくらいだ。
「トラ、どうしたのさ?」
警戒の理由が分からなくて、もう一度トラに呼び掛ける僕。
すると僕の隣から大地さんが一歩踏み出す。
「だ、大地さん?」
じっとトラを見据えたまま身構えて、じり、じり、と間合いを詰める大地さん。
対するトラは完全にくつろぎの体勢を解いて立ち上がり、前半身を低くして構える。
「……ねこ、かわいい猫……かわいい、撫でたい……」
大地さんは呟きながら気を張り裂けそうなくらいに張り詰めさせて、トラへとにじり寄る。
けれど一方のトラは叩きつけられる緊張感に、尾を振って息を吐くような声で威嚇まで始めている。
「ま、待って大地さん! 落ち着いて! こっちが緊張してると動物は怖がるよ!?」
トラの威嚇にも構わずに手を伸ばし続ける大地さんを僕は慌てて引き止める。
「……え? あ……」
そこでようやく我に返った大地さんはトラと自分の手とを見比べて身を引く。
あのまま止めてなかったら、きっと引っ掻かれるか噛まれるかするまであの調子で突っ込んでたに違いない。
大きな体をすまなそうに縮ませる彼女を微笑ましく思いながら、僕はまだ警戒を解き切っていないトラへ顔を向ける。
「ほら、大丈夫だよ。おいで」
その場にしゃがんで手のひらを上に低く出してトラを招く。
そうして僕はトラから寄って来るのを待つ。
するとトラは大地さんをちらりと見て、そろそろと僕の手に向かって歩いてくる。
そして僕の指先を前に鼻をヒクヒクと動かすと、「さあ撫でるがよい」と言わんばかりにあごを上げてみせてくる。
「よしよし」
そんなトラの態度に苦笑しながら、僕は出されたあごしたを撫でてやる。
するとトラは気持ちよさそうに目を細めながらのどをゴロゴロと鳴らす。
ひとまず警戒を解いてくれたトラ。
僕はそんなキジトラ猫から、一歩下がって後ろにいる大地さんへ振り返る。
すると僕とトラの様子を高くから覗きこんでいたらしい大地さんと目が合う。
柔らかく細めていた目を慌てて泳がせる彼女。
「ほら、大地さんも」
そんな大地さんに僕は笑みを投げかけてトラを触れてみるように誘う。
「う、うん……」
すると彼女も少し躊躇いを匂わせながらしゃがんで、トラへ恐る恐る手を伸ばす。
その近付く手の気配を感じたのか、目を見開くトラ。
キジトラ柄の猫からの射抜く様な視線に大地さんの手が急ブレーキをかける。
中途半端に手を差し出したまま固まってしまう大地さん。
「ほら、大丈夫。深呼吸して。そんなに緊張してたら襲うつもりかもって思われるよ」
「……うん」
大地さんは僕の言葉に頷いて、深く息を吸って、吐く。
そうしていくらかほぐれた表情で、伸ばし掛けで止めていた手をトラに伸ばす。
すると再び警戒していたトラも、見開いていた目をいくらか緩める。
そんなトラのあご下を、大地さんの人さし指がそっとなぞる。
トラはそれを受けても逃げるわけでも抵抗するわけでもなく、くすぐったげに目を糸の様にしてされるに任せる。
「……あ」
それを見て大地さんの口から洩れる微かな感動。
そして大地さんはそのままトラのあご下を二度、三度とぎこちなくも繰り返し撫でる。
それでもリラックスした様子を崩さないトラ。
大地さんはそれを確かめると、キジトラ猫のあご下へ差し込んだ手をくすぐる様に動かしていく。
気持ち良さそうに僕ら二人の手を受け続けるトラ。
それを前に僕と大地さんは顔を見合わせる。
そうして僕らは揃って頬を緩める。
「先輩? なにしてるんです?」
そこで不意に背中に投げ掛けられる声。
それに僕らは揃って振り返る。
その瞬間、眩しいフラッシュとシャッター音が僕の目と耳を突く。
「うっ?」
「おおう! 高月センパイと孤高の女と名高い大地センパイの意外なツーショット! これは面白い話ですなぁ」
眩しいフラッシュに続くおどけた調子の女の声。
光が収まって慣れた目。
それに飛び込んで来たのは永江高校のブレザーを着た二人の女子。
「……誰?」
静かな声で大地さんが二人組の女子へ尋ねる。
するとショートヘアの黒髪にベレー帽を乗せて、妙にしっかりとしたカメラを構えた方の子がニッと笑みを浮かべる。
「これはこれは、申し遅れました。私は永江高校一年新聞部、新田文香。以後お見知り置きを、大地遥センパイ」
そう名乗って軽く会釈する新田さん。
続いてその隣のショートボブの女子が眼鏡のブリッジを押し上げて直す。
「浅井薫です。はじめまして」
自己紹介する薫ちゃん達二人。
そんな二人に僕は大地さんと揃って立ち上がって向き直る。
「僕の知り合いなんだ」
そして自己紹介に付け足す形で、僕が二人を大地さんに紹介する。
二人は永中に通ってたころに先生と知り合ってから、芋ズル式に親しくなった後輩だ。
一年で生徒会役員までやってる先生の従妹の薫ちゃんはともかく、新田さんの方はどうも苦手。というのが僕の正直な印象だった。
一見するとまるでそりが合いそうに無いのに、なんだかんだで仲が良い不思議な二人だ。
「……は、はじめまして……」
二人の一年生へ、僅かな戸惑いを見せて頭を下げる大地さん。
すると薫ちゃんが大地さんへもう一度礼をして、僕へ顔を向ける。
「それにしても、今日はどうしたんですか先輩。今日は兄さんに合う予定でしたっけ?」
「うん、その予定は無かったんだけどね。ちょっとお店に寄らせてもらおうと思ったんだ」
そう薫ちゃんに説明すると、急にその横から新田さんが割りこんでくる。
「おおう!? もしや本当にデートだったんですか!?」
「ええっ!?」
「……私と、高月くんが……!?」
ニヤニヤ笑いの新田さんから飛び出したとんでもない想像。
それに僕と大地さんは二人揃って驚いて声を上げてしまった。
そして僕は驚きの波に押されるがままに隣の大地さんの顔を見上げる。
すると大地さんの方でも僕を見下ろしていて、視線が絡みあう。
そして彼女の顔を見るのが何だか急に恥ずかしくなってしまって、僕は思わず明後日の方向へ顔を逸らしてしまった。
むやみやたらに顔が熱い。
冬場にだったらカイロがいらなくなるくらいにはなってる。
今僕の顔は人に見られたら大笑いされるくらい赤くなってるんだろう。たぶん、きっと。
新田さんがとんでもないこと言うから、大地さんと傍にいるだけでも熱が上がってしまう。
目を逸らしたままは悪い気がして大地さんを覗いてみる。
すると同じように僕を見ようとした大地さんの視線とぶつかってしまい、またたまらず顔をそむけてしまう。
「……おうふ、なんでしょうなぁ……この空気。ねえ、カオルッチ?」
「きっかけ作ったのは文香さんでしょうが……あとカオルッチは止めってっていつも言ってるでしょ!?」
「ら、らめぇえええ!? い、イタイイタイッ!? 耳はッ! みみはごかんべんをぉほぉおおおお!?!」
一年生二人も加えた僕たち四人。
あのあと僕たちは赤い道化の踊る喫茶店の看板を通り過ぎて、店内に入った。
ドアベルの歓迎が鳴る中、僕と大地さんは先に店内でくつろいでいた上野くんと松下さんのカップルを見つける。
そして先客の友達に相席する形で、僕たち二人も席に着いていた。
「それにしても、奇遇だよね忍」
「そうですね。それに遥ちゃんまで一緒にここに来るなんて」
コーヒー片手に言う上野くんと、その隣で紅茶のカップを両手に微笑む松下さん。
「う、うん……そうだね」
そんな二人に頷きながら、僕は右隣の大地さんを意識してしまって言葉がすんなりと出てこない。
「……うん。こういうお店に寄るのって初めて、かも……」
大地さんを横目で見ると、彼女も緊張に体を縮ませながら店の中を見回している。
所々に鮮やかな赤をポイントとして飾られた店内。
《今回のミリオンチャレンジは! 超バトルチームシリーズヒーローの変身名乗り、全部できたら百万円!! 挑戦者の一人は、なんと若干十四歳の女の子ォッ!!》
その一角で今夜の番宣を映すテレビが目に入る。
するとそのテレビの下に開くキッチンへ続く通路から、赤いシャツとロングパンツに白いエプロンを付けた長身の女性が出てくる。
真直ぐなセミロングの髪の女性は右手に紅茶のカップ二つが乗った銀のトレイを、左手には一歳そこそこの小さな男の子を抱えて僕らの座る席に近付いてくる。
伊吹茜さん。
僕にとっては先生の奥さんで、お世話になってるお姉さんといった人だ。
姉さんと同じ二十七歳という年齢もその印象を強めているかもしれない。
「やあ、お待たせしたね忍くんと……その彼女さんかな?」
息子の颯太くんを抱えた茜さんは、そう言って口元に笑みを浮かべてトレイをテーブルに置く。
「ちょ、ちょっと茜さん!?」
「……う、うう……」
僕は思わず声を上げて熱くなった顔を茜さんに向ける。
そして隣の大地さんを見ると、顔を真っ赤にして縮こまってしまっていた。
一方で茜さんはそんな僕らに軽く首をかしげる。
「おや? 違ったのか? 私はてっきりそういうものだとばかり……」
そうして茜さんは紅茶のカップを分けてくれながら、外れた理由が分からないとばかりに言う。
「はは、分かりますよ。おれもけっこう相性いいように見えましたし」
「はい。わたしも二人はお似合いだと思います」
それに続く上野くんと松下さん。
そんな二人を前に、僕は自分に出された紅茶のカップを掴む。
だれもかれも……上野くんたちまで好き放題に言ってくれる。
僕の方は、正直言われる恥ずかしさよりも嬉しい方が勝ってる。それ自体に悪い気がしてるわけじゃない。
けど僕みたいなちんちくりんと一緒にされたら、大地さんがかわいそうだ。
彼女みたいにきれいで優しい人なら、もっといい、こんなチビよりもずっといい男でないとつりあわない。
だから大地さんはさっきから一言も言えずに縮こまり続けている。
そんな事を考えながら、僕はカップの中で湯気を立てる紅茶を煽る様に流しこむ。
「……あち……」
香りを楽しむ間もなく喉を通り抜けた熱。
それに思わずカッコのつかない声が出てしまう。
その声を誤魔化す為に僕は音を立ててソーサーにカップを置く。
「忍……?」
「高月くん?」
そんな僕を瞬き交じりにみる上野くん、松下さん、茜さん。そして大地さん。
その目の集まる中、僕は椅子を足で押しながら立ち上がる。
「ちょっと……先生と話してくる」
それだけ言って、僕は追いかけてくる目を振り払おうとするように、厨房へ向かう。
自分勝手な劣等感で良い人たち相手に一人で苛立って。
こんな僕自身が僕は大嫌いだ。
そうだ。こんな僕なんかに大地さんの恋人なんて、務まるわけがないんだ。
拳を握ってカウンター裏へ入る僕。
「酷い顔してるね」
すると穏やかな低音が僕を迎えてくれる。
顔を上げると、そこにはコンロの前でフライパンをあやつる男性が一人。
白いシャツとジーンズに緑色のエプロンを纏うすらりとした長身。
秘めた力を感じさせる、逞しく引きしまった腕。
無造作に流した黒い髪。
穏やかに整った目元と口元。
それに反して筋の通った鼻に、凛々しい太めの眉。
僕の憧れる、男の姿の体現がそこにあった。
「……先生」
僕がそう呼ぶ。
すると先生、伊吹健さんはその凛々しい眉を歪めて苦笑する。
「そう呼ばれる様な事をしてる覚えはないんだけどなぁ……」
照れ臭そうにそういいながら、先生はフライパンの中でソースと絡みあって踊っていた麺を皿へ移し盛り付ける。
先生はそう言うけれど、僕は充分以上にお世話になり続けている。
一方的に先生と呼んでるだけの僕みたいな子ども相手に、わざわざアドバイスをくれたりレシピのコピーを渡してくれたり。
とにかく面倒見のいい人なんだ。先生は。
「……それより、今までもたまには暗い顔も見なくは無かったけど、今日は特に酷いね」
その先生の言葉に、僕はさっきまでの暗い気分に引きずり下ろされる。
重く沈んだ胸の内に、僕の表情も苦く曇る。
そんな僕の顔に、先生は苦笑気味に顔を伏せる。
「忍くんの事だから、多分自分にはその資格がない……とか思ってるのかな?」
図星を突かれて苦い顔を背ける僕。
すると軽く息を吐く様な声が先生の方から聞こえてくる。
「いけませんか?」
吐き出した僕自身が驚くほどの冷たい声。
膨れ上がった反発がそのまま溢れ出したようなものを先生へぶつけてしまった。
「何をするにも資格はいります……無免許で車を動かそうとするよりはずっとマシのはずですよ……!」
それを後悔する一方で、堰を切った反発は溢れた勢いのままに零れ続ける。
「……そうだね。確かに、それは忍くんの言うとおりだ」
けれど先生は、僕の駄々そのままの言葉を抑え込まずに受け止めてくれた。
「え……?」
僕がそれに戸惑い顔を上げる。すると穏やかな笑みを浮かべた先生と目が合う。
「ただ、ね。仮に俺がうっかり忍くんに張り切って格式張った料理を出したとして、忍くんはそれを食べるマナーや作法を知らないからって、手を付けないかな?」
「それ、は……」
先生の出した例え話に、僕は言葉を詰まらせる。
もし先生の例え通りの事が起こったとしたら、僕は見よう見まねの拙い作法でもなんでもやってみるだろう。
それに先生はそんな作法を気にする人でもない。
相手ありきの問題なのだから相手の気持ちも考えるべきだということだろう。
確かに先生の言う事も一理ある。
けれど、今の僕にはその言葉に押されるままに踏み出す気持にはなれなかった。
俯いたままいつの間にか下唇を噛んでいた僕。
そんな僕の横を、先生は料理を片手に通り過ぎる。
「偉そうなことを言ってごめん。でも、俺の言ったことも参考くらいにはしてみてよ」
先生はそう言って出来た料理を手に客席へ向かう。
その背中を、僕はただ黙って見送るだけだった。