再会
「……アークライト侯爵家の令嬢?」
ミシュリーヌは報告書を閉じた。
「無詠唱。魔力圧縮。発動予兆なし。以上です」
淡々とした報告だった。
部屋が静まる。
「馬鹿げているわね」
ミシュリーヌは鼻で笑った。
「子供の誇張でしょう。魔術院も最近は質が落ちたのかしら」
だが、机を叩く指先だけが止まらない。
「……ですが、グレイン老師の名で上がってきた報告です」
「…………」
一瞬の沈黙。
ミシュリーヌは立ち上がった。
「すぐ行くわ。馬車を出しなさい」
「はい?」
「聞こえなかったの?」
侍女が慌てて頭を下げる。
「い、いえ。しかし本日のご予定は――」
「変更よ」
即答だった。
「確かめれば済む話でしょう」
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「ヴァランタン公爵家より、ミシュリーヌ様ご到着の先触れです」
リナの報告を聞いた瞬間、読書中だったジュリアの手が止まった。
「……ミシュリーヌ?」
酷く懐かしい名だった。その名を口にした後、一瞬、戦場が重なった。
鉄錆と、焼けた魔法式の臭い。
泥を啜り、血を流しながら、最後まで隣で杖を振るい続けた少女。
この世界で誰よりも傲慢で、誰よりも努力家で――誰よりも、自分という背中を追いかけ続けていた、宿命の戦友。
『ミリー、俺はもうダメだ。逃げろ』
『嫌よ。あなたを置いていくくらいなら、ここで地獄を見てやるわ!』
死の淵にいた自分を庇い、腕の中で冷たくなった彼女。あの時に抱いた指の感触が蘇る。
「……生きて、いたのか」
ドクン、と心臓がうるさく鳴った。
「……すぐに用意を!いや、私が直接出る」
椅子を蹴るような勢いで立ち上がったジュリアに、リナは目を丸くした。
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複数の馬車が門前に横付けされる。
先に降り立ったのは護衛騎士たちだった。統一された装備が石畳に整然と並び、続いて従者が周囲を確認する。屋敷の門番が一瞬身構えたのは、それが“来訪”というより“儀礼的な圧力”に見えたからだった。
やや遅れて、白い馬車の扉が開く。
ヴァランタン公爵家の紋章を掲げたその車体から現れたのは、一人の少女だった。
ミシュリーヌ・ヴァランタン。
その場の空気が、わずかに張り詰める。
護衛騎士の一人が半歩前に出ようとして、しかし主の所作を見て止まった。
ミシュリーヌは視線を巡らせ、迷いなくアークライト侯爵家の正面玄関へ歩み寄る。
その動きには一切のためらいがなかった。
そして、迎えの言葉が発されるよりも早く。
ジュリアはその場に跪いていた。
「……ミリー。お会いできて光栄です」
その声は、甘く囁くようなものではない。
一拍遅れて、護衛騎士たちの反応が揃う。
手が剣帯に触れかけて止まり、視線が主と少女の間を行き来する。
(ミリー?その名は……)
ミシュリーヌが言葉を失うのを余所に、ジュリアは立ち上がると、流れるような動作で彼女の手を取り、エスコートを開始した。
その一連の動作に、初回特有の“硬さ”はなかった。
まるで以前にも同じ場面があったかのような自然さだった。
階段の段差、扉を開けるタイミング、椅子の引き方。
その全てが、ミシュリーヌにとって心地よいタイミングで提供される。
ミシュリーヌは、何度か口を開きかけた。
だが言葉が出ない。
歩調が合う。
手を引かれる力加減が自然すぎる。
まるで昔から、こうすることに慣れていたみたいに。
初対面で呼ばれた愛称のことすら、すでに遠い出来事のように感じられていた。
そして、それが“二度目の訪問”からは、当然のように繰り返されることになる。
帰りの馬車でも段差に注意するように先回りしてエスコート。
「足元にお気をつけて」
「……分かっているわ」
そう言いながら、ミシュリーヌは差し出された手を取った。
指先が触れる。その瞬間、妙な既視感が走る。
馬車の扉が閉まり、アークライト侯爵邸が遠ざかっていく。
一人になった車内で、ミシュリーヌは先ほど握られた自分の右手を見つめた。
頬が、いまだに熱い。
魔術の調査に来たはずだった。
あわよくば、鼻持ちならない天才少女の化けの皮を剥ぐつもりだった。
だが、気づけば主導権は一度も握れなかった。
エスコートされるがままに椅子に座らされ、好み通りの紅茶を飲み、帰り際まで当然のように手を取られた。
「……なんなのよ、あの子」
数日後。
ヴァランタン公爵家の馬車は、当然のようにアークライト家の門前に現れていた。
「お兄様、今日はミシュリーヌ様の来訪があります。今日の剣術訓練はここまでです」
「またか……」
エドワードは木剣を持ったまま固まった。
「昨日も来ていなかったか?」
「はい」
「その前の日も……」
「はい」
ジュリアは平然としている。
「……随分、気に入られているんだな」
「業務です」
「業務?」
エドワードはよく分からない顔をした。
だが胸のどこかが、少しだけ引っかかっていた。
到着した馬車の扉が開くより先に、ジュリアは一寸の狂いもなく最適な位置で手を差し伸べている。
「お待ちしておりました、ミリー」
「……遅くなって、ごめんなさい。ジュリア」
あの高飛車な公爵令嬢が、あろうことか「申し訳なさそうに」頬を染めて、ジュリアの手を握る。
そして二人は、エドワードには理解不能な『高度な魔術言語』を交わしながら、書斎へと消えていく。
取り残されたエドワードは、冷めた紅茶を見つめた。
(……僕も、もっと勉強しないとダメなのかな)
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(ヴァランタン家、護衛騎士の内心)
「……これは警戒任務なのか?それとも……もともと知り合いなのか?」
そして後日、報告書にこう書かれる:
『アークライト侯爵令嬢、ヴァランタン公爵令嬢と極めて親密な関係にあり』
王都側「え、いつから?」
現場「我々も知りたい」
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ある日。ジュリアは屋敷の工房を訪れた。
「モーリスはいますか」
「これはお嬢様。いかがなさいましたか」
鍛冶担当のモーリスが、慌てて頭を下げる。
「弱い魔物が落とす屑魔石はありますか」
「ございますが……あのような不純物を何に?」
ジュリアは返事の代わりに、羊皮紙を机に広げた。図式と数式に近い記号がびっしりと並んでいる。
「魔力の乏しい平民でも使える武器です」
「……武器、ですか」
「これを矢や槍に固定すれば、最低限の訓練で魔物を討伐できます。魔力依存の戦力差を縮められるはずです」
モーリスは言葉を失った。
理屈は分かる。分かってしまう。
だが、その前提が異常だった。
魔物討伐とは、選ばれた騎士か魔術師の領域だ。
それを「平民でも可能にする」という発想そのものが、現行の秩序から逸脱している。
「お嬢様……それは、兵器では?」
「はい」
即答だった。
「戦場では必要になります。十年後には間に合いませんから」
淡々とした声だった。
そこに躊躇はない。
モーリスは羊皮紙に視線を落とし、ゆっくりと息を吐いた。
「……侯爵家にお納めする前に、少しだけ時間をいただけますか」
「構いません」
ジュリアは当然のように頷いた。
それは“発明”ではなく、“既に知っている手段の再現”だった。
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重厚なマホガニーの机に、一枚の羊皮紙が広げられていた。
そこに描かれているのは、美しく整えられた設計図。しかしその内容は、既存の魔術体系とは明らかに異質だった。
「ジュリア。これは何だ?」
アークライト侯爵は、静かに問いかけた。
声に怒りはない。ただ軍務に通じる者として、その意味を測ろうとしているだけだった。
「なにこれ、さすがジュリア! 魔法陣がこんな形で最適化されてるなんて……!」
横から覗き込んだエドワードが目を輝かせる。
しかし侯爵は一瞥でそれを制した。
「エドワード、お前は黙っていなさい」
「あ、はい……」
室内から余計な音が消え、空気が沈む。
侯爵は、娘の凪いだ瞳を見た。
「説明しなさい、ジュリア」
「……平民でも扱える、簡易兵器です。お父様」
迷いのない声だった。
「なぜ、そのようなものを作る必要がある? 剣も魔法も持たぬ者に力を与えれば、秩序は崩れる」
「いずれ訪れるかもしれない有事に備えるためです」
即答だった。
「騎士や兵では不十分だと言うのか。この私や、お前の兄でも?」
その言葉に、ジュリアは一瞬だけ視線を落とした。
言えるはずがない。十年後、この王国の防壁となる騎士団が崩れ、兄が戦場で息絶え、この目の前の父さえも戦火に呑まれる未来など。
「…………」
沈黙は、否定よりも雄弁だった。
侯爵はしばらく娘を見つめたのち、静かに羊皮紙を丸める。
「……わかった。もうよい。二人とも下がりなさい」
「……失礼いたします」
ジュリアとエドワードが退出し、扉が閉まる。
残された侯爵は、娘の座っていた椅子を見つめ、深く息を吐いた。
「新しい魔法理論に続き、平民でも扱える兵器か……」
呟きには困惑と、わずかな敬意が混ざっていた。
「賢い子だな、ジュリアは。……まるで、明日世界が崩れるとでも知っているかのようだ」
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場所は変わり、王都・王立魔導研究所。
床に散らばった報告書を拾い上げながら、所長は低く吐き捨てた。
「またか……また『アークライト侯爵令嬢』か!」
提出されたのは、屑魔石を用いた熱線発生理論の構成図。
既存の魔導工学を根底から組み替える、異常なまでに洗練された設計だった。
「魔術院の老獪な連中を震撼させたと思えば、今度は我々の領域まで踏み込んでくるか……!」
研究者たちが図面を囲み、言葉を失っている。
だが彼らはまだ知らない。それが、やがて人類の生存を支える基盤になることを。




