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晩餐会

 エリュシオン学園、大広間。『春季交流晩餐会』。

 自由都市群から成るエリュシオン小国連邦は、他国と比べれば身分差に寛容だ。

 ――とはいえ、完全に無いわけではない。

 貴族子弟たちは煌びやかな衣装に身を包み、談笑し、音楽と料理を楽しんでいる。


 一方で、平民の学生たちは会場運営に追われていた。

 料理。給仕。設営。演奏。

 それすらも「社交性と協調性の実習」という名目で単位に組み込まれているあたり、いかにも学術国家らしい。


 そんな中。

 獣人の少女リィンは、場違いなほど上質なドレスを着せられ、会場の隅で硬直していた。


(どうしてこうなった)


 エンギュロイ森林国。

 獣人たちが暮らす森の国家で、リィンは狩人として育った。

 森を駆け。獣を追い。木の上で眠る。

 そんな生活を送っていたはずなのに、族長に才能を見出され、気づけばエリュシオン学園へ放り込まれていた。


 ――そこまでは、まだ良かった。


 問題は入学後だ。

 訓練場で見かけた、白銀の少女。

 アストライア王国、アークライト侯爵家令嬢。ジュリア・アークライト。

 あまりにも異質な剣だった。

 静かで。鋭く。まるで、本物の戦場を知っているみたいな剣。


 気づけば、吸い寄せられるように木剣を握っていた。

 数合。

 本当に、数合だけだった。

 リィンは人生で初めて、“完敗”を理解した。


 ――そして何故か、そのまま捕獲された。


『貴女、面白いですね』

 あの瞬間から全てがおかしくなった気がする。

 気づけば「索敵潜入担当」という意味不明な役職を与えられ。

 下級寮から保護され。

 侍女服を着せられ。

 今はドレスまで着せられている。


(……いや本当に、どうしてこうなった)


 しかも現在進行形で、貴族だらけの晩餐会会場に放り込まれていた。


---------------------


 楽団の演奏が、ゆるやかに切り替わる。

 談笑の波が少しだけ揺れ、中央の空間へ何組かの男女が進み出た。


「……なるほど」


 マクシミリアンが小さく笑う。


「これは逃げられませんね」


 ジュリアは視線だけ向けた。


「何からでしょう」

「春季交流晩餐会の定番です。曲が変わった以上、“誘わない男は無作法”になります」


 そう言って、彼は自然な動作で片手を差し出した。


「よろしければ、一曲」


 周囲の視線が静かに集まる。

 片や、ベルンシュタイン侯爵家嫡男。

 片や、アークライト侯爵令嬢。

 断れば、それはそれで目立つ。


「……分かりました」


 ジュリアは手を重ねた。


 ゆるやかに、音楽が流れる。

 踏み込み。回転。体重移動。

 ジュリアの動きに、マクシミリアンは僅かに目を細めた。


「綺麗ですね」

「ありがとうございます」

「衣装もですが、動きの方です」


 一歩。


「無駄がない」


 一歩。

 繋いだ手を上げると、ジュリアが滑らかに回る。


「普通の令嬢のダンスではありませんね」


 ジュリアは瞬き一つしない。


「そうでしょうか」

「ええ」


 マクシミリアンは微笑む。


「まるで、“訓練された人間”の動きです」


 数秒。

 音楽だけが流れる。

 だがマクシミリアンは視線を逸らさない。


「訓練場でも思っていました」

「……」

「あなたは時々、“知っているはずのない動き”をする」


 ジュリアの銀髪が、照明を反射する。


「例えば?」

「重心管理、視線誘導、索敵癖、逃走経路の確保」


 一つずつ、静かに並べる。


「まるで実戦経験者だ」


 ジュリアは一度だけ目を細めた。

 だが表情は崩れない。


「買い被りです」

「そうでしょうか」


 マクシミリアンは穏やかに続ける。


「そして、知識も」


 音楽が一段低くなる。


「軍事、政治、歴史、工学、魔導理論。

 十二歳の少女が持つには、少し不自然なくらいに」


 沈黙。

 ジュリアは静かに口を開いた。


「ベルンシュタイン家は、他人の秘密に興味がおありなのですね」

「ええ。商売柄」


 即答だった。


「特に、“価値のある秘密”には」


 ジュリアの瞳が細くなる。

 だが、次の瞬間。


 マクシミリアンがふっと笑った。


「安心してください」


 くるり、と滑らかに回転する。


「別に暴こうという話ではないんです」

「……では?」


「単純に興味がある」


 一歩、近づく。


「ジュリア嬢。あなたのその知識」


 紫水晶のような瞳が、静かに細められる。


「一体、どこで得たものなんです?」


 ジュリアは数秒、沈黙した。

 楽団の旋律だけが静かに流れる。

 やがて彼女は、小さく微笑む。


「書物からです」

「……なるほど」


 マクシミリアンも笑った。

 だがその瞳だけは、少しも納得していなかった。


----------------------


 壁の花になっていたリィンに声がかかった。


「そこの獣人のお嬢さん。僕と一曲いかがですか?」


 視線を向ければ、そばかすのある薄い茶髪の男子。

 身分は下級貴族辺りだろうか。

 驕ったような態度ではなく、物腰は優しい。


 特に悪い気はしなかった。


「はい。よろしくお願いします」


 自然に手を取っていた。


「僕は自由都市カナンのヘンリク。僕の家は大した家ではありません。だから気を使わなくて大丈夫です」


 にこりと笑うヘンリク。


「エンギュロイ森林国のリィンです」


 リィンは少し視線を逸らしてしまった。

 ヘンリクの手は、思っていたよりずっと柔らかかった。


 リィンは少しだけ困惑する。

 これまで自分に触れてきた人間は、狩人か、兵士か、あるいは敵意を持つ誰かだった。

 こんな風に、自然に手を取られたことなんてない。


「緊張していますか?」

「……少しだけ」

「大丈夫ですよ。僕もです」


 ヘンリクが苦笑する。


「こういう場、正直あまり得意じゃなくて」


 その言葉に、リィンは少しだけ目を丸くした。

 貴族はみんな、こういう場所に慣れているものだと思っていた。

 緊張で強張っていたリィンの肩から、ほんの少しだけ力が抜けた。


 周囲では貴族達が笑い、グラスが鳴り、音楽が流れている。

 けれど、ヘンリクと向かい合っているこの場所だけ、少し静かになったような気がした。


「……ヘンリクさんでも、緊張するんですね」

「しますよ。すごく」


 ヘンリクが苦笑する。


「カナンって商人の街なんです。こういう社交より、市場で値切ってる時の方がみんな元気ですね」


 そして小さく身を寄せる。


「あと、この靴が窮屈です」


 こっそり指差した先には、磨き抜かれた革靴。


 リィンは思わず、自分の足元を見た。

 慣れないヒール。歩くたびに重心が狂う。


「……分かります。ずっと、つま先の置き場所が分からない感じです」

「あはは。僕も同じです」


 その笑い方が自然で、リィンも少しだけ頬を緩めた。


 音楽が変わる。

 ゆったりとした三拍子。


「じゃあ、行きましょうか」


 ヘンリクがぎこちなく手を引く。


 驚くほど丁寧だった。


 森で枝を飛び移る時のような鋭さも。

 獲物へ飛びかかる時の集中も。

 ここには必要ない。


 ただ、相手の歩幅に合わせるだけ。


 それだけなのに、不思議と難しかった。


「……ヘンリクさんの手、柔らかいですね」

「商家ですから。布とか香料も扱うんです」


 少し照れたように笑う。


「父に“手を荒らすな”って、よく言われます」


 リィンは自分の指先を見た。


 弓ダコ。

 刃物傷。

 節だった関節。


 綺麗とは言い難い手だった。


「私の手、硬いでしょう?」

「そうですか?」


 ヘンリクは少しだけ目を丸くした。


「……でも、嫌な感じしませんよ」


 穏やかな声だった。


「ちゃんと生きてきた手って感じがします」


 リィンは一瞬、言葉を失った。

 獣人だから。狩人だから。森育ちだから。

 そんな目で見られることには慣れていた。

 でも。ただ“リィンの手”として言われたのは、初めてだった。


 ヘンリクがそっと手を握り直す。

 そこには、値踏みも、警戒も、蔑みもない。

 ただ、少し緊張した男子学生の体温だけがあった。


 胸の奥が、少しだけくすぐったい。


「……私、ダンス下手ですよ?」

「僕もですよ」


 即答だった。


「だから、もし足踏まれてもお互い様です」


 リィンは小さく吹き出した。


「……それ、フォローになってます?」

「なってません?」


「ちょっとだけ」


 ヘンリクは安心したように笑った。


「一曲終わったら、あっちのタルト食べませんか? カナンの果物使ってるらしいんです」

「タルト?」

「美味しいですよ。甘いもの嫌いじゃなければ」


 リィンは少しだけ迷って、


「……はい。行きたいです」


 と、小さく頷いた。


 会場の中央では、白銀の少女が視線を集めている。

 けれど今だけは、その姿を追わなかった。


 代わりにリィンは、

 不器用にステップを合わせる相手の手の温度へ、静かに意識を向けていた。


 ドレスの内側で、長い尻尾が一度だけ、小さく揺れた。

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