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入学

 エリュシオン小国連邦:学術都市アイギス。

 北方の凍土では考えられないほど、その陽光は甘く、柔らかかった。

 アストライア王国の東の国境を越え、小国連邦の心臓部へと足を踏み入れたジュリア・アークライトは、馬車の窓から外を眺めていた。

 そこは「水の都」という呼称すら生ぬるい。水上に浮かぶ、巨大な硝子細工の箱庭だった。

 幾筋もの運河が街全体を貫き、まるで血管のように都市を循環している。その水面は春の光を受けて揺れ、砕いた宝石を流し込んだかのようにきらめいていた。

 運河沿いには白大理石の基礎を持つ建築群が並ぶ。壁面には極彩色のステンドグラス。風に揺れる旗と、花の香り。

 行き交う魔導舟からは、留学に浮かれた貴族子弟たちの笑い声がこぼれている。


 ――あまりにも“安全”で、“整いすぎている”。


「わぁ……」


 リナが窓に顔を寄せ、小さく感嘆の息を漏らした。


「綺麗ですねぇ……お嬢様。まるでおとぎ話の国みたいです」


 運河を渡る風が花の香りを運び、水面の光が揺れる。

 魔導舟が静かにすれ違い、そのたびに波紋が硝子のように広がった。


 ジュリアはその光景を数秒見つめたあと、


「……非効率な都市構造ですね」

「えっ」


 あまりにも即答だった。


「リナ、紅茶です」

「ありがとうございます、お嬢様」


 もはやそれが日常になりつつあるやり取りを終え、リナは窓の外をもう一度見た。


「防衛線が曖昧です。橋と水路が多すぎて制御点が分散している」

「そこですか!?」

「攻撃を受けた場合、被害が拡散します。合理的ではありません」


 リナは紅茶を飲みながら、思わず苦笑する。


「ここ、観光都市ですよ、お嬢様……」

「観光は戦略に含まれません」


 さらりと切り捨てる。


「というかここ……アストライア王国より文明が進んでいませんか?」


 ジュリアは一拍だけ置いて、静かに答える。


「進んでいるように見せる技術が発達しているだけです」

「……見せる技術?」


「戦闘効率に寄与しない要素が多すぎます」


 淡々とした断言。まるで都市そのものを、“戦略的な欠陥”として評価しているかのようだった。

 水の都アイギスは、今日も完璧な調和の中で機能している。

 そしてその“完璧さ”が、ある種の危うさであることに――この都市の誰も、まだ気づいていない。


-------------------------


 馬車が街の中心部へと差し掛かった時、景色は一段と華やかさを増した。

 そこに建つのは、学術都市アイギスの象徴――「硝子の学舎 (クリスタル・アカデミア)」。

 白大理石の基礎の上に、幾重にも重ねられた硝子構造。陽光を受けて、建物そのものが淡く発光しているように見える。


 周囲から、自然と感嘆の声が漏れた。


「何て開放的で素晴らしい学舎なんだ」

「まあ、なんて美しい……まるで光そのものですわね」

「これが小国連邦の学術都市か」


 ジュリアは窓越しにそれを一瞥するだけだった。


「構造材の強度配分が偏っています。火災か爆裂系魔術を受ければ連鎖崩落しますね」

「お嬢様、そこですか」

 リナが思わず肩を落とす。


 感動している周囲の貴族たちと、見ている場所が違いすぎる。

 ジュリアは特に気にした様子もなく、もう一度校舎を見上げる。


「避難導線も甘いです。二方向封鎖で詰みますね」

「もういいですってば!」

 リナの声が、少しだけ裏返った。


 そのとき。視界の端に、見慣れた紋章が映った。

 ヴァランタン公爵家の紋章、ランカスター辺境伯家の紋章。

 それぞれが当然のように同じ区域へ停車している。

 次々と降りてくる人影。

 馬車を降りると、後ろの馬車から兄エドワードが声をかけてきた。


「なあジュリア、あいつらも来てたんだな。お前についてきてるんじゃ?」

「……親が教育熱心なだけでしょう」


「それにしては面子が濃すぎないか?」

 エドワードが苦笑する。


 ジュリアは特に気にした様子もなく、歩き出した。


「偶然が重なっただけです」


 その“偶然”の密度が異様に高いことに、本人だけが気づいていない。

 視線を向けると、ミシュリーヌとジェラルドが気づいて手を振っていた。


-------------------------


 その大講堂は、春の陽光を透かす巨大なステンドグラスによって、まるで万華鏡の内部に閉じ込められたかのような錯覚を生んでいた。

 色彩は柔らかく、空気は甘い。新入生席に座る貴族子弟たちの顔ぶれは華やかだった。各国の紋章を刻んだ礼服、高価な香水、そして「自由な学び」への期待に満ちた瞳。


 ――その中で、ジュリア・アークライトだけは異物だった。


 死んだ魚のようでいて、同時に精密機械のような無機質な視線。

 ただ一点、壇上だけを観測している。


「……長いですね」


 隣に座るエドワードにだけ聞こえる声で、ジュリアは呟いた。

 壇上では、学園長が「対話と多様性がいかに世界を豊かにするか」を語り続けている。

 すでに三十分を超えていた。


「しっ、ジュリア。静かに」


 エドワードが小声で制する。


「学園長先生のありがたいお話だぞ」

「お兄様、あれは講話ではありません。音波資源の浪費です」


「三十分あれば、大隊規模の撤退経路を三つは確保できます」

「ここは戦場じゃないからな……?」


 エドワードは苦笑しながら前へ向き直った。

 そのまま壇上では、生徒会長と思しき上級生が立ち上がる。


「この学び舎で、生涯の友という名の宝を見つけましょう!」


 眩しすぎる笑顔。拍手の嵐。感動に目を潤ませる少女たち。

 だがジュリアの手帳には、すでに別の“講評”が刻まれていた。


『講堂構造:耐震・耐魔性ともに不十分』

『非常口:正面および側面二箇所のみ』

『収容人数に対し退避導線が不足』

『有事時の生存率:低』


「ジュリア、顔、顔」


 後ろからミシュリーヌが小声で囁く。


「今は『感動に打ち震える可憐な侯爵令嬢』をやる時間よ」

「その役割定義はどの規範に基づいていますか」

「感情の規範よ!!」


 ミシュリーヌが即答した。

 ジュリアは一秒だけ沈黙し。


「非合理ですね」とだけ返した。


 その後方で、二人の視線が静かに交差していた。

 アストライア王国侯爵令息――マクシミリアン・ベルンシュタイン。

 そして、大商会エルソン商会の跡継ぎ――レオナード・エルソン。

 どちらも、この学園において“選ばれた側”に属する人間だった。だが今、その視線の先にいる少女は、彼らの知る階層とは別の場所に立っている。


「やっと見つけた」

 レオナード・エルソンが、薄く笑みを浮かべた。


「北方軍の“亡霊令嬢”」

 マクシミリアン・ベルンシュタインが、低く呟く。


 その言葉には、冗談の響きはない。

 北方防衛線。死者ゼロの春季迎撃戦。魔術体系の再設計。軍の運用思想そのものの変質。

 それらすべてに、名前だけが浮かび上がる少女。

 ジュリア・アークライト。

 壇上の光の下では、ただの侯爵令嬢に見える存在。

 だが彼らには違って見えていた。“結果だけが異常な戦場”の中心にいる、説明不能な存在として。


 レオナードが続ける。

「商会の記録にも出てこない。兵站の動きが去年と別物だ」


「軍務省の報告でも同じだ」

 マクシミリアンが静かに言う。


「“誰が変えたのか”だけが、どこにも書かれていない」


 二人の視線が、同時に一人の少女へ向く。

 その少女は今も、手帳に何かを書き込んでいた。周囲の喝采とは、まるで別世界にいるかのように。


「……面白い」

 レオナードが、もう一度だけ呟いた。


 その声音には、好奇心と同時に、確かな警戒が混じっていた。


------------------------------


 クラス分けは、自由な校風にふさわしく、身分の隔てのないものだった。


 教師の自己紹介。

 校舎の構造説明。

 時間割と昼食区画、寮の割り振り。


 一通りの説明が終わると、教室は一度解放される。


 休み時間。

 その喧騒の中――


「ジュリア・アークライト嬢」


 廊下で、声がかかった。

 ジュリアが振り返る。

 金髪の貴族令息風の少年と、赤髪の従者らしき少年。


「どなたでしょう?」

「失礼。僕はマクシミリアン・フォン・ベルンシュタイン」


 軽く礼をする。


「同じアストライア王国出身だ。彼はレオナード。僕の付き人」

「はあ」


 ジュリアの反応は薄い。


「単刀直入に言おう」

 マクシミリアンは、真っ直ぐにジュリアを見る。


「僕と付き合ってほしい」


 一瞬の静寂。


「お断りします」

 即答だった。


「ははっ、即死だな」

 レオナードが肩を震わせる。

 だがマクシミリアンは表情を変えない。


「理由を聞いてもいいだろうか?」

「時間効率が悪いです」


 ジュリアは即座に返す。


「学習効率が低下します。互いに不利益です」

「恋愛が?」

「ええ」


 再び即答。

 その場の空気が一段階冷える。


 ――そこへ。


「おい」

 低い声。


「僕の妹に何を言っている」

 エドワードが現れた。

 剣呑な気配。


「決闘だ」

「待ってお兄様。話がややこしくなります」

 ジュリアが即座に止める。


「今のは交渉案件ですらありません」

「交渉?」


 エドワードが真顔で振り返る。


 その横で――


「ジュリアってモテるのね」

 ミシュリーヌが呑気に言った。


「いまそれ言う場面か?」

 ジェラルドが即座に突っ込む。


 廊下はすでに、ただの休み時間の空気ではなくなっていた。

 じわじわと人だかりが広がっていく。

 それも当然だった。入学式初日にして、公開告白という異常事態である。


「あ、あの方は王国のマクシミリアン様?」

「お相手の白銀の髪の方はどなた?」


 視線の中心にいるのは、ジュリア・アークライトだった。


 そして彼女は、周囲の温度に対して一切動じていない。


 一拍置いて、淡々と口を開く。


「まあ、友人ぐらいならいいでしょう」


 ――その瞬間。


 空気が爆ぜた。


「きゃああああ!!」

「OK出たわよ!!」

「婚約成立!?今の流れで!?」

「ベルンシュタイン様が!?」


 廊下が一気に騒然となる。


 マクシミリアン本人すら、わずかに目を細めた。


「……今のは、どういう意味での“友人”だ?」


 その問いには答えず、ジュリアは即座に補足する。


「戦術的な情報共有対象としての登録です」


 沈黙。

 一瞬、誰も理解できなかった。


「友人登録です」


 もう一度、淡々と繰り返される。

 理解した瞬間、さらにざわめきが増幅する。


「それ友達って言わない!!」

「分類が軍務省!!」

「今の断り方ひどすぎるだろ!!」


 レオナードはマクシミリアンの横で笑いをこらえている。


 ミシュリーヌは肩を震わせながら呟いた。

「この子、本当に恋愛イベントを全部業務に変換するのね……」


 ジェラルドが即答する。


「今さら気づいたのか?」


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