招待状
王都の商人、ジョシー・エルソンは椅子へ深く腰掛けたまま、机上の報告書を指で叩いていた。
未知の大型虫型魔物。
しかも。
情報の流れ方が妙だった。
ヴァランタン公爵領ほどの土地で、
これだけの異変が起きれば、
本来もっと噂が広がる。
だが実際は逆だ。
噂が“不自然に少ない”。
つまり。
(公爵家が抑えてる)
ジョシーは目を細めた。
もう一つ。
黒い粘土。
黄金色の鉱石。
こちらは、王都へ流れてきた元坑夫たちの与太話だった。
酒場。
安宿。
職探し。
酔った勢いで零れた断片。
『坑道の奥で変な虫を見た』
『騎士が急に封鎖した』
『黒い泥が増えていた』
『壁の向こうが金色に光っていた』
普通なら笑い話で終わる。
だが。
魔物素材が市場へ流れ始めた時期と、
妙に符合していた。
あの狸公爵が情報統制を敷く時は、
大抵、金になる。
しかも今回は、
国家級だ。
「……面白い」
商人は小さく笑った。
もし本当に新鉱脈なら。
もし本当に未知素材なら。
王都の勢力図すら変わる。
問題は。
それを最初に掴むのが、
自分か、
あるいは聖堂かということだ。
ジョシーは即座に数枚の書簡を書き始めた。
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アークライト侯爵家・執務室。
「お父様。先日、ヴァランタン領で魔物災害が発生しました」
「聞いている」
短い返答。
机へ向かったまま、フィリベール・アークライトは書類へ視線を落としている。
「もう、じっとしている暇はありません。ランカスター領へ行って前線を視察したいです」
沈黙。
アークライト侯爵は深く溜息を吐いた。
娘がヴァランタン領から帰ってきたら、もうこれだ。
引き出しを開け、慣れた手つきで胃薬を取り出す。
水で流し込み、机上の封筒を一枚持ち上げた。
黒蝋の封印。
刻まれているのは、ランカスター辺境伯家の紋章。
「……もともと、お前を寄越せと言われている」
「話が早いですね」
「早くない」
即答だった。
フィリベールは疲れたように椅子へ背を預ける。
「辺境伯からの書簡を読んだ時点で頭痛がした」
「なんと?」
「“借りたい”と書いてあった」
「?」
「お前は馬ではないんだぞ。貸し借りするものじゃない」
侯爵はこめかみを押さえる。
「普通の令嬢ならな、“危険だから行きたくありません”と言う場面なんだ」
「危険だからこそ、見ておく必要があります」
迷いのない返答。
フィリベールはゆっくり天井を見上げた。
(誰に似た……)
一瞬、自分の若い頃が脳裏を過る。
見なければ判断できない。
現場を知らずに命令するな。
かつて、自分もそういう人間だった。
「……リナ」
「はい」
控えていた侍女が一歩前へ出る。
「遠征準備を」
「かしこまりました」
「ありがとうございます、お父様」
「礼はいい」
侯爵は疲れた顔で手を振った。
「ただし、絶対に無茶はするな」
「善処します」
「お前の善処は信用ならん」
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北方砦の城壁上。
吹き付ける寒風が、鎧の隙間を容赦なく刺す。
ジュリアは黙ったまま、防衛線を見ていた。
「どうだ?」
隣でアルトゥール・ランカスターが笑う。
その声色には、自負が混じっている。
寒風に白銀の髪が揺れる。サファイアの瞳が、わずかに細められる。
ジュリアは一拍置いて、砦の線を見たまま言った。
「国境防衛線が、薄いですね」
「ほう?」
「補給線が長すぎます。雪で街道が落ちた瞬間、前線が孤立します」
「……ほう」
辺境伯の目が細くなる。
副官たちの空気がわずかに張り詰めた。
「あと、騎士団の連携が旧式ですね」
「旧式?」
「伝令速度を人馬に依存しています。夜襲への反応が遅れる構造です」
誰かが息を呑む音がした。
ジュリアは止まらない。
「それと――夜間警戒が弱いです」
「弱いだと?」
「見張り塔の配置に死角があります。霧が出れば簡単に抜かれます」
沈黙。
風の音だけが、やけに大きくなる。
横でジェラルドが頷いた。
「さすがだな、ジュリアは」
分かっているのか分かっていないのか微妙な顔だった。
アルトゥールは城壁の向こうを見たまま、低く笑う。
「……そなた、何者だ」
「? ジュリア・アークライトですが」
「そうではない」
即答。
副官の一人が、恐る恐る口を開いた。
「ジュリア嬢。そのような戦術論は、どこで学ばれたのですか?」
ジュリアは一瞬だけ視線を落とす。
雪原。
崩れた補給線。
沈黙する砦。
そこにいた“誰かたち”。
「……本で」
「絶対ぇ違ぇだろ」と、ジェラルドが小声で呟いた。




