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拾遺奇譚『よらばけ』  作者: 編纂天使モブリエル
『 雨』編

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3/5

『喜 』


「「エン?!」」


 視界の端に映っていたエンが消えた。崖下に突き落とされたのだと理解できたのは、ざばりと水飛沫が聞こえたのと同時だった。


 広場を抜け、一瞬で駆けつけたサネノリが崖下を確認する。そこには轟々(ごうごう)と流れる川があるばかりで、エンの姿は見当たらない。


「てめぇ! 何しやがる!」

「ちょちょちょ! 落ち着いてノリくん!」


 瞬間沸騰したサネノリが矢がすりの着物に手を掛けようとするものの、寸前で組み付かれ止められる。二人の体格差では簡単に振り解けそうではあるが、多少冷静さが戻ったのか逆らうことは無い。


「ここで言い争うより、エンくんを探す方が先でしょ。それに、この辺りの案内が出来る人は必要だよ」

「……くそっ。エンに何かあったら、たたじゃおかねぇからな」


 吐き捨てるサネノリに対し、ナナミは歯牙にもかけない様子だ。


「それで、僕らは川下に行きたいんだけど、案内してくれるよね?」

「そうだね。ここから飛び降りてもいいけどあなた達は怪我しそうだし、こっち。案内するよ。時間はかかるけど、こっちからなら歩いていけるから」


 そう言って、ナナミは広場から川下へ続いているであろう道を進んでいく。

 残された二人は、険しい顔を見合わせるものの、他に策も無い。仕方なく、後に続くことにした。今度は、十分に警戒を抱きながら。



  ◇  ◇  ◇



 ぴちょりと、頬に雫が落ちる感覚で目を覚ますエン。ぼんやりとした視界の中、辺りを伺うものの、ここがどこだかよく分からない。


「あぁ、眼鏡か」


 思わず呟いてみたが別に眼鏡が手のひらに現れるでもなし、仕方なくそのまま立ち上がる。灰色の近景にゴツゴツとした地面、水っぽい空気が鼻につく。どこかで水の流れる音がしているようだ。

 危うげな足取りで散策してみる。何しろ足場が悪い上視界も覚束ないのだ、転びそうになる事だって、何かを踏み潰してしまう事だって、あるものだ。そう、何か。


 嫌な予感がして足を退ける。屈んで見ると、それはエンの眼鏡だった。

 

「はぁぁ……」


 この眼鏡は、高等中学入学記念に父より贈られたもの。最新技術を駆使して薄く磨かれたレンズに、意匠だって、細い金属を楕円状に成形されたハイカラな品である。要は大変気に入っているのだ。

 

「はぁぁーー……」


 まだ半年も使っていないのに、歪んだ縁取りと、ひび割れたレンズ。しばらく立ち直れそうにない。

 どうにかこうにか眼鏡を掛けてみる。見えなくはないし、案外快適だ。こめかみに食い込むつると、視界に入り込むひび割れを除けば、だが。


 再び辺りを見回す。するとそこは、どうやら洞窟の様な場所のよう。川の水が流れ込んで出来た、地下洞窟の一種だろう。人一人余裕で歩けそうな空間で、ごつりとした岩肌に、細っこい小川が流れている。


「上か、下か」


 この場合、川下に向かって行くのが定石だろう。そうすれば屋外の本流へと辿り着けるはずだ。

 だがしかし、大変不本意ながら川上へと身体が引っ張られる。別に誰かが引っ張っているとか、何かが引っ掛かっているとか、そういう物理的なものではない。

 なんとなく、なんとなーく、呼ばれている気がする。そう、心霊的なアレである。嫌ね。正直近づきたくはないのだが、別に悪いものでもない気がするのも事実。偶然路線を間違えただけなのになぜ自分なのかと思いつつ、結局は川上へ足を進めるしかないのである。



  ◇  ◇  ◇



 夕暮れの山並みに、祭囃子が聞こえる。

 小さな村ではあるが、毎年梅雨入り前に行われるこの祭りは村民総出で執り行う盛大なものだ。やきとり、おでん、玩具。定番のものから金物や植木まで様々な物が並ぶ。街へ出た若者たちもこの時期には顔を出すので、外から来た的屋としてもなかなかの収入になるだろう。


「この景色も、今年で見納めね」

「おかあさん……」

「大丈夫、奈々巳(ななみ)なら上手くやれる。村の人たちもいるもの、一人じゃないわ」


 そう言って、母は励ましてくれた。



  ◇  ◇  ◇



 エンは流れる小川を遡るように進む。途中、屈まなければ進めないほど低い場所もあったが、どうやら最奥に辿り着いたようだ。

 急に視界が開けたと思ったら、そこには二十畳もないくらいのぽっかりとした空間が広がっていて、天上から光が差している。どうやら、洞窟の上方に穴が空いているようで、そこから陽の光が入ってきているようだ。

 その光が落ちる先、空間の中央に鎮座するのは小さな祠であった。

 それなりの年月が経ち、古めかしい。崩れ、豪雨時にでも水流に押し流されてきたのであろう鉄筋が突き刺さっている。無惨な姿だ。


「抜けってことか、これを」


 つまりそういう事なのだろう。たまたま路線を間違え、偶然通りがかった奴に頼むなんて、相当切羽詰まった状態だと察せられる。

 多分これをどうにかすれば帰ることができるのだろう。そのはずだ。そうでなければ絶対やりたくない。


 仕方なしに、エンは鉄筋へと手をかけた。



  ◇  ◇  ◇



 先程まで急流だった筈の河川。下流はすっかりとその(なり)を潜め、さらさらと穏やかな時間が流れている。

 サネノリは急な坂道を慎重に下っていた。河原へと続くその坂、かつては階段でも整備されていたのであろう、朽ちた木材がそこかしこに散らばっている。しかし今は、大小様々な丸い石が転がっているだけで、少しでもバランスを崩せば転んで怪我をしそうだ。故に一歩一歩確実に進んでいく。彼は運動神経がいい方なので何とかなっているが、これがホタルであれば、確実に転ぶ。そんでもって膝を擦りむくだろう。面倒な。

 「女の子にこんな危ないとこ歩かせられないよ!」というホタルの主張を基に、仕方なくサネノリ一人でこの坂を下っている。なんて面倒な。


「ノリくーん。がんばれー」


 全くもって面倒だ。が、エンを突き落とした奴を連れて迎えに行くのも危険と判断。よって一人で先にすすむ事にした。

 エンはこの先、河岸にある洞窟の奥にいるとの事。ナナミ曰く、川の水位が上がると大体のものがそこに流れ着くらしい。


「さっきの説明を要約すると、君のお母さんの仕事を手伝って欲しい、そういう事?」

「そう、今年はちょっと、大変みたいで。心配なの」


 ここに来る道中、ナナミから説明を受けていたものの、いまいち要領を得ないというかなんというか。はぐらかしているというより、こちらが基本を押さえているという前提で話している気がする。

 よって、何言ってるか全然分からないなかで何とか導き出した答えがそれである。


 サネノリは偶然路線を間違えたからこんなことに巻き込まれてると思っているようだ。しかし、ホタルはそうは思わない。なぜなら、一つ、ずっと気になっていたことがあるからだ。




「で、なんでエンにだけ敬語なの?」

「え、だって母が、」



 ナナミが答えようとしたその時



 世界が震えた——。



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