6.嫌われ者の決意
「イングリット様、本当に顔色が悪いですわ」
「少し日に当たりすぎただけよ。落ち着いた頃に帰りましょう」
隅の方で黙っていれば、諦めたのか人々はもうこちらに視線を向けてこなかった。
隅に用意されたパラソルの下で椅子に座り、時間が過ぎるのを待つ。
足が痛くてやっと座れるのがありがたかった。
「今日は良いお天気ですからね。こう眩しいと辛いですが」
「そうね。本当にいいお天気……」
トレイシーが空を見上げるので、私もつられて仰ぎ見る。
吹き抜けるような真っ青な色が一面に広がっていた。
まるで大海のように澄んだ空に、少しだけ心が軽くなった。
空はあんなに広いというのに、私はこの小さな城の中に囚われ続けている。
いつかあの空に羽ばたきたい。それで、雲の中に消えてしまいたい。
雨になってこの大地を潤せればもっと素敵かもしれない、なんて思いながら現実逃避をしていた。
「……そろそろ帰りましょう」
どこにも行けないというのに空へ飛び立ちたいなんて馬鹿げている。
立ち上がろうとして、まだお姉様にもらったグラスを持ったままだと気づく。
「そうですね。っ、ゴホッ……」
「まあ、トレイシー、大丈夫? あなた、やっぱり風が治ってなかったんじゃない」
先日からトレイシーは風邪を引いているようで、時折咳き込んでいた。
「喉を痛めてはいけないわ。このお水を飲んで、帰ったらゆっくり休みましょう」
「ありがとうございます、イングリット様」
ちょうど手元に水があってよかった。
私が呼んだのでは誰も応えてくれないだろうからだ。
トレイシーが弱っている今、私が迷惑をかけるわけにはいかない。
もはや私のそばに居てくれるのはトレイシーだけになってしまったのだ。
これ以上余計な心労をかけるわけにはいかない。
そう思いながら、痛む足を堪えて歩き出そうとしたその時だ。
「……え」
きゃあっと悲鳴が響き渡る。
トレイシーが倒れたのだ。
鈍い音を立てて、地面に横たわってしまったのだ。
「トレイシー! どうしたの! 誰か、誰かトレイシーを助けて!」
まさか風邪拗らせてしまったのかと焦り、必死に助けを呼ぶ。
公の場ということもあって、すぐにトレイシーは運ばれていったが、パーティーは一時騒然としてしまった。
(そんな、どうしてトレイシーが……嫌、私を置いていかないで……)
頭の中が嫌な考えでいっぱいになる。
私の脳内に何度も何度も、かつて母が亡くなった時の様子が思い浮かんでは消えていく。
「またお前は面倒事を……」
憎々しげに私を睨む王太子殿下の声で、意識が現実に引き戻された。
そして王太子殿下は、地面に転がったグラスをハンカチで包みながら拾い上げる。
まだ中身は半分ほど残っており、地面に零れていた。
なぜそれをと思ったが、王太子殿下は私に構わず近衛たちと話し込んでどこかへ行ってしまった。
「皆様、お騒がせ致しました! 彼女はただの持病の発作で倒れてしまったのですわ。もう大丈夫ですから、引き続きお楽しみください」
王妃殿下が宣言すれば、パーティーは賑やかさを取り戻す。
トレイシーに持病などないが、場を丸く収めるためだろう。
しかし、これが病気でなかったことは数日後に判明した。
「お前の持っていたグラスに毒が仕込まれていた」
「そんな……!」
王太子殿下は私を呼び出すなり、先日のグラスを私の前に差し出した。
トレイシーは治療院に運ばれ、面会を願い出たものの却下されてしまった。
容態は安定しているとのことだったが、毒薬だったとは思いもよらなかった。
「毒なんて、どうして……」
「恐らく、クリスティナを狙ったものだったのだろう。犯人はクリスティナがお前に渡すために水をもらったと気づかなかったようだ。それをお前が飲むはずだったが、さらに侍女に渡したことで彼女が犠牲になったということだ」
「な……」
絶句してしまった。
前回の毒殺未遂事件がまだ記憶に新しいというのに、またしても毒殺など。
それも、自分の軽率な行動のせいでトレイシーを犠牲にしてしまうなんて。
「命拾いしたな」
私の悲しみを見透かしたかのように、王太子殿下は私を嘲笑った。
二重の意味で言っているのだろう。
文字通りトレイシーを犠牲に命拾いしたということと、今回は私の犯行だと容疑をかけられずに済んだということだ。
(私のせいで、トレイシーを危険に晒してしまった……)
後悔してもどうしようもない。
私は自分自身の手で大切な人を傷付けてしまった。
「しばらく外に出ないように。また用があればこちらから声をかける」
「……分かりました」
王太子殿下は、話は終わったとばかりに切り上げてしまう。
この件にこれ以上私を関わらせたくないのだろう。
仕方なく一人で王宮の中を逃げるように歩く。
まだ靴擦れが痛かった。
(トレイシーがいないと、こんなにも寂しい……)
王宮から出られないため、治療院でトレイシーに治癒魔法をかけに行くこともできなくなった。
そもそも、急に無断で姿を消した治癒魔法師イングリットを再び治療院は受け入れてくれないだろう。
「あらぁ、イングリット王女ではありませんこと」
甲高い声にハッと顔をあげる。
見ると、向こうから王妃殿下とその侍女たちがこちらへ歩いてきていた。
上品に微笑みながら、王妃殿下は私に近づいてくる。
「まあ偶然。こんなところでお会いできるなんて。先日は大変だったわねぇ、あの侍女の子も可哀想に。今は治療院にいるんですって?」
「はい。治療を受けさせていただいているとの事で……」
「あなたも今すぐ治療院に行きたいのでしょう? 残念ねぇ」
ふふ、と品良く笑ってから、王妃殿下は私の耳元に顔を寄せる。
「でもね、この国に聖女は二人もいらないの」
「……!」
「あなたの治癒魔法は目障りよ。大人しくしていれば良かったものを、これ以上は目に余るわ」
王妃殿下が私を嫌っていることは分かっていた。
けれど、治癒魔法のことまで気づかれていたとは夢にも思わなかった。
(まさか、最初から私を殺すつもりで……!?)
聖女を狙った暗殺ではなく、本当は私を殺すために毒が仕込まれていたのか。
王妃殿下の口ぶりは、まるで私のせいでこうなったのだと言うかのようだった。
(いや……実際、私のせいなのだわ。私が治癒魔法など使って、出しゃばるような真似をしたせいで……)
王妃殿下は少しでも聖女の地位が揺らぐことがゆるせないらしい。
似たような力を第二王女が持っているのは認められないのだろう。
「残念ね。運命の女神は、あなたのことが嫌いみたい」
王妃殿下は機嫌良く微笑みながら去っていく。
お姉様のような王女になれと言われ、かたや、お姉様のような力は持ってないけないと。
この世は理不尽だ。分かっていたが、改めて突きつけられるようだった。
自分らしい生き方を模索した結果、全てが裏目に出ただけだ。
自分だけが傷付くのならまだしも、大切な人を傷付けてしまった。
(全部私のせいだ……誰にも関わらず、何もしないでいればよかったのに……)
今後はお姉様の真似をして振る舞い、決して感情は表に出さない。
誰にも心を許してはいけない。そうしなければ、何も守れない。
私は一人覚悟を決め、離宮へ帰った。
それから、私が次に外へ出たのはお父様から嫁入りの命令が下された時だった。




