30.嫌われ者は運命を信じない
陛下が放った銃弾は、確かに辺境伯の右腕を穿いた。
しかし、鮮血が飛び散ることはなかった。
「ぐっ……魔法式の銃か……っ!」
どさりと辺境伯が膝をつく。
右腕は銃弾が撃ち込まれ、衣服には血液が滲んでいる。
だがその上を、氷が覆っているのだ。
「可愛い僕のイングリットに、お前の汚い血を浴びせるわけにはいかないからね」
辺境伯は痛みに耐えかねているのか、脂汗を浮かべて荒い息を吐いている。
魔法式の銃弾ならば、痛みも倍増するだろう。
「クソッ……ここで倒れてなるものか……!」
「喋るな。耳が腐る」
もう一発、耳をつんざくような音が響く。
次は足だった。
銃弾は迷いなく辺境伯を撃ち抜く。そこには一切のためらいもなかった。
「……っ、はっ……」
辺境伯はあっけなく倒れ、騎士たちも恐れをなして後ずさる。
陛下はすかさず彼らに視線を向けた。
「全員、抵抗するな。愛する妻の目の前で殺しはしたくない。分かるだろう?」
騎士たちには一瞬で盤面がひっくり返ったように見えるだろう。
だが、それは少し違う。
全ては最初から、陛下の手のひらの上だったのだ。
なぜなら陛下は『死ぬ前に視界に入れるのは君がいい』という理由で、私を常に魔法で監視している。
だからこそ私は単身突撃することができ、無事彼らに悪事を全て自白させられたのだ。
「なぜ……あなたがここに……」
さすがのアリアンナ様も陛下が私を監視していると思ってはいなかったようで、愕然としている。
陛下が私にちょっと重い愛を向けていることなんて、彼女は想像もしなかっただろう。
「なんて恐ろしい……早く、お逃げ下さい!」
トレイシーは蒼白な顔で震えながら私を逃がそうとする。
完全に陛下が私を殺すつもりだと誤解しているようだ。
私はトレイシーの手を振りほどき、精一杯の笑顔を見せる。
「トレイシー。私、今とっても好きな人がいるの。だからもう、あなたの助けがなくても私は大丈夫」
「……え…………」
私は振り返らず、陛下の元へ駆け寄った。
「陛下! 素晴らしいタイミングでした!」
「本当? 実はずっと突撃したくてドアの前で待ってたんだよ。話を聞いててずっと黙らせてやりたくて仕方なかった」
銃を片手にまるで捨てられた子犬のような顔をする。
あまりのアンバランスさに思わず笑ってしまいそうだった。
とはいえ、陛下の助けが入ったことでようやく落ち着ける。
正直私も辺境伯が気持ち悪くて、我慢の限界だと耐えられそうになかった。
「ありえない……あなたが、その女を愛するですって……!?」
アリアンナ様は震えながら金切り声を上げる。
それは以前劇場で対峙した時とは比べ物にならないものだった。
嫉妬ではない。
これは、憎悪だ。
「あなたのような血の通わない人間が! 人を人とも思わないような人間が、こんなちっぽけな女を愛するですって!?」
「そうだけど」
陛下はさも興味が無さそうに淡々と言葉を返す。
「ありえないわ……! あなたは傲慢で非道で冷酷で、人の心が分からない悪魔のような男だった……! かつてのあなたはそういう化け物だったはずよ!」
「久しぶりに聞いたなぁ、それ。そういえば、お前はあの女にずいぶん可愛がられてたんだっけ」
「王妃様をそのように呼ぶな! あなたのような化け物に、この国を渡してなるものか!」
「あー、そういうこと……」
アリアンナ様の叫びを聞いた陛下は、納得したように頷く。
それから、冷めた瞳をして薄く笑った。
「あの女にそこまで入れ込んでたとは思わなかったな。だから違法な薬を開発してまで国を乗っ取りたかったんだね」
あの女、というのはアリアンナ様の発言から察するに陛下の生みの親である亡くなられた前王妃のことだろう。
辺境伯が私を盲目的に崇拝したように、アリアンナ様も前王妃を崇拝していた。
それゆえ、前王妃と不仲であった陛下を認めたくないというところか。
「あーあ、あの女は死んでも問題ばかり引き起こすね。あの女の亡霊みたいな側妃が現れたり、公爵令嬢を操ったり……本当に、どこまでも面倒だ」
「黙れ……黙れ!」
「お前の言う通り、僕は人の心が分からない。お前たちのその薄汚れた感情など理解したいとも思わない。でもね、それでも僕は人を愛することを知ったんだ」
陛下はまるで見せつけるかのように私を抱き寄せた。
「お前は知らないだろう。僕は、愛するものを見つけたんだよ」
途端、アリアンナ様は火がついたように叫び出す。
「ふざけるな! この悪魔! 外道! こんなところで終わってたまるものか……!」
公爵令嬢の品位をかなぐり捨てて、アリアンナ様は叫び続ける。
けれど銃口を突きつけられているので、彼女は手も足も出ない。
それからすぐに、衛兵たちに取り押さえられて連れていかれてしまった。
同時に、倒れたままの辺境伯も運ばれていく。
陛下の撃った場所は致命傷ではないため、当然まだ息がある。
今後の裁判のため、すぐに治療が施されるだろう。
「あなたは……運命に見放された女神……そのはずだった……」
去り際に彼は、うわ言のようにそう言った。
哀れで惨め、地に堕ちた女神。
彼には私がそう見えていたのだろう。
だからこそ、私を盲目的に信仰した。
でもそれは、勝手に作り上げた偶像だ。
領地を救ってくれた女神に、自らが手を差し伸べて救い出すのだと傲慢な思い込みをしたのだ。
「違うわ。運命なんてもの、私は最初から信じていない。私の人生は、私の意思で決めたの」
かつて、フィルゼスタの王妃も同じように私を運命の女神に嫌われたのだと口にした。
でもそれは違う。
神だとか運命だとか、そんな不確定なものに振り回されてなんかいない。
私は自分の意思で行動して、陛下と出会って、この国に来て彼と心を通わせた。
何もかもを悲観して投げ出したりしなかったから、今こうして全てを解決させられたのだ。
「イングリット様……」
トレイシーがか細い声で私を呼ぶ。
「彼女の処分はどうしたい?」
「いえ……陛下にお任せします。今までのことは感謝していますが、罪は私の感情ではなく司法で裁かれるものですから」
「そう。強いね、君は」
陛下の目配せで、トレイシーも他の騎士たちと同様に連行されていく。
もし、辺境伯などに頼らず直接的エトルシアに会いに来てくれたら今頃こんなことにはならなかったのだろう。
人を愛することは、失う辛さも同時に得る。
平静を装っていてもこんなに苦しいのは、それだけ私がトレイシーを心から大切にしていた証拠だった。
でも私はエトルシアの王妃として、私情を挟むような真似はできない。
決別する時だろう。
「イングリット様は、幸せになれたのですね。あぁ、良かった……」
最後に聞こえた声に、私は目を閉ざす。
陛下は何も言わず、ただ私を抱き締めてくれた。




