29.嫌われ者はもう迷わない
「辺境伯様はこの国での立場を失うことになるイングリット様の身を案じて、わざわざエトルシアまで来てくださったのですよ」
「私が立場を失うって、それはどういう意味の……」
「言葉通りですわ。フィルゼスタには最初から聖女など存在しなかった。あなたも聖女ではないと知られてしまえば、陛下は必ずあなたの首を刎ねるでしょう」
アリアンナ様はくすくすと私を嘲笑う。
たしかに私も最初はアリアンナ様と同じ考えだった。
きっと、陛下と心を通わせる前だったら、間違いなくアリアンナ様の言うことを信じ込んでいただろう。
だが、この話には不可解な点がある。
「ですが、なぜ辺境伯様が私を庇ってくださるのです? あなたが私を守ることで、得られる利点は何もありません」
たとえお父様の危篤が本当で、お姉様が聖女の力を失い、王家の権力が危うくなったとしていても。
そこに私を連れていく必要性はまるでない。
なぜなら私は、フィルゼスタの嫌われ者だ。
今更私が戻ってきたところで、お父様も王妃も二度と私をフィルゼスタ王家には踏み入れさせないだろう。
むしろ、私を連れていくことで辺境伯が王妃や王太子から不興を買う可能性の方が高い。
「貴女様は以前から、その清らかな心で我が領地へ尽くして下さったではありませんか」
「……なんのことでしょう」
辺境伯が血走った目で私を見る。
「私は今も覚えておりますよ。貴女様が起こした、女神の奇跡を」
「あれはお姉様の功績ですわ」
「いいえ! クリスティナ殿下には神器を操るほどの力は元々存在していなかった! 貴女様が与えた奇跡によって、一時的に力を得ただけのことを傲慢にも自らの功績であると誇示しているのですよ!」
とうとう辺境伯は叫び出した。
「どういう意味で……」
「言葉通りですよ。クリスティナ殿下は貴女様の魔法で強化されなければ神器を扱うことなどできなかったというわけです!」
辺境伯の言っていることが信じられなかった。
もしそれが本当だとしたら、私は何のためにあんな苦痛を背負わされたというのだ。
(いいえ……動揺してはいけない。こんなところで惑わされたりしないわ!)
辺境伯は陛下と同じくして私を女神と呼ぶが、陛下に呼ばれるのとはまるで違う不快感でいっぱいだった。
その声で、私を呼ばないで欲しい。
私を女神と認めていいのは陛下だけだと、私の心が叫んでいる。
「私は間違っていました! あのような偽物を聖女だと賞賛するなど! 本当に崇め奉るべきは、他でもない貴女様だったのです!」
「……たとえ私が女神だとして、あなた方が魔毒を人工的に作り出す理由はなんだと言うのです」
魔毒を生み出し人々を苦しめたことは、どんな理由があれど許されることではない。
けれど、私がいくら睨んだとてアリアンナ様は優雅に笑うだけだった。
「ふふ、賢いですわね。もうそこまでたどり着いていたのですか」
明らかに私を馬鹿にしている。
「辺境伯様は魔毒を我が公爵家に、我々はイングリット様を辺境伯様に引き渡す……そういう契約ですわ。本当は昨日の騒動でイングリット様が王宮から逃げざるを得ない状況を作るつもりでしたのに、陛下に攫われてしまったからこうしてお迎えに参ったのですわよ」
「だから神父様を犠牲にしたというの……!? どうしてそこまでして、魔毒なんてものを手に入れようとするの!」
「まあ本当にお可愛い人。決まっていますわ、戦争ですわよ」
アリアンナ様は声高らかにそう言った。
「戦争の度に人類は新たな武器を発明し続けてきましたが、これほどまでに簡単に人を殺められる武器は今までありまして? 魔毒を人工的に精製し上手く扱えたら、世界地図はいくらでも塗り替えられますわ。そうして我が公爵家は魔毒という強大な武器を持って、周辺国を制圧し、再び王家に返り咲くのです!」
レナルディ公爵が突然野心を持ち始めたのではない。
娘のアリアンナ様こそが、真の首謀者だったのだ。
美しいがまだあどけなさを残す顔で、アリアンナ様は嬉々としておぞましいことを語る。
ただの高飛車なお嬢様だと思っていれば、その薄いお腹にとんでもないものを抱えていたわけだ。
魔毒がどれだけ壮絶な傷を残すものなのか、知らないから平気でそんなことが言えるのだ。
土地も、人間も、生きとし生けるもの全てを苦しめる病を、自ら作り出そうなど許されるはずがない。
「貴女様にとっても、悪いお話ではないでしょう? 真に聖女と崇められるべき女神をとうに手放し、魔毒を制することも出来ず、あなたを虐げた国が崩壊していく様を特等席で観劇できるのです。国王陛下だけではありません。王妃、王太子……貴女様を傷付けた全ての者たちを魔毒で最大限に苦しめてから殺すことだってできます。貴女様が一言でもご命令くだされば、私はいつでも彼らを葬り去ってみせましょう」
血走った目で辺境伯が迫ってくる。
逃げ出そうとして、私の体を背後から包み込んだのはトレイシーだった。
「だからなの……トレイシー。もしかして、本当のことをあなたが教えてしまったの?」
「はい。もはや王女殿下をお救いするには、王家を消し去るしかないと判断したためです」
トレイシーの表情は、強い後悔と憎しみでいっぱいだった。
彼女のこんなに険しい顔は初めて見た。
「私はずっとそばであなたが苦しむ姿を見てきました。なんの力もない私では、あなたを助けることすら出来なかった……! 毒に倒れた時も、ずっとずっと悔しくて仕方がありませんでした……! どうして、私には権力も強い魔法もないのかと!」
いつも穏やかで、春風のようだったトレイシーが、復讐の念に取り憑かれてしまった。
もしあの時、軽率な行動を取らなければ。
もしあの時、トレイシーをエトルシアに連れて行けたら。
こんなことにはならなかったのではないかと、悔やんでも悔やみきれない。
「目が覚めたら王女殿下は遠く離れた異国に売り飛ばされたのだと聞いて、私は決意したのです。どんな形であっても、あなたをこの世という地獄から救い出すと!」
「っ、ごめんなさい、トレイシー……」
私がトレイシーを変えてしまったのだ。
私の大好きだったあの優しい侍女は、もうどこにもいない。
その事実が心に深く突き刺さって、涙となっていく。
「ああ、素晴らしい忠誠心ですこと! 私感動致しましたわ! さあ、あなたたち! この素晴らしい皆様を今すぐ王宮から逃がして差し上げて!」
わざとらしいまでに演技かかった声で、アリアンナ様が騎士たちに命令する。
このまま私を辺境伯たちと共に連れ出すつもりなのだ。
「行きましょうイングリット様」
「だめよ、騙されないで! この毒を作るためにどれだけの人が犠牲になったのか知らないの!?」
「犠牲など、イングリット様の苦しみを思えば些細なことでしょう!」
「違うわ! 犠牲になった人たちは、何の罪も無い人たちなのよ! トレイシーも、辺境伯も間違っているわ!」
なんとかしてトレイシーの目を覚まそうと必死に声をかけても、トレイシーも全く譲らない。
ジェインさんから聞いた話や実験記録を読めば、犠牲を些細なことなど言えるはずがないだろう。
ジェインさん以外にも、今も後遺症で苦しんでいる人はフィルゼスタにいるはずだ。
彼らの罪は、必ず司法で裁かれなければならない。
「あなたが女神だかなんだか知りませんけれどね、魔毒を制する力があるのであれば表舞台から消えていただかなくては。あなたは辺境伯様の檻の中で一生を過ごすのです……!」
アリアンナ様が歌うように叫んだその時だ。
バンッとけたたましい音を立ててドアが蹴破られる。
そして、私が待ち望んでいた人は現れた。
「素晴らしいスピーチだね。でも、もう飽きたかな」
陛下はにこりと笑ったまま、辺境伯に銃口を向ける。
「信奉者は二人もいらない。お前は死ね」
一発の銃声が鳴り響いた。




