22.嫌われ者は真実を知る
「あなたは……『私』を知っていたの……?」
目の前にいる人が、本当に私の知る陛下なのか分からなくなる。
まるで別人のような冷たくて、背筋の凍るような視線。
時折陛下が見せる一面とは比べ物にならないほど恐ろしいのに、どうしてか、私を見つめるその瞳は恋焦がれるかのような色をしている。
「そうだよ。ずっと昔から、君が覚えていなくても――――」
どういうことだ。
私が知らないうちに、陛下とどこかで出会っていた?
そんなまさか。
陛下がフィルゼスタの治療院や戦地にいたわけでもないのに、出会うはずがない。
頭の中は混乱状態で、私はすっかり硬直してしまった。
そこへ、軽快なカレンデュラさんの声が割って入る。
「はいはい! 水も滴るいい男なのはよくわかったけど、ここは私のお店なのよ! 私のお店を水浸しにする気かしら!?」
「おいカレンデュラ……」
ジェインさんがはぁ、とため息をついている。
底抜けに明るいカレンデュラさんが笑顔で乱入してきて、急に脱力してしまいそうだった。
「話し合いは、お互い冷静な状態でやらなきゃでしょ? さ、そのお洋服貸してちょうだい。暖炉の前を貸したげるから二人で仲良く座ってて。国王だかなんだか知らないけどね、うちの従業員を泣かせないで!」
「え、ちょっと」
「いいから! それを脱ぐ! ほら早く!」
カレンデュラさんは強引に陛下を押し切ると、ずぶ濡れのコートを剥ぎ取り私たちを奥の部屋へと押しやる。
その間にジェインさんが素早く暖炉に火をつけ、私たちは並んで座らされた。
有無を言わさず強制的に雰囲気を変えられてしまい、なんだか強ばっていたのが馬鹿らしくなってくるぐらいだ。
「そこで待ってろ。今、カレンデュラが魔法で乾かしてる最中だ」
助けを求めようとしたが、ジェインさんはそれだけ言うとさっさとカレンデュラさんの元へ戻っていってしまった。
そうして、室内は沈黙に包まれる。
いきなり二人きりにされても、どんな顔で話せば良いのか分からない。
それに陛下は衣服をほとんど持っていかれたのでシャツとスラックスだけの状態だ。
うっすら肌色が透けているものだから目のやり場に困る。
(なんだろう、この状況……………………)
ぱちぱちと音を立てて燃える火を、遠い目でぼーっと見つめる。
さっきまであんなに深刻に考えていたのは、一体なんだったのだろうか。
なんとなく気まずくて黙っていれば、先に口を開いたのは陛下だった。
「イングリットの職場は愉快だね」
陛下はふ、と笑う。
それは、いつもの穏やかな優しい表情と変わりはなかった。
「あの、陛下」
「名前で呼んでよ。ここは城じゃないんだ」
「ええと………………オルクス様」
「様はいらないんだけど、まあいいや」
悩んだ末に様を付けて読んだのだが、陛下はどことなく不満げだった。
様じゃないならなんと呼べというのだ。まさか、オルクスくんなんて呼べるわけないだろう、と思いつつ気を取り直して続ける。
「オルクス様は、私がフィルゼスタの聖女ではないといつから知っていたのですか」
「最初からだよ」
「それは、私を王妃として迎えると最初に話が出た時から、と……?」
陛下は頷く。
「確かに、フィルゼスタの聖女を迎えると言い出したのは前王、耄碌したあの老人だ。でも本気じゃなかったんだろうね。フィルゼスタが断ると分かった上で強引に打診し、聖女を諦めることと引き換えに魔毒対策の情報を得るつもりの交渉だったんだよ」
「それならば、私はなぜエトルシアに」
「僕がヴィーラントに言ったんだ。フィルゼスタの金糸雀を、女神を手に入れられるのなら国王になってもいいと」
「……え」
フィルゼスタの金糸雀、女神。
私を形容する言葉は、嫌われ者だとか日陰者とかそういう悪口ばかりなのに、そんな言葉は初めて言われた。
金糸雀でもなければ、女神でもない。
けれど、陛下の表情は真剣そのものでとても冗談ではない様子だった。
「つまり、君と結婚できるなら国王になってもいいよ、って言ったんだ。そしたら、ヴィーラントは上手くフィルゼスタを言いくるめたみたいで驚いたよ。それで僕は約束通り国王になって、この国を治めることになったってことさ」
「どうしてそこまで私を」
「何度も言ってる。君が好きだからだよ」
陛下は微笑むけれど、やはり私には分からない。
『人生全てと引き換えに君を手に入れた』が比喩でもなんでもないことがありえるだろうか。
「でもいざ迎えたら、なんだか誤解されてるし逃げられるしでこんなことになるなんてね。悲しいな。僕に黙って、勝手に外へ出て行くなんて……」
唖然とする私をよそに、陛下はなんだか急にぶつぶつ言い始めた。
拗ねている……いや、まさか怒られるのかと身構えたが。
「ひどいよ、働くなら僕も一緒に連れて行って欲しかった」
「え」
「確かに僕は君の信用に足る人間じゃないかもしれないけど、荷物持ちぐらいはできるのに」
いい歳した美丈夫が、まるで子どものようにむくれている。
(え、えぇ……)
誰が一国の王に荷物持ちなんてさせるものか。
たとえその必要性があったとしても、頼んだら喜んでやってくれそうなものだから余計に陛下には頼めない。
「ええと、勝手なことをしてすみませんでした」
「どうして謝るの。別に、君の人生なんだから君の好きにしていいに決まってるじゃないか。僕が悲しんでるのは、僕に一言も言ってくれなかったことだよ」
王妃だけど外で働きたいです、逃亡資金を稼ぎたいので。
なんて言ったら了承されるものか。
なんだかさっきから陛下と私の話は数ミリずつズレているような気がする。
「でも、勝手に外出するのはもうやめて欲しいな。僕だって四六時中いつ何時も君を監視しているけれど、どうしても手が空かない時はあるし、それに知らない男に君を見られると思うと」
「すみません、そもそも監視ってなんですか」
先程からずっと気になっていたが、陛下が言う監視とはなんなのだ。
「……文字通りの意味だけど?」
思わず周囲を見回した。
陛下はきょとんとしているが、どこからどうやって、というかいつから見られていたのだ。
恐らく魔法の類だろうが、こちらに一切気づかせずそのようなことを仕掛けてくるとは。
「もしかして、見られるだけじゃ嫌だった? やっぱり、手錠を繋ぐ? 足枷でもいいよ。僕と君を繋いで、片時も離れられなくなるような長さにして」
「監視で大丈夫です」
この話題は藪蛇というものかもしれない。
私は全てを忘れることにした。
やましいことはないのだから、見たければ好きに見るがいい。
それよりも、私が聞きたいのはそこまでする理由だ。
「どうしてそこまでなさるのですか? オルクス様は、いつも忙しくしていらっしゃるのに、私の動向なんて些細なことですよ」
「君が心配だから、というのもあるけれど。いつ死ぬか分からないんだから、この目に最後に焼き付けるのは君が良いんだ」
「だから、常に私を見ていたいと……?」
「だって、僕は君という女神の信奉者だから」
これまた信じられないことを言われた。
陛下は初対面の時のように、瞳をキラキラと輝かせてうっとりと私を見つめるている。
「女神なんかじゃありません」
「いいや。君は女神だよ。僕は確かに、君が起こした奇跡を目にしたんだ」
奇跡なんて起こした覚えはないし、信奉される覚えもない。
こうなったら、全て洗いざらい吐いてもらうしかない。
「聞かせてください。あなたが見た、『私』を」
「いいよ、教えてあげる。今日は僕たちの大事な初夜だからね。お互いのことを語り合ってから愛を深めるなんて、夫婦らしくていいじゃないか」
そうして陛下は、過去のことを語り始めた。
「どこから話そうか……ああ、そうだ。『あの人』に出会ったところからにしよう」




