20.嫌われ者は道を進む
ホールに響き渡る、宮廷楽団の奏でる美しい演奏。
ヴァイオリンの調べにのせて、シャンデリアの下で男女が舞い踊る男女たち。
予期せぬ出来事があったものの、国王夫妻の結婚式は無事に執り行われ、祝宴は続いていた。
もっとも、話題は王妃の力についてもちきり状態だった。
裏では神父様の症状についての調査が執り行わているが、事が事なのだけに今は秘匿されている。
一通りの挨拶をすませ、陛下と踊り、やるべきことは全て完璧にこなしてみせた。
選んだ衣装は、結局紺色のドレスにした。
美しいと言うだけでなく、陛下の髪色を想起させるような、夜空を模したデザインが気に入ったからだ。
けれど――――――私は今、せっかくのドレスを脱ぎ捨てて、簡素なワンピースだけで街を歩いている。
サファイアのパリュールも、オペラグローブもどこにもない。
元々、私に与えられるべきではないものだったのだ。
陛下から与えられた全てのものを置き去りにして、私は単身街へ飛び出した。
目的地はカレンデュラ魔法薬品店だ。
こんなに早く王宮を出ていくつもりはなかったが、自覚した途端、どうしたって我慢ならなくなった。
(陛下、怒っているかしら。こんな真似をして……いいえ、最初から騙していたことに、怒るかもしれないわね)
陛下は私の前ではいつも優しく穏やかな笑顔を浮かべていた。
彼が怒る姿はあまり想像がつかないが、以前仮病を咎められた時は思わず震えるような凄みがあった。
(誠実に向き合うべきなら、エトルシアの法で裁かれ、私は処刑されるべき……でも……)
エトルシアを騙したのは私ではなく、父だ。
私を散々苦しめた父の罪をら全て私が引き受けて断頭台に立つなんて、それだけは私のちっぽけな矜恃が許さない。
それになにより、生きていたいと思ってしまった。
フィルゼスタから離れて、自由への道筋を初めて手にすることができた。
ずっと抑圧されていたのに今なら全てを諦めて手放すなんて、どうしてできようか。
生きてさえいればなんとかなる。私はまだ、ここに生きている。だったら、諦める理由なんてない。
(王女イングリットも、王妃イングリットもここで死ぬ。私は、ただのイングリットになる)
「あ……雨、降ってきちゃった……」
私の心を反映したかのように、ぽつりぽつりと雨が降ってきた。この勢いならすぐに豪雨になるだろう。
水浸しにならないよう小走りで駆けていき、店の前にたどり着く。
窓ガラスのカーテンから、淡い光が漏れ出ている。
二人が店内にいるのだろう。
コンコン、とドアをノックすればジェインさんが開けてくれた。
「あんた……こんな時間にどうしたんだ」
「あら? イングリットちゃんじゃない!」
カレンデュラさんは笑顔で歓迎してくれたが、私は二人に頭を下げてただ謝罪した。
「突然ごめんなさい。私……今日限りで辞めます」
二人は顔を見合わせる。
「入れ。詳しい話を聞かせてもらうぞ」
ジェインさんはそう言い、私を招き入れる。
いつものテーブルにカレンデュラさんと向き合って座り、ジェインさんはカレンデュラさんの背後に立ち、ただじっと私を見ていた。
「辞めるって、どうしたのよ急に。何かあったの?」
「色々あって、働けなくなったんです。ごめんなさい、詳しいことはお話できなくて……」
「家族はもういいのか」
「家族、は……」
ジェインさんが追及するように、私に厳しい視線を投げかけてくる。
もう誤魔化すだけ無駄だと、私は正直に白状することにした。
「元々、妹なんていなかったんです。おそらく、ジェインさんは気づいてましたよね。ずっと黙っていてくれてありがとうございます」
「やっぱりか。なんか怪しいと思ってたんだよ」
「ええっ、そうだったの? どうして言ってくれなかったのよ!」
カレンデュラさんは目を丸くしてジェインさんにそう言うが、彼女はふいと顔を背けて何も答えなかった。
「夫と離婚することになったんです。なので、遠くの街で新しく生活を始めようと思いました」
「まあ」
嘘は言っていない。
私たちは今日結ばれたばかりで、初夜すら迎えていない。
夫婦として一度神前で誓ったきりで、子どももいないのだから離縁は簡単だ。
残してきた手紙ひとつで、陛下は全て片付けてくれるだろう。
「元々、愛し合っていたわけではないんです。理由があって結婚しなければいけなくて……でも、これ以上あの人を騙すのが嫌になって逃げてしまったんです」
「そうだったのね……。ねぇ。嫌になった、っていうのは何があったのか聞いてもいい?」
カレンデュラさんが私に優しく問いかける。
「私、不幸ばかりの人生で。最初はそれもアイデンティティだって笑っていられたんですけど、だんだんそうも言ってられなくって」
「まあ。たくさん苦労したのね」
「結婚も、私の意思ではなくて父親に騙されて売られたようなものだったんです。でも、あの人はそんな私を受け入れてとても大切にしてくれました」
「素敵だわ。あなたたちは、愛し合っていたの。でも、愛しているからこそ一緒にはいられないと、そう思ったのね?」
あまり話さない方が良いのは分かっているが、カレンデュラさんを前にすると不思議と素直になってしまう。
彼女の人柄や包容力がそうさせるのだろう。
実際、こうして言葉にしたことで、私の心の中のわだかまりが少しずつ解けていくような気がした。
「私は、本当はあの人と一緒にいられるような人間じゃないんです。こんな自分が嫌でどうしようもなくて、だから、全部終わらせて新しく一からやり直したいと思いました」
「まあまあ。そんなことはないと思うけれど、またずいぶん思い切ったわね」
「今更、帰る場所もどこにもないので……だったら、いつか捨てられることを恐れて生きるより、自分から全て捨ててしまいたかったんです」
カレンデュラさんは、私の話に真剣に耳を傾けてくれた。
これまでのこと、陛下と過ごした時間。
相手がまさか陛下だなんてことは言えないからほとんど誤魔化して隠しているけれど、自分のことをこんなに誰かに話したのは本当に初めてだった。
最初は怖いしなんだか変な人だと思った時もあったけれど、陛下は誰より私のことを思ってくれていた。
今日の結婚式での抱擁が、それら全てを表していた。
やっぱり、私は『運命』を信じられない。
私と陛下が運命の恋だったのなら、今頃こんなことにはならなかったからだ。
運命の女神は私に微笑まない。
だからこそ、自分で道を切り開かなければいけない。
たとえそれが、別れへの道だとしても。
私の話を聞き終えたカレンデュラさんは、おもむろに立ち上がって戸棚の方へ向かう。
「でもやっぱり……離婚なんてずいぶん急な話だわ。結婚式だって、今日したばかりじゃない」
「……え」
今、カレンデュラさんはなんと言っただろうか。
私が今日結婚式をしたとは、一言も告げていない。
後ろ姿からでは、カレンデュラさんの表情はうかがえない。
けれども彼女は、いつもの歌うような明るい声で話を続ける。
「そうでしょ? 王妃イングリット様」
「っ!」
なぜ、カレンデュラさんがそれを知っている。
私は弾かれたように立ち上がり、逃げ出そうとする。
しかし、ドアはジェインさんに塞がれていた。
彼女は目を閉じ、腕を組んで全く退いてくれる様子はない。
逃げ惑う私に、カレンデュラさんはあるものを差し出した。
「ねえ、今日あなたは不可解な現象を目にしたわよね。魔毒の兆候がなかったこの国で、感染者が現れたという現象を」
びっしりと文字が書き込まれた書類……それは、いつの日か、私が見つけてしまったものだった。
「なにか、見覚えがあるんじゃないかしら」
魔毒を人為的に作り出す薬という、許容しがたい実験記録。
カレンデュラさんは、いつもと変わらない表情で、私にそれを突きつけた。




