12月25日(水)聖域の吐息
猛吹雪は止む気配を見せず、外界のすべてを白い沈黙の下へと引きずり込んでいた。男たちが作業を終え、仮設の暖房が息を吹き返した修道院の一室。そこは、普段は巡礼者を受け入れるための、装飾を削ぎ落とした質素な客室だった。
石壁に囲まれた部屋には、爆ぜる火を宿した小さな暖炉と、使い込まれた木の椅子、そして簡素なベッドがあるだけだ。ミラノの超高級マンションに住むステファノにとって、そこはあまりに場違いなはずだったが、彼はその空間を、自らの支配下にあるどんな城よりも深く愛おしむように、そこにいた。
「……ひどい顔をしているな、クララ。頬の赤みが引いていない」
ステファノはコートを脱ぎ、シャツの袖を無造作に捲り上げて、暖炉の前に腰を下ろしていた。クララは、わずかに震える手で温めたミルクを二つのマグカップに注ぎ、彼に差し出した。
「申し訳ありません。……こんな、何もない場所で、聖なる夜を明かしていただくことになってしまって」
「何もない、だと?」
ステファノはカップを受け取ると、クララの手首をそっと、しかし拒絶を許さない力強さで掴み、自分の隣に座らせた。至近距離で交わる視線。揺れる炎が彼の彫りの深い顔立ちに鋭い陰影を作り、その瞳に宿る熱を、より一層濃く、暗く浮かび上がらせていた。
「ここには、私がこの数週間、呼吸を忘れるほどに渇望していたものがある。……宝石や数字では決して埋められなかった、私の『欠落』が」
ステファノの手が、クララの冷え切った指先を包み込む。その指先が、彼女の左手の薬指を、壊れやすいガラス細工を愛でるようにゆっくりとなぞった。まだ指輪のない、けれど彼の魂の中では既に「永遠の鎖」を繋いだはずのその指を。
「クララ、正直に言え。私がいなくて、本当に平気だったのか?神の沈黙だけで、君の心は満たされていたのか」
「……平気なはず、ありません」
クララは俯き、絞り出すような声で答えた。
「毎日、時計の針を見るたびに、貴方の横顔を思い出していました。今頃は冷徹な決断を下しているはずだわ、今はあの苦いコーヒーを飲んでいる頃だわ……と。祈りの言葉を紡ごうとする唇が、気づけば貴方の名前を呼ぼうとしている。そんな自分を、神様にお詫びし続ける毎日でした」
クララの瞳から、熱い一粒がこぼれ落ちた。
「私、修道女失格です。貴方の熱を知る前の自分には、もう二度と戻れない……」
「戻らなくていい。戻る必要などない」
ステファノはカップを床に置くと、彼女の細い身体を、自らの内側へ引き寄せるように強く抱きしめた。彼の胸の鼓動が、クララの肋骨を震わせるほどに直接的に響く。そこには、香りに頼らずとも、彼という男が今この瞬間に生き、彼女を求めているという「圧倒的な生の熱量」があった。
「私も同じだ。君がいないオフィスは、ただの豪華な、そして退屈な牢獄だった。何兆円という資本を動かそうと、君が淹れるあの一杯のカモミールティーが持つ安らぎに、私は一生勝てない。……私は、君という光を失えば、再び血の通わない石の彫像に戻ってしまうだろう」
ステファノは、彼女の額に自らの額を押し当てた。二人の吐息が、暖炉の熱気に溶け込み、真っ白な霧となって混じり合う。
「一ヶ月の契約は終わった。だが、クララ、新しい契約を私と結んでくれ。期限はない。報酬は私の全人生だ。……君の神から、君の未来を奪わせてもらう。これが私の、最初で最後の略奪だ」
「ステファノ様……それは、命令ですか?」
「いや。……一生をかけた、私の『祈り』だ」
冷徹な皇帝と呼ばれた男が、初めて見せた、子供のような「脆さ」と「懇願」。クララは、彼の首に腕を回した。外の吹雪が窓を叩く暴力的な音も、明日への不安も、すべてが遠い星の出来事のように感じられた。
「……私の答えは、貴方の掌の熱が、既に知っていらっしゃるはずです」
クララが微かに微笑むと、ステファノは耐えきれぬように、彼女の唇に深い、深い、聖なる沈黙を強いるような接吻を落とした。それはザクロの甘さよりも情熱的で、ミラノのどの鐘の音よりも厳かに、二人の魂の境界線を永遠に消し去った。
暖炉の火が力強く爆ぜ、小さな火花が暗闇を舞う。聖域の中で、二人はただの男と女として、互いの体温だけを頼りに夜が明けるのを待った。それが、世界で最も美しく、最も純粋な「誓い」の時間であることを、窓の外の雪だけが静かに見守っていた。




