第6話 竜人族の子ども
街に入ると、我良久は緋倭斗とアイシャを近くにあった服屋に連れて行った。子供服を売っている店なので、おそらくアイシャの服だろう。今は一時的に緋倭斗の服を着せているが、明らかにサイズがあっていなかった。街に入る前に着替えた方が良いという判断だろう。緋倭斗は一人そう納得したが、我良久はこちらに近づいてくると、小声で予想とは全く異なることを耳打ちしてきた。
「しばらくは馴染みの場所以外はローブでも羽織ってた方が良い。この街は獣人族に対しても比較的寛容だが、あの角と尻尾はちょいとだめだ。」
そう言った我良久の顔には非常に真剣な表情が浮かんでいた。緋倭斗にはその意味がよく分からなかったが、自分の知らない何かがあるのだろうか。我良久の心配はよく当たる。おとなしくその助言に従うことにして、コクリと一つ頷いた。
店の中ではアイシャが物珍しそうに辺りをキョロキョロしていた。ついでにアイシャの服類も買おうかとも思ったが、どことなく店員の視線が痛い。そういえば自分たちは山から下山してきたばかりであまり小綺麗な格好をしていなかったことに思い当たった。この状態では試着もできないだろう。とりあえず着替え用の無難な衣服1着とローブだけ購入することにして、それ以外の必需品は後から買いに来ることになった。
店を出ると、我良久は早速購入したローブを袋から出してその場で広げた。魔法使いの見習いの子どもたちがよく着ていそうな、案緑色の厚手のローブだった。我良久はアイシャにローブを羽織らせると、その顔に人好きのする笑みを浮かべた。
「この街だと獣人族はちょいと珍しくてな。視線を集めるだろうからギルドにつくまではしばらく隠したほうが良いかもしれん。」
そう言って我良久はフードをかぶせると、アイシャの頭をポンポンと軽く叩いた。何かを察したのか、アイシャは真剣な顔でローブの裾を握って頷いた。
緋倭斗たちはまずはギルドに向かうことにした。任務の報告もあるが,アイシャのことも孤児院よりまずはギルドに報告した方がいいとの判断だ。件の心配事もある。
道中、我良久はひたすら街の近況を喋っていた。最近都心部で闇市の奴隷商人が見つかって大きな捕り物騒動があったという話から,近所のばあさんがぎっくり腰をやってしまったという他愛ない話まで様々だった。最初は真剣に話を聞いていたが、途中から話半分に聞き返したりしていると、隣でアイシャが目を爛々と輝かせているのに気がついた。活気あふれる街の様子に興味津々で周りを見渡し、ときには少し物欲しそうな顔をしているが、特に何かを強請るわけでもあちこち走り回るわけでもない。その姿は、どことなく鎖に縛られた犬を彷彿とさせた。
(この年頃の子供ならもう少しはしゃいでもいいだろうに。)
そんな思いが湧き上がってきて、むしろ何かを買ってやりたくなる。試しに屋台の串焼きを2本ほど買うと,アイシャは少し申し訳なさそうにお礼を言った後,キラキラとした眼差しでかぶりついた。そのままゆっくりと咀嚼すると,口元にたれをつけたままパァッと顔を輝かせる。その無邪気な様子に思わず笑いがこみあげてきた。こういうところは年相応で安心する。口元のたれを拭ってやりながら,
「ローブは汚さないようにな。」
そう言うと、アイシャは心得たとばかりに何度も頷いた。
それにしても、いくら賑わう夕方とは言え、今日はいつにも増して賑やかだった。大通りの脇にはいつもはないはずの露店も所狭しと並んでいる。何かの祭日だっただろうかと不思議に思っていると、その問に答えるかのように2人の少女の話し声が風にのって聞こえて来た。
「見てみてこれ。かっわいいでしょー,聖女様の衣装!お母さんが買ってくれたの。」
一人の少女が嬉しそうにスカートの裾を翻しながらくるくると楽しそうに笑っている。もう一人の少女は少しふてくされたような顔をした。
「違うよ。明日は討伐祭だよ。《《はじまりの街の討伐祭》》!買うなら勇者様の服一択でしょ!!」
そう言った少女は、腰に剣のレプリカを指し、赤いマントを羽織っていた。少女たちは何やら言い合いをしながら駆けていく。
そうか,明日はもう討伐祭かと,緋倭斗はしみじみと思った。討伐祭とは初代勇者が人族史上初めて魔王を討伐したことを記念して,聖王国各地で開かれているお祭りだ。特に,はじまりの街は初代勇者が冒険者となって初めて訪れた街として有名で,初代勇者ゆかりの地として特に盛大な祭りが催される。
また,討伐祭は初代勇者の伝説にあやかって、冒険者を目指す少年少女がギルドに登録をする日としても人気がある。例にもれず,緋倭斗も丁度2年前のこの日に冒険者登録をしたのだった。
(もう2年か……)
そう思うと、ときが経つのがやけに早く感じた。緋倭斗が昔に思いを馳せていると、アイシャが服の裾を引っ張った。
「何ですか?討伐祭?」
コテリと不思議そうに小首を傾げていた。初代勇者は人族だったため,獣人族にはあまり馴染みのない行事なのかもしれない。
「ああ,討伐祭は初代勇者が人族で初めて魔王を討伐した記念日のことだ。毎年この日になると聖王国の各地で,初代勇者の偉業を称えて祭りをやるんだ。」
そう教えてやると,アイシャはそうですかと言ったきり,広場にある勇者像をじっと眺めた。アイシャも勇者に興味があるんだろうか。しばらくそうしていたかと思うと、アイシャはぽつりと言葉をこぼした。
「とても悲しいお祭りですね。」
何が悲しいのかと聞きたかったが、そう言ったアイシャの横顔が不思議なほどに大人びて見えて、口を開くことができなかった。静かに落とされたその言葉は、水面で波紋が広がるように、ゆっくりと緋倭斗の心に広がっていった。
それからまたしばらく歩くと,大通りに面した荘厳な建物が見えてきた。白い宮殿のようなその建物は,南北に細長い形状をした東棟と西棟が本棟を囲うような構造をしていた。東西の棟には黒布に金糸で竜を象った垂れ幕がさげられている。本棟正面には光沢のある木製の引き戸が備え付けられ,その両側には真鍮の格子で縁取られた曇りガラスがはめ込まれていた。
その立派なたたずまいに気圧されたようにアイシャは身じろぎしたが,緋倭斗は慣れた様子で歩き出した。正面玄関の扉を開けると,ドアベルがカランコロンと来客を告げる。
室内は,外装のイメージに反して高級なバーのような雰囲気だった。奥の戸棚には色とりどりの瓶が敷き詰められ,それを取り囲むようにカウンター席が備え付けられている。その後ろ側には丸テーブルとソファが置かれていた。少し薄暗い室内にはすでにちらほらと客が座っており,こちらに視線が集まる。
緋倭斗たちが気にすることなくそのまま右奥の階段を目指して歩き始めると,後ろからアイシャが慌てて駆け寄ってきた気配がした。
階段を上ってたどり着いた部屋は,1階とは全く異なる様相だった。真っ白な壁にはたくさんの窓があり,暖かい日の光がさしている。左の壁一面にはたくさんの依頼書が所狭しと張り付けられ,奥のカウンターでは十数人のギルド職員が忙しそうに働いていた。ハキハキとした冒険者と受付係の声が聞こえてきた。
緋倭斗はカウンターに近づくと,一人の受付嬢に声をかけた。
「やあ,ナシャさん。受付をお願いできるだろうか。」
そう言うと,カウンターで書類と向き合っていた赤髪の女性が顔を上げた。高い位置て一つにまとめた髪がゆらゆらと揺れている。女性はこちらを見とめると,にこりと優しげな笑顔を作った。
「あら,緋倭斗くん。もちろんよ。確か慈愛の森に行っていたのよね。任務は無事終わったの?」
「ああ,終わったよ。だけど任務の報告はギルド長に直接伝えたいんだ。相談したいこともあるし。」
そう言って、我良久に目配せし、ナシャに視線を戻すと、我良久を見て少し驚いたような呆れたような顔をしていた。彼女は少し逡巡するそぶりをした後、副ギルド長に相談すると言って席を立った。
それから半刻ほどして、白の襟のあるシャツに黒のベスト、片眼鏡を着用した執事然とした雰囲気の男とともに、ナシャが戻ってきた。男は我良久を見ると、大きなため息を吐いた。
「仕事を放り投げていなくなったのかと思えば、あなたは本当に自由人ですね。」
男は《《頭痛が痛い》》とでも言いそうな顔で眉間のしわを揉んでいる。我良久は悪いと思っていなさそうな顔で豪快に笑って謝罪しながら、男の肩をバシバシと叩いた。
「いやぁ、俺はただの看板みたいなもんだし、優秀な副ギルド長がいるもんでついな。俺がいなくたって大丈夫だろ。」
事実なのだろうが、目の前でしかめ面をしている副ギルド長がかわいそうに見えてきた。何のことかは知らないが、この様子だと間違いなく再犯するだろう。
副ギルド長はアイシャを見ると、少し驚いた顔をした。何か勘違いでもしたのか、我良久をにらみつけている。副ギルド長はまたため息をつくと、とりあえず場所を移動しようと言った。
案内されたのは、3階の奥の方にある部屋だった。緋倭斗は副ギルド長たちが確認するのを待ってから、その向かいに腰掛け、アイシャをこちらに手招きした。
アイシャは最初、入り口で自分も悩んでいる様子だったが、手招きすると恐る恐るといった様子で隣に腰掛けた。
二人が座ったのを確認して、副ギルド長が声を発した。
「さて、まずは自己紹介から始めましょうか。私はこのギルドの副ギルド長をしているサイラスです。よろしくお願いしますね。」
「で、俺は一応このギルドのギルド長の我良久だ。改めてよろしくな、嬢ちゃん。」
続けざまに発された我良久の声に、アイシャと副ギルド長が同時に目を見開いた。
「あなた、まだ名乗ってなかったんですか。」
副ギルド長は呆れた顔をした。アイシャは我良久クがギルド長だとは思っていなかったのか、視線を緋倭斗と我良久の間で行ったり来たりさせている。確かに我良久はギルド長っぽくはないなと失礼なことを思いながら、緋倭斗も口を開いた。
「この子はアイシャだ。身元確認はまた後で行うだろうから、身元の詳細は省くが、アイシャと出会ったのは慈愛の森だ。」
我良久は鷹揚に頷いたが、副ギルド長は驚きに片眉を上げた。あんなところに子どもがいるとは誰だって思わないだろう。
「まず、任務の話から報告させてくれ。任務は滞りなく終わった。慈愛の森を隅々まで探しても、魔物はいなかった。探知魔法にも引っかからなかった。その代わりに、この子が遭難しているのを発見した。」
隣を見ると、アイシャが少し身じろぎした。自分の話が出たからか、体がこわばっている。
「おそらくこの子を魔物と見間違えたんだろう。最初にあったときはかなりひどい格好をしていたから。」
我良久はなるほどなと言いながら、無精ひげをさすっていた。
「アイシャ、俺にしゃべった話を2人にも教えてくれるか?」
そういうと、アイシャは両手を固く握りこみ、緊張した面持ちで頷いた。
「アイシャです。9歳です。家は、えと、リベラ、キンダム?とイストマルスラ?の、うーんと、さかいめ?です。ラファン・ラセのラゴ・リベです。」
9歳というのは初耳だった。もっと幼いのかと思っていたが、しっかり食べられていなかったからだろうか。そして、アイシャのぎこちない喋り方に少し違和感を抱いた。前はもっとすらすらと説明していたような気がする。
そう思ったところで、緋倭斗は自らの過ちに気が付いた。
『悪い、アイシャ。伝わっていたようだったから失念してた。しゃべりにくいなら共通語で大丈夫だ。』
明らかにアイシャは安堵した表情をした。これまでの会話でも実は伝わっていなかった時があったのだろうか。一方で、我良久クと副ギルド長は急に異なる言語で話し始めた緋倭斗に対して怪訝な顔をした。
緋倭斗はこれまで共通語で意思疎通をしていたことを2人に伝えた。しばらく東天人帝国に住んでいたと言っていたから第一言語はそちらの言葉だろうという予想も添えて。副ギルド長はその話を聞いて驚きに目を見開いた。この年で他国の言語でここまで意思疎通できるとは驚きだろう。一方で、我良久は落ち着いた表情でまた無精ひげをさすっていた。
『生まれは聖王国と東天人帝国の国境にある村で、獣人族のラゴ・リベです。訳あって最近まで東天人帝国の首都に住んでいました。』
アイシャは緋倭斗に伝えたのとまったく同じ内容をしゃべった。我良久はなぜか悩ましいような顔をして視線を泳がせていたが、諦めたように短くため息をついた。
『嬢ちゃん、悪いがその訳ってのがなんだか聞いてもいいか?』
緋倭斗は少し驚いた。あまりにもプライベートなこと過ぎないか。困惑して副ギルド長を見ると、彼も困惑した顔をしていた。唯一、反応が違ったのはアイシャだった。
アイシャはぎくりと身を強張らせて、目を伏せた。不安なのか、固く握りしめた手が震えている。その様子を見て、我良久はゆっくり椅子から立ってアイシャの前に屈みこむと、アイシャと目線を合わせて言った。
『嬢ちゃん、俺はな、実は獣人族の豹族だ。と言ってもただのクオーターだけどな。俺たち獣人族はな、偉大な竜のことを崇拝してる。同じくらいその一族のことも尊敬してる。それにここにいる奴らはみんな嬢ちゃんの種族も身分も気にしねえ。ただ嬢ちゃんの力になりてぇだけなんだ。だからつらいだろうが話しちゃくれねぇか。」
その言葉に、アイシャの瞳がひどく揺れた。ゆらゆらと、不安定に揺れている。そのまま助けを求めるようにアイシャはこちらを見上げた。その様はまるで行き場を失って雨に濡れる子猫のようだった。思わず頭をなでると、アイシャは決意したように唇を噛んだ。
『奴隷、でした』
飛び出して来たのは驚愕の言葉だった。あまりのことに絶句する。副ギルド長も似たような反応だった。我良久だけが、痛ましい表情で、アイシャを見つめていた。
『ある日、知らない人たちが家に来て、私が欲しいって言いました。止めようとした、お父さんと、お母さんはっ、そ、その場で、殺されてっ』
一言一言しゃべるたびに、アイシャの目には大粒の涙がたまっていった。今にも決壊して零れ落ちてしまいそうだった。
『兄弟も、みんないなくなりました。私が、言うこと聞かないからってっ、私のせいで、みんな、みんながっ』
こらえきれなくなった涙が、ぼたぼたと零れ落ちて、じゅうたんにシミを作っていた。それでも嗚咽を上げまいとするかのように、アイシャは気丈に口を真一文字に引き結び、指先が白くなるほど両手を固く握りこんでいた。
『ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさいっ。わかってるんです。私が、こんなところに、いちゃいけないって。こんな疫病神がいたら、みんなの幸せを奪うだけだって。でも、みんないなくなって、帰る場所もなくなって、どこに行けばいいかもわからなくって。でも、でも、ちゃんと出ていきますからっ。明日には、いや、今日中には出ていきますからっ、だから、許して。ごめんなさいっ、ごめんなさいっ。』
思わず緋倭斗はアイシャを抱きしめた。9歳にしては小さすぎる体だった。こんな年齢で、こんな小さな体で、一体どれだけの苦痛に耐えてきたのか。
アイシャは最初は身を固くして、泣きながらただひたすら謝っていたが、落ち着かせるようにゆっくりゆっくり背中をさすってやると、謝罪はだんだん嗚咽に変わり、とうとう声を上げて泣き出した。その声は我が身を引き裂かれそうなほど悲痛な声だった。




