第5話 はじまりの街
翌日は朝一番に身支度を終えて出発した。朝一番と言ってもすでに陽は高く登っており,朝だか昼だかわからない程の晴天だった。ここ最近で一番暑いように感じる。木陰にいても炎天下のような蒸し暑さで,少し歩いただけで汗が流れ落ちた。隣を見ると,アイシャも首元にびっしょりと汗をかいていた。急いでいるわけでもないので,風通しの良い場所や川沿いなど,ときどき休みやすそうな場所を見つけては休憩しつつ,ゆっくりと山を降りることにした。
突然目の前が開けたのは,3回目の休憩を取って歩き始めた頃のことだった。あちこちに立っていた木々が突如なくなり、あたり一面、青々とした草花に覆われている。暑さで火照った体を冷まそうとするかのように一陣の風が吹いた。
真っ青な大空を見上げると,太陽はすでに頭の真上まで登っていた。それほど高い山ではなかったためすぐに着くかと思ったが、下山し始めてからそれなりの時間が経ったようだった。目を眇めて遠くを見つめると、ただっ広い草原のはるか先に,ぽつんと小さく街があるのが見えた。いつもなら街への移動には街道を使うのだが、魔国方面へ続く街道などあるはずもなく、草原を横断するしかない。伸び放題になった草花は腰まで高さがあり、その中をまた歩くのかと思うと少しげんなりしてしまった。
街が見えてきたため街に着くのももうすぐかと思われたが、下山してからが存外長かった。あたり一面何もない草原では、見えているものが遠くにあるのか近くにあるのかも判別がつきにくい。歩いても歩いてもあまり変わらない光景に耐え、歩き続けて日が傾きかけたころ合いになって、やっと街の門が見えてきた。
徐々に街が近づいてくると,アイシャはアイシャはわぁっと驚いた声を上げた。魔国と聖王国の国境付近にあるこの街は、魔物や魔族に襲われても対処できるように街全体が十メートルはあろうかという巨大な石造りの城壁に囲まれている。城壁の前には深い堀も設けられており、東西南北にの計4か所に関所が設けられている。関所には検閲をするための兵士たちが常時数十人は勤務しており、いつも忙しなく動き回っている。門前には旅人か冒険者らしき身軽な装いの人々が列をなし、自分の順番を今か今かと待っていた。
列の最後尾に並ぶと、アイシャはどこかそわそわとし始めた。人ごみの隙間から街を少しでも見ようと四苦八苦している。その顔には好奇心が隠し切れていなかった。これほど立派な城塞都市はなかなかお目にかかれるものじゃないからだろう。年相応のその様子に少し微笑ましくなっていると、一人の男が声をかけてきた。
「おう、緋倭斗。お疲れさん。また慈愛の森の調査かい。」
話しかけてきたのは、緋倭斗よりも頭一つ分身長の高い大柄な男だった。緋倭斗も高い方ではあるはずだが、いかんせん男が大きすぎる。熊のようなその佇まいに驚いたのか、アイシャが緋倭斗の背中に隠れる気配がした。男は気にしていないのか、それともただ気が付いていないだけなのか、アイシャのことは気にも留めずに自身の立派なあごひげを手でいじっている。
「ああ、また慈愛の森の調査だ。ついこの前、池の水が変だって言って調査したばかりだっていうのに、今度は魔物が出たって言うからな。まあ恐らくただの杞憂だ。」
そう言ってちらりと右隣に目配せすると、アイシャは不安そうに緋倭斗の背に隠れて服の裾をぎゅっと握りしめたまま、少しだけ顔を覗かせていた。その顔には緊張の色がありありと浮かんでいる。男は緋倭斗の視線を追ってアイシャに目を止めると、ほんの一瞬驚きをあらわにしたが、すぐさまその表情は消し、今度はあからさまに呆れた顔をした。ついでとばかりに大げさにため息もついた。
「毎回毎回飽きないな。いつも何かしら拾って帰ってくるじゃねぇか。虎の子の次は獣人族の子かい。」
その言葉に少しむっとした。悪気はなかったのだろうが、初めて街に来た子に対して配慮に欠ける言葉だ。それに毎回というほどじゃない、2回に1回ぐらいだ。
アイシャが背後でびくりと怯えたのを感じて、抗議するように男を睨み、次いで誘導するようにアイシャに視線をやると、男は少しバツが悪そうな顔をした。眉尻を下げたその顔は,言外にやっちまったなぁと言っていた。さらに追い打ちをかけるように再びにらみつけると、やつは更に困った顔をして、屈みながらアイシャと目線を合わせて言った。
「悪かったな嬢ちゃん。嬢ちゃんを責めるつもりはなかったんだ。ただこいつがあんまりにもいろいろ拾ってくるもんだからびっくりしちまってな。この前は虎の子、その前はうり坊だったんだぜ。次は魔物の子でも拾ってくるんじゃないかとひやひやしてたんだ。」
そう言って緋倭斗を指さし、アイシャの頭をポンポンと叩いた。アイシャははじめ、少しだけ怯えた表情をしていたが、何を言うでもなくじっと言葉に耳を傾けていた。
「だけど嬢ちゃんがこの街に来てくれるのは大歓迎だ。最近は若いやつがみんな王都に行っちまってな。活気が減って少しばかりさみしかったとこだ。」
男がニカッと笑うと、つられるようにアイシャもふわりと控えめな笑みを浮かべた。その様子に気をよくしたのか、嬢ちゃんいい笑顔だなぁ、笑った方が可愛いぜなどと言っている。アイシャの表情が緩んだことにほっと胸をなでおろしつつも、そろそろ街に入らねばと気が付いた。前にいたはずの人の列はいつの間にかなくなり、自分たちの順番が来ていた。
「我良久,とりあえず中に入ろう。」
そう言うと,我良久は心得たとばかりにうなずいた。
関所といってもやることといえば簡単な持ち物検査と身分確認ぐらいだ。台の上に荷物の中を広げ、申告内容と荷物が一致しているか、違法薬物や規制対象の物品がないかを調べられる。冒険者が多く集まる城塞都市なので武器類が規制されることはなく、持ち物検査は滞りなく終了した。少し問題があるとすれば、アイシャの身分確認だった。案の定、持ち物検査が終わると、そばにいた役人に話かけられた。
「緋倭斗殿。申し訳ないが、その少女の件で少しご同行願えないでしょうか。あなたを疑うつもりは微塵もないが、手続きが必要なものでしで。」
幼い少女に配慮したのか、気をつけて聞かないと聞き取れないほどの小さな声だった。緋倭斗は鷹揚に頷くと、我良久に目配せをしアイシャに少しだけ待つように伝えて、役人の後について行った。
城壁の中をしばらく歩いて連れて来られたのはレンガ造りの雰囲気の良い部屋だった。壁に取り付けられた大きなステンドグラスのアーチ窓からは茜色光が差し込み、部屋の中央には落ち着いた色合いのローテーブルと柔らかな布地のソファが置かれている。取調室というよりも応接室と言った方がしっくりくる部屋だった。
年若い役人は緋倭斗にソファに座るように促すと、自身も向かいに腰掛け、いそいそと手に持っていた書類を広げ始めた。緊張でもしているのか、はたまた慣れていないだけなのか、紙をめくる手付きがどことなくぎこちない。少し震える手で羽ペンを握ると、ようやく聞き取りが始まった。
最初に役人が言ったとおり、質問されたのは形式的な内容ばかりだった。どこで出会ったのか、少女の家族はどうしたのか、今後どうする予定なのか。わかることだけ答え、わからないことはわからないと正直に答えれば、深く追求されることもなくすぐに次の質問に移る。今後の予定を聞くときだけさらに緊張した面持ちをしていたが、我良久とともにギルドに行き身辺調査や必要であれば孤児登録をするつもりだと答えると、役人は納得した顔をした。その後も特に問題はなく、簡単な誓約書だけ提出して、取り調べは終了した。
取り調べが終わると、役人は恐縮した面持ちで礼を述べ、門まで送る旨を申し出てきた。仕事で忙しい役人の手を煩わせる必要もないため最初は断ろうかとも思ったが、部外者が一人で歩き回るのも問題かと思い、申し出を受けることにした。門を離れる時のアイシャの不安そうな顔が頭に浮かびすぐに戻りたい気持ちもあったが、我良久がそばについているからと逸る気持ちを抑え、緋倭斗は役人の歩調に合わせて歩いた。
***
ヒィトがいなくなると,愛紗は途端に落ち着かない気持ちになった。話していた内容は聞き取れなかったが、おそらくきっと、愛紗の身元が不確かなせいで連れて行かれたのだ。数日前に知り合ったばかりだというのに、彼がいかに心強い存在だったかを思い知る。と同時に、また自分のせいで誰かが傷つくのではないかという不安にもかられた。ヒィトが出ていった扉を何度も見ながらそわそわしていると、愛紗が不安そうにしていることに気がついたのか、ガラクと呼ばれていた男が声をかけてきた。
「جَوْشَانがそんなに気にするقطانَيْよ。شُويと話しに行っただけだ。すぐに戻ってくるさ。」
安心させようとしてか、ガラクはしきりに何かを喋っていたが、愛紗は気もそぞろであまり良く聞いていなかった。生返事ばかりして俯く愛紗に困ったのか、ガラクがしばし沈黙した頃、扉がゆっくりと開く音がした。顔を跳ね上げてそちらを見ると、先程出ていった役人と一緒にヒィトが落ち着いた様子で戻ってきた。思わず駆け寄って抱きつくと、ヒィトは驚いたのか一瞬体を固めた後、愛紗の頭を優しくなでてくれた。なぜこれほど不安だったのか、自分でも不思議なほどだった。
ヒィトはそのまま愛紗が落ち着くまでしばらく頭をなでてくれた後、街に入るために再び歩き出した。何とこの街には二重に城壁があるらしく、関所を通過すると次は内側の城壁に作られた関門を通らないといけないらしい。
関門と呼ばれるその門は,一見するとただの石造りの門にしか見えないが、よく見ればいたるところに魔法具が組み込まれていた。確信はないが、魔法陣の形を見る限りは認識阻害や幻覚等の魔術無効化用の魔法具に見える。この門をくぐっても特に問題はないはずだが、万が一のことがあるのではと緊張してその場で足踏みしていると、ガラクとヒィトは先程までと変わらない歩調で先に門をくぐってしまった。愛紗がついて来ていないことに気がついたのか、ヒィトが振り返り、手招きしている。あまり待たせるのも不自然で、愛紗は口を引き結んで決意を固めると、ずんずんと歩を進めた。
愛紗がくぐっても、門は沈黙を守ったまま、特に異常を知らせることはなかった。思わずため息をつき、胸をなでおろす。あまりに鬼気迫る様子だったのか、ヒィトが少し苦笑いした。
そこからさらに歩を進め門を通り過ぎたとき、突然陽の光が差し込み、視界が開けた。思わず目を細め、額に手を当てる。狭まった視界の奥で、一陣の風が吹き、ガラクが振り向きながら満面の笑みになるのが見えた。
「ようこそ、端魔里の街へ」




