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アウローラの魔王とウェスペルの勇者  作者: アンブロシウス
第1章 出会い
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第2話 邂逅(後編)

 愛紗アイシャはなんだかふわふわしていた。長い旅路による疲労に加え、最近ではほとんど食事も休憩も取れていなかったからかもしれない。狩りの仕方なんて知らず、食べるものといえば森に生えているきのこや木の実ばかり。怖くて眠ることすらできない。そんな状態でもうかれこれ半年ほどひたすら森の中をさまよい歩いていた。


 けれども、そんな生活が半年も続くと、不思議と空腹も疲労も感じなくなっていた。今なんてむしろ暖かな海に()かっているような心地よささえあった。


(このまま沈んでいけたら――)


そう思わずにはいられなかった。




 ぱちぱちと火の爆ぜる音がする。柔らかな温かい風にのって、香ばしい肉の香りとともに、ほんの少し甘さを含んだミルクの匂いが漂ってきた。ゆっくり目を開くと、あたりはまだ夜の闇に包まれていた。夏の風に揺られて、木々がサワサワとささやいている。木々のささやきに答えるように、ほんのりとした温かな光があたりを照らしては暗くなり、また照らしては暗くなりを繰り返していた。光の源をたどるように横を見やると、ゆらゆらと控えめに燃える焚火が見えた。薪のほとんどは既に燃え尽きた炭のように見える。焚火のそばには分厚い本が数冊積み重ねられている。


(父様がまた本でも読んでいたのかも――)


とにかく本を読むのが大好きな父様とおさまは、海だろうが山だろうが分厚く重たい本を持参する。暗いところで本を読むと目が悪くなるよって母様かあさまが言えば、人差し指で丸ぶち眼鏡をクイっと持ち上げて、これ以上悪くなる目は持ち合わせていないよ!などとのたまって、邪魔になるから置いてきてよって兄様にいさまが言えば、本当のプロフェッショナルは多少の労力なんていとわないものさ!なんて屁理屈こねる。今回もまた母様の目を盗んで本を持ってきた姿がありありと目に浮かんできた。


 ゆらゆらと揺れる焚火の火を見ていると、だんだんと目蓋が重たくなってきた。ふわふわと夢と現実の狭間を揺蕩っていると、お腹の虫が、ぐぅぅぅ~~~~~~っと盛大に鳴く音がした。みんなもう夜御飯は食べたのかななんて疑問が浮かぶ。起きてご飯を食べようと思っても、鉛でも詰まったかのように体は1 mmも動かなかった。


(やっぱりもう一度寝ようかな。)


夢魔につられるようにまた目蓋を閉じようとしたとき、ふと視界の端に誰かが立っているのが見えた。そう、


――()()()()()が立っていた――


 急激に意識が浮上する。ぱちりと目を開くと、目の前に男の大きなてのひらが見えた。反射的に顔を左によける。そのまま左手で体の毛布をはぎ取って跳ね起きた。視界の端でびくりと男の腕が硬直するのが見える。その光景を尻目に、勢いよく男の脇をくぐりぬけ、十歩じっぽほど駆け抜けて左の手を地について即座に振り返る。唸りながら威嚇の姿勢をとると、男が緩慢な動きでこちらを振り返った。


 愛紗は自分の不注意を呪いながら鋭く相手をにらみつけた。なぜ家族との野営中だと思ったのか。なぜこんなにも油断していたのか。ひやりと嫌な汗が背中を伝った。


 心なしか少し幼い雰囲気を残したその男は、男というよりも青年と言った方がしっくりくるような、成人前ぐらいの年齢に見えた。しかしその印象に反して、ちはいかにも名の知れた冒険者のようだった。しっかりとした綿の衣服の上から真っ黒な厚手のローブを身にまとい、腰元には装飾の少ない無骨な剣を携えている。その反面、男は籠手こてや胸当てといった防具を一切していなかった。


 こんな山奥にいるということは冒険者だろうかと思ったが、すぐに脳内でかぶりを振った。いつ獣や魔獣が出るとも知れないこんな森の奥深くで、防具をつけない冒険者などあり得るだろうか。冒険者に見せかけた野党の可能性もあるぞと思ったが、野党にしては身なりが良すぎる。なんともちぐはぐさがぬぐい切れなかった。


 男の正体について考えている間、真っ青な青空のような男の瞳は、じっと愛紗を見つめていた。風に揺られた黄金色こがねいろの髪が風に揺られる。見透かすような男の瞳に、心がざわつくような、そわそわとした居心地の悪さを感じた。


 早鐘を打っていた心臓が落ち着きを取り戻すほどの時間がたったころ、男の瞳がゆらりと揺れて、少し高さの残る声が静寂を破った。




   ***




 青年は途方に暮れていた。少女が目を覚ましたのは良かった。明らかな栄養失調とはいえ、骨折や出血などの大きなけがも見当たらず、起きてすぐに動けるぐらいの元気もある。しかしなぜこんなことになったのか。普通は、あなたは誰?とか、助けてくれてありがとうございますとかの展開ではないのか。少女の容態を確認しようとしたら、なぜか敵意むき出しで威嚇されるという摩訶不思議な状況に陥ってしまった。困った青年の脳は、現実逃避よろしく、少女と出会った後のことを回想し始めた。




 少女を抱いて野営地まで戻ってきた青年は、まずは体に着いた泥を布で軽く拭ってやることにした。幸いなことに大きな傷は見当たらなかったが、布で体にこびりついた泥全てをぬぐい取ることは難しそうだった。湯があれば洗い流してやることもできるが、森に都合よく温泉などがあるわけはなく、夏とはいえ川で洗い流すのはさすがに寒そうだ。少し体力が戻ってからでも大丈夫だろうと判断して寝かせてやると、その後、少女は死んだようにこんこんと眠り続けた。

 

 生きているのか心配になるほど少女は微動だにせずに眠り続け、不安になっては容態を確認するという流れを何度も繰り返し、2回ほど日が昇って沈んだころ、少女がようやく目を覚ました。


 少女が目を覚ました時、青年は最初気がつかなかった。少なくなってきた食料に不安を覚えて狩りに行こうかと思い、癖の様に少女の方を確認したとき、少女が焚火を見つめていることに気がついたのだ。少女は何をするでもなく、うとうととしながらただただ焚火を眺めていた。その姿に思わず安堵のため息が漏れた。青年は「起きたのか」と声をかけ、少女の容態を確認しようとした。その時。


 少女は青年を目にとめると、今気がついたとでも言わんばかりに驚きに顔を染め、寝床から飛び起きた。思わず防衛反応をとろうとした体を押しとどめる。体を硬直させていると、少女が10 mほど後方で振り返ったのを感じた。驚かせないようにそーっと後ろを振り返ったところ――


 少女は拾われた獣のようにこちらを威嚇していた。そう、言葉通りまさしく、獣のように。四足歩行の少女に唸られるという奇妙な状況が出来上がったのである。


(どうしたらいいんだ……)


もちろん青年は獣のような少女と接した経験はない。それどころか幼い少女と接したことすら今までほとんどないのである。冒険者という職業柄、年上と接する機会は多々あれど、彼ぐらいの年齢では年下と接することはほとんどない。少年でなく少女となれば尚更である。


 数分か数十分か、永遠にも感じる長く気まずい時間が過ぎた後、青年はこの状況を打開すべく行動に出た。


『俺は冒険者をしている緋倭斗ヒィトだ。君が森で倒れたからひとまずここまで連れてきたんだ。』


両手を上げて降参の姿勢でそう言うと、少女は訝しむように眉を寄せた。


『あなたは、』


しわがれたガラガラの声だった。少女は予想外の自分の声に驚いたのか、喉元に手を当てて少し咳払いをした。何度か発声練習のように意味のない音を繰り返すと、声の調子を確かめながらゆっくりと続けた。


『冒険者、見えません。防具は、――』


そこまで言うと、ゴホゴホと苦しそうに咳き込みだした。心なしか、立っているのもつらそうに体がゆらゆらと揺れている。少しかがみ込んで顔色を確認すると、青を通り越して緑に近いのではないかというほど顔色が悪かった。脱水症状かもしれない。慌てて水を探し、焚き火のすぐそばに置いていた魔法瓶を取りに行こうとしたとき、


『うごかないで!!!』


という鋭い怒声が飛んできた。見ると、少女は毛を逆立てた子猫のように、背中を丸めて警戒している。敵意がないことが伝わるようにと、緋倭斗はゆっくりと穏やかな声で話しかけた。


『水を取りに行こうとしただけだ。そのままだと脱水症状で倒れる。水を飲んで少し落ち着いてから話そう。』


ひらりと両手を上げて、焚き火のそばを指差した。少女は横目で焚き火のそばを確認すると、逡巡するように少し目を細めた。そのまま3度、指で地面を叩き、さらに沈黙する。緋倭斗は辛抱強く待つことにした。


 あまりの長さに少し不安になってきた頃、少女がようやくコクリとうなずいた。許可が出たことにほっと胸をなでおろし、おそるおそる焚き火に近づく。手の届く距離に来ると、慎重に魔法瓶を左手で掴み、フタを開けて右手に少しの水を注ぎ込んだ。少女が少し驚いた顔をしている。ズズズッと音を立てながら水をすべて飲み込み、にへらっと笑いながら、なくなったことを示すようにヒラヒラと手を振ると、少女はパチパチと目を瞬いている。警戒が解けたかと思い2度手招きしたが、また眉間にシワを寄せて横に首を振られた。仕方なく魔法瓶を転がしてやる。少女はこちらに視線を合わせたまま、ゆっくりと魔法瓶を両手で掴むと、少しずつ水を飲み始めた。


 緋倭斗はどっと疲れが押し寄せるのを感じた。長い長いため息とともに、思わずその場に尻もちをつく。ただ魔法瓶を渡しただけだというのに、不思議なほどの疲労感と達成感があった。


 しばしやりきった余韻に浸っていると、少女がこちらに近づいてくる気配があった。ふっと笑みがこぼれ落ちる。少女を見上げて、落ち着いたかと声をかけると、少女は少し困ったような恥ずかしそうな顔をした後、


突然またバタリと倒れた。

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