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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ゆもくの変化

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 ……よし、これでおおよそ熱に関する化学変化は一区切りってとこかな。少し時間も余ったし、復習しながら脱線話でもしようか。

 質問。熱いものを一気に冷ますときに使える、身近な調味料をひとつあげよ。

 その通り、食塩だね。

 氷に塩をかけた場合だと、二つの熱が発生しうる。

 物質が固体から液体になるときの「融解熱」。固体が液体の中へ溶けるのに必要な「溶解熱」。このための熱を周囲から奪っていくために、温度が下がる現象が起こるわけだ。

 熱いものを一気に冷やすときにこの技を応用でき、麺類にコシを入れる、ふんわりジェラートを作るなどといったときも、塩を混ぜた氷水が使われることもあると聞く。


 ま、ここまでは授業でも話したところだ。復習してもらえば問題ない。

 しかし、真に気を付けたいのはこれが我々のケースに置き換えられるとき。塩に限らない何かが体へくっついてきたとき、そいつに注意を払わないと思わぬことが起こるかも、という点だ。

 先生が昔に体験したことなのだけど、聞いてみないかい?


 それは休日の、朝早くからの電話だった。

 父は急な仕事の呼び出しで、母はちょうど洗濯物を干しており、出られるのは先生しかいなかった。

 当時はまだ現役だった黒電話の受話器を持ち上げ、「もしもし」と耳へあてがってみる。

 ざざっと、波が寄せるような雑音がたちまち聴覚を支配してきて、「ん?」と先生は首をかしげる。当時は携帯電話のたぐいはまだまだ少なかったゆえ、かけてくるとしたら固定電話のイメージだった。

 よほど海が近いところの建物か、公衆電話からだろうか? 先生はしばらく黙っていたが、潮のざわめく音をのぞけば、電話口の向こうが黙り込んでいる。

「もしもし」ともう一度呼びかけ。そのうえでより耳に神経を集中させた。


「……ゆ……も……く……」


 聞こえてくる。「ゆ、も、く」と。

 何か、フレーズの途中がとぎれとぎれで聞こえているのか、と最初は思ったのだけど他の部分がいっこうに聞こえてこない。

 電話越しの相手は、その三文字をゆったりとリピートし続け、それ以外は黙りこくっているようだ。先生は「もしもし? なんのようですか?」と相手へさらなる応答を促したけれど、やがて向こうから電話が切れてしまう始末。

「誰からだった?」と、洗濯物を干し終えて戻ってくる母に、先生はこの奇妙な電話内容を伝えた。すると、母親は少し顔をしかめて「今日はちょっと厚着をしたほうがいいね」と漏らす。

 秋とはいえ、今日は夏真っ盛りを思わせる暑い日。先生も母も薄着をしながら、なお汗がにじむという陽気なのに、正気かと思ったそうだ。が、どうも先生が着信した電話に原因があるらしい。


 詳しいことは明かせないが、あれはどうやら地域の神職に相当する誰かからの連絡だという。あの波の打ち寄せるような音と、「ゆ、も、く」の三語に限った発声は、ならわしの一種なのだとか。音を切らすこと、詳しく語ることはよからぬことを招く、と。

 本来は住人の皆をしかるべき場所へ呼んで注意を促すらしいのだが、近年は早さを重視し、この電話による伝達が主流となっている。そしてこれは「憑き虫」の大量発生を知らせるものだとか。

 憑き虫というのは、ごくごく小さい体躯を持つ虫。単独ではそれなりに目が良い者でなくては、まともに姿をとらえることはできない。しかし、一か所に固まってきたのならば黄色のぬかるみとなって、多くの目が存在を知ることになるのだとか。


 こいつらは服などにくっついても、一切の問題はないのだけど、皮膚へじかに触れたときが非常にまずい反応を示す。

 彼らがひっつくと、体の正常な神経がマヒしてしまう。主に痛覚関係の、不快さを覚えながらも体の安全に貢献してくれる部分がだ。

 ただし、くっついたことそのものを感知できないこともない。かえって、その部分が極上のマッサージを受けているかのごとく、心地よい感触に襲われるからだ。

 その後、何が起こるかは先生が体験した通りのことを話そう。

 母にいわれるがまま、夏日の屋内にもかかわらず三枚、四枚と厚着をしながら手袋、マフラー、帽子にマスクと防備を重ねた先生。

 残るは目の周り……といったところで、にわかにまぶたのあたりをぐうっと指圧されるかのような刺激を覚えた。


 こいつが気持ちいい。

 表面だけでなく、視神経の奥の奥、脳にまで陶然としてしまって眠気を覚えてしまいそうになる……突発的で場違い、不届きの塊だ。

 つい、うとうとしかける先生だったが、着替えの最中だったこともあり、母が近くへいてくれて助かった。「これ!」としかられ気味に、頬を張られて眠気が吹き飛ぶ。

 直後、手袋をした手でぐいっと顔をぬぐわれると、母のつけた軍手の記事へべっとりと黄色い液体がへばりつく。

 塗料のように整った色彩とはいいがたい。まるで虫の卵を一挙につぶしてしまったかのような、濃淡清濁いりまじった不安定なものだったよ。

 そこへかさぶたを思わせるような赤黒さも入り、どうなっているのかと先生が鏡を見ると、ぬぐわれた顔の右半分、マスクと帽子に隠された間の部分の皮がごっそりと剥げて、血がにじんでいたんだ。

 なにより怖いのが、これらの痛みが全くなくて、相も変わらない気持ちよさが残っていること。手当てを受けたうえでなお、包帯の上から血がにじむような事態に陥っても、痛覚は危険な事態であることを訴えてはくれなかった。


 のちに聞いた話だと、こいつらによって一晩のうちに人から骨へたちどころに変えられてしまった者もいるとのことだが、その人たちもまた一切の苦痛の声を漏らすことなく、恍惚とした表情のまま溶けていってしまったのだとか。

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