篝火花
次の日、彼女は何食わぬ顔をして訪れた。
僕の心は凍ったままだった。
他の男を愛おしげに見つめていたあの眼差しに、僕の心は凍り、その冷たさに凍傷を起こし、ひりひりと痛みすら覚えていた。
痛みを握り締める。息を飲む。
そして、僕は前日から、用意していたものを、彼女に差し出した。
「恵理さん」
「え?」
「これ、もらってください」
僕が差しだしたのは、意味を含ませ選んだシクラメンの鉢だった。
深紅の花弁の縁が白い、幾つも幾つも次から次へと諦める事もできずに蕾を付け続ける、シクラメンの花だ。
彼女は面くらい、じっとその鉢を見つめていた。
「でも、どうして?」
彼女の声が震えている。
何かを、感じているのかもしれない。
胸が痛い。
唇をそっと結ぶ。
昨日の彼女が瞼の裏に浮かぶ。
心臓が破れそうなほど鼓動を打っていた。
彼女は
結婚している。
それでも
諦められない。
彼女には
子どもがいる。
そんなの
構わない。
彼女は今
幸せだ。
だからって
この気持ちは止められない。
彼女は僕の事なんか
なんとも思っていないかもしれない。
けど、けど、けれど
僕は
彼女が好きなんだ!
彼女は、彼女は、彼女は……わかってる。わかってる。でも、理由や理屈を並べて忘れられる感情なら、もうとっくにこんな感情捨てている。それが出来ないほど、僕は、彼女の事が……
「好きなんです!」
「え?」
彼女が息をのむのがわかった。とたん彼女に目に、涙がじわじわと滲んで行く。
あの、綺麗な唇がわなないている。何かを呟いている。
その微かな動きを、僕は読み取って、しまった。
彼女が呟いていた言葉、それは
-どうして、言ってしまったの
その瞬間、僕は一気に目が覚めた。
思いっきり横っ面を殴られたような、そんな感覚に思わず手を引きかける。
彼女は僕の気持ちを知っていたんだ。
でも、気がつかないふりをしていた。なぜならそれを言ってしまったら、この気持ちを知っている事が事実として僕らの間に生まれてしまったら、彼女はもう、ここへは来られなくなるから。だから、彼女はここに通うために、ずっと気がつかないふりをしてくれていたんだ。
そんな事もわからずに、僕は……。
僕は一度小さく息を吐くと、ありったけの強がりを集めて、笑った。笑って見せた。そして
「この、シクラメンが、好きなんです。大量に入荷しちゃって困ってるので、貰ってくれるとありがたいです」
下手な嘘をついた。
この届かぬ想いと彼女との時間を守る、そのために。
彼女はそんな僕の嘘に涙をとどめ、一粒もこぼすことなく微笑むとそっと黙ってシクラメンを受け取ってくれた。